2013年3月7日木曜日

ホシ~ホシ~病

現在数万円から十万円で買えるものの間に欲しいものがたくさんある。

居間の寝椅子(ソファ)・・・・・・・ 電気紙芝居を見たり、本を読むには座り心地の良い寝椅子が必要
絨  毯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 床が板張りなので、保温と傷防止に必要
西洋濡れ縁(ベランダ)・・・・・・・居間の外にはやはりこれが欲しい。朝夕のお茶の時間に必要
原付回転式鎖鋸(チェーンソー)・・・薪を作るのに必要
 
                   
                                          
来季用薪 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回は渡欧の時期が早いので、自分で来季用の薪を準備する
                    暇がない
クリストファの絵  ・・・・・・・・・・・・知人の画家の作品がなかなかいい
芝刈り機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・芝などあまりない。実は雑草刈りに使う
銅製ヤカン ・・・・・・・・・・・・・・・・今使っているヤカンはお湯を注ぐ時に口を伝って大量にお湯が漏
                   れる。どうせ買い換えるなら機能のいいものを買いたい
ケリーケトル ・・・・・・・・・・・・・・・松ぼっくりでもお湯が沸かせるヤカン。不要不急は明らか

その他、簡易デジタル無線機、多機能携帯電話、写真機、静かな冷蔵庫、大損掃除機、家庭用映画館、和風骨董家具などだ。

この中の実用品で、優先順位が高いものは原動機付き回転鎖鋸と来季用薪であろう。しかしながら、次の冬もここに住んでいるか定かではないのでまだ買わない。大きな可能性として欧州再移住があるからだ。これがために今これらを買うわけにはいかない。実は先に上げたホシ~ホシ~一覧表には佐久御用邸にいようが、欧州にいようが役立つものが一点だけある。写真機である。今使っているものは数年前に一時帰国した折に買ったもので、性能的に陳腐化し始めており、新しいのがホシ~のだ。問題は「絶対ないと困るもの」ではないことだ。今のものでも画素数的には十分だし、荒いが動画も撮れる。

子供の頃、出不精の父が珍しく旭川だかの百貨店に連れて行ってくれた。私はおもちゃ売り場でゴムの蛇をねだってこれを拒否され、床に仰向けになって手足をバタつかせた。これが私の記憶に残るホシ~ホシ~病の最初の発作であり、父からもらった最初の拳骨であった。今私が当時の父の立場だったら同じ事をしたかもしれない。ちなみに私は生涯二回だけ父に殴られたが、二回目は小学校3年生くらいの時だった。もしかしたらこちらのほうが最初の発作だったかもしれない。母に何かをねだって叶えられず、手を上げた。たまたま父に見つかり柄杓(ひしゃく)でひどく殴られた。母は私に覆いかぶさるようにしてかばってくれたが、父の狙いは正確に私の頭を捉えた。アルマイトでできた柄杓は盃いっぱいの水も汲めないくらいにひしゃげた。私といえばコブが出来たくらいで、この時ほど自分の石頭をありがたく思ったことはない。

とにかくホシ~ホシ~と思ったらもういけない。寝ても覚めても、明けても暮れても欲しいのだ。悪いことに私は口がたつ。つまり、欲しい気持ちに理屈をつけてこれを正当化する。まるで尖閣を欲しがっている中国政府のようだ。

子供の頃は将来学者になろうと思っていた。中学校で成績は良かったので、特に勉強などしなくても有名進学校には入れたが、通学に便利な公立の高校に入った。ここで病気が再発した。単車(オートバイ)が欲しくて両親にねだった。友達の一部は既に免許をとって乗り回しており、私はこれが心底羨ましかった。私は次男で、子供の頃からスキーとか着るものは兄からのお下がりが多く、非常に不満におもっており、これを両親にぶつけた。彼らは一顧だにせず私の願いを拒否した。私は勉強拒否の労働争議(ストライキ)に突入した。その効果はみるみる上がり、私の成績はみるみる下がった(^^;)。やがて授業にさえついて行けなくなった。その結果大学は中央の一流は望むべくもなく、入れる所に入るほか無くなった。

いま思えば、あの時あの病気さえ出なかったら、と思うのである。どれだけ自らを貶め、どれだけ親を悲しませたことか。爾来病気が治ったとも思えず、時折起こる醜い物欲の発作に苦しみながら今日に至っている。未熟者め・・・。


2013年3月5日火曜日

野鳥食堂 沈黙の春

ここ数日野鳥食堂にお客の姿が見えなかった。かつて無いことであった。前夜薪をとるために居間のガラス戸を開けると雪が降っていた。この地域は浅間山系、八ヶ岳山系、平野部に分かれており、天気予報の「佐久地域」ではハズレも多い。雪の予報など全くなかった筈で、ふと軽井沢方面の状況が気になる。上信越道は浅間山の南麓をなぞるように走っており、冬期間だけ私はそこの除雪に関わっているからである。

今朝は見事に晴れわたり風もない。この状態が何を私たちにもたらすか・・・。木々の小さな枝先にまで雪が綺麗に積もり、早朝の灰色で構成される単一色彩(モノトーン)から朝焼けの橙色が混ざり始め、このあたりから世界は色を取り戻す。風があると木々の雪は飛ばされてこの風情はない。新雪の降った朝の散歩の楽しみは輝かしいばかりの景色だけではない。ここは里からそれほど遠く離れた場所ではないが、野生動物が随分いる。私が実際に目撃した動物は鳥類を除くと、ニホンジカ、ニホンカモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギ、リス、テン、ネズミなどで、足跡となると、これがわからない。クマはすぐにわかった。大きいのである。ウサギもシカもわかる。リスも大丈夫(と思う)。キツネやタヌキはわからない。

夜中に雪が降ると次の朝が待ち遠しい。人や車が通る前に散歩をして新雪に残った動物たちの足跡を見て歩くのだ。今朝は思いもかけないほどの「大猟」であった。合わせて5~6種類もの動物の足跡があったのだ。このうち私に見分けがついたものはリスとノウサギだけである。あとは皆目わからない。ひとつだけ妙なモノがあったが、これはネズミの種類、おそらくはヒメネズミと思うがあてずっぽうである。

このような時の散歩はまったく運動にならない。とにかくたくさんの足跡があるので、これらに見とれて、これはなんだろうとか、どっちの方角に行ったのだろう、あれ、ここで足跡が途絶えてる、子供の頃読んだシートン動物記には小動物は捕食者の追跡から逃れるために様々な術を使うとあったっけ・・・どうなったんだろう、どれ下手くそな写真でも撮るか、などとやるからである。

散歩から帰ると北側の斜面からキジの鳴き声が聞こえた。今季初である。鳥のことについてはまったく知識がないが、繁殖期が始まったのだろうか。

庭にはまだ雪がかなり残っているが、何日か好天に恵まれたせいで、ところどころに土が見え始めていたが・・・。昨秋庭木の手入れから出た小枝の山が雪の中からその姿を現した。ああ、そうだった。庭で焚火を楽しむつもりでわざととっておいたのだったが、雪が来てしまい、そのままになったのだった。

お客の来ない野鳥食堂は寂しい。ヤマガラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、コガラはその名の示す通り、みなスズメの親戚で、仲良く群れをつくって縄張りを順に巡って餌を漁っているらしい。その順番や時間が決まっているとも思えないが、以前は朝夕は必ず来ていた。来なくなった理由を頭で探ってみても皆目わからない。何故か、ふと思いついたのが「沈黙の春」である。英題は「Silent Spring」で著者は米国人Rachel Carson である。この本は今から約50年ほど前に農薬などの化学物質の自然界に与える影響を世に知らしめて有名になった。

春といえば日足が長くなり、日光そのものも冬の弱々しさを脱して力強くなり、植物の芽の薄い緑が霞のように野山を覆い、鳥達はその囀(さえず)りをいよいよ喧(かまびす)しくする季節である。植物の緑が茂っても、鳥達の囀りが聞こえない春とはどんなだろうと思う。わが野鳥食堂のお客たちも、とうとうこの地上もっとも狡猾で野蛮な動物の犠牲者と成り果てたかと、不安に思う。

が、杞憂であった。しばらくしてお客は来た。押し寄せたと言っても過言ではない。鳴き声も明瞭で力強い。ヤマガラは時々壊れたハモニカのような声を出すが、ほかのシジュウカラやコガラの声の美しさよ。私がそばにいるのもかまわずに食堂に次から次に入ってはひまわりの種を咥えて出てゆく。どうやら仲間内でも餌をとる序列があるらしく、時々追っかけたり追っかけられたりしている。

かくして沈黙の春は満員御礼の春となった。

※下手くそな写真はヒメネズミと思われる足跡。中央の黒いものは私のお腹、ではなく比較のための手袋である。

2013年3月2日土曜日

死を考える 3(春の憂鬱)

十年前の昨日、父が他界した。今日は早朝に家を出て両親の眠る埼玉の上尾に向かった。私はほとんど高速道路は使わない。近距離なら大した時間の節約にはならないし、長距離なら退屈だからである。料金もべらぼうに高い。一般道は道の駅もあって、これが結構楽しい。日本はコンビニなどもあり、どこに行っても清潔な手洗いがただで使えて安心便利なことこの上ない。

久しぶりの関東は暖かったが大風が吹いており、遠景が霞んでいた。黄砂とPM2.5などが来ているのだろう。日本もろくな隣国に恵まれず、かと言って引っ越すこともできない。因果なことである。すなわち日本にも問題がある。日本の常識(尺度)が隣国にも通じるという思い込みがあるからだ。私たちは動物界にも生きている。このことは弱肉強食の論理にも晒されていることを意味している。高邁な精神や志だけを糧に生きるわけにはいかない。力なき正義は無力である。これは国際常識であり、人類の宿命であり、課題なのであるが、日本はこの均衡が実に悪い。この大きな弱点を近隣の仁なき国家群は突く。

霊園の事務所では線香だけを買った。墓石の前に着くとやはり花が添えてあった。妹が昨日来ていたはずで、花はお隣のお墓のものとまったく同じものであった。

そこに我が父母がいるとは思っていないが、無言で墓石に対面し、挨拶をする。辺りには誰ひとりいない。枯れた芝生と墓に添えられた鮮やかな原色の花束の対比に違和感があった。父が生きていれば八十八の米寿であった。胃がんを得、病院に行った時は手遅れで、一応手術はしたものの、一年後に身罷(みまか)った。早く診てもらっていればと幾度思ったか知れぬ。

私の父は学業半ばで戦争に駆り出され、散々苦労したらしい。私の妹が生まれてすぐに肺結核を患い、当時の赴任先である北海道の山中を出て東京の日赤で手術を受けた。母はまったくの田舎育ちであり、ただ転勤する父について歩き、ついにはひとり北海道の山の中で子供3人を育てねばならなくなり、さぞ大変だったことだろう。彼女も6年前にこの世での用事を終えてあちらに帰って行った。

帰路は多少混んでいた。急がず程々の速度で巡航を続ける。ここは私のいる場所ではないと思う。早く長野に帰りたいと思う。両親の病気や死で、欧州からの一時帰国を余儀なくされたことが多々あって、随分実家に泊まったが、ダブリン空港に戻ったときは心からほっとしたものだった。おかしなものである。

片道三時間である。早く長野について熱いほうじ茶でも飲みたいと思った。春の始まった関東平野を北上しながら、ふと私は長野の家に着いたからといって本当にほっと出来るのだろうか、そんなことを思った。そこは私が心から満たされ、安心し、幸せを感じられる場所なのかと疑問に思った。

人の寿命は医者にも本人にも決められない。善行を積んだからといって長生きが出来るわけではない。食べ物や運動に気をつけたからといって長生きが出来るわけではない。そもそも長生きそれ自体に価値は無いだろう。やはり人生は「質」である。この「質」を問うのが私の今生の宿題らしい。
早く解いてあの世に帰りたい。(マダマダ無理ダロウナァ・・・)

2013年3月1日金曜日

野鳥食堂 追伸の追伸

コガラもなつき始めた。シジュウカラは一度だけヤマガラにつられて私の手にとまったことがあるが、以降はまったく警戒を緩めない。コガラはヤマガラよりひと回り小さい、白と灰色の体色に黒い頭で、名前通り小柄である。鳴き声も可愛い。ヤマガラを真似たのか、私の姿を室内に認めるとガラス戸の外で空中停止して餌の催促をする。

野鳥などまったく興味がなかったが、目を凝らして観察すると他にも沢山の種類の野鳥が来ている。寝起きのコガラだと思っていたらそれはヒガラだったりする。(コガラにそっくりだが頭頂部の羽毛が寝起きの子供の髪のように起っている。これがなんとも可愛い。是非野鳥図鑑で見て下さい)エナガやツリガラもいる。ネットで調べたのだ。なぜかみな「カラ一族」である。便利な世の中ではある。

 

2013年2月21日木曜日

男の美学(なんちゃって)・・・

男の美学・・・、三流週刊誌の見出しのような副題である。私が男を代表して美学なんぞを語れるわけはない。私は自分が男であることを信じているが、他の男のことは知らない。だからこれは「私の美学」である。だから(なんちゃって)なのである。

言い訳はこれ位にして、本題である。私の言う美学とはモノの美醜を論じるばかりでなく、測ったり、感じたり、また判断する「尺度」のことである。人の尺度には生まれながらにして備わっているものと、生後学習や刷り込みによって身についたものがある。

女性が口紅を付けたがる理由はなんだろう、と考える時、ひとつには生まれつき女性は本能的に多くの男を惹きつけて、その中から優秀な種を残すに足る相方を選ぶためであろう。(余談であるが、この点女性は狙撃手である。男性は機関銃手であることが多い。あくまでも傾向である)もうひとつは、口紅会社からの刷り込みである。子供の頃から、女性は口紅をつけるものだと刷り込まれる。人の口を介して、雑誌で、電気紙芝居で、その他あらゆる時と場所で、女性は口紅をつけなければいけない、と刷り込まれる。

ひとつの可能性として、男性も本能的に口紅をつけたいのかもしれない。ただ、女性ほどは「見かけ」で異性を惹きつけようとする気はないのだろう。男性の心のなかにも「男性性」と女性性」が混在しており、その比によっては一所懸命オシャレに精を出す男性もいる。こういう男性を電気紙芝居などの広告で焚きつければ、彼らも口紅をつけ始めるは必至である。

アフリカや東南アジア、また南米などにいるいわゆる「未開部族」では、男のほうが派手な化粧や身なりをするようである。これは部族間の戦いに際して、自らを鼓舞し、相手を威嚇するのがその目的であろう。日本の若い人の一部にも前髪を伸ばして「庇(ひさし)」を作り、自動二輪車に派手な飾りをつけ、わざと大きな発動機音で運転する人々がいまだ存在する。原始の血が騒ぐのかも知れない。ただ、このガラパゴスのゾウガメ的若者は少数なので、化粧品会社は「お客」としては勘定できないだろうが、旭山動物園からは誘いが来るかもしれない。

商業主義の刷り込みによって商品を買わされる消費者の多いことよ。そして人は金儲けのためには何でもやる。電気紙芝居を見ていると、最近は栄養補助食品の広告や通信販売が異常に多い。これらの広告手法は、視聴者を脅したり、不安を煽って商品の購入を促すものがほとんどである。

かたや消費者というものは意外とお馬鹿で、広告が本日限り、ひと家族二袋限定とか、通常ひと袋5000円のところ、30分以内に電話の方に限り4999円で提供、送料無料などとやっていてコロリとやられている。売る側の広告手法は面白いほど似たり寄ったりである。あれで恥ずかしくないのだろうか?送料無料って、では誰が送料を払っているのだろうか?

私は食べることにそれほどの執着をもたないので、電気紙芝居でも食堂や料理に関する番組は見ない。残念ながら世の大勢は私とは逆である。どこそこの何がうまいとか、まったく関心がない。料理の本質は栄養である。栄養を活かし、まずくなければ上等である。うまくても栄養がなかったり、壊れていたりすれば下等な料理である。

オシャレにしろ食べ物にしろ、商業主義に踊らされて大切なお金を浪費するのは愚の骨頂である。人によってはオシャレをすることが生きることであり、うまいものを食べることが生きることだと言うであろう。しかし、私はそんなものは人生の楽しみのほんのささやかな部分でしかないと断ずるのである。

オシャレよりも健康が大事であろう。でも、健康で長生きをして何をしようというのだろう。

2013年1月12日土曜日

お風呂の話し

寒い日が続いている。台所に立てば、小さな窓が目前にあり、外の雪景色が見える。防犯用の格子がはまっており、それに寒暖計が取り付けてある。朝などはここから外の気温を見るのが癖になっている。この冬は毎朝氷点下10℃近くまで下がっている。室内と言えば、私が家にいて薪をくべられる限りは、24時間暖房なので、寒くはない。朝方になって、寝る前にくべた薪が尽きんとするときなどは、10℃を下回ることもある。が、早起きがいたって得意な私は、暗いうちに起きてちゃんと次の薪をくべるのである。

年が明けてはや12日、なんと時の経つのが早いことか・・・。4月に渡欧の予定があり、そろそろその準備を始めねばならない。しかし、腰が重いのだ。面倒な事を先延ばしにするこの癖は、子供の時からのもので、もはや治りそうにない。

年末からダラダラとテレビを見ている。民主党政権末期から自民党政権返り咲きの番組が好きである。元来政治には知識も興味もないが、自分と言うものを考え、その自分が生まれ育った日本を考える時、天然自然に政治のことを考える。自身浅学非才の輩とは言え、盗人にも三分の理、ではなく・・・一寸の虫にも五分の魂があるのだ。

安倍首相を右翼タカ派として警戒する向きが多いが、それはあたかも自身の健康や安全を守るために一所懸命に運動をしている人に、「あんたは右翼だ、タカ派だ」と言っているようなものである。私たちは大衆情報(マスコミ)を通じて世の動きを知る。近年に至っては知識を得る手段として、電子頭脳網(ネット)があるが、どれが「事実、真実」を伝えているかは甚だ心もとない。シナや朝鮮半島の国々の情報統制を日本人は笑うが、私たちだって何を掴まされているかわからないのである。近隣の国々よりも日本のほうがより自由や本当の情報を持っていると考えるのは危ない。マスコミはみなひも付きなのだから。

私たちは群盲である。シナ人、朝鮮人、ロシア人、みな国民は群盲なのだ。危険を回避し、安全に自分自身と国家、さらに地域社会と世界を幸福と繁栄に導くには自分が盲であることの自覚から始まる。それがあってこそ慎重に杖を使うようになり、落とし穴を回避し、毒蛇を素手で掴む危険を回避することが出来る。

今回の選挙で、私が安心したのは護憲派がまったく票を伸ばせなかったことだ。現実を見据えている人たちが多数いる、と言うことである。国防は国の礎のひとつである。が、憲法9条が日本の軍隊である自衛隊をまったくの役立たずにしている。役に立たないものを膨大な予算を費やして保持しているのは税金の無駄遣いである。これが嫌なら憲法改正をして使える軍隊にするのがマトモと言うものだ。そうかと言って武力を放棄すれば近隣のハイエナが大喜びで日本を蹂躙するは必定である。

さて、あるところにお金持ちがいました。平和を愛する心優しい人で、ご近所に困っている人がいると助けてやったり相談にのってあげたりしていました。その家はお金持ちだったので、厳重な鍵や警報装置が付いていました。ある時、別の国から引っ越してきたお隣さんに、「あなたは良いことをしているのだから、泥棒などは入りっこない」と言われました。このお金持ちはそのお隣さんにも金銭的援助をしていたのでした。お金持ちは「そうだ、私は悪いことはしないから泥棒は私の家には入らない」と言って鍵もかけず、警報装置の電源も入れないようになりました。ある日、お金持ちの家に強盗が入りました。金品をことごとく奪われ、あるじは家族もろとも強盗に殺されてしまいました。後でわかったことはお金持ちに鍵をかけないように言ったのは強盗の手先だったということでした。

この話は私が今作ったものであるが、実際の世界はこの話しよりもっと現実である。憲法9条で国を護れると主張するなら、その人は留守中も就寝中も家にも車にも鍵をかけるべきではない。

(ちなみに私は外出時、戸締りをしてゆく。これ故に私を「右がかった人」と呼ぶならそれはそれで結構だが、そう私を呼ぶ人は外出時に戸締りをしてはいけない)

そう、今回はお風呂の話しである。一見話しの脈絡が途絶えたように見えるかもしれない。

私はこれでも世過(よす)ぎのために、家を空けることがある。外から帰ってきた時にはとうに薪は燃え尽きており、部屋はひどいときは摂氏6~7℃ということがある。外套をきたままストーブに火を熾す。しかし、家全体が元通り暖まるまでに半日はかかる。こんな時は何よりも手っ取り早くお風呂に入るのが一番である。

体が冷え切っている時に、いきなり湯に浸かるのは急激な血圧の高下をもたらし、時には命を危険に曝すことがあるらしい。それはさておき、我が家の湯温はいつも同じ41℃に設定してある。それなのに体が冷えている時はこれが異常に熱く感じ、思い切ってザブーンとはいかない。これは体の持つ警告機能であろう。有り難いことだ。しかし、この湯温も徐々に体を慣らしていけば確かにいつもの心地良い41℃であることを納得する。

41℃の湯船に手を浸ければ当初異常に熱く感じる。これはある種の防衛本能から来る錯覚で、徐々に体を慣らしてゆけば、適温である41℃に慣れて、すぐにこれを楽しむ事ができるようになる。愚か者は手を湯船に浸けて、これは熱いと言って水を足して入り、風邪をひいて肺炎で死ぬのである。

末筆になりましたが、皆様旧年中はこの毒弾(いい誤字ですねぇ)と偏見の多い随筆をお読み下さり、感謝の念に耐えません。厚く御礼申し上げます。不肖みっちー和尚、今年もみなさんにとって良き年でありますようお祈り申し上げます。

※写真は拙宅台所からの眺め。寒暖計は窓の外にあります。

2013年1月8日火曜日

冬の日常 6

3週間ほど前、私の留守中に知人がやって来た。帰宅して車から降りると、勝手口の把手に何やら合成樹脂の白い袋がぶら下がっているのが見えた。ああ、とうとう見かねてどなたかがお金でも置いていったか、などと思いながら中を覗くと、ラップに包まれた肉と紙片に書かれた伝言があった。

携帯電話を紛失し、訪問に際しての事前連絡ができなかった由であった。我が家は主人多忙につき、事前一ヶ月前には秘書を通じてその意図と時間を打ち合わせなければ面会は叶わない、と言うのが規則である・・・などということはない(断るまでもなく秘書などは存在せず、この離宮の主は私であるが、財政逼迫のおり、執事も家政婦も、庭師も運転手も本人が兼務している)。

普段肉はほとんど食べない。高いし料理が面倒だから、である。しかしながらせっかくいただいたイノシシの肉であるので、食べた。骨が残った。これで汁(スープ)をとって、などとは考えない。しかし、骨にまだ若干肉が残っている。久しぶりにテンにくれてやろうと思った。

その晩に私はイノシシの骨を裏庭の雪の上に放った。次の朝は異常なし。その晩ストーブに薪を追加しようと南のガラス戸を開けると、果たして骨が消えており、庭の明かりをつけてみるとそこいらじゅうに獣の足あとがあった。いつの間に来たものか、まだ宵のくちだったが。翌朝、雪上の足あとをよく見てみたが、何の足跡かさっぱりわからなかった。テンにしては大きすぎる。タヌキよりも大きいようだ。キツネだろうか、2つずつ並んで付いている。最近近くでキツネをよく見かける。しかし、素人にはわからない。

そして今朝のことである。庭のリョウブの樹間に置いた「野鳥食堂」が傾いて落ちそうになっていた。それは木に釘で固定したとかではなく、木と木の間に挟んだだけなので、風で木が揺れれば落ちたり傾いたりすることもありそうであった。が、昨晩は風など吹いていなかった。木の根元を見るとイノシシの骨を持っていった動物と同じ足跡がたくさん残っていた。これで足跡がキツネではないことがわかった。「野鳥食堂」は地上から1・9洋尺(1・9m)ほどの高さにあり、キツネに登れる枝ぶりでもない。

おそらくハクビシンであろう。「野鳥食堂」のお客の匂いをかいで木に登ったと思われる。足跡の大きさから見てテンではない。近々、以前にテンを誘った時のように(※)、イノシシの肉にテグスをつけて室内に引き込み、鈴をつけて犯人を待とうと思う。
※ 昨年1月16日に書いた 「冬の日常 2」 を御覧ください。

私は、傾いた「野鳥食堂」を立て直し(?)、中の小皿にはひまわりの種を置かず、手のひらに盛ってお客を待った。常連であるヤマガラ3羽ほどはすぐ来る。シジュウカラたちは非常に警戒心が強く、近くまでは来るが、けっして寄っては来ない。なんとコガラが初めて私の手に乗ってひまわりの種を啄んだ。彼らはみなスズメの親戚で、ほぼ同じ時間に群れて餌を食べに来る。ヤマガラが私の手から餌をとるのを見て、大丈夫とふんだものらしい。今のこの季節だからであろう、野に餌のあふれている夏には無理かもしれない。

この季節は関東で冬を越す東隣りのSさんが珍しく雪道をおして見えた。この近所で野鳥への餌やりは、Sさんが始めたものだが、私がヤマガラを手なずけたのに驚いてご自分も試したらしい。今では外にいると携帯で電話をしていても肩にとまってくると目をほそめられていた。