2011年12月28日水曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び2)

アイルランド生活の開始はウイックローの山の中だった。バスエーランと言う国営のバス会社のバスが村のはずれをかすめて通る。ダブリンから来ると、その停留所でバスを降りて村の中心部、と言ってもカトリック教会ひとつとそれに対抗するプロテスタント教会ひとつ、それに2軒の居酒屋と一軒の雑貨屋があるっきりの、ただそれだけの村だった。

そう言えばこの村の中心に近い家の白壁には小銃をかたどった小さな絵が描かれており、その下に「IRAのメンバーでかつ密造酒をつくっているぞよ」と書いて宣言していたものだ。密造酒はポチーンと呼ばれ、ジャガイモの焼酎であった。アルコール度数は極めて高い。自慢するようだが日本人でこのポチーンを飲んだ者は私を入れてもそんなに多くはないだろうし、ポチーンそのものをほとんどの人は知らないであろう。

バス停から村の中心部まで徒歩で30分、そこから教授の家まではさらに30分の道程(みちのり)である。私はそんな山の中に住んでいたのである。

教授は変わり者で、人と接するのが好きであったが、人は教授をあまり好ましく思わなかったので、知人は少なかった。その少ない知人の中に一組の夫婦がいた。夫のジョンはアイルランド人で、非常に小柄で年の割にはしなびた顔つきをしていた。妻のカレンは英国人ではあるが、明らかに白人以外の血が混ざった細面の浅黒い顔をしていた。二人は貧しくはあったが人柄も温厚で礼儀正しかった。彼らの生業はどうも鋳掛屋(いかけや・・・鍋釜の修理をしたり、包丁を研いだりする便利屋さんのようなもの)らしい。教授に聞くと、元はトラベラーではないか、とのことであった。トラベラーとはアイルランド流ジプシーで、多くは乗用車でキャラバンをひっぱって旅から旅の生活で生涯を終える。本当かどうかは知らないが、周囲を汚したり、人様のものをくすねたりするので、嫌われているという。アイルランド政府は彼らの定住化政策を進め、最近はめったに見かけなくなったが。

もちろん、ジョンとカレンは荒地の中ではあったが自分たちの家を持っていた。ある日、私と教授は彼らにお茶に呼ばれた。何一つ贅沢品のないつましやかな住まいであったが、ひとつだけ私の目を惹いたものがあった。やけに平べったい形をした薪ストーブであった。ジョンに聞くと、彼は自慢そうにこれは船舶用のストーブで非常に珍しい物だといった。幅が65cm、高さが30cm,奥行き40cm位だったと思う。そのかたちでは確かに揺れる船内では倒れにくいであろう。しかし、もっとも特徴的だったのはそれが四角い枠の中に入っており、枠自体が傾いてもストーブはある程度までは傾かない構造になっていたことだった。龕灯(がんどう・・・昔の探照灯)の中のろうそくのようになっていたのだ。

しばらくして彼らが教授に挨拶に来た。引っ越すのだという。なかなか保守的な土地柄で、彼らのような異端の徒に世間は冷たかったかも知れない。ジョンは私があのストーブを舐めるようにして見ていたのを覚えていて、 あげるから持ち出すなら早めにしたほうがいい、と言ってくれた。私は喉から手が出るほどあの船舶用ストーブが欲しかった。しかしその時は、こちらも教授の家に間借りしている身分で、運搬ひとつにしても思うにまかせなかった。本当に惜しかった・・・・。せめて写真でも撮っておけばよかったものを・・・。

おまけ 
暖炉のにおい 3 で書いた、私が子守に行った家、そこにもすごいストーブがあった。台所にあった大きな薪ストーブで、常にお湯が沸いており、オーブンがあり、煮物もできるようになっていた。これだけならそれほど珍しくはない。そのストーブは本体から銅パイプが引かれており、この中をお湯が循環して、なんと各部屋の暖房までこなしていたのである。これに比べると日本の竃(へっつい、かまど)や火鉢、囲炉裏など調理暖房器具の貧弱さはどうであろう。もっとも、昨今はIHやら電気空調が安全で低価格で手に入るが。

写真は今年2011年6月スコットランドの知人宅で見た小さな薪ストーブ。大きさがわかるようにストーブの横に私の手を広げてみた。私の親指の先から小指の先までは20cmである。開いた扉からもわかるように、遠近の錯覚を利用してストーブを小さく見せているわけではない。これでも実用なのだった。これならくれるといわれれば、ポケットに入れて持ち帰れたのに・・・(無理です)。

2011年12月23日金曜日

日本人は滅亡した

政権公約をマニュフェストと言うらしい。政権公約とは選挙の時に、その党が政権担当をすることになったら、このようなことを実行します、と言う公の約束事である。欧米の選挙のマネである。新聞などはマニュフェストと書いてその後に括弧書きで政権公約と書いてある。はなっから政権公約と書けば事足りるではないか。バカバカしい話しだ。国会では率先して外来語を使って議論などをしている。バジェット、インフラ、サマータイム、ガバナンスなど。テレビの世界ではDV(家庭内暴力)、MC(司会)などさらに英語の頭文字をとって短くしている。だいたいなぜ日本の国営放送がNHKなのだ?旧国鉄がJR,家庭ではパパ、ママである。本州にある大きな山脈を日本アルプスという。歌手が歌を歌っている。その最中にまったく何の必然性もないのに歌詞が英語に変わる。聞く方もこれに異を唱えるふうは見えない。

日本の職業蹴球や野球のチームは松本山雅を除いてみなカタカナが入ってる。(ばかじゃないの、あんたら・・・)
郊外にある集合型商業施設では店舗の名前は多くがカタカナかアルファベットである(漢字を使っているのは呉服屋と中華料理屋くらいなものである)。寿司屋なんてめったに入らない((入れない^^;)が鮭をサーモンと言う。外来語だけでなく日本語さえ外国語に置き換えたいらしい。必然性はない。ただ客受けを狙っているのだろう。

日本は第二次世界大戦に負け、貧しい暮らしから這い上がるとき、その目標は欧米であったに違いない。彼らの言葉を使えば自分たちも彼ら並みになれると信じた。自分を教養のある人と見てもらいたい、と言う願望もあるだろう。

会話や文章の中に外国語を多用して自国を非難する日本人がいる。それで自分が白人になったつもりの人がいる。白人の言葉を使ったからと言って鏡を見てみれば白でもない、黒でもない、その顔は黄色人種なのだが。それが何か不満なのだろうか。

自分の名前を外国のそれにして喜んでいる人達がいる。芸能人に多い。一般人も海外に出るとこれをやる人が多い。日本人以外には日本人の名前は覚えにくい。当然である。ではそれが故に日本にいるアメリカ人が日本人のために太郎だの花子だのに名前を変えてくれるだろうか?

※ちなみに「みっちー」は私の幼少の頃からの呼称である。みちおだから愛称(?)としてみっちーが定着した。カタカナで書かないのは私のこだわりである。

自宅の表札をアルファベットで書く人も多い。おかしな事だとは思わないらしい。外国人の訪問者などは一生涯来ないにもかかわらず。

むきになって貶(けな)すことでもないが、敗戦後日本人は世界に互して行ける民族ではなくなった。欧米に決まりごとを作る役割を頼り切るようになったからだ。率先して規則を作る側にはなれなくなってしまった。日本人は汲々として規則に従う側に回っている。この心根が問題である。

アメリカを見よ。毎年銃による死者が一万数千人にのぼる。公的保険がないので病気になっても医者にかかれない人がたくさんいる。

英国を見よ。世界中に争いの種をまき、水までくれて我関せずの涼しい顔をしている。日本の国会は英国をお手本にしているそうな。噴飯物である。そんなにいい制度を採用しているならさぞ首都であるロンドンの治安はいいことだろうな。民族も歴史も違うのである。日本は日本の民主主義があってしかるべきだ。我々には何も参議院という有給高級老人倶楽部で金持ちを遊ばせる義理はない。

福祉は北欧が定評がある。日本の福祉の貧しさを語るとき、(実際日本の福祉は悪くないのだが)政治家やテレビでは北欧を引き合いに出す。お偉い議員さんたちは視察旅行と称して北欧を見てまわる。北欧の福祉を日本に持って来て日本人は幸せになれるだろうか。

それでも欧米に憧れる。自身の哲学がないのである。人の世に関する問題はその根底に「人とは」、「幸福とは」、そして「人生とは」などの基本的な哲学がないといい答えは見いだせない。もっとも大切なことは「自分とは」であろう。自分を構成する要素の一つに「日本人」ということが厳然としてある。

日本人は今、かつてない速さで独自の言葉を失いつつある。言葉と文化は密接なつながりがある。言葉を失うということは文化を失うということだ。それは古くから保ち続けてきた日本人の精神的柔軟性がいま外来語の襲来によって軽薄性に取って代わられつつあるからである。テレビを見ると日本が軽薄時代の全盛期であることがわかる。面白ければ、そして視聴率が取れればこれを良しとする。

かつて大宅壮一という人がマスコミの堕落を指して「一億総白痴化」といった。54年も前のことである。人は自分でものを考えることができなくなってる。意見を言ったとしても、それはマスコミからの借り物で、下手をするとさっきテレビで見たことを自分の意見のようにして語る。語った本人も気づいていない。自分の頭がやられていることに。

日本人はすでに滅亡したかも知れない。恐ろしいことである。

2011年12月7日水曜日

死を考える 2

市の誕生月検診というものをK病院で受けた。市が住民の誕生日が来たら毎年健康診断を受けてもらおう、というのが狙いらしい。健康診断の受診率向上を狙うにはいい方法である。昨年も受けてその結果は割りと早く来た。が、今回は待てど暮らせど結果が来ない。

私の住んでいる市は有難い事に医療や福祉の体制が比較的充実している。大病院が中核となって地域の医院と連絡を密にし、成人病予防対策などを行なっている。この誕生月検診は市が大きな補助を出してくれるらしく、私が実際に支払った金額は検診項目の数と内容の割には安い。今回は一般の検診項目に肺がん、大腸がん、それと前立腺がんの検査も加えた。各々500円だったからである。

私は若い頃から十二指腸潰瘍が持病で、これはアイルランドの病院で治した。ヘリコバクター・ピロリという菌が胃や十二指腸にいて悪さをするという。これを退治したらあっけなく治った。当時日本ではまだヘリコバクター・ピロリを殺す治療が保険適用ではなく、意を決して当時住んでいたダブリンの国立病院にいったのである。色々あったが、結果として治った。胃潰瘍や十二指腸潰瘍をやると生涯そこの癌にかかる確率が高くなると言われたので、本来ならば一年に一回は胃カメラを飲んだほうがいいらしい。今回はこれを受けなかった。慢心したのである。

さて、検診から一か月が経ち、ようやく結果が郵送されてきた。昨日(2011年12月6日)のことである。要精密検査というのが2つあった。ひとつは脂質に異常があるとのこと。もう一つを見て私は全身の力が抜けてあたりの景色がすべて灰色になったような気がした。肺がんの可能性があるので、早急に精密検査を受けるように、とのことである。

いろいろ統計はあるようだが、日本人はたしか三人に一人は癌で死ぬ。しかも、かつては胃がんが死因の一番だったものが、いつの間にか肺がんが胃がんを抜いて一位になっているのである。自覚症状などがなく、たまたま検診などで発見されて早期治療を受けたとする。それでも5年後の生存率は7割だそうな。素人でもインターネットですぐこれらの情報が手に入る時代である。私の回りのありとあらゆる全てのことが意味を失いつつあった。

仮に手術を受けるにしても、私は一人住まいなので病院への行き来は車になる。予後の生活をどうするか・・・・。世の中、大概の事は金でどうにでもなる。地獄の沙汰も金次第。病院への行き来もタクシーを使えばよい。手術も入院も心配ない。しかし、私にはこの金がない。家を売ると住む所がなくなる。第一、この不況下こんな別荘を買う人はいないだろう。

ウツ期を脱しようとしていた私は再びひどく落ち込んだ。K病院で撮った私の肺のレントゲン写真には影が映っており、これを肺がんの疑いありとみて精密検査を勧められたのだ。しかと根拠のある話である。末期はかなり苦しむらしい。様々な考えが頭に浮かぶ。あと数年でがん治療は格段の進歩を遂げそうである。しかし・・・・私には間に合わない。

自裁(じさい)、と言う言葉がある。少しかび臭い言葉だが、平たく言うと自殺のことである。元気なうちに多少なりともやり残したことをして、あとは自ら命を絶つ。これがいいだろうと思った。自殺は私の宗教に背く行いである。しかし、自殺には許される自殺とそうでない自殺があると思う。生きられる命を逃避の手段として絶つのは許されまい。もっとも自殺者の9割以上はウツ病などの精神疾患を患っているという。頭が正常な状態での自殺で許されるのは、人のために自らの命を絶つ場合、それとごく近い将来に自分が確実に死ぬことがわかっている場合だと思う。

散る桜残る桜も散る桜・・・良寛禅師の辞世の句と言われる。さっぱりと諦めるか・・・。自分の死に際のことを考えた。今こうして限りなく心細い思いでひとり机に向かっている。パニックにこそならないが、暗澹たる思いが心を支配して「いやぁ、これは何かの間違いだ」とも「早く治療を受ければ助かるさ」とも思えないのである。結局、苦しみや恐怖から逃れるための方法論を考え始めた。精神的に弱いのだ。

つい3ヶ月ほど前、スコットランド滞在中、日本語の本に飢えて、たまたま読んだ本がある。「美しいままで」。日本からオランダに嫁ぎ、病を得て安楽死を選んだ女性の話しである。文字通り美しい愛情物語と凄まじいばかりの闘病生活、そして生き延びる可能性を絶たれた挙句の安楽死選択の話しであった。この場合の安楽死は人間としての尊厳を考えたとき、当然の結論として許されるべきものだったと確信する。安楽死は自裁の一種である。

※安楽死と尊厳死は違うらしいが、ここでは同義語として扱う。

自裁はいいが、ジッサイ(^^;)にできるのか?人に迷惑をかけてはいけない。痛いのはイヤ。血が出るのはイヤ。

そうだ、カナダに行こう。私はまじめに考え始めた。カナダは私の若いころからのあこがれの地であった。カナダの大自然を少しだけ旅して雪山に入ろう。そんなことを(も)考えた。

日頃私は今までやりたい放題をやってきたので、いつ死んでもいいな、などと思っていた。親もすでに逝ってしまったし、妹には自分が先に逝くだろうけども絶対に葬式などしてはいけない、海外で死んでも遺体など引き取ってはいけない、などと言ってあった。しかし、実際に死を目の当たりにするとこの狼狽ぶりはどうだろう。

今朝(つまり12月7日の朝)眠れぬまま早起きして朝湯に入り、身だしなみを整えた。食欲はなく無理やり湯漬にして朝食を済ました。車を運転して近くのS病院に向かう。

様々な想像や思考が入り交じって頭の中でウズを巻く。悪い方へと傾いてゆく。良い方を考えないではない。しかし、こんな時は悪いほうが当たるのだろうと思ってしまう。私の「順番」はまだ先だと思っていたのに・・・。

病院は混んでいた。改めてX線写真を撮り、担当医から話があった。K病院で撮ったX線写真の影は、軟骨が老化して硬くなったものが映っただけ。今回の撮影では何の異常も認められません、とのことであった。私は自分の顔がほころんだのがわかった。ウツを持っているので昨日から辛かった、と話すと担当医は理解を示してくれた。

あとで知ったが、担当医は内科の医長で、芥川賞作家の南木佳士(なぎけいし、筆名)氏であった。氏もまた芥川賞受賞後にウツを患ったらしい。医家、作家の兼業(?)がもたらすものなのだろう、初対面の私にもかかわらず、言葉は少ないが深く温かみのある態度で接して下さった。ただ、がんの疑いが晴れて嬉しいだけでなく、このような「人物」にお会いできたことに無上の喜びを感じた。

2011年12月2日金曜日

辛いでござんす

いま、ウツである。金銭問題、人間関係、先々のこと云々。これらを考えてウツになっているのか、或いはウツだからこれらが問題になるのかはわからない。そもそもこの自分の辛い精神状態が精神医学上のウツに当たるのかどうかさえわからない。医者によっても見立ては違う。医学上の病気の名前が決まったとしても、私の辛さが和らぐわけではない。幸いなことに医者から処方された薬(抗鬱剤でなく、精神安定剤)は効く。気分がどうしようもなく落ちこんで辛く、眠れない時などは、これを服用する。30分で効き始める。私はこれをきつく信じる。これを飲めば症状が和らぐというのは私の辛い時の拠り所になるので、自己催眠のようにこれを念じる。

思えば人の生とは苦の連続である。子供には子供の悩みがあり、大人には大人の悩みがある。ウツでなくともつらいことはたくさんあるのに、ウツはこの辛さを増幅する。そして悪いことにウツには理解者が少ない。悪意はなくとも頓珍漢な励まされ方をするとさらに落ち込むような気がする。

私の幼い時からの性癖で、ひとたびその人が嫌いになると、四六時中心のなかでその人の欠点や犯した間違いなどを並べ立てて罵る。表面では「良い人」を演じていても、人が許せない嫌な性格である。小さな人間である。

そもそも人の犯した過ちなど、いくら言い立てても暴きたてても、自分の精神や魂が進歩するわけではなく、その行為はむしろ退歩荒廃につながるのではないだろうか。自分の魂は高潔で人のそれは汚いなどどと考えて何になるのか。私の魂は小さい。苦しいのである。こんな事は頭では百も承知のはずなのにこれが心底から理解出来ずに人を憎む。

人の魂の成長度合いは様々であろう。実年齢に関係なく、幼い人も長(た)けた人もいるであろう。しかしながら、これらはみな同じ進歩向上の道を歩む仲間ではないのか・・・・。自分が先に行く人から手を差し伸べられたように、後から歩んで来る人に手を貸して共に進もう、と声をかけるのが人の道ではないのか・・・・。(わかっていながらそれができないこの情けなさ、苦しさよ)

肉体を纏(まと)って暮らすこの間には物心両面の欲得が幅をきかせ、心の目が文字通り「暗んで」いる。これをいやな時期だと感じるのはウツもその一因であろう。

人であるということは動物的本能への挑戦なのかも知れない。食べられるからと言って好きなだけ食べて良い訳はない。自分の体に悪いだろうし、どこかで飢えている人にも悪い。他の動物的本能にしても整えられた制御なしに奔放に生きるわけには行かない。自分だけ良ければそれで良い、というのは人の形をした悪魔である。

人は生まれながらにして自由という呪いを受けている。食べるも自由、寝るも自由である。しかし、この自由は自らの、そして共に同じ道を歩む仲間達の魂の進歩向上のために生かさねばならない。しかし、これが言葉の上では如何様にも言えるが、現実の生活の中で実践してゆくのは至難である。だからこそ呪いなのだ。

※1 今、ウツの自覚があります。でも、ウツの人の自覚ってあてになるんだろうかと思ってます。ただ落ち込んでいるだけで、たまたま持病としてウツがあるからこれもウツと思っているのかも知れません。(ウツは病気、落ち込みは単なる精神状態だと思います)

※2 これを公開すべきか、迷っています。・・・・ドチラニシヨウカナ、カミサマノイフトオリ・・・・。え~い、公開だ(後悔かもしれんが^^; )

2011年11月25日金曜日

おもしろいですか?

私はこのブログを文章練習のつもりで書いている。先輩諸氏のものとは違い、写真も少ない。その分、文章量は多い。内容は私の過去から現在に至るまでに経験したこと、それと日頃考えていることなどである。

人一倍安定志向の性格なのに、実際に歩んでいる人生はその反対で、日本人の平均的なそれからは少しだけ離れているらしい。不安ではあるが・・・仕方がない。

私は特定の宗教を持たない。しかしながら自身非常に宗教的な人間であると思っている。私の中には私自身の意志とは別の・・・言うなれば守護霊的な存在があると思っている。大脳生理学や精神医学、また心理学が発達して人がこれまで神秘としてきたものまで科学で解明される時代になった。それでも99のものが科学で解明されたからといって残るひとつも従来型の科学で解明されるとは私は思わない。

私を非安定生活へ導く存在は、私の為を思い、試練の道を歩ませんと必死なのだと思う。私という人間は誰もが望む安逸な生活によっては魂の進歩は望めないのであろう。私は思う。魂の進歩より安逸な生活がしたいと。その存在は言う。人によっては安逸な生活からでも魂の進歩を勝ち得る人がいる。でも、お前はだめだよ、と。

文章練習のためとは言え、人は自分が考えること、経験したこと以上のことは書けない。つまり、私が書く文章は私そのものなわけで、これを見ず知らずの人々にさらけ出すのは少々おもはゆい。しかし、せっかく人様と違った経験をしている、これをほおっておく手はないと思うのだ。

今このブログの読者を国別多い順に並べると、日本、アイルランド、UK、US、マレーシア、ドイツ、フランス、ロシア、ウクライナ、カナダ、オランダ、ベルギー、セルビア、ブラジル、その他。(南極に読者ができると自慢になるのだが・・・)である。私は自分のブログを人に薦めることはあまりしない。従って読者の多くはひできす、Snigel両氏のツイッターから来た人々である。他にも検索エンジンから直接来られる人もいるようだし、定期購読の方もぼちぼちおられるようだ。(まんざらのコバンザメブログでもないのだ。エッヘン)

私には個人用電子計算機を使いこなす技術も能力もない。従って前述両氏のように器用なデザイン変更の「キッタ、ハッタ、ナイタ、ホレタ」ができない。(これはグーグルの無料ブログだが、広告がないのは天才ひできすのおかげである)そして私はSnigel氏とは違って極端な遅筆である。これは文章を考える速度が遅いのと、ああだこうだと逡巡するからである。自分の文章流儀も決まっていないので、固かったり柔らかかったり、まちまちである。書き溜めも少しはあるが、書き直しや書き足しが多いので発酵を待っている。発表した後も手を加えることもある(この直前の「大人の火遊び」には写真まで追加した^^;)

文章中心のブログなんて時代に逆行しているような気がするのだが・・・。世界各国の皆さん、これっておもしろいですか?

2011年11月19日土曜日

暖炉のにおい 5

その頃、私はストックホルムにいた。そこには日本人の友人Aがおり、私はお金もないのに日本からしじゅうAのもとに遊びに来ていた。欧州型の生活に魅了され、次第に欧州移住計画を頭の隅に描き始めていた。

スゥエーデンに住むならスゥエーデン語が必要であるが、既に中年のまっただ中にいた私は、今更初歩からスゥエーデン語を始めるつもりはなかった。世界の共通言語は好むと好まざるとに拘わらず英語であった。生活に必要な程度の英語であれば日本の中学や高校で習う英語で十分である。もっとも、日本の学校で習う英語は勉強のための英語であり、試験のための英語だから実用にはやや難がある。しかし、これをしっかり勉強して基礎にすれば、あとは実践訓練だけで英語はモノになる。私の実感として日本人の話す英語は、非英語国民としては世界でも一級の正確さである。

ともあれ、欧州生活には英語である。私は英語を習得すべく、英国行きを決断した。

当時Aにはマレーシア系スゥエーデン人のKと言う友人がいた。Kは真面目な性格であり、勉強が好きで、長く大学に留まっていた(しまいには博士号までとった)。欧州で同じアジア人ということで親しみもあったのだろう、口さがないAも陰ではKの悪口を言いながらも彼と親交を保っていた。

Kは離婚したばかりであったが、すぐに次の彼女ができた。私とAは彼らと時々食事を共にしたりした。AとKはスェーデン語は流暢である。が、英国人の彼女はそうではなかった。私たちの共通言語は自然と英語になった。Kも子供時代はマレーシアにおいて英語で教育を受けており、英語は母国語といって良かった。Aはいいかげんではあったが、そこそこの英語を話した。スェーデン語が英語に近いため、彼らにとって英語は「ひとかけらの洋菓子」なのであった。

概して非英語圏の人々の話す英語はわかりやすい。差別的発言だが、英語圏でも教育程度の低い人の英語はわかりにくい。Kとその彼女は英語圏で高等教育を受けており、そのぶん彼らの英語は私にはわかりやすかった。

口の軽いAは私の計画を聞くやいなや、それをKに話した。Kは自然自分の彼女にそれを話した。彼女の名前はアン、「暖炉のにおい 3」に登場する。

アンの父親Sは英国人で、ダブリンにある名門大学(と言われている。真偽は知らない)トリニティカレッジで教鞭をとっていたという。当時既に退職しており、ダブリンの南西にある小さな村のはずれの農家を買い取り、子供たちと一緒にひっそりと暮らしていた。(2011年現在彼がいまだ存命か否か、私は知らない)

ある時、私はたまたまKとアンにあった。アンは、もし私が英語を勉強するならアイルランドがいい、英国に比べると物価が安く、自分の父と弟妹がダブリン近郊に住んでいるので(彼女の母親、つまりS教授の奥さんは既に他界していた)、いろいろ便宜を図ってくれるだろう、と提案してくれたのである。

私はアンから彼女のお父上であるS教授の電話番号と住所のメモをもらってアイルランドへの出発の途についた。

ダブリンで語学学校に入り、私のアイルランド生活が始まった。我が師Snigelがその日記(http://www.ikikou.com/new/)でアイルランドを「いい加減王国」と表現しているが、これは極めて控えめな表現である。この頃彼と知り合っていれば、私のアイルランド生活はもっと(良い意味で)安易になっていたであろう。彼は世情によく通じていたからである。おもしろいことに、後年彼と話しを合わせてみると、偶然にも彼も私と同様、この頃ダブリンに語学留学をしており、さらには若干時期はずれるものの、通った学校も同じなのであった。

※私は最初、トリニティカレッジに近い語学学校に入ったが、生徒をたんに金のなる木としか扱わない態度に嫌気がさして別の学校に移った。それが彼と同じ学校だった。ちなみに、ななつのあだ名を持つ男、ひできす(http://irishpot.net/blog/)はその頃は多分英国で怪しげな生活を送っていたはずである。彼のななつのあだ名とは、ひでかす(唯一Snigelのみが使うことを許された呼称)、ひで菌(唯一みっちーのみが・・・)、ひできんぐ(ひできすの自称、彼以外だれひとり使わない)、以下省略。

ともあれ、この短期留学が半ば近くなった頃、私は儀礼的にS教授に挨拶状を書いた。すると教授からすぐ返事が来た。曰く「ようこそアイルランドへ。私の代わりに次女をダブリンに使いに出すので会われたし」。

教授の長女アンは長身で端正な顔立ちの、ちょっと若い頃のいしだあゆみ似の落ち着いた美人である。その妹である。名門大学の教授の娘である。語学学校で南欧系のスットコドッコイ達に辟易していた私の心臓は早鐘のように鳴り出した(て、てーへんだぁ・・・)。

私たちはテンプルバーというダブリンの繁華街で待ち合わせをした。あれ?長く書きすぎた。では続きは次回ということで。

2011年11月16日水曜日

犬猫論争(さても人間の愛とは)

犬と猫は人の日常の生活の中で最も人気のある動物の双璧であろう。犬は猫よりも家畜としての歴史は古いであろうことは想像に難くない。なぜならば、犬は一緒に暮らす動物としては人にとって実用的だからである。

原始の昔、狼から別れ、人に寄り添って生きる道を選んだ動物が犬である。生物の進化を測る尺度を多様性に求めるならば、犬は人と暮らす道を選択して以来、人と肩を並べそうなほどに多様性を増した。人の手によって都合の良いように改良されたため、愛玩用から狩猟、介助、輸送(犬ぞり)、麻薬探知、ギャンブル(ドッグレース)、芸能(携帯電話の広告に出たり、映画に出たり・・・)、用心棒、果ては宇宙飛行士までやる(1950年台から60年台にソ連は数十回も犬をロケットに乗せた)。

猫も人によって改良されたに違いないが、犬ほどの実用性はない。せいぜいネズミを捕るくらいなものであった。この点で、猫が人に飼われるようになったのは人が農耕を始めて、収穫物を蔵に収めるようになってからに違いない。人の居住区のネズミ番がその役目であったろう。。(犬については人の狩猟の心強い相棒であったはずで、猫よりも古くから人と生活していたであろう)が、近年に至ってはその用もない。それでも猫の人気が衰えないのは猫も人の持つ本能の何かを刺激するからであり、また共に生活するペットとしては扱いやすいからだろう。手頃な大きさ、給餌の容易さ、穏やかな性質、トイレ処理の容易さなどがあげられるだろう。

いわゆるペットとしての人気は果たしてどちらが上なのかはわからない。ペットフード協会の統計によれば犬のほうに軍配が上がる。しかし、その差は大きなものではない。ペットとは愛玩用の動物であり、最近ではコンパニオンアニマルなどと呼ばれるようになってきたらしい。中には犬猫を生活のパートナー(相棒)として捉える人もいるだろう。

動物を実用目的以外で飼う理由はなんであろうか・・・。

ペットを飼うのは人類の持つ特性のひとつである。人間以外にペットを飼う動物はいない。私は人類の特徴をわかりやすく説明するときに、「愛の大きさ」を挙げる。唯一人類のみが同種はおろか他の生物まで愛する(私などは無生物にもかかわらず、ピカピカに光る金の塊をこよなく愛するのだが・・・)。人類がサルだった頃、ペットを飼っただろうか?答えは明白である。地球上のいかなる類人猿もペットは飼わない。人類は進化の後にペットを飼うようになったのだ。

何故人類は単なるサルから進化を遂げたか、ペットを飼ったから進化を遂げたのかはここでは問わない。人類は他者をも愛する。否、愛さずにはいられないのだと思う。社会構造が変革を遂げ、それにともなって人間関係も複雑化した。うっかり人を愛すればむしられる世の中になってしまった。しかし、人の心の中には大きな愛のエネルギーがある。これは放出せねばならぬものであるがゆえにペットに向けるのであろう。

ペットを人のように愛するのであれば、これをコンパニオンとかパートナーと呼ぶのもわかる気がする。しかし、犬猫はあくまで動物である。それなりの飼い方をしないと気の毒な気がする。飼う側がその動物の特性をよく理解してペットが人との生活に馴染めるような妥協点を正確に把握するべきである。

追記
私の畏友たるSnigelが犬猫の話題を彼の日記である「アイルランド真実紀行」に載せたので、私もこの記事を書いた。書いたが時期を逸した。何故か。彼が最近異常に早い速度で日記更新を続けているからである。http://www.ikikou.com/archives/1042 
(やいやい、人のことも考えて更新しろ。ひできすを見習いたまえ。年に3回しか更新しない。あれ、彼も更新してるわ・・・。http://irishpot.net/blog/2011/11/09/701ともあれひできすは何かいいことが重なった様子で最近「ヤニ下がっている」が・・・)