喫茶店などというものは、それこそ昭和の響きににも似た、いわば前世紀の遺物となりつつある代物である。そこでコーヒーを飲む。ネルの赤と黒の市松模様のシャツにジーンズをザクっと着こなした初老の店主らしき人が、勿体をつけてカウンターの客の前でコーヒーを入れる。この御仁の、他の客との会話を聞くともなしに聞いていると、「コーヒーを点てる」としきりに言う。点(た)てる、と言う言い方は抹茶を淹れる時以外使わないのもで、コヒーにはおかしい、と言うのが私の意見である。が、ここの店主は自分のやっていることの特別で高尚であることを、他人に訴えたいらしい。これだけなら私はこの店とその店主に思うことは何もなかったであろう。
ところがこの店主、時々「本物のコーヒーとは」と言う。これが偽学者ミッチー教授の逆鱗に触れた。聞き捨てならん。そこへなおらば成敗してくれるところである。本物のコーヒーだ?お前さん、お馬鹿タレ。本物の何々、とか本当の何々、などということはめったに使ってはならない言葉なんだぞ。なんであんたが「本物のコーヒー」を知っているんだ?見たのか?飲んだのか?いつ?どこで?誰が淹れた?で、それがなんで「本物のコーヒー」とわかった?
残念ながらこれに類することは巷に星の数ほど散らかりまくっている。そしてプラネタリウムの天井に投影された光を実物の星とでも思うように本物のコーヒーが実在すると思っている。本当の幸せ、本物の男、真実の愛云々。
世の中の人で、真剣に「本当の・・・」と言う人は多い。が、いくら真剣に言ってもそれはあやしいのである。真剣であることと、本当であることはまったく別物である。
私たちは神様が目前に現れたら、それが神様とわかるだろうか?答えは否である。あらかじめ神様を知っていないと目の前にそれが現れた時に神様と認識できないのではないだろうか?
これが人の真の生き様だ、などと指し示すことはできない。が、何も疑わずに流されて生きることは、私にはできない。
2012年12月26日水曜日
2012年12月24日月曜日
iPS細胞に寄せて
今年(2012年)の流行語大賞は「ワイルドだろ」だそうな。一年の三分の一以上日本を留守にしていたので、これの意味が皆目わからない。そもそも流行というものにはとんと興味はない。電気受像機は好きでよく見るが、俳優さんたちは最近競って襟巻きをしている。これが流行らしい。私も外に出る時はバンダナやスカーフをアスコットタイ代わりに首に巻く。これは実用からである。頭のバンダナや回教徒が被る帽子を着けるのも実用からが主で、決してハゲ隠しではない。(私は毛髪が薄くなって以来毎日頭を剃っている。おまけに言うことが理屈っぽくて抹香臭いので、前世は坊主だったに違いないと思う)とにかく毛が無いと冬は寒いし夏は暑い。容易に怪我をする。帽子やバンダナは私にとっては全くの実用である。
私とて枯れたわけではないので、おしゃれはする。するが、それは実用の延長線上にあらねばならぬ、と言うのが私の考えである。だから女性のおしゃれは大嫌いである。ある旅番組で、ご当地の名物料理を食べる景色があった。器やフォークを操るその指の爪が空色に塗られていた。私はその料理に同情した。爪は実生活に差し支えないように長さを整えるべきで、色を塗って料理をまずくするとは言語道断である。
女性はまつげをおもちゃにする。一所懸命にまつげを黒く塗り、あまつさえ他から持ってきて自分のそれに付け足したりする。
面白うてやがて悲しき付けまつげ。
滑稽を通り越して悲しくさえある。某国営放送の朝の番組の女性司会者がいい年をして付けまつげをしている。これだもの女子高校生が勉強を放ってところ構わず鏡とにらめっこするわけである。
私はどうせ女性に持てないのでもう一つ。ハイヒールというやつである。馬鹿も極まれり、というのがこれである。いっそのこと竹馬にでも乗ればいいではないかと思うのである。見かけ一番実用は二番。文明堂もびっくりである。危ないし、健康に悪いことは医者に聞かなくてもわかりそうなものだが・・・。女子高校生は丈の短いスカートをはく。彼女ら知ってか知らずか、目的はひとつ。男の視線をひきつけたいのである。で、見れば怒るし、見なければもっと短くするだろうし。自然なこととは言え、サカリがつく年頃というものは大変だなと思う。
私は装飾品というものが嫌いである。指輪は例外はあるが純粋に装飾品としてのものは嫌いである。耳飾りも嫌いである。その類を身に着けてチャラチャラ歩いている人を見ても敬遠することはあっても惹きつけられることはない。そもそも装飾品をつけたからといってその人が綺麗になるということはあり得ない。人が綺麗になるのはやはりその人の「生き方」や「想い」によるものであろう。
人が流行を追いたがったり、装飾品を付けたがる訳を私は知っているつもりである。前者は「群れ」に従属して安心安定を得たいからであり、後者は群れの中でより多くの異性を惹きつけたいからに違いあるまい。種の繁栄と言う観点から見れば大変重要なことではあるが、人間という特殊な動物としてはどうか・・・。
人は精子と卵子が合体して動物としての新たな生命が活動を始める。母のお腹の中で、ひとつだった細胞が倍々と数を増やし、無脊椎動物から魚類になり、魚類から両生類や爬虫類となり、やがて哺乳類から霊長類の進化の過程をたどって、最後に人間の赤ちゃんとしてこの世に生まれ出る。栄養や酸素が体中に行き渡り、循環がうまく作用して大過なく動物としての身体は成長する。しかし、果たして心はどうであろうか。人としての心を養うのは容易ではない。心とは目に見えないものであるが、これもいつどのようにかは私には知る由もないが、ある時物理的身体に宿り、原初のこころから始まって徐々に進歩を重ね、次第に人の心になってゆくに違いない。
良くも悪くも人にも生物多様性の原理は働き、様々な人ができてくる。ひとつの見方としての話しではあるが、人はその心や魂の発達段階で自らの成長を止めてしまう場合があるようだ。裏で何が起きているのかは知らない。十分人になりきる前に成長が止まると、その人は体は人間、でも心は動物として生きるよりほかなく、これは不幸なことこの上ない。体は人間とは言っても、人間に一番近いチンパンジーとでもDNA的にはほんのわずかな違いしか無い。これで心が人の領域に達していなければ、動物としての二大本能である種の保存と、自己保存の本能にしたがって行きてゆくしか無い。「サカリ」を理性で操縦できない女性たちはしきりにスカート丈を短くしたり、目にニセまつげをつけたりするのである。男性はしきりに力こぶを見せたがるわけである。
少し大げさな表現を使って書いたが、基本はほぼ正しいと思う。そこでどうするか・・・。
私の持論は人の心もまた山中教授のiPS細胞と同じことが言えるのではないかと、と言うことである。いま鼻毛を司る細胞だったとしても心筋や脳幹細胞に生まれ変われる可能性を秘めており、それを成すか成さぬかは状況次第である。老齢に達してさえも人は赤ん坊だった頃の心の可能性を持っている。今は少しだけその柔軟性を失っているだけなのだ。でも、それは間違いなく取り戻せる。
今晩はクリスマス・イブ。ディケンズのクリスマス・キャロルのエベネーザ・スクルージだって元から暖かい心を持っていたのである。近道をしても、遠回りをしても最終的には人としての心を発現させることが大切だと思う。
私とて枯れたわけではないので、おしゃれはする。するが、それは実用の延長線上にあらねばならぬ、と言うのが私の考えである。だから女性のおしゃれは大嫌いである。ある旅番組で、ご当地の名物料理を食べる景色があった。器やフォークを操るその指の爪が空色に塗られていた。私はその料理に同情した。爪は実生活に差し支えないように長さを整えるべきで、色を塗って料理をまずくするとは言語道断である。
女性はまつげをおもちゃにする。一所懸命にまつげを黒く塗り、あまつさえ他から持ってきて自分のそれに付け足したりする。
面白うてやがて悲しき付けまつげ。
滑稽を通り越して悲しくさえある。某国営放送の朝の番組の女性司会者がいい年をして付けまつげをしている。これだもの女子高校生が勉強を放ってところ構わず鏡とにらめっこするわけである。
私はどうせ女性に持てないのでもう一つ。ハイヒールというやつである。馬鹿も極まれり、というのがこれである。いっそのこと竹馬にでも乗ればいいではないかと思うのである。見かけ一番実用は二番。文明堂もびっくりである。危ないし、健康に悪いことは医者に聞かなくてもわかりそうなものだが・・・。女子高校生は丈の短いスカートをはく。彼女ら知ってか知らずか、目的はひとつ。男の視線をひきつけたいのである。で、見れば怒るし、見なければもっと短くするだろうし。自然なこととは言え、サカリがつく年頃というものは大変だなと思う。
私は装飾品というものが嫌いである。指輪は例外はあるが純粋に装飾品としてのものは嫌いである。耳飾りも嫌いである。その類を身に着けてチャラチャラ歩いている人を見ても敬遠することはあっても惹きつけられることはない。そもそも装飾品をつけたからといってその人が綺麗になるということはあり得ない。人が綺麗になるのはやはりその人の「生き方」や「想い」によるものであろう。
人が流行を追いたがったり、装飾品を付けたがる訳を私は知っているつもりである。前者は「群れ」に従属して安心安定を得たいからであり、後者は群れの中でより多くの異性を惹きつけたいからに違いあるまい。種の繁栄と言う観点から見れば大変重要なことではあるが、人間という特殊な動物としてはどうか・・・。
人は精子と卵子が合体して動物としての新たな生命が活動を始める。母のお腹の中で、ひとつだった細胞が倍々と数を増やし、無脊椎動物から魚類になり、魚類から両生類や爬虫類となり、やがて哺乳類から霊長類の進化の過程をたどって、最後に人間の赤ちゃんとしてこの世に生まれ出る。栄養や酸素が体中に行き渡り、循環がうまく作用して大過なく動物としての身体は成長する。しかし、果たして心はどうであろうか。人としての心を養うのは容易ではない。心とは目に見えないものであるが、これもいつどのようにかは私には知る由もないが、ある時物理的身体に宿り、原初のこころから始まって徐々に進歩を重ね、次第に人の心になってゆくに違いない。
良くも悪くも人にも生物多様性の原理は働き、様々な人ができてくる。ひとつの見方としての話しではあるが、人はその心や魂の発達段階で自らの成長を止めてしまう場合があるようだ。裏で何が起きているのかは知らない。十分人になりきる前に成長が止まると、その人は体は人間、でも心は動物として生きるよりほかなく、これは不幸なことこの上ない。体は人間とは言っても、人間に一番近いチンパンジーとでもDNA的にはほんのわずかな違いしか無い。これで心が人の領域に達していなければ、動物としての二大本能である種の保存と、自己保存の本能にしたがって行きてゆくしか無い。「サカリ」を理性で操縦できない女性たちはしきりにスカート丈を短くしたり、目にニセまつげをつけたりするのである。男性はしきりに力こぶを見せたがるわけである。
少し大げさな表現を使って書いたが、基本はほぼ正しいと思う。そこでどうするか・・・。
私の持論は人の心もまた山中教授のiPS細胞と同じことが言えるのではないかと、と言うことである。いま鼻毛を司る細胞だったとしても心筋や脳幹細胞に生まれ変われる可能性を秘めており、それを成すか成さぬかは状況次第である。老齢に達してさえも人は赤ん坊だった頃の心の可能性を持っている。今は少しだけその柔軟性を失っているだけなのだ。でも、それは間違いなく取り戻せる。
今晩はクリスマス・イブ。ディケンズのクリスマス・キャロルのエベネーザ・スクルージだって元から暖かい心を持っていたのである。近道をしても、遠回りをしても最終的には人としての心を発現させることが大切だと思う。
2012年12月18日火曜日
いかに生きるか その4
欝を発症したのは3年前の今頃であった。それが果たして医学上の「鬱病」だったのか、はたまた「欝状態」だったのかはわからない。「健康な状態」と「病的な状態」と「病気の状態」はそれぞれ違うはずだ。各状態の境界は必ずしもはっきりしない。私は病院で診察の結果、担当医に鬱症状が出ています、と言われた。
当時は欧州から日本に生活の基盤を移すことに期待と不安の両方があった。欧州にいれば安定した仕事と収入はほぼ保証されていたが、私にとっては彼の国は住み心地のいいところではなかったのである。かと言って当時の日本が私にとってなお住みよいかどうかはわからなかった。苦節はあったものの10年近くも欧州で生活していたのである。
人の持つ尺度というものは絶えず揺らぐ。揺らがない人に進歩はない。苦労して獲得した尺度であっても人はそれを常に疑わなければならない。疑った結果、それが大丈夫と思っても機会を得て再度疑う。これの繰り返しが大事だと思う。信じていることのすべてが正しいなどと言う人はいないわけで、進歩向上の道を無限に歩むことを期するのであれば、確信できそうなことならなお疑う。疑って、さらに疑って、それでも疑う。そして取り敢えずはその尺度を「仮合格」とする。滑稽なことにこの合否の判定尺度が結構いい加減である。尺度を判定する尺度などあるのだろうか・・・。
例えばいま流行りの原発問題である。賛成にしろ反対にしろこれに関する情報や知識をマスコミ等から得て判断し、その是非を断言する。多くの人は、自分がどのような問題を、どのような尺度で測っているかを知らないと思う。自分の中の正誤是非が決まれば自説に有利な知識情報、そして自説強化のための理屈を並べる。そしてこれに気づく気配はない。傲慢な言い方ではあるが、私はこのような人々を羨ましくも思い、また気の毒にも思うのである。
さて、外地で生活すればその時の自分に都合の良い尺度は身に付ける。それが10年という歳月の間に積もり積もった。それがすべて普遍的且つ公正なな基準であればいいのだが、欧州(と言ってもアイルランドであるが)の尺度がそうである保証などあるわけはない。が、私は帰国後かなりのものを欧州の尺度で計っていた。日本の社会は欧米の尺度をすべて良しとし、あこがれ、盲従する。しかしながら、本能的にこれに反発する風もある。私はこれを知っていたので、用心深く「知っている筈の日本」を再観察し、軟着陸を試みたつもりであった。
が、コケた。欧米は「個」を主張し、これを重んじる。そして「理」の世界である。日本は「他」を尊重し、「情」を重んじる。どちらが正しいかという問いは「リンゴとブドウのどちらが美味しいか?」と言う問いに等しい。正誤で答えられる問題ではない。永く日本を留守にすると祖国恋しさのあまり、過剰美化に走る。それまで住んでいた国が決して住み心地のいいところではなかったから尚更である。
ある時、所用で一時帰国していた時のことである。新宿から湘南新宿線に乗った。私は一日東京で過ごし、疲れていた。座りたかったが、立席の出る混み具合でそれは望むべくもなかった。座っている、そして次の駅で降りそうな人の目星をつけてそれとなく前に立った。あろうことか池袋で私の前に座っていた人が立って降りたのである。自動的にこの席は私のものになる、と思った。不文律である。ところが私の横に立っていた中年のおばさんが自分の手提げをポンと空いた席に放り、そこを確保してしまったのである。私は文句を言うことも忘れ唖然とした。
他人の幸福な姿を見ると自身も幸福になるが、このように他人の醜さをあからさまに見せつけられると思わず自分の心も醜くなる。理性を失いそうになった。自分の利益がかかると尚更である。おばさんは醜い顔をしていた。これは(私の思い描いていた)日本人ではないと思った。この人にも両親がおり、そして子供もいるだろう。どんな育てられ方をし、どんな育て方をしているのだろうと思った。こんな人に限って子沢山で、ねずみ算式にこのおばさんの複写を日本中にばら撒かれたら日本の退歩に繋がるは必定と見たものである。
どんなところにもこんなおばさんはおり、またどんなところにも天使のような人はいるものである。この双方の比で国民性とかが決まるのだろう。(アイルランド人がいい加減というのは間違いないが、すべてそうだというわけでもないように)ただ、私の場合、帰国してこのようなことに連続して遭遇してしまった。日本とは何という窮屈で醜い世界だろうと思った。一回や二回なら神経質な私でもそれほどは気にしなかったであろう。しかし、度重なったのである。そしていつの間にか欧州移住の頃にはあったはずの精神的な柔軟性を失っていた。いま思うに、これが「鬱症状」発症の引き金になったと思う。
私は「欝」を発し、これをきっかけとして様々なことを思い、感じ、考え、人や人生というものの考えを新たにした。抽象的な言い方ではあるが、人として少しだけ大きくなれたと思う。相変わらずの明日をも知れない貧乏暮らしではあっても、金に不自由しなかった頃よりいくらかはマシな人間になったと思うのだ。
当時は欧州から日本に生活の基盤を移すことに期待と不安の両方があった。欧州にいれば安定した仕事と収入はほぼ保証されていたが、私にとっては彼の国は住み心地のいいところではなかったのである。かと言って当時の日本が私にとってなお住みよいかどうかはわからなかった。苦節はあったものの10年近くも欧州で生活していたのである。
人の持つ尺度というものは絶えず揺らぐ。揺らがない人に進歩はない。苦労して獲得した尺度であっても人はそれを常に疑わなければならない。疑った結果、それが大丈夫と思っても機会を得て再度疑う。これの繰り返しが大事だと思う。信じていることのすべてが正しいなどと言う人はいないわけで、進歩向上の道を無限に歩むことを期するのであれば、確信できそうなことならなお疑う。疑って、さらに疑って、それでも疑う。そして取り敢えずはその尺度を「仮合格」とする。滑稽なことにこの合否の判定尺度が結構いい加減である。尺度を判定する尺度などあるのだろうか・・・。
例えばいま流行りの原発問題である。賛成にしろ反対にしろこれに関する情報や知識をマスコミ等から得て判断し、その是非を断言する。多くの人は、自分がどのような問題を、どのような尺度で測っているかを知らないと思う。自分の中の正誤是非が決まれば自説に有利な知識情報、そして自説強化のための理屈を並べる。そしてこれに気づく気配はない。傲慢な言い方ではあるが、私はこのような人々を羨ましくも思い、また気の毒にも思うのである。
さて、外地で生活すればその時の自分に都合の良い尺度は身に付ける。それが10年という歳月の間に積もり積もった。それがすべて普遍的且つ公正なな基準であればいいのだが、欧州(と言ってもアイルランドであるが)の尺度がそうである保証などあるわけはない。が、私は帰国後かなりのものを欧州の尺度で計っていた。日本の社会は欧米の尺度をすべて良しとし、あこがれ、盲従する。しかしながら、本能的にこれに反発する風もある。私はこれを知っていたので、用心深く「知っている筈の日本」を再観察し、軟着陸を試みたつもりであった。
が、コケた。欧米は「個」を主張し、これを重んじる。そして「理」の世界である。日本は「他」を尊重し、「情」を重んじる。どちらが正しいかという問いは「リンゴとブドウのどちらが美味しいか?」と言う問いに等しい。正誤で答えられる問題ではない。永く日本を留守にすると祖国恋しさのあまり、過剰美化に走る。それまで住んでいた国が決して住み心地のいいところではなかったから尚更である。
ある時、所用で一時帰国していた時のことである。新宿から湘南新宿線に乗った。私は一日東京で過ごし、疲れていた。座りたかったが、立席の出る混み具合でそれは望むべくもなかった。座っている、そして次の駅で降りそうな人の目星をつけてそれとなく前に立った。あろうことか池袋で私の前に座っていた人が立って降りたのである。自動的にこの席は私のものになる、と思った。不文律である。ところが私の横に立っていた中年のおばさんが自分の手提げをポンと空いた席に放り、そこを確保してしまったのである。私は文句を言うことも忘れ唖然とした。
他人の幸福な姿を見ると自身も幸福になるが、このように他人の醜さをあからさまに見せつけられると思わず自分の心も醜くなる。理性を失いそうになった。自分の利益がかかると尚更である。おばさんは醜い顔をしていた。これは(私の思い描いていた)日本人ではないと思った。この人にも両親がおり、そして子供もいるだろう。どんな育てられ方をし、どんな育て方をしているのだろうと思った。こんな人に限って子沢山で、ねずみ算式にこのおばさんの複写を日本中にばら撒かれたら日本の退歩に繋がるは必定と見たものである。
どんなところにもこんなおばさんはおり、またどんなところにも天使のような人はいるものである。この双方の比で国民性とかが決まるのだろう。(アイルランド人がいい加減というのは間違いないが、すべてそうだというわけでもないように)ただ、私の場合、帰国してこのようなことに連続して遭遇してしまった。日本とは何という窮屈で醜い世界だろうと思った。一回や二回なら神経質な私でもそれほどは気にしなかったであろう。しかし、度重なったのである。そしていつの間にか欧州移住の頃にはあったはずの精神的な柔軟性を失っていた。いま思うに、これが「鬱症状」発症の引き金になったと思う。
私は「欝」を発し、これをきっかけとして様々なことを思い、感じ、考え、人や人生というものの考えを新たにした。抽象的な言い方ではあるが、人として少しだけ大きくなれたと思う。相変わらずの明日をも知れない貧乏暮らしではあっても、金に不自由しなかった頃よりいくらかはマシな人間になったと思うのだ。
2012年11月25日日曜日
野鳥食堂 追伸
昨日ヤマガラの餌付けを試みて意外に簡単に成功した。さて本日は考えようによってはすごいことが起きたので皆さんに報告申し上げる。
朝食前に野鳥食堂に餌を持っていった。東隣のSさんがしばらく留守で、いつもの餌がないせいか、お客たちは間もなく我が野鳥食堂にやってきた。家に入り、朝食を済ませて電気受像機(テレビ)を見ていたら居間の硝子戸の前で瞬間だがヤマガラが空中停止して去っていった。どうやら室内にいる私を外から認めたらしいのである。硝子戸を開けて手のひらにひまわりの種を乗せて差し出すとすぐにヤマガラがやってきて私の指先に留まり、ひまわりの種を咥えて方向転換、そして去っていった。
驚いたことに車庫で草むしりの段取りをしていたら、車庫の中まで入ってきて近くにとまり、私を見始めた。こうなるといよいよ可愛いさがつのる。急いでひまわりの種を手のひらに乗せて差し出す。向こうの警戒心はかなり薄らぎ、すぐに私の指先にとまるようになった。しまいには私が作業しているところまで来て羽音と囀(さえず)りで餌をねだるようになった。
庭の南側で草をむしっていたら、西隣のSさんご夫妻が散歩で通りかかり、立ち話をした。それによるとかのヤマガラは今朝からお隣にも行って餌を催促しているらしい。何のことはない、私を認識して餌をねだっているのではない。誰でもいい、人は餌をくれるものだ、との学習を彼らはしたのだ。見方によれば、彼らは人間をうまく躾けて餌を差し出すように教育したとも言えるではないか・・・。
※動画は野鳥食堂の常連ヤマガラくん。
朝食前に野鳥食堂に餌を持っていった。東隣のSさんがしばらく留守で、いつもの餌がないせいか、お客たちは間もなく我が野鳥食堂にやってきた。家に入り、朝食を済ませて電気受像機(テレビ)を見ていたら居間の硝子戸の前で瞬間だがヤマガラが空中停止して去っていった。どうやら室内にいる私を外から認めたらしいのである。硝子戸を開けて手のひらにひまわりの種を乗せて差し出すとすぐにヤマガラがやってきて私の指先に留まり、ひまわりの種を咥えて方向転換、そして去っていった。
驚いたことに車庫で草むしりの段取りをしていたら、車庫の中まで入ってきて近くにとまり、私を見始めた。こうなるといよいよ可愛いさがつのる。急いでひまわりの種を手のひらに乗せて差し出す。向こうの警戒心はかなり薄らぎ、すぐに私の指先にとまるようになった。しまいには私が作業しているところまで来て羽音と囀(さえず)りで餌をねだるようになった。
庭の南側で草をむしっていたら、西隣のSさんご夫妻が散歩で通りかかり、立ち話をした。それによるとかのヤマガラは今朝からお隣にも行って餌を催促しているらしい。何のことはない、私を認識して餌をねだっているのではない。誰でもいい、人は餌をくれるものだ、との学習を彼らはしたのだ。見方によれば、彼らは人間をうまく躾けて餌を差し出すように教育したとも言えるではないか・・・。
※動画は野鳥食堂の常連ヤマガラくん。
2012年11月24日土曜日
野鳥食堂
気がつけば9月以来一度たりとも新しい記事を書いていない。欧州から帰国したのが10月5日。雑事に追われて、などと言うことはない。自分を追い込まないようにしていた。この間、恒例の庭の雑草抜きをした。西隣のSさんが私の留守に繁りゆく雑草を見かねて刈払い機で一度ならず綺麗にしてくれたらしい。それでも夏草の勢いはすざましいものであった。ただ刈るだけでは根が残り来春には早々に彼らの天国となるは必定である。これがまだ終わっていない。目のかたきにしているタケニグザはうっかり抜くと地下茎が残りやすいのでシャベルで掘り起こしながら抜いている。どうも昨冬ストーブの灰を撒いたところはこれが生えていない。だからタケニグサが密生して生えたところは徹底して木灰を撒いた。
他に車庫の補強をやった。昨年日本を留守にしている間車庫を増築した。母屋の屋根を延長した意匠計画(デザイン)で、勝手口から直接車庫に出られるようにしたのだが、如何せん依頼した業者が毛のない素人みたいな人たちで、いっちょ前は口先だけという有様だった。昨冬の雪には耐えたが、よく見るとわずかながら骨組みにたわみが出ている。本物の大工さんに頼む金は無い。しかたがないので自分で材木を買ってきて補強したのである。ついでに「ゲストハウス」を建てた。もちろん本物ではない。野鳥用の餌場としてこれを作り、元から生えていたリョウブの木々の間に挟んで固定したのだ。
ぼちぼち「お客」は来る。パンくず、刻んだ柿、挽いた玄米などを置いたが、いまいち入りが悪い。東隣のやはりSさんのお宅ではベランダに絶えずひまわりの種が置いてある。野鳥はこれに群がっている。私も奮発してひまわりの種を買って来、「ゲストハウス」に置いた。ものの1時間もしないうちに野鳥が来るようになった。おもなお客はヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラである。
野鳥などはまったくわからない。この辺ではキジが頻繁に出没する。アカゲラやコゲラはキツツキで、文字通り木を突っつく派手な音でそれと知れる。鳴き声だけではあるがトラツグミ〈鵺・・・ヌエ)、ウグイスも春先から来るがその姿を見たことはない。フクロウなどは声も姿も見た(冬の日常 2 http://michioscud.blogspot.jp/2012/01/blog-post_16.html参照)。その他諸々いるにはいるが私はこれに疎い。昨年アイルランド在住の友人「ひできす」が来て胸に黒いネクタイをしているのがシジュウカラで、白黒茶の三色柄がヤマガラだと教えてくれた。ゴジュウカラは電子頭脳情報網で調べた。
ヤマガラは人懐っこいらしい。私が「ゲストハウス」に近づいても平気で餌を漁っている。スコットランドでコマドリを手に載せたようにやってみようと思った。手のひらにひまわりの種を置き、動かさずに待つと程なくヤマガラが近くまで来て私を観察している。小首を傾げたり留まる枝を変えたりしながらそれでも私から視線を外さない。なおも手を動かさずにいると指先にとまってひまわりの種を持っていった。繰り返すごとに警戒心がなくなっていくのがわかる。スズメと同じくらいの大きさで、口ばしは黒く細い。目にまるで邪心がない。(もっとも、動物で邪心があるのはたった一種類しか思い浮かばないが・・・)
寒くなったので家に入り、来客用の寝室のカーテンを閉めようとしたら何と窓の外にヤマガラが来て一瞬の空中停止(ホバリング)を見せて去っていった。窓ガラスの内側にいる私の姿を認識したようで驚いた。窓を少し開けて手のひらにひまわりの種をおいて差し出したら間を置かずにヤマガラがやって来て私の指先にとまり、これを啄んだ。何と愛おしい命であることか。明日が待ち遠しい。
写真は車庫の端材でつくったゲストハウス「野鳥食堂」です。画面右側の木の枝の上にいるのがシジュウカラで、その下にいるのがヤマガラです。右下、木の向こうに「母屋」写ってます^^;
他に車庫の補強をやった。昨年日本を留守にしている間車庫を増築した。母屋の屋根を延長した意匠計画(デザイン)で、勝手口から直接車庫に出られるようにしたのだが、如何せん依頼した業者が毛のない素人みたいな人たちで、いっちょ前は口先だけという有様だった。昨冬の雪には耐えたが、よく見るとわずかながら骨組みにたわみが出ている。本物の大工さんに頼む金は無い。しかたがないので自分で材木を買ってきて補強したのである。ついでに「ゲストハウス」を建てた。もちろん本物ではない。野鳥用の餌場としてこれを作り、元から生えていたリョウブの木々の間に挟んで固定したのだ。
ぼちぼち「お客」は来る。パンくず、刻んだ柿、挽いた玄米などを置いたが、いまいち入りが悪い。東隣のやはりSさんのお宅ではベランダに絶えずひまわりの種が置いてある。野鳥はこれに群がっている。私も奮発してひまわりの種を買って来、「ゲストハウス」に置いた。ものの1時間もしないうちに野鳥が来るようになった。おもなお客はヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラである。
野鳥などはまったくわからない。この辺ではキジが頻繁に出没する。アカゲラやコゲラはキツツキで、文字通り木を突っつく派手な音でそれと知れる。鳴き声だけではあるがトラツグミ〈鵺・・・ヌエ)、ウグイスも春先から来るがその姿を見たことはない。フクロウなどは声も姿も見た(冬の日常 2 http://michioscud.blogspot.jp/2012/01/blog-post_16.html参照)。その他諸々いるにはいるが私はこれに疎い。昨年アイルランド在住の友人「ひできす」が来て胸に黒いネクタイをしているのがシジュウカラで、白黒茶の三色柄がヤマガラだと教えてくれた。ゴジュウカラは電子頭脳情報網で調べた。
ヤマガラは人懐っこいらしい。私が「ゲストハウス」に近づいても平気で餌を漁っている。スコットランドでコマドリを手に載せたようにやってみようと思った。手のひらにひまわりの種を置き、動かさずに待つと程なくヤマガラが近くまで来て私を観察している。小首を傾げたり留まる枝を変えたりしながらそれでも私から視線を外さない。なおも手を動かさずにいると指先にとまってひまわりの種を持っていった。繰り返すごとに警戒心がなくなっていくのがわかる。スズメと同じくらいの大きさで、口ばしは黒く細い。目にまるで邪心がない。(もっとも、動物で邪心があるのはたった一種類しか思い浮かばないが・・・)
寒くなったので家に入り、来客用の寝室のカーテンを閉めようとしたら何と窓の外にヤマガラが来て一瞬の空中停止(ホバリング)を見せて去っていった。窓ガラスの内側にいる私の姿を認識したようで驚いた。窓を少し開けて手のひらにひまわりの種をおいて差し出したら間を置かずにヤマガラがやって来て私の指先にとまり、これを啄んだ。何と愛おしい命であることか。明日が待ち遠しい。
写真は車庫の端材でつくったゲストハウス「野鳥食堂」です。画面右側の木の枝の上にいるのがシジュウカラで、その下にいるのがヤマガラです。右下、木の向こうに「母屋」写ってます^^;
2012年9月20日木曜日
コマドリの恩返し
昨年の初秋のことである。庭の四阿(あずまや)で、小鳥にやるつもりでパンくずやりんごを噛み砕いたものを窓枠に置いた。期せずして一羽のコマドリがやって来、私からわずか1洋尺(1m)ほどのところでそれを啄(ついば)み始めた。雀と同じくらいの大きさだが、やや華奢に思える。喉から胸にかけてきれいな鉄さび色をしている。スコットランドでのことなので、日本のコマドリとは少し違うかも知れない。そもそも私は日本のコマドリを観察する機会に恵まれていないから、日欧の種の違いを語る資格などないのだが、そんなことはどうでもいい。違うのは体色だけではないらしい。
翌日、同じ時間にまた件の四阿を訪れ、試しに細かくしたパンくずを指先に乗せてコマドリを待った。どこかで私を見張ってでもいたかのように、程なくそれは現れた。じっと辛抱強く手を動かさずにいると、近づいて来て指先のパンくずを啄んだ。野鳥が人の手からエサをとるなど、私の人生経験ではかつて無かったことである。矛盾ではあるけれども、期待しながらも期待していなかった、と言えば解っていただけるだろうか?次に私はエサを広げた手のひらの真ん中に置き、それを待った。やはり程なくコマドリはやってきた。逡巡しているようではある。しきりに首をかしげ、私の顔とエサを交互に見ている。が、首を伸ばすだけではエサに届かないことを知り、チョンと手のひらに乗り、パンくずを啄んだ。
コマドリはすぐに飛んでいってしまったが、私は大げさに言えば夢を見ているような気持ちだった。私は自分を今まで何の取り柄もない、鈍感な人間だと思っていたが、動物と話すことが出来るようだ。ついに私は他の人が持っていない、自分だけの能力を見つけたと思った。
手のひらに残るコマドリの、細くて冷たい足の感触を思い出しながら、私は部屋に帰った。急いで電子頭脳網でコマドリを検索し、その結果に少なからずがっかりした。欧州コマドリは警戒心がうすい、とある。人懐っこいと言うのは感情移入した表現であり、警戒心がうすいと言うのは客観的な表現である。どっちにしても一羽のコマドリが私の手のひらに乗って来たのは事実であり、私がその小さな生命を愛おしく思ったのも事実である。
あれからほぼ一年経った一昨日(2012年9月16日)、私は約束があって住まいであるこの建物の玄関で人を待っていた。ここは第二次大戦中に英国軍の病院として建てられたもので、その後西洋旅館に改装され、さらに今の財団に買い取られた。玄関といっても二面が硝子で囲われており、広くて明るい。これがあとで起こる事件の原因だと思われるのだが。
( 横線で消した部分はあとで修正するかも知れません。英国軍の病院として使われていたことは事実のようですが、建物自体がそれよりかなり古いらしいのです。私は知人からの話をもとにこの建物のことを書いたのですが、ここをよく知る読者の方からもっと古いと指摘を受けました。どっちが正しいか、面倒だからこのままにするか・・・)
私は玄関の内側から外を眺めていた。ここ2~3週間ですっかり秋になった。朝晩の空気はめっきり冷たくなり、そして湿り気を帯びてきた。欧州の秋冬は日本のそれとは大きく異なり、寒くてもジメジメしがちである。あと10日もすれば私はこの地を離れ、アイルランドで1週間ほど過ごしたあと日本に帰る予定である。ここに来たのが5月の終わり、それからの過ぎ来し方に想いを馳せていた。
ゴン、と音がした。その前に私は、野鳥のつがいが玄関の外でしきりに飛び戯れているのを見ており、それが故に音の何であるかをすぐに察した。ここの玄関は中も白く塗られており、頗る明るい。古めかしい窓縁などがなければ人間でもうっかり硝子に頭をぶつけそうである。Aと言うドイツ人女性が何も知らずに玄関の硝子の扉を開けて出ていった。続いて私も外の様子を見るために彼女に続いて外に出た。私は何かを感じ、足元を見ると小さな鳥がうずくまっている。動く気配がない。私がそばにしゃがんでも相変わらずじっとしたままである。私はそっと小鳥に左手をかぶせ、右手で掬うように持ち上げて目の高さに持ってき、それを観察した。二、三回冷たい脚をもぞもぞさせたがおとなしくしている。小さな目は開いているものの真っ黒で、表情がないように見えた。私が感情移入してみるからあろうか、脳震盪で朦朧としているようなのだ。それがコマドリであることは足元を見た時にわかっていた。胸の周りがきれいな鉄さびいろで、頭や胴体が灰色がかった鶯色である。
気の毒にもすぐ近くに別のコマドリがいて、気が触れたように飛び回っている。先ほどまで幸せの絶頂にいた相方であろう。思いもよらない展開に玄関脇の植え込みの間を心配げに行き来している。
私は口を開ければ理屈を言うので、他からは理屈っぽい人間と思われているかもしれないが、どうしてもののあわれとか、情というものを人一倍ちゃんと理解するのである。心のなかで元気な相方には出来るだけのことはしてあげるからと言い、目を回して私の手の中にいる方には怖がらないでもいいよ、安心しておいでと、つぶやくのである。
玄関を入ってすぐ左側にある扉を開けると広々とした休憩室である。窓際の長椅子に米国人のJ が座って新聞を読んでいる。自分自身を「切れる人間」と思っており、周囲の評判の芳しくない人物である。誰にでも断定的にモノをいい、譲らない。無視して横切ろうとすると、こういう時に限ってどうした、聞いてくる。あまり関わりたくない人間のひとりであるが、こちらは両手が塞がっている。手を緩めればコマドリが暴れだすかもしれない。仕方なく事情を話して小さなダンボール箱、新聞(毛布代わり)、それとジャムの瓶にお湯を入れたものの準備を依頼する。新聞とジャムの瓶は要らないと言われ、さっそくこのあんぽんたんにモノを頼んだことを後悔する。いくらあんぽんたんでもコマドリの体温を保たなければならないことは察しがついたと見え、彼は暖房用放熱器のそばに箱を置いた。私はコマドリをその箱に入れ軽く蓋をした。あんぽんたんは蓋が簡単に開かないように上に重し代わりの小さな本を乗せた。
私は後のことをあんぽんたんに頼み、再び玄関へ行った。受付の方から数人の男女が来た。その中の小柄な女性が私に寄ってきて自分を覚えているかと聞く。私が以前務めていた部署に体験的に働きに来ていた英国人女性だった。顔は覚えているものの、名前までは思い出せない。ここには様々な人々が様々な国々からやって来て研修を受ける。毎週のように人が入れ替わる。降参して名前を尋ねると、エリザベスだと言う。確かに覚えがある。お互い抱擁なんぞをして旧交を温める。そしてたった今起きた事件の事を話すと彼女は顔色を変え、そのコマドリはどこにいるかと聞く。エリザベスは神通力を送って小鳥の回復を助けると言う。彼女を休憩室に連れてゆき、ダンボール箱を示す。コマドリを驚かせたくないので、箱に触れないで施術(?)をして欲しい旨を依頼する。
エリザベスはダンボール箱に向かって床に膝を付き、両手をかざした。時々手の位置を変える。そこには小さな人だかりができつつあった。周囲は半ば呆気に囚われたのと好奇心で静まり返っている。それは数分で終わった。人々は解散し、散っていった。エリザベスも出かけ、私は約束した迎えが来ず、さらに20分ほどを玄関で過ごした。
一度コマドリの様子を見ようと休憩室に入ってゆくと、米国人あんぽんたんは、それを少し前に外に放ったと言う。とても元気に空に舞っていったと言う。私は素直にこのあんぽんたんとエリザベスの協力に感謝し、そしてコマドリの元気になったことを喜んだ。
次の日の明け方のことである。眠りが浅くなった頃、微かに高貴な香水のような香りが私の鼻孔をくすぐり、今まで聞いたこともないようなきれいな鳥の声を聞いた。そして人の気配に寝返りをうって驚いた。私の隣にはいつの間にか絶世の美女が添い寝をしていた。寝ぼけた頭で思った。「これは昨日窮地を救ってあげたコマドリに違いない」と。わたしはニッコリと微笑んで「You didn`t have to...(そんなことしなくてもいいのに)」と言った。終わり
(最後の5行は筆者の妄想でした。断るまでもないか・・・)
翌日、同じ時間にまた件の四阿を訪れ、試しに細かくしたパンくずを指先に乗せてコマドリを待った。どこかで私を見張ってでもいたかのように、程なくそれは現れた。じっと辛抱強く手を動かさずにいると、近づいて来て指先のパンくずを啄んだ。野鳥が人の手からエサをとるなど、私の人生経験ではかつて無かったことである。矛盾ではあるけれども、期待しながらも期待していなかった、と言えば解っていただけるだろうか?次に私はエサを広げた手のひらの真ん中に置き、それを待った。やはり程なくコマドリはやってきた。逡巡しているようではある。しきりに首をかしげ、私の顔とエサを交互に見ている。が、首を伸ばすだけではエサに届かないことを知り、チョンと手のひらに乗り、パンくずを啄んだ。
コマドリはすぐに飛んでいってしまったが、私は大げさに言えば夢を見ているような気持ちだった。私は自分を今まで何の取り柄もない、鈍感な人間だと思っていたが、動物と話すことが出来るようだ。ついに私は他の人が持っていない、自分だけの能力を見つけたと思った。
手のひらに残るコマドリの、細くて冷たい足の感触を思い出しながら、私は部屋に帰った。急いで電子頭脳網でコマドリを検索し、その結果に少なからずがっかりした。欧州コマドリは警戒心がうすい、とある。人懐っこいと言うのは感情移入した表現であり、警戒心がうすいと言うのは客観的な表現である。どっちにしても一羽のコマドリが私の手のひらに乗って来たのは事実であり、私がその小さな生命を愛おしく思ったのも事実である。
あれからほぼ一年経った一昨日(2012年9月16日)、私は約束があって住まいであるこの建物の玄関で人を待っていた。
( 横線で消した部分はあとで修正するかも知れません。英国軍の病院として使われていたことは事実のようですが、建物自体がそれよりかなり古いらしいのです。私は知人からの話をもとにこの建物のことを書いたのですが、ここをよく知る読者の方からもっと古いと指摘を受けました。どっちが正しいか、
私は玄関の内側から外を眺めていた。ここ2~3週間ですっかり秋になった。朝晩の空気はめっきり冷たくなり、そして湿り気を帯びてきた。欧州の秋冬は日本のそれとは大きく異なり、寒くてもジメジメしがちである。あと10日もすれば私はこの地を離れ、アイルランドで1週間ほど過ごしたあと日本に帰る予定である。ここに来たのが5月の終わり、それからの過ぎ来し方に想いを馳せていた。
ゴン、と音がした。その前に私は、野鳥のつがいが玄関の外でしきりに飛び戯れているのを見ており、それが故に音の何であるかをすぐに察した。ここの玄関は中も白く塗られており、頗る明るい。古めかしい窓縁などがなければ人間でもうっかり硝子に頭をぶつけそうである。Aと言うドイツ人女性が何も知らずに玄関の硝子の扉を開けて出ていった。続いて私も外の様子を見るために彼女に続いて外に出た。私は何かを感じ、足元を見ると小さな鳥がうずくまっている。動く気配がない。私がそばにしゃがんでも相変わらずじっとしたままである。私はそっと小鳥に左手をかぶせ、右手で掬うように持ち上げて目の高さに持ってき、それを観察した。二、三回冷たい脚をもぞもぞさせたがおとなしくしている。小さな目は開いているものの真っ黒で、表情がないように見えた。私が感情移入してみるからあろうか、脳震盪で朦朧としているようなのだ。それがコマドリであることは足元を見た時にわかっていた。胸の周りがきれいな鉄さびいろで、頭や胴体が灰色がかった鶯色である。
気の毒にもすぐ近くに別のコマドリがいて、気が触れたように飛び回っている。先ほどまで幸せの絶頂にいた相方であろう。思いもよらない展開に玄関脇の植え込みの間を心配げに行き来している。
私は口を開ければ理屈を言うので、他からは理屈っぽい人間と思われているかもしれないが、どうしてもののあわれとか、情というものを人一倍ちゃんと理解するのである。心のなかで元気な相方には出来るだけのことはしてあげるからと言い、目を回して私の手の中にいる方には怖がらないでもいいよ、安心しておいでと、つぶやくのである。
玄関を入ってすぐ左側にある扉を開けると広々とした休憩室である。窓際の長椅子に米国人のJ が座って新聞を読んでいる。自分自身を「切れる人間」と思っており、周囲の評判の芳しくない人物である。誰にでも断定的にモノをいい、譲らない。無視して横切ろうとすると、こういう時に限ってどうした、聞いてくる。あまり関わりたくない人間のひとりであるが、こちらは両手が塞がっている。手を緩めればコマドリが暴れだすかもしれない。仕方なく事情を話して小さなダンボール箱、新聞(毛布代わり)、それとジャムの瓶にお湯を入れたものの準備を依頼する。新聞とジャムの瓶は要らないと言われ、さっそくこのあんぽんたんにモノを頼んだことを後悔する。いくらあんぽんたんでもコマドリの体温を保たなければならないことは察しがついたと見え、彼は暖房用放熱器のそばに箱を置いた。私はコマドリをその箱に入れ軽く蓋をした。あんぽんたんは蓋が簡単に開かないように上に重し代わりの小さな本を乗せた。
私は後のことをあんぽんたんに頼み、再び玄関へ行った。受付の方から数人の男女が来た。その中の小柄な女性が私に寄ってきて自分を覚えているかと聞く。私が以前務めていた部署に体験的に働きに来ていた英国人女性だった。顔は覚えているものの、名前までは思い出せない。ここには様々な人々が様々な国々からやって来て研修を受ける。毎週のように人が入れ替わる。降参して名前を尋ねると、エリザベスだと言う。確かに覚えがある。お互い抱擁なんぞをして旧交を温める。そしてたった今起きた事件の事を話すと彼女は顔色を変え、そのコマドリはどこにいるかと聞く。エリザベスは神通力を送って小鳥の回復を助けると言う。彼女を休憩室に連れてゆき、ダンボール箱を示す。コマドリを驚かせたくないので、箱に触れないで施術(?)をして欲しい旨を依頼する。
エリザベスはダンボール箱に向かって床に膝を付き、両手をかざした。時々手の位置を変える。そこには小さな人だかりができつつあった。周囲は半ば呆気に囚われたのと好奇心で静まり返っている。それは数分で終わった。人々は解散し、散っていった。エリザベスも出かけ、私は約束した迎えが来ず、さらに20分ほどを玄関で過ごした。
一度コマドリの様子を見ようと休憩室に入ってゆくと、米国人あんぽんたんは、それを少し前に外に放ったと言う。とても元気に空に舞っていったと言う。私は素直にこのあんぽんたんとエリザベスの協力に感謝し、そしてコマドリの元気になったことを喜んだ。
次の日の明け方のことである。眠りが浅くなった頃、微かに高貴な香水のような香りが私の鼻孔をくすぐり、今まで聞いたこともないようなきれいな鳥の声を聞いた。そして人の気配に寝返りをうって驚いた。私の隣にはいつの間にか絶世の美女が添い寝をしていた。寝ぼけた頭で思った。「これは昨日窮地を救ってあげたコマドリに違いない」と。わたしはニッコリと微笑んで「You didn`t have to...(そんなことしなくてもいいのに)」と言った。終わり
(最後の5行は筆者の妄想でした。断るまでもないか・・・)
2012年9月17日月曜日
いかに生きるか その3
人が他の動物より複雑なのは(と思われるのは)、その心に動物的側面と人間的側面を持つからである。心とは既に人間的側面なのかもしれないが、他の動物に心があるかどうかは簡単にはわからない。単に言葉の定義で決められるかもしれないし、それはあくまで人間中心のモノの見方だと言われればそれももっともである。
犬猫がまるで人の話や情を理解し、あたかも彼らにも心があるように見えることが多々ある。仮にそれを心と呼んだとしても一向に差支えはない。犬がクンクンと鼻を鳴らしているのを見て多くの人はそれは飼い主がいなくて寂しいからだと判断する。ただ別の見方もできることを忘れてはいけない。犬はクンクンと鼻を鳴らすことによって安全とエサが手に入ることを学習したかも知れないのだ。猫は野生を多少抑えることで人間から楽々エサをもらえることを何千年かけて学習したかも知れない。このように考えると犬猫には心などはないと言えるかもしれない。あったとしても人のそれと比べれば取るに足らない単純なものと言えそうである。人の心はそれだけ複雑で測りがたいものなのだろう。
一匹のサルを観察するとする。このサルは何をするだろうか。エサを食う。寝る。遊ぶ。他のサルと喧嘩をする。交尾をする。子育てをする。ざっとこんなものであろう。遊び以外は全部自己保存と子孫繁栄のための行為である。何のことはない、人と大差はないようだ。が、これらの行為に於いて人は限りなくサルに近い人と、限りなく神様(?)に近い人のいることに気づく。行為の制御においてである。
繰り返すがサルと人間の遺伝子の違いはわずかに数パーセントである。肉体的違いは殆ど無いに等しい。やはり人を人たらしめているものは、その心(精神、頭脳と言った物理的側面以外の部分)にあると言える。
自己保存と子孫繁栄を人生の目標として生きる人は、これは何も人間である必要はないわけで、サルでも良かったのだ。人の「生」の難しいところは動物の身体をまとい、これを養い且つ繁栄させるに必要な能力の制御にある。簡単に言えば「人は動物本能をコントロールして生きねばならない」ということである。今の世界の状況を鑑みるに、地球温暖化、地域紛争、核問題、食料問題などあげればきりがないが、これらは元々はすべて人の動物本能の無制御から来るものだと言えるのではないだろうか。動物本能の無制御とはすなわち「自己中心」状態である。一人ひとりの自己中心はわずかでも地上には2012年現在で既に70億人を突破している。一人が一日にたった一個の空き缶を路上や野山に捨てただけで、一日に70億缶がこの地球上にゴミとして放置されるわけである。
私は太った人が嫌いである。(病気で太っているのは仕方がない)太っている人は人のぶんまで食べるから太るのである。動物本能を制御できないのは人として上等とは言えない。地上に飢えで死ぬ人がいる限り、食べ過ぎてはいけない。特に宗教を語る人は、太ってはいけない。人のぶんまで食べたいなら宗教を語ってはいけない。かつて偉大な宗教者で「デブ」はいたためしがない(見てきたようなこと言う)。太っているということはそれだけでその人が「制御」ができていないことを示している。太っているその人は自己中心であることを体で表現しているのであり、綺麗事を言っても説得力はないであろう。
この「食欲制御」の例えは取るに足らないことに聞こえるかもしれないが、70億集まればこれがもとで戦争が起きる。世界の陸と言わず海と言わず単なる食料供給の場として開拓し、一見人には役に立たない動植物を駆逐して結果的には自らの首を絞めるのである。多くの人はこの今の行いが明日の自分の首を絞めることをわかっていながらたらふく食べるのである。
利己心とはそれが小さなものでも、70億集まれば世界を破滅に追いやることを忘れてはならない。電気のことも、車のことも、水のことも、すべて70億倍にして考えてもらいたい。他でも書いたが( 確定された予言 http://michioscud.blogspot.co.uk/2012/05/blog-post.html )、私たちはこの地球がガタガタになったからといって他の惑星に引っ越すわけにはいかない。ここでしか生きられない。
「いかに生きるか 」編がこれで終わったと思うあなたはみっちーという人間を理解していない^^;
これでは人間は半端なダメな存在としか言わずに終わってしまう。そんなわけはない。では、人間のすばらしさとは・・・・乞うご期待 !
犬猫がまるで人の話や情を理解し、あたかも彼らにも心があるように見えることが多々ある。仮にそれを心と呼んだとしても一向に差支えはない。犬がクンクンと鼻を鳴らしているのを見て多くの人はそれは飼い主がいなくて寂しいからだと判断する。ただ別の見方もできることを忘れてはいけない。犬はクンクンと鼻を鳴らすことによって安全とエサが手に入ることを学習したかも知れないのだ。猫は野生を多少抑えることで人間から楽々エサをもらえることを何千年かけて学習したかも知れない。このように考えると犬猫には心などはないと言えるかもしれない。あったとしても人のそれと比べれば取るに足らない単純なものと言えそうである。人の心はそれだけ複雑で測りがたいものなのだろう。
一匹のサルを観察するとする。このサルは何をするだろうか。エサを食う。寝る。遊ぶ。他のサルと喧嘩をする。交尾をする。子育てをする。ざっとこんなものであろう。遊び以外は全部自己保存と子孫繁栄のための行為である。何のことはない、人と大差はないようだ。が、これらの行為に於いて人は限りなくサルに近い人と、限りなく神様(?)に近い人のいることに気づく。行為の制御においてである。
繰り返すがサルと人間の遺伝子の違いはわずかに数パーセントである。肉体的違いは殆ど無いに等しい。やはり人を人たらしめているものは、その心(精神、頭脳と言った物理的側面以外の部分)にあると言える。
自己保存と子孫繁栄を人生の目標として生きる人は、これは何も人間である必要はないわけで、サルでも良かったのだ。人の「生」の難しいところは動物の身体をまとい、これを養い且つ繁栄させるに必要な能力の制御にある。簡単に言えば「人は動物本能をコントロールして生きねばならない」ということである。今の世界の状況を鑑みるに、地球温暖化、地域紛争、核問題、食料問題などあげればきりがないが、これらは元々はすべて人の動物本能の無制御から来るものだと言えるのではないだろうか。動物本能の無制御とはすなわち「自己中心」状態である。一人ひとりの自己中心はわずかでも地上には2012年現在で既に70億人を突破している。一人が一日にたった一個の空き缶を路上や野山に捨てただけで、一日に70億缶がこの地球上にゴミとして放置されるわけである。
私は太った人が嫌いである。(病気で太っているのは仕方がない)太っている人は人のぶんまで食べるから太るのである。動物本能を制御できないのは人として上等とは言えない。地上に飢えで死ぬ人がいる限り、食べ過ぎてはいけない。特に宗教を語る人は、太ってはいけない。人のぶんまで食べたいなら宗教を語ってはいけない。かつて偉大な宗教者で「デブ」はいたためしがない(見てきたようなこと言う)。太っているということはそれだけでその人が「制御」ができていないことを示している。太っているその人は自己中心であることを体で表現しているのであり、綺麗事を言っても説得力はないであろう。
この「食欲制御」の例えは取るに足らないことに聞こえるかもしれないが、70億集まればこれがもとで戦争が起きる。世界の陸と言わず海と言わず単なる食料供給の場として開拓し、一見人には役に立たない動植物を駆逐して結果的には自らの首を絞めるのである。多くの人はこの今の行いが明日の自分の首を絞めることをわかっていながらたらふく食べるのである。
利己心とはそれが小さなものでも、70億集まれば世界を破滅に追いやることを忘れてはならない。電気のことも、車のことも、水のことも、すべて70億倍にして考えてもらいたい。他でも書いたが( 確定された予言 http://michioscud.blogspot.co.uk/2012/05/blog-post.html )、私たちはこの地球がガタガタになったからといって他の惑星に引っ越すわけにはいかない。ここでしか生きられない。
「いかに生きるか 」編がこれで終わったと思うあなたはみっちーという人間を理解していない^^;
これでは人間は半端なダメな存在としか言わずに終わってしまう。そんなわけはない。では、人間のすばらしさとは・・・・乞うご期待 !
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