2013年12月16日月曜日

ヘレン・ミアーズを知っていますか

既に、どこかに書いた気がするが、人というのは動物性を併せ持って生きるようにつくられている。ただの動物として生きることの最優先は自分の体を守り、養い、そして子孫を残すことである。次に来るのは自分の家族を守り、養うこと。そして次は自分の所属する種を守り、養うこと。こんなところであろう。単純と言えば単純である。

はたして人類の場合はどうであろう。人類は生物界でも最もややこしい存在である。それは神性と動物性の間に揺れて生きる宿命にあるからだと筆者は考える。人といえども動物性を消して生きることは叶わない。まず普通の状態では自分を守り養うことが優先順位の一番に来る。この最初のところで既にただの動物との違いが出てくる場合がある。すなわち、人は自分が飢えて死すとも、子供や他人に食わそうとすることがある。動物には自分を犠牲にしても子供やほかを生かそうとする、こんな行動は見られないようだ。(一部に、自分が捕食者の注意を引いて、その隙に子を逃がす、そんな行動をとる動物がいるが、最終的には自分を犠牲にはしない)

聖書にヨハネが言ったとされる言葉のひとつで、
    一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし
とある。解釈は自由だが私は、「人を思いやる心があれば、例え本人が死んだとしても、その精神は生き続けて広がるであろう」と理解している。

もし人が、「あの世」から来て、「あの世」に帰るのであれば、「この世」にある間にせねばならない宿題というものがありそうである。それは人を愛するということではないか、と思う。自分を愛するのはサルでもやっている。しかし、人はただのサルではいけない。

人も、特別な場合を除き、優先順位の一番に自分がきて、次に家族がきて、地域社会、町、県、地方、国となるようだ。自分が所属する何か、(家族だったり、町だったり、国だったりする)が他から非難されたり、攻撃を受けたりすれば、自分と自分の側を弁護、守護する行動を自動的にとる。自動的に、ということは動物本能的に、と言うことだ。まったく当たり前と言えそうだが、ここに大きな問題がある。人といえども相手の行動に正当性があろうがなかろうが、これを受けた側は「理性」の介在なしに自分と自分の側を守ろうとするのだ。

大東亜戦争の前後に、日本を含む亜細亜というものを宇宙から眺めていた学者がいた。米国人のヘレン・ミアーズ(Helen Mears)である。戦前2度ほど日本と中国を訪れ、戦後にはマッカーサーのもとで、日本の労働基本法の策定に従事したらしい。

日本は降伏後に極東軍事裁判(東京裁判)と言う茶番劇で多くの政治家、軍人が有罪になった。なぜ私がこれを茶番劇と呼ぶか、連合国側の洗脳教育を受け継いで自虐史観を持つ人々には理解できないだろうが、間違いなくあれは茶番であり、劇だったのだ。ここで詳しいことは述べない。

日本は理由はともあれ他国に迷惑をかけた。これは事実である。しかし、戦争をやってのち、裁判でことの善悪をつけるなどはかつて聞いたことがない。しかも、戦争の勝者が敗者を裁くのだ。これが公平ならお日様は西から昇ってもおかしくはあるまい。勝ち負けは時の経済力、軍事力、政治力などで決まる。正義などはまったく関係のない話である。

正義か不正義かを裁くなら、アメリカに勝ち目はない。アメリカは西洋人が来る遥か以前より土着していたインディアン達を大量に虐殺している。英国からの独立後に戦争で南部7州(6州だったか?)をメキシコから奪っている。グアム、サイパン、ハワイ、その他を侵略している。1853年には戦艦を動員して日本を恫喝したではないか。(私がお隣のK国なら遡って倍賞を求めるところだが^^;)

連合国側のすべての国々は、日本がシナを始めとする亜細亜での利権を面白く思わなかった。(欧米の多くの国がシナに武力による利権を確保していた)これが大東亜戦争の始まりである。要するに強盗の仲間割れだったのである。この裁判で、連合国は後出しジャンケンをやった。それまでなかった「人道に対する罪」という罪状をつくって日本を罰した。そんな罪があるなら2発の原爆による世界初の人体実験はどうなる。大都市に対する無差別爆撃はどうだ。これらで殺されたのは軍人ではなくほとんどが一般市民である。(日本は真珠湾で一般市民を攻撃しただろうか)アメリカはまったく抵抗のできなくなった日本にこれを敢行したのだ。これは未だ裁かれていない。

欧米は政治宣伝がうまい。当時欧米政府は日本を世界征服を企てる恐ろしい怪物として自国民を洗脳した。アメリカなどは軽薄な牧童(cowboy)文化しか持たない国である。ところが、いたのである。自身の出自を超越してこの戦争を冷徹に研究した学者が、アメリカにである。

ミアーズは、この戦争(大東亜戦争)を宇宙から眺めて、これを本にした。どちらに偏るわけでなく、理非を明らかにした。物事とはそれを眺める場所によって見え方が違う。ミアーズは必ず手前味噌になる動物の目ではなく、公平な人間の目でこの愚かな争い事を観察し、詳細な記録Mirror for Americans:JAPANに残した。これによれば、今大戦は明らかにアメリカをはじめとする連合国側に分が悪い。それでもミアーズは見たまま、調べたままをこの本に書いた。当然日本での出版はマッカーサーによって禁じられた。

正しい歴史認識を、とオウムのように繰り返す人々がいる。しかり。しかし、正しい歴史認識があったとして、これを認めるのに一番不都合な国々はむしろアメリカをはじめとする連合国側である。日本も執拗に長期に渡る連合国側からの「刷り込み」「暗示」、「洗脳」を受けてしまい、正しい歴史認識など出来そうにない。ノーベル文学賞などという怪しげな賞を射止めて得意になっているOなどは、その典型である。

私は、人の人たる所以は「理と愛」にあると思うが、残念ながら人の世に「理」は無い。アメリカの原爆投下、ソ連による敗戦国の人々のシベリア抑留(実際は奴隷として苦役を強いた)、シナ政府による日本人大量殺戮(通州事件)、シナ共産党独裁下の悲惨な粛清や餓死(一説に二千万人が毛沢東に粛清され殺されたという。スターリンも同等であるが・・・)、貧富の格差など、言行の矛盾を演じ続けている。人類が「理」を放棄すれば地上で唯一最悪の残忍な動物となる。人類が人類でいるためには「理」がどうしても必要なのだ。この「理」を貫いた人がミアーズだった。

それにしてもアメリカにもすごい人はいるものだ・・・。

※Mirror for Americans:JAPAN アメリカ人達の鏡たる日本。現在日本語で読めるのは抄訳ではあるが、「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川書店)である。





2013年11月22日金曜日

冗談ですよ


日本国小笠原諸島西之島のすぐ隣に海底火山によって造られた小島が現れた。つい数日前の話しである。日本の隣国である某国は早速日本政府に申し入れた。
「あの小島は歴史的にも国際法上も、まったく疑いなく我が国の領土である」と。
 
 
久しぶりに更新したと思ったらくだらん冗談でした。すいません。帰国以来元気です。
書きかけの記事は幾つもあるのですが、つまり・・・乗らないのです。悪しからず。

2013年9月23日月曜日

帰国

風が吹くたびに、白樺の木々が無数の葉を宙に舞わせ、地を黄色に染めた。

朝夕の冷えが始まり、民家の煙突からは煙が立ち上る。ここ一両日は思い出したように暖かく、人々は夏の名残を楽しんだ。村のそこここに植えられたリンゴが赤味を増してきた。私は先日庭先にある堆肥箱に生ごみを置きに行くついでに、残っていた最後のプルーンのいくつかを木から採り、これを頬張った。種を飛ばしながら空を見上げた。

思い出せば、私が今回ここに来た時は、この空にはまだ冬の色が残っており、桜などもまだ咲いていなかった。だらだらと冬と春が行ったり来たりした。ゴースの花の圧倒的な黄色が終わり、ヘザーの控えめな紫が浜辺を彩った。いつの間にか夏が来ており、人々の家の花壇は賑やかになった。

今窓辺の机に向かって、ガラス越しに見える景色は松林。その上に、緑の間から見事な青空が見える。風で木々がざわめき、空の高いところにある白い雲が速く流れている。

佐久は自然災害の少ないところだと聞いているが、先日の台風はどうだったのだろう。私の家は母屋は大丈夫だろうが、それに続くガレージは「大工もどき」に建てさせたもので、構造上の問題があり、素人の私が、これに自分で補強を加えた。おそらくは大丈夫であろう。一番危ないのは薪小屋だろう。家を建てるために伐採した雑木が多くあり、これを燃料にするために玉切って割った。途中でその量の多さに気がついたが、ままよとばかりに、その場にありあわせの材料で、いい加減に屋根をかけた。あくまでも「仮」のつもりであったが、既に二冬を過ごしている。補強もしたが、大風に強いとは思われない。大風といえば、庭に赤松の大木が一本あるが、これは風のたびにひどく揺れる。万が一倒れたら電線電柱をなぎ倒し、家を半壊ぐらいはしそうである。風の方向と強さ次第で、如何ともし難い。考えても無駄なことは考えないに限る。

帰国の日が近づくと、急に(帰国後に)「あれもせねば、これもしたい」、が脳裏に浮かんでくる。こちらでの休暇が溜まっており、これを消化しがてら帰国日を一週間早めた。

御用邸到着は夜の八時頃の予定。水道は元栓で止めてある。元栓は地下一尺五寸くらいの所にあり、フタを開けて捻ればいいのだが、そこにはカマドウマが沢山いたりする。庭は雑草で埋まっているはずで、暗い中でこれをかき分けて行くのはちと嫌である。懐中電灯も必要だろう。

離日前夜に車の蓄電池の陽極に繋がる線をを外しておいた。これを戻さねばならない。蓄電池はお迎えが近いので(車を買ってから一度も交換していない)、果たして電気が残っているか・・・。燃料はわずかだがある筈。夏の暑さで蒸発して残っていなければ事である。が、保険屋さんに電話すれば6升(約10リッター)は無料で持ってきてくれる。

風呂釜の水抜きを戻し、合併浄化槽の点検契約休眠を戻し、住民票を復活させ、草むしりをし、西洋濡れ縁を作るための穴掘り、土台作りをし、薪を探し・・・。そう、原付回転鎖鋸(チェーンソー)の事である。新しいのを買うか。これはまだ決断ができない。来年からは1年を通じてここスコットランドで暮らす可能性があるからだ。帰国はせいぜい1年に一回、3週間ほどであろう。独り者には厄介なことであるが、ここを手放せば私には日本に帰る場所がなくなる。

私は日本が好きである。自分が生まれ育った国だから、というだけではない。多少海外生活を経験し、各国の人々にも接してきている。日本人が世界で一番かどうかは知らない。しかし、少なくとも私が見た国の中では一番安定して平衡のとれた国であることは間違いない。

最近職場の同僚である日本人のAが目の不調を訴えた。涙が少なく、角膜が乾燥し、無数の傷を負って見えなくなり始めたらしい。Aのとった行動は、まず担当のGP(General Practitioner・・・家庭医)に予約をとる。数日待たねばならないことがわかり、周囲からハッパをかけられ、緊急だからといって再度連絡をとる。診察の結果、家庭医は、自分ではわからないと言って10洋里(km)ほど離れたOptician(眼鏡士・・・メガネ屋さん)を紹介した。これに会うのにまた数日を要した。Opticianは目薬をくれたらしいが、効かない。この間Aは見えない目で必至にネットで療法を探し、実行した。以前、ロンドンで似たような症状が出て、日本人が経営する病院に行ったらしい。法外な料金を請求された。それは多分法外ではないのだろうが、一回の診察と治療で日本円で10万円近くを請求されたというのである。保険でまかなって事なきを得たらしい。結局Opticianではだめで、近くの眼科専門医にゆく事になった。しかし、これにかかるまで相当待たされるらしい。それでもこの国では順番を踏まなければならないのである。

英国は国民皆保険制度があり、これに登録すれば外国人でも医療費はただである。しかし、ただでも機能しなければまったく意味が無い。この国の医療制度は崩壊しているのである。

この国は人口は日本の約半分6200万人ほど、経済力(GDP)は日本の約半分である。しかるにその軍事費は日本を凌ぐ(GDP比2.6%、ちなみに日本はたったの1%)。核兵器を保有し、原子力潜水艦を保持し、MI6(ジェームス・ボンドの所属する情報機関。ボンドは実在の人物ではないが、MI6は実在する)を維持している。どちらの国がまともかはわからない。日本は国防をおろそかにする傾向が顕著であり、この国は異常なほど軍事に金をかける。これが国民の福祉に衰退をもたらす。

この国に住む以上は身近な医療のことを考えざるを得ない。大いに不安である。世界に国は200前後あるが、平衡のとれた先進国は稀である。日本はその中の一つに辛うじて入るだろう。

総合的に考えれば、今のところ六四の割合で日本に住みたい。しかし、日本に戻って半年も経てば退屈でやはり英国がいいかな、などと思うであろう。

2013年8月3日土曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び4)

トヨタのカローラからスプリンターが生まれ、後になって各々にレビンとトレノと言う名の車が派生し独立した。元々この随筆は「さても人間とは」が題名であり、その副題が「暖炉のにおい」、これの後に副々題として括弧で(大人の火遊び1~4)が出た。なんだかトヨタを真似てそれぞれを独立させたほうがいいような気もするが・・・。

統計を見ているが、母屋の「暖炉のにおい」より、軒先の「大人の火遊び」の方がダントツでよく読まれている。当初からこの傾向があり、これは「大人の火遊び」の方が検索語として妖しげで、惹かれるせいではないかと考えた。普通に捉えれば「大人の火遊び」とは、「成人の不純異性交遊」を意味するはずで、検索語に騙されて(?)やってきた読者諸氏には申し訳ないが、ここでは普通の意味での火遊びではなく、文字通りの火遊びなのである。(身共は、やんごとなき生まれにて、俗世の下ねたなどは書きつらう能わざればなり^^;)

再来される読者についてはこの統計ではつかめない。が、私は再来読者は意外と多いのではないかと踏んでいる。もしそうなら、その訳は・・・人は火遊びが大好き、これに尽きるような気がする。

ホシーホシー病でも書いたが、ケリーケトルというものの購入を本気で考えた。アイルランドが発祥地らしいが、金属製の小さなかまどに短い煙突を立てる。これが2重になっており、その隙に水を入れておく。すなわち煙突がやかんなのである。下のかまどで小枝や松ぼっくりを燃料にしてお湯が沸かせる。さらに煙突兼やかんの上にフライパンでも載せれば簡単な料理もできるというものである。普通のやかんに比べれば、水の量に対して熱が伝わる面積が広く、また煙突効果で火力が強いのだろう。このせいで、お湯がごく早く沸く。アルコールストーブやガスストーブなどよりはるかに早くお湯が沸かせ、燃料は現地調達でただ。難を言えば少々かさばることであろう。

なかなか行かないが、野営は大好きである。森の中で日が暮れて、焚火のそばに座ってウイスキーをちびちびやるのは無常の喜びである。このケリーケトルは真っ暗な中、やかんの上部、すなわち煙突の先からチラチラ火が見える。この故に、この種のストーブを「火山かまど」(ボルケーノ・ストーブ・・・volcano stove)とも呼ぶらしい。どうもいいではないか・・・。

世に物欲ほど怖いものはなし。いつも偉そうなことを宣(のたま)わく不肖であるが、物欲の制御にはいまだ苦しむ。このところの財政事情が許さないのであればこれはしかたない、と優先順位を下げていた。が、新手が現れた。と言うより最近私がこれの存在に気がついただけなのであるが。ウッドガスストーブと呼ばれるもので、やはり木の枝や松ぼっくり、また木質ペレット、アルコールストーブを中に置いても使える。一番の特徴は、一次燃焼と二次燃焼があることであろう。やはり野営用なので、巻便所紙くらいの大きさしかない。一次燃焼で発生した可燃ガスが上に昇った所で、空気を吹きつけて再度燃やす。このため、燃焼が安定すると煙は殆ど出ない。

高過ぎる。たかがステンレス製の円筒に穴を開けて重ねただけのものなのに、49.95ポンドもする。日本円で言えば7500円くらいであろうか(1ポンド150円換算)。日本でも売られているが、これより700円近く高い。これは私が佐久の御用邸で、買い替えを考えている銅製の見事なやかんとほぼ同じ値段である。薪ストーブに似合う良い意匠で、電磁式かまど(IHのこと)にも使えるものがあるのだ。しかし、私はこのウッドガスストーブに惹かれた。機能的で美しい。私ならあ~する、こ~もする、と言った点もあるにはあるが、現状でも充分だ。問題はこれが自分でも簡単に製作可能だということだ。外見さえ気にしなければ、缶詰や塗料の空き缶、それと缶切り、釘、金槌があればできる。

片道10洋里(km)の道のりをおんぼろ自転車で出かけた。金はかけなくとも火遊びはできる。一帯に広がる黄金色になった麦や緑のじゃがいもの畑、いくつかの橋を渡り、町を過ぎて外れにある西洋食料雑貨店(TESCO)に入った。陳列棚にある雑多な缶詰を背伸びしたり、しゃがんだりして手に取り、一つひとつの直径を測った。安いものばかりを狙った。驚いたことにこの物価の高い英国で、日本円で50円ほどの西洋麺のトマト味が売られていた。結局犬用餌、パインアップル、茹でじゃがいも、米プディング、トマト汁そして野菜汁など大小様々な缶を買い込んだ。自転車でいける範囲に日曜大工用品店があれば塗料缶で済ませたかった。値段は安いし、綺麗だし無駄がない。

結局パインアップルと野菜汁以外はみな堆肥桶(コンポスト)に行った。(捨てたと言いたくない^^;)犬用餌は開缶した瞬間から異臭がして、これを素手で処理したためにしばらく匂いが残ってしまった。犬とはすごいものを食べるものだと思った。最も彼らの先祖は腐肉でも腹をこわす事なく、平気で食っていたであろうから不思議はない。

1号機は小さいながらよく燃えた。二次燃焼のバーナーのような火もちゃんと確認できた。外見は無骨ながらも易々と成功した。しかしながらこれは大きさが実用向きではないので、ひと回り大きなものを作った。円周を測り、規則正しく空気穴を配置したが、道具の不備にはいかんともしがたく、若干いびつなものが出来てしまった。燃焼実験はこれも成功である。ウッドガスストーブの特徴のひとつ、燃焼残滓として炭が残る。木が燃えてそれからガスが出て、これが終わると炭が残る。放置すれば徐々にこの炭も燃えて白い灰だけが残るに違いない。不思議だ。

写真を撮ろうと思ったが、写真機の充電器を持ってくるのを忘れてこれは叶わない。ちと無念である。それにつけても火遊びの楽しさよ。しかも、これでしばらくはホシーホシー病の発作から開放される。

2013年7月27日土曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び3)

「お祭り人間」と言う人種がいる。ふと思い立って、「お祭り人間」を電脳網で調べたら、「お祭り男」と言うのが見つかった。ひと処に大勢集まってワイワイやるのが大好きな男、くらいの意味であろう。普段おとなしい人が、この時は人が変わって躁状態になる。輪の中心になりたがり、人の世話を焼きたがる。こういう人が私の言う、「お祭り人間」である。

私の友人に、「お祭り人間」が一人いる。ポルトガル人女性Cで、かつてバンガロー(※)と呼ばれるおんぼろ家で一緒に住んでいた。(同棲でも同衾でもない。ただの同居である)後に私は寝台虫(Bedbag)に体のあちらこちらを刺され、やむなくちゃんとした家に引っ越した。(あと釜に豪州人のJ翁が来て元私の寝室に入ったが、未だなんとも無いようだ)

※バンガロー(Bungalow)・・・・・広い西洋濡れ縁(ウッドデッキ)のある平屋
   以下蛇足^^;
  キャビン(Cabin)・・・・・・・・・・丸太造りの小屋
     コテージ(Cottage)・・・・・・・・ 小さな別荘 
     ハット(Hut)・・・・・・・・・・・・・・ 粗末な小屋
     ログハウス(Log house ?)・・・和製英語らしい
  バラック(Barracks)・・・・・・・・兵舎、仮設小屋

このバンガローに私が入居してきた時は、先に英国人男性Aと日本人女性Bがいた。家自体の日当たりが悪く、10年近く前に自殺者が出たりして、すこぶる評判の悪い所であった。中は共用部分の掃除をするものが誰もおらず、不衛生で散らかし放題であった。私は居たたまれず、掃除と片づけをした。同居人たちは有言不実行の人たちであって、私とはまったく住む世界が違う。自慢するようだが、私は無言実行が好きな人間である。

さてCのことである。日本流に言うと、二回目の成人式を少し前に迎えた年頃で、細身で長い髪には白髪が目立つ。早口だが流暢な英語を話す。Cはかつて私の職場にいたことがあり、お互いよく知った仲である。ポルトガル出身の割には、いわゆる南欧系の気質はあまり見受けられない(と、思った)。時間は正確だし、片付けや清掃をよくやる。年齢相応に落ち着いている。

Cは英国人男性Aと日本人女性Bが相次いでほかの住居に移っていった、その直後に我が家に来た。それから嵐のような日々が始まった。掃除と模様替えが始まったのである。積年の汚れ、傷み、無責任がこの家をある意味の化け物屋敷にした。英国人男性Aと日本人女性Bは代々の居住者の悪い方の典型であり、当然負うべき公の義務(と書くと硬いが、要は掃除を含む日常の仕事)を一切せず、この種の人々にありがちな「権利の要求」は人並み以上なのであった。

家のあちらこちらにモノがうっちゃられており、乱雑になっている。台所は開封された調味料や食品で埋め尽くされている。ほとんどは賞味期限が切れて久しい。私は新参のCに現状を話し、そして自分の想いを話した。彼女と意見が一致し、その場で作業が始まった。モノの取捨選択の連続である。修理したり綺麗にすれば使えるモノ、使えないので捨てるモノ、使えるがこの家では不要なモノ、これらが思った以上にあった。Cのやり方は徹底しており、これで彼女が転入する前に私がした片付けが半端なものであることが露呈した。

連日仕事を終えて帰ってくるとすぐこの作業が始まった。多くは相談ずくで、お互い独断でものを決めることは少なかった。が、自分の部屋のことは別である。Cは洋服箪笥に拘泥した。4つある寝室のうち、2つが空いている。先任者の権利として空いている部屋にある家具その他を自由にできた。Cは空いている部屋に入って、この箪笥が欲しいと言う。箪笥とそれを置くべき空間の寸法を正確に測る。これだけでは不十分。家の中を移動するには箪笥が移動する道順(?)の採寸も必要である。一人で動かせるものではないので、私が仰せに従って二人でこれを彼女の部屋に移動する。運び入れたのだから、運び出せると思うのは誤りで、後から来た他の家具が邪魔だったりして思うにまかせない。

Cは苦労の末、ある洋服箪笥を自分の部屋に運び入れ、やはり気に入らないといって、戻して別のものを運び入れたりした。金のある法人ではないので、社宅にある家具類の大方は安モンである。彼女が一旦気に入って運び入れた箪笥は空の状態で扉を開けると箪笥自体が前に倒れてきた。扉に後付と思われる鏡がついており、これを開くと重心が前に移動するのである。「重し」が必要とわかった。私は生まれて25年経つが(うそ)、こんな箪笥は見たことがない。ただ苦笑するのみである。

とにかく家の中のもので彼女の目から逃れられるものはなかった。居間の卓や椅子は尽く移動を命ぜられ、汚れという汚れは綺麗に駆逐、清掃された。手抜きというものがなかった。冷蔵庫を移動してその裏まで綺麗にした。そこは永年誰ひとり掃除をしたものはいなかったようだ。

次の冬に備えて薪の配給があった。ほとんどが針葉樹で、既に割ってある。西洋耕うん機でダンプカーの荷台みたいなものを牽引している。満載してきた薪を一気に降ろす。玄関への進入路に山積みされた。その時は私と英国人男性A、そして日本人女性Bの3人がいた。本来なら雨を避けるためと、玄関への進入路を確保するためになるべく早く、3人で平等に薪を薪小屋に積むべきであった。私は一人で半分以上をやり、あとを残した。後者2人はこれを放置してバンガローを離れた。あとから来たにも拘わらずCは嫌な顔ひとつせずにこれを片付けた。魂に格というものがあるとすれば、A、BとCの違いは明白である。(3人は共に中年の分別盛りである)そう、魂というものは見えるものなのである。

Cは家の隅々までピカピカに磨き上げ、家具を移動し、内外に花を飾ったり植えたりした。かつて人々が、あそこは悪いエネルギーが溜まっている、などと陰で言っていたおんぼろのバンガローが今は光り輝いている。

そこの薪ストーブはただの鉄の箱である。扉に硝子が付いていて炎が見えるわけでもない。それでも火を焚くのは楽しい。私がその家に入ったのは4月の中旬で、スコットランドでは肌寒い天気が続いていた。時折ストーブをつけた。悪天候の日などはあたたかい居間から窓外の雨を眺めて暮らした。さすがに5月ともなるとストーブは不要となった。

およそ10日ほど前、すなわち(2013年)7月の中旬のことであった。晩にその家で様々な国籍の10人近くの人々が集る機会があった。その時である。Cは人々が自分の家に群れ集って浮かれたためか、ストーブに火を入れようと言い出し、私たちの返事を聞く間もなくさっさと焚付を燃やし始めた。反対の声が上がるかとも思われたが、大半の人々は彼女の勢いに呑まれてしまった。盛大に焚いたわけではないが、居間は瞬く間に暑くなり、ある者は上着を脱ぎ、ある者は窓を開けた。そしてCは火が消えないように時々ストーブの扉を開けては加減を見ていた。彼女はいつも気配りを忘れなかった。そこに私は南欧のお祭り人間気質(かたぎ)を見た。

実は今回はもっと副題(大人の火遊び3)に沿った話しを書くつもりであったが、何となく話しがそれてしまった。次回4は以外に早く画面上梓(?)出来そうである。

写真は私がバンガローに転入直後に撮ったもの。私の左手の親指の先から小指の先までは20cmある。

2013年7月19日金曜日

漱石を偲ぶ

連日二十数度の気温が続いており、雨も少なく、当地スコットランドは例年にない好天続きである。朝夕はそれでもかなり気温が下がるので、長袖が必要なほどとなる。とにかく日本の高温多湿な夏とはまったく違って、適度な暑さと低い湿度は爽やかで心地よい。

先日風邪をひいて10日ほど体調を崩した。仕事も幾日か休んだ。実際の所、休まねばならないほど悪かったわけではないが、そこは社会の一員として、他との平衡を取らねばならぬ。つまり欧米人は我慢をしてまで仕事はしない。私は典型的な日本人とは言いがたい部分もあるにはあるが、大部分はそうなわけで、体調不良を押して仕事をすると、他の欧米人たちがやりづらくなるだろうと思って休んでやった^^;

休んでもすることはない。生来の怠け者との自負はあるものの、そう寝てばかりもいられない。かと言って外を歩きまわって職場の人間と鉢合わせもバツが悪い。退屈しのぎに電子頭脳網でいろいろな情報を漁る。無料で開放されている映画もある。とにかくこの電脳網上の情報量と速度にはただ驚くばかりだ。

日本では選挙でこの電脳網を使い始めるらしいが、この利便性と危険性を研究する学者はいないものだろうかと、ふと思う。他者への悪意ある侵入が盛んである。人口の多さだけが取り柄の大国と武力の強大さだけが取り柄の大国が、電脳網上の侵入合戦を繰り広げている。実際には英露も独仏も、どこの国も侵入と防戦に躍起になっている筈で、これは国家間に限らず、個人も同じだ。

日本も最近は固体燃料をつかったロケットを自由に飛ばすことができるようになった。超電子計算機もあるから核実験などをやらなくても小型核弾頭などは短期間に作れそうである。物騒な話しではあるが、両者を合わせれば大陸間弾道弾を飛ばして日本に攻撃を仕掛けてきた国に報復をする能力ができたわけだ。これで日本も当てにならない他国の核の傘から抜け出せる。ちなみにドイツなどは核兵器を持たないが、必要があれば条約でアメリカの核のボタンを押せるそうである。核抑止力に現実的ではない甘い考えを持っているのは先進諸国では日本だけである。

性善説はいいが、自説が世界に通用すると考えているのは過去の鎖国制度がもたらした最大の弊害だろう。

残念ながら虎狼群れするなかで生き残るためには、憲法9条という印籠は通用しない。助さんだって角さんだって、武術の達人だから黄門様を護れるのだ。これを理解しない人々を私は憐れむ。人というものの正体を見極めることが肝心だ。まんざら動物でもなく、かと言って神には程遠いのだ。

人の世とはひとくくりにはできない。善人もいれば悪人もいる。全員で入れ歯(善人でいれば、の誤入力^^;)悪人は寄ってこないと思うのは勝手だが、身ぐるみどころか命まで取られた後で、私は悪いことはしていません、と言っても遅いのだ。

、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」・・・ご存知の通り、漱石の「草枕」の冒頭部分である。が、これは「人の世」の話しであって、動物界のそれではない。世界に伍して生きてゆくということは、残念ながら弱肉強食の動物の世界に晒されるということでもあるのだ。

※何が何でも力がないと生き残れないとは言わない。動物界ではウサギは長い耳と早い足、それに大きな繁殖力がある。生き残っている動物には必ずそれなりの優れた点がある。

そう言えば過日Snigel閣下が当地スコットランドの我が家においでくださった。(Snigelはアイルランド真実紀行の作者。参照ここを押す)この方、年来の友人である。日本人にとってはアイルランドについての生き字引かつ変人である。(世間から見れば紛れもなく人格温厚頭脳明晰優柔不断その他諸々の人である)彼の大好きなRyanairと言う格安航空会社の飛行機に乗ってアイルランドの首都ダブリンからグラスゴーと言う、スコットランド随一の工業都市に飛んで来た。そこから貸し自動車に乗って当地までまっすぐ来れば4~5時間の距離であるが、そこは並の人とは違う。あとから聞いた話しだが、グラスゴーから首都エジンバラまで古い鉄橋を見に行ったというのである。参照ここを押して下さい

この巨大な鉄橋は漱石が英国に留学する10年ほど前に日本人の現場監督によって建設されたものである。見たい気持ちは理解できる。私も何回かそれを見たし、一回くらいは列車で渡ったこともある。素晴らしい鉄橋である。が、大きな遠回りをしてまで見に行くだろうか。

ともあれ、彼はスコットランドのド田舎に現れた。大きな遠回りをしながら、大して疲れた様子もなく、町一番の高級ホテルのバーで旧交を暖めた。その翌々日彼は私の希望を受け入れPITLOCHRY (ピトロッホリ・・・日本語にはない発音なので、カタカナでは正確な発音は表せない。ホが擦過音になる)に出かけた。

PITLOCHRY は漱石が留学の終わり近くに訪れたスコットランドの保養地である。いつか行ってみたいと思っていたが、Snigel閣下のお陰で、あっさり希望が叶った。漱石が帯在した建物は当時は個人の持ち物であった由であるが、今はホテルとなっている。受付でその部屋が見学可能かを聞いた所、塞がっていて不可であると言う。つまり、塞がっていなければ可であるらしいのだ。部屋代は夏季は140ポンドくらいだということだ(もしかしたら日本円で14000円くらいと言ったかもしれない)。小さなホテルで、その中の最上の部屋なのだろう。元々この持ち主が漱石の友人だったそうだから、一番いい部屋に泊めるのは自然なことだったに違いない。受付の親切なおじさんの好意に甘え、庭を散歩させていただいた。以前は日本庭園まであったと言う。

私が先の右翼的発言のあとに草枕の一節を持ちだしたのは、この結論に導きたかったからである。庭はいい意匠(デザイン)とは言いがたいが、手入れが行き届いており、大木が幾本かあり、そのうちの松の根本から松ぼっくりを一個失敬してきた。この松、樹齢は大雑把に見積もっても2~3百年にはなっており、漱石も見たに違いないのだ。想像を逞しくすれば、彼は神経をやられて辛かった孤独な胸の内をこの木に寄り添って吐露したかも知れないのだ。約110年前の事だった。

いま部屋の窓際にこの松ぼっくりをおいて眺めている。これを煎じて飲んだら、私も少しは文章がうまくなるか知らん。

写真はPitlochry Dundarach Hotel 撮影日2013年7月15日

2013年6月24日月曜日

西の果てから

日曜の午後である。午前中に洗濯を片づけ、早めの午餐を済ませてしばらくボーッとしていた。日本から持ってきていたヘミングウエー再読もかなり進んだが、今日は読む気も起きなかった。スコットランドにしては珍しく晴天が続き、今日も朝は曇っていたものの、昼辺りから急に日差しが出てきた。

私は、ここでは滅多に自発的には散歩などしないのであるが、なに、ものの10分も歩けば海が見えるのだと思い、家の裏庭から松林に出た。英国人は無類の散歩好き国民である。その成果が地面に出ている。松林を抜けて左方向に行けばまもなく海が見えるだろうとタカをくくっていたら、たくさんの枝分かれした自然にできた小道があるのだった。生憎方向感覚はまるでない。

私を理屈っぽい人間だと思っている方が多いだろうと推察するがそれは違う。人一倍感性に頼って暮らしている。なればこそ理性をもって平衡を保とうとする。これが時々行き過ぎるのである。方向に関しては理性も感性も役に立たない。天を見上げてぐるっと回ればそれで全てがわからなくなる。進化して野性を失った、と言えば聞こえばいいが、では太陽の高さや星の位置で方向がわかるかと言えば、勉強不足で皆目わからない。

小道は多くの人が歩いたその結果出来たので、まことに不思議だ。周囲を見回しても人影は見えない。でも、幸い見覚えのある発電用風車が見えたので、これを頼りに海を目指した。それでもかなりの遠回りをした。私がウミガメの子供だったら卵の殻を破ってのち、ひたすら内陸を目指したところである。

牛乳8にコーヒー2を混ぜたくらいの色の、細かい砂が玉石と混ざって果てしなく続いている。この玉石、実に面白い。形はほとんどが楕円で、平たいものが多い。大きくても直径20洋寸(cm)くらいで、つぶは比較的揃っているといえる。色は淡いものがほとんど。柄は石英の白だけのものから、濃い色のものがサンドイッチ状になったものなど、千差万別である。面白い姿をしたものを人々は持ち帰り、家の窓辺などに飾る。一番人気は白い心臓形(と書くと雰囲気ないですなぁ・・・)である。

ところどころ強い北風の侵食で、高さ数十洋尺の土手ができており、この断面がいい。玉石の層と砂の層が順番に重なっており、何千年、何万年の間に海水面の上がり下がりがあって、その結果できたのだろう。いま玉石が一面に広がっているところも、やがてそこに砂が被さり、その上にまた玉石が乗り、これを繰り返すのだろう。次に風化でできた玉石と砂の層の、この断面を見て駄文の題材にするのは、服を着たサルかもしれない。(猿の惑星をふと思い出した)

大きな起伏がないだけで、大げさに言えば砂丘のようだ。ゴースという小さな刺が無数にある灌木がところどころに大きな群れを作っており、今はその花が盛りで、遠くからでもその独特な甘い香りが鼻腔にからむ。少しそばに寄ると、圧倒的な黄色である。日本のニセアカシアのような黄色である。この荒地に繁茂して他を寄せ付けない逞しさよ。しかし、よく考えたら、ここにはこの植物くらいしか適応出来なかったのかもしれない。

この海岸線は東西に伸びており、西の端は南西に下りながら、ネス湖につながる川の河口にあり、大きな湾になっている。東の端は80洋里(km)ほどで海に落ちる。その先をまっすぐ北海を行けば数百洋里でノルウェーの南端である。真北を行けばグリーンランドとノルウェーの間を抜けて北極に至る。

二十歳前後の頃、FENと言うアメリカ軍放送を聞いていたことがある。Far East Network の略で、フェンと発音していた。何を話しているかさっぱり解らなかったが、当時は若者の流行りだったのだ。Far East Network とは、極東放送網くらいの意味である。アメリカから見れば日本は西にあるのだから、Far West Networkと言ったほうが合理的な気もするが、アメリカは「政治的に西側なのだよ」、くらいの意味であろう。地図というのは自国を真ん中に配置してそこから他国が東であるか、西であるか、はたまた北であるか南であるかを表すものなのだろうが・・・。

日本から見ればここはFar west、すなわち極西である。いま気がついた馬鹿な話し。極東は簡単に漢字変換できるが、極西はできない。単語がないのだ。極とは「端っこ」とか、「まるっきり」を意味している。日本人が日本は極東の国である、と言うのは自分の視点が解っていないのだ。