いま電子頭脳網で調べれば、これの流行は1999年とある。私が隠れ家を整理して日本を脱出したのがこの年で、幾月も経たないうちに帰国したわけはないので、これは2000年頃だったのではないかと思う。実家と言っても生まれ育った町ではないので、(勤め人だった父が東京転勤を機に埼玉に家を建てた)帰ったところで家族以外誰と会うこともない。そして自分のいない間に日本で意外なものが流行ったり、事件が起きたりしている。
取り残されたような孤独感と、欧州帰りという根拠のない不思議な優越感がない混ぜになって私の心に去来した。電車に乗れば通勤や通学の人々の姿が珍しく、車内の吊広告が不思議だった。もちろん言葉はわかるのだが、誇張すれば異空間に放り込まれたような、掴みどころのない心持であった。母国とはいえ落ち着かない。実家とはいえ、落ち着かなかった。一週間ほどの「滞在」を終えてダブリン空港に降り立ったときは心底ほっとしたものである。
流行(はやり)の期間は短い。人々は常に移り気で、新しいモノを求める。電気受像機(テレビ)は視聴者を脅かしたり、なだめたりして新商品を売り込む。流行とは消耗品で、だんご三兄弟もあっという間に忘れ去られた。
私は、だんご三兄弟の流行に特別な意味があったとは思わない。しかし、いま我が家にある、グースベリーの幼木がこれを思い出させるのだ。
先日「グースベリーに救われて」と言う記事を書いたが、蒔いた種数十のうち、最終的に発芽したのは6つだけであった。各個発芽の時期が随分ずれており、もう出ないだろうと思ってしばらくして最後の芽がでた。いわば末っ子の6男である(名前はまだない^^;)。
牛乳パックを縦に半分に切って挿し木用の土を入れて、いそいそと種を蒔いた。毎日水をやり、声を掛けた。待って待って待った。諦めかけたときにひとつだけ弱弱しく土から頭をもたげた。長男誕生である。これがどれほど嬉しかったかは「グースベリーに救われて」をお読みいただきたい。
次男が来ることは期待していなかった。数十粒の種の一つだけが発芽した。これが私には暗示的だったのである。それでも次男の誕生(?)は嬉しかった。それからもこの兄弟は私に時間差攻撃を仕掛けて来、今日現在まで計6つが発芽し、無事育っているのが5つである。
私は彼らを独立した立派なグースベリーに育てるために、それぞれにひとつずつ牛乳パックの鉢を与え、朝な夕なに水をやりながら声を掛けた。「お前たち、早く大きくなって
ある朝、勝手口の給湯釜の上に置いてあった彼らに、朝の挨拶と水やりをしようとして気がついた。4男の小さな葉が・・・鉢の土の上に散っている。茎はみあたらない。夜中に虫にでもやられたのだろうか?他は無事なのだが。
謎の4男殺人事件の後しばらくして後に5男がこの世に生を受ける。5男は産後の肥立ちが悪く、時がたってもなかなか大きくならない。他の子たちは発芽後はわりとすくすくと大きくなったが、5男は丈も一向に伸びない。原因はわからない。そのうちに再々々々々度期せずして6男が生まれた。同じ日に蒔いた種なのに、随分の時間差発芽である。思うにこれも彼らの生物としてのある種の生き残り戦略であろう。とにかく生まれた。これが最初から5男よりたくましいのだった。
グースベリーに「蒲柳の質」があるかどうかは知らないが、5男はひ弱で運が悪い。先日いつものように朝の挨拶をしようと一人ひとり見ていったら、5男にナメクジが付いていた。大事に育てている私の息子に・・・!!!私は桃太郎侍超人ハルクになった気がした。台所から割り箸を持ってきてナメクジを逮捕し、職権により、その場でひねりつぶしの刑に処した。(人とは勝手で残酷な生き物ですねぇ)
そういう訳で今日9月3日現在、グースベリー兄弟は5人になってしまったが、みな元気である。秋になったら彼らを地面に植えてやらなければならないが、果たして寒い冬を生き延びられるのやら、今から心配している親ばかである。さても人間とは・・・。
画面左から長男、次男、三男、そして五男と六男はおなじ鉢
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