2014年1月4日土曜日

気をつけようプロパガンダと暗い道

安倍総理と閣僚の靖国神社参拝については日本国内はもとより、その波紋は海外にまで広がっている・・・らしい。その是非についてはここでは語らない。

本当に安倍総理や閣僚の靖国神社参拝が国内外で問題になっているのだろうか。私は、この真偽については知らない。少なくとも日本の大衆伝達(マスコミ)はこれを報じ書き立てている。日本人はその国民性において、比較的正直でかつ外聞を気にする。海外から「日本のこれこれ云々はいけない」、などと言われると、これを鵜呑みにする。日本人は幕末以来、自らの物事を図る尺度を放棄して欧米のそれを崇め奉った。我が先祖は鹿鳴館などという陳腐なものをつくり洋装をして、自らも欧米人になったつもりでいた。これを大まじめにやったのだから、今振り返ってみれば滑稽至極な時代であった。

が、これが150年以上経ってもまだ続いている。大東亜戦争前には一旦止んだかに見えたこの習癖が敗戦後にさらにひどくなった。欧米語、特に英語の氾濫である。英語など話せない人々も、日本人同士の会話に盛んに英単語を混ぜる。混ぜれば会話の内容が高級になると考えているらしい。能無し政治家も、某国営放送も、あんぽんたん民放も、間諜新聞もこぞって欧米語を使いたがる。

言葉に限らない。ものの考え方そのものを欧米から輸入している。良いものは洋の東西を問わない。しかし、日本人は良いものも悪いものも、欧米のものはすべて良いものとして輸入してしまう。自分というものをしっかりもって初めて他人を認められる。自国を愛し、尊重しないものに、他国のものを愛し、尊重などできるわけがない。

昨年末、和食が世界無形文化遺産に登録された。これも、欧米から評価をもらってようやく日本人自身が和食の良さを認めた。良いものでも、欧米に認めてもらわないと自信が持てない日本人。

この日本人のもつ民族特性を世界各国は研究した。世界で最も利己的な国である米国がこれを利用しないはずはなかった。今もしている。シナもこれを研究して日本侵略を計画中のようである。

米国にジョージ・ワシントンは既にいないが、開国後なのに、日本にはいまだ武士がいる。二宮金次郎がいる。戦国時代、日本は情報戦が得意だったはずだが、開国して世界相手になるとからっきしダメなのは、鎖国制度が響いているからかも知れない。ほぼ単一民族で、同じ言語を話し、似通った常識で何百年も共に暮らしてきたのである。ウソはいけません、正直者の頭に神宿る、と言われて育てられてきたのである。

もし、人が世界でただ生き延びることに一番の価値があるとしたら、日本にいる武士や二宮金次郎は邪魔になる。「嘘も百回言えば本当になる国」を相手には赤子同然だからだ。では、嘘も百回言えば本当になるだろうか。答え・・・日本常識では☓、世界常識では◯である。どちらも正しい。

安倍総理はじめ、靖国神社に参拝した閣僚たちは、事あるたびに「世界に根気よく説明してゆく」と言っているらしいが、もし彼らがこれを世界に認めさせたいのであれば、必要なのは説明ではなくうまいプロパガンダである。世界はそういう時代になってしまった。しかし、私達はこの現実の中で生き延びねばならない。

プロパガンダとは私の中では政治的意図のある宣伝である。自国他国を問わず、人々の思想を操作誘導をしようとする企みである。刷り込みとか、洗脳、マインドコントロールなどすべて同類である。ある意味これらは「教育」と密接な繋がりがあるので、一概に悪であるとか忌むべきものとは言えない。

旧連合国側は、日本が大東亜戦争の是々非々を蒸し返すことを恐れる。日本人の意識が、安倍総理の靖国神社参拝に端を発してこの方向に向かえば、冷静な議論の場においては彼らに勝ち目はない。戦後心血を注いできた日本人の思想改造が水泡に帰すおそれがあるのだ。欧米、ロシア、シナにとってこれが面白かろうはずはない。彼らがこぞって安倍総理のこの行動に異を唱えたのはこの理由以外考えられない。

私個人は政府要人の靖国参拝については賛成である。が、安倍総理もなにがしかのプロパガンダを国の内外に向けて必ずやっている。気づかれないようにやるのがプロパガンダである。その主な媒体になるものは、大衆伝達(マスコミ)である。シナはつい最近米国の新聞社ニューヨーク・タイムスの買収に名乗りを挙げた。これは表立った動きなのでまだいい。知らない間に日本の大衆伝達の各社に悪意ある外国の資本が入っている可能性は高いのだ。これらの目的は視聴率や発行部数をあげての金儲けだけではない。無知な人々の耳に何かを囁き、植え付けることなのだ。

さて、あなたは生まれて以来、その耳に誰から、何を吹きこまれて来ましたか?(勿論、気づいていませんよね^^;)

追録
私は現在は思想的には「右傾化傾向」ですが、今のような民主主義や資本主義が良いとは思っておりませんし、自分が無知であることと、何を吹きこまれて育ったかも、多少は心得ているつもりです。残念ながら、私達が暮らす世界はいまだ「理」が通ることは少ないようです。人類といえども、生物多様性の原理からは逃れられません。限りなく動物に近い人達から、限りなく神様に近い人達まで、様々です。動物に近い世界では、「理」は通らず、物理的力が物を言う弱肉強食の世界がいまだ続いていることを忘れてはならないと思います。理想を語ることは簡単ですが、物心両面の自由を奪われてから遠吠えをしても遅いのです。