2015年7月22日水曜日

暖炉のにおい みっちー船乗りになる

教授は自分を救世主と考えていたフシがある。彼の名前を電子頭脳網で検索すれば、彼に関する記事が沢山見つかる。その中に、彼の残したブログがあるが、彼の筆名はChrist ○×△とあるから間違いない。しかし、現実はただのコズルイお騒がせ老人だったのだ。

村の中で、山砂を採る事は環境破壊につながる、と言って集会を開き、村中から総すかんを食らったり、自分の亡くなった妻を庭に土葬してお役所に叱られたり、また大麻栽培をして警察に引っぱられたりしていた。私には、郡の福祉事務所を騙してお金をせしめていると、告白した。

彼は、ヒッピーだったらしい。ヒッピーなどと言う言葉は、いまや死語であるが、1960年代から70年代に世界のそこここで流行った一種の文化である。「縛り」を嫌い、自由に生きたかったのだろう。ケンブリッジ出と言う肩書きは、彼がヒッピーであるにもかかわらず、アイルランドでは大学の教授職を得るには十分立派な肩書きだったに違いない。

彼は、「自分は世界を救う独自の哲学や宗教を持っている」と思っていた。隣人のみならず、ほぼ村人全員から狂人扱いされていた彼であるが、その彼にも僅かではあるが共感者がいた。それは、アメリカから来た若い金鉱掘りだったり、人生に疲れたフランスの舞台女優だったりした。(時を同じくして、日本から流れて来た風来坊もいたのだが・・・しかし、彼は共感者ではなかった)

その中に、いかにも、と言わんばかりのウエールズ人夫婦がいた。彼らは居候ではなく、毎年夏になると教授の家に遊びに来る、とのことだった。夫人はごく普通の下層英国婦人だが、服装がやはりそれとなくヒッピーだった。夫は、いつも半ズボンとサンダル履きであった。背は低かったが、ガッチリした体型で髭を生やしており、赤ら顔で、私たち日本人が知っているウエールズ人代表のC・W・ニコル氏を連想させた。

夫君は朝起きると歯ブラシをくわえ、裸足で庭に出る。腰に手をあてて辺りを睥睨(へいげい)し、芝の上にガラガラペーッ、とうがいした水を吐き出す。ちょっとだけ隅に行ってそこで立ちションをするのである。何の衒いもなく、自然なので誰も文句は言わない。

夫婦は、時として教授となにやら世界の現状と未来について意見交換をしている。暖炉の前に据えたオンボロで汚いソファに陣取り、毛脛をぼりぼり掻きながらも、自分たちが放った大言壮語に臆する風は見えなかった。時としてウエールズ人は、イングランド人と仲が悪いのだが、彼らにはそのような様子は窺えなかった。同じヒッピーではあるが、ケンブリッジ出の元大学教授と言うことで、家主に尊敬の意を表すこともあった。

ある時、このウエールズ人が私に船乗りにならないか、と問うてきた。突然のことで面食らったが、話しの内容はこうである。

彼らには、お金持ちの親戚があり、数年前に亡くなった。遺産の一部を彼らも引き継いだが、それは木製の大きな帆船だった。以来、二人でお客をウエールズから地中海を経由してギリシャまで乗せ、これを生業としてきた。が、歳をとって操船と客の面倒を見るのがきつくなってきた。高い給料は払えないが、手伝ってはくれまいか・・・。

何の因果か、私はユーラシア大陸の東に浮かぶ小さな島国に生まれ、一万洋里(Km)も離れた西の端にある、さらに小さな島国で暮らしていた。数々の流転を重ねてとうとう船乗りになるか・・・。

詳しくは忘れたが、その帆船、すべて木でできており、船室が2~3あり、他に食堂やら居間やらがある結構大きな船である。変わっているのは、帆船と言っても普通は、緊急時や接岸離岸などの細かい操船が必要なときに使う原動機が付いているものだが、これには搭載していない、とのことだった。そうは言っても、調理や無線、そして照明やその他の機器類に電気は必要と思われる。だが、私はこの点については聞くのを忘れた。

帆船には憧れがある。動力船は常に原動機の音や振動がするが、帆船は航行中でも波と帆柱の軋(きし)る音、それ以外はしない(と思う。乗ったことがない)。自然の力を利用し、ただで旅行できるなど、なんとすばらしいではないか。仮に、船体、人、そして水や食料など全部で数トンに達するとして、この重量物をウエールズからギリシャまでただで運べるのである。

私は、船に関しては、まったくの無知である。想像するに帆船といえども現代のものは、自動航行装置やら、自動位置感知装置(GPS)やら、無線装置、もしかしたら電波探知機、(略して電探。レーダー)まであるかもしれない。このような最先端の設備や装置を排除し、昔ながらの六分儀や磁石を使っての船旅は、まったくや面白いものに違いない。

操船やら修理などは追々覚えてゆけば問題ない。大西洋からアフリカ北端と欧州南端の間にあるジブラルタル海峡を抜けて、地中海に入ると、海の色が変わる。そこで見る朝日や夕日はとてつもなく美しいという。彼らはそれを淡々と語って私を誘う。私といえば、静かに彼らの話を聞いていた。地中海で見上げる星空はどんなに美しいことだろうか。幸い私は、船酔いには強い。内心これは面白いことになってきた、と思った。

日本での仕事を辞め、好き放題に生きることを決心し、つてのあった欧州に来た。それが藁しべ長者の藁のように次につながってゆく、我が人生の面白さよ。

ある時、教授の家に若い男が遊びに来た。教授の娘の誰かに会いに来たものだったかもしれない。私に、大型牽引免許を持っているならいい仕事がある、といってくれた。私は、なぜか欧州では大型免許も、大型牽引免許も、大型二種免許も(以下省略)持っている。話しを聞いてみると、アイルランドからフランスを経由して、スペインまで大型牽引車(トレーラー)を運転して荷物を運ぶ仕事がある、と言う。面白そうな話だったが、別の人が、フランスとスペインの国境に跨るピレネー山脈には今でも山賊が出る。時に運転手が殺されて積荷が奪われるのだ、と言った。その人の話しは眉唾(まゆつば)で聞いていたのだが、私はかなりの方向音痴で、英語はともかくフランス語やスペイン語はからっきしだめなので、この話しは断ってしまった。

いい話し、面白い話しには裏がある。私は、船酔いはしないが、泳ぎが得意ではない。長い船旅では、必ずや泳がなければならない状況が出てくるだろう。たとえば錨(いかり)が海底の岩に引っかかってあがって来ないとか、客が溺れたとか、金の斧を落としたとか、である。

子供の頃、膝まであるやなしやの水深で溺れかかったことがる。北海道の山奥の川で、前後の状況は忘れたが、おそらく川を渡ろうとして、石に付いた苔で滑って転んだのだと思う。平気を装っていたが、かなりの恐怖であった。これは私の心理的外傷になっているのは間違いない。もうひとつ。「水の中には得体の知れない何かがいる」と言うまんざら妄想とも言えない思いがある。これは小さいときに読んだベルヌの小説の影響かもしれない。スピルバーグのジョーズも私のこの思いに拍車をかけたろう。

私は、夫君に地中海に鮫はいるかと尋ねた。彼はいない、と即答した。たまたまその後に得た情報によると、地中海にも数は少ないが、鮫はいるらしい。しかも、ホオジロザメやシュモクザメと言った超一流の危険種もいるらしい。最初から言われていればそれほどでもないものを、後になって隠し事が暴露されるといっそう怖くなるものである。

私はこの面白い話しを断ったのであるが、もしあの時断らなければ、今頃は、「最近体力が落ちて、操船や接客が億劫になった。キミ、ウエールズからギリシャまでの帆船に乗る仕事をやる気はないかね?大丈夫、地中海に鮫はいないよ」、などと言って若い人を探していたかもしれない。ふとそんなことを思った。

追伸
久しぶりに「暖炉のにおい」を書きました。発表した記事が、今回で100回になりました。2011年2月に「さても人間とは」で始まり、4年6ヶ月で100回です。おめでとう100回記念、と言うことでお祝いを受付中です。 書きかけの発表していない記事もかなりあります。また、未完の記事を完成させて発表している場合もありますので、よければ読んでみて下さい。

男の美学(なんちゃって)・・・2013年2月に発表しましたが、引っ込めました。書き直して再度発表してます。よかったらどうぞ。

「暖炉のにおい」はまだまだ大きな隠しネタがあります。

コメントは別に禁止しているわけではありませんのでお気軽に。

暇つぶしであれ、偶然であれ私の拙い記事をお読みいただき、御礼申し上げます。また、読者諸氏の限りない進歩向上をお祈りいたします。          筆者 みっちー










2015年7月19日日曜日

夏来たりなば

お陰様をもって、野鳥貸家編(シリーズ)はちょこっと好調である。庭に野鳥用の巣箱をかけて、その観察記録モドキである。こんなものは、多くの若いお母さんが、自分の赤ん坊がかわいくて仕方なく、これを不特定多数の人と共有したくて、一所懸命に電子日誌や顔本(?^^;)に掲載するのと大差ない。楽しいのは自分だけ、と思うのだが。

それにしても、野鳥たちは春に営巣開始して抱卵、子育て、巣離れ、ちょっとだけ餌のとり方などを雛たちに教える。この間おそらく一ヶ月少々であろう。その後の約十一ヶ月は何をしているのだろうと、疑問に思った。

野鳥たちは、成鳥になってその寿命が尽きるまで上記の生活を繰り返す。生物だから、子孫を残す行動は当然だが、それに費やされる時間は、大雑把に鳥は人生(鳥生?)の十分の一ちょっと。人間は、四分の一ほど(平均寿命80歳とし、子育てに二十年とした)。人間の場合、成長期はともかく、子供が手を離れた、それ以降の時間って何なのだろう、とふと考えた。

人が幸、不幸を語って泣き笑いをするのは、宇宙の構造を知らないからだろうと思う。私は、人が生身の体をまとっている間は、この宇宙の構造はわからないようになっているのだと思う。だからこの世から幸も不幸も、泣きも笑いも決してなくならないだろう。

親鸞が語ったと言われる「善人尚往生とぐいわんや悪人をや」の意味するところ、私の解釈は一般とは別である。ただ、そう思うだけで、もちろん確固たる証はない。今よりも科学、哲学、そして宗教の研究が進歩し、それらの補完関係が進めば、凡夫たる私たちにも人生の意味とかがわかるようなるのではないか、と思いたいのである。幸不幸、泣き笑いは無くならなくても、これらを糧としてその質自体は向上するだろう、と思いたいのである。

食って、寝て、子供育てて終わるならサルでもできる。金儲けがうまくても、真摯に生きるのでなくては、人生がもったいない。幸福で楽しくても、進歩がなければ・・・。

空き家になった野鳥貸家を眺めてこんなことを考える。台風一過、午後から暑くなりそうだ。私は、暑さには強いようだ。だが、嫌いだ。金があれば南米チリと北米アラスカに家を買い、一年中冬を満喫していたい。

夏来たりなば冬遠からじ。しばしのがまんじゃ。早く薪ストーブに火を入れたい。


2015年6月27日土曜日

野鳥貸家 殺意 !

今、野鳥貸家別館でシジュウカラのつがいが営巣している。本館では、あの育児放棄事件以来、借り手がいない。折角中を掃除して玄関下が大きく開閉できるように、蝶番をつけたのに、である。(もっとも、この蝶番の目的は私が雛の様子を見るためのものであるが・・・)

五月から六月にかけては、植物の成長が一気に早まり、貸家も木々の葉に隠れて店子たちの行動が見づらくなっていた。私は、別館の営巣開始には気がつかなかった。冬場に頻繁に素泊まりのお客がいたことは知っていた。春先にシジュウカラのつがいが出入りするのも見た。しかし、それは長続きはしなかったので、この「物件」には彼らにとって、何か不都合があるのかもしれないと考えていた。

別館も、その完成後に若干の手直しをした。夏にかけての営巣では、室内が暑くなるだろうと思って、壁や床にドリルで空気穴をあけた。これがいけなかったのだろうか。店子には内緒だが、元々合板やブリキの切れ端で造った貸家であり、大工さんの腕前もおぼつかないやっつけ仕事で完成させた物件である。いたるところに自然の「換気口」は開いており、追加工事で穴をあけて、かえって雨水でも入るようになったのだろうか。

いまシジュウカラのつがいは、かなり頻繁に別館に出入りをしている。芋虫や蜘蛛のような虫をくわえて飛んで来る。近くの木の枝にとまり、近くを見回してそれから玄関に入ってゆく。私は、これを双眼鏡で観察しているのだが、この夫婦、やつれている。羽毛のツヤが悪い。これは昨年のつがいも同じだった。子育ては大変なのだろう。

この時期、シジュウカラは我が家の西洋濡れ縁にあるヒマワリは食べに来ない。目下の所、ヤマガラが唯一の客である。昨年は、この時期にはヤマガラも来なくなっていた。試しに手のひらにヒマワリのタネをおいて待っていたら、ヤマガラがこれをついばんで行く。相変わらず人懐っこい。ヒガラ、コガラは冬までは来ないだろう。スズメも来ない。彼らが来ると私は見つけ次第追っ払うから、近所中のスズメの間では回覧板が回っているらしい。

数年前、欧州から日本に居を戻したとき、日本ではスズメの数が減っている、と聴いた覚えがある。(いま電子頭脳網で検索したら、スズメの数が「激減」とある)しかし、我が家の地域は人里離れた別荘地であるにもかかわらず、スズメの数は多いようだ。日本全国から雀たちがここに引っ越してきているのか、と思うほど多い。

彼らは(スズメのこと)、おきている間中さえずり続けるので、うるさいことこの上ない。我が野鳥食堂では礼儀は守らないし、食い逃げはするし、すこぶる評判が悪い(^^;)。一番良くないのは、貸家で営巣中のシジュウカラに対する激しいイジメである。貸家に不法侵入を企てる。それが適わないと、徒党を組んで玄関前に陣取り、シジュウカラ夫婦を恫喝する。気がつくたびに私は、スズメをレーザーポインターで追い払う。しかし、最近これに動じないスズメがいる。

どなたかシジュウカラを怖がらせずに、スズメだけを追い払う方法をご存じないだろうか。一時、BB弾なるものを発射するおもちゃの銃を買おうと思ったくらいである。BB弾は人間にとってはドッジボール程度の大きさに匹敵するだろうか。しかし、スズメにとってはその威力は破壊的だろう。そのようなものは使えない。米をまいておいて、つっかえ棒とザルで捕獲してどこか遠くに離してしまおうか。

いま複数のスズメが、またしても別館の前に集まってシジュウカラ父さんとシジュウカラ母さんをいじめている。子供たちは、巣の中にいれば安全だろうが、巣立ちの時は危ないだろうな・・・こうなったら・・・(←これ、ゴルゴ13の吹き出しと同じ意味)


         写真は、別館で親鳥が給餌後、ひな鳥のフンをくわえて巣外に運び出すところ




                                春先の本館 スズメがしきりにちょっかいを出す。


2015年6月22日月曜日

イケアにいけや(おまけ)

イケアに行った際、(駐車場内の)車を停めた住所を間違って覚えてしまった。他のイケアは知らないが、イケア立川店の駐車場は三階ある。すなわち、P1、P2、P3である。しかし、すっかり田舎人となった私は、昇降機や自動階段などさえ久しぶりにのるものであり、まして超大型店舗の駐車場などはめったに行かなくなっていたのである。

用心深い(が、おっちょこちょいな)私は、車を停めた住所A-4をしっかり頭に入れて売り場に降りた。目指す獲物は三点。主なものは、居間におく長椅子。心地よく本を読み、電気紙芝居を見、うたた寝をするためには必需品であった。が、長く予算がつかなかった。

予算の優先順位などは、独り者の私には、そのときの気分次第である。実用品が必ずしも順位が高いとは限らない。金がないのは事実ではあるが、かといって実生活で汲々として人生を過ごすのもつまらない。自分の心に言い訳をして、時々優先順位をひっくり返して趣味のモノを買う。矛盾するようだが、長椅子は、自分の中では必需品とは思っていたが、絶対のものではなかった。そして、決して安い買い物ではなかったので、予算的にはかなり以前より先送りの連続だったのだ。

長椅子購入が先送りされていた理由は他にもある。長椅子は、イケアのEKTORP三人がけと決めており、しかしながら店舗が近くになかったからである。最初は、貸し自動車を借り、高速道路を使ってゆくつもりだったので、長椅子の実質的値段は五割近くも上がる筈だった。

※ちなみに、私の知っているEKTORPとはストックホルムの東郊外にある地域の名前である。(昔、ここにあるジムに通っていた)

私の持っている箱型軽貨物自動車の荷室は、奥行きがせいぜい185洋寸(cm)であり、EKTORP三人がけは、入りきらない。とは先入観で、助手席の背もたれを後ろに倒せば200洋寸のものでも載る。運転中、左の後写鏡が見えなければ、道路交通法違反はいいが、実際上危険この上ない。しかし、それは問題なかったのである。これに気がついて私は、すぐ立川行きを決定した。

売り場で実物を目で見て、座って試してなどして、それから売り場の美人の担当者に私の懸案を話したところ、最悪自分で運べない事が判明しても、戻ってくれば配送の手続きをしてくれると言う。

半ば安心して他の二点を探しに行った。一点は一万五千円だかの、長椅子寝台(ソファベッド)。普段は二人がけの長椅子だが、座面を引き出すと二人用寝台になる。これを客間におこうと思っていた。しかし、実物は値段相応のものであったので、早々に諦めた。

残りは、肘掛け椅子である。まったくと言っていいほど、同じ意匠(デザイン)で同じ掛け心地で、値段が3,999円から30,990円の品揃えである。26,991円の差がどこにあるのかはわからない。私は加藤遊民(※金も教養もない遊び人の意。「改名について」参照)なので、PELLOと言う3,999円の方をとった。既にスコットランド滞在中に使ったことがあり、構造や意匠にひどく感銘を受けていたからである。(あるいはあれは、30,990円のPOANGだったか。いづれにせよ、外見、座り心地はまったくと言っていいほど変わらない)

私は、階下の倉庫に降りて、PELLOの梱包を台車に積んで支払い場所に向かった。あたりの景色は、スウェーデンのそれとほぼ同じである。天井がやたらと高い。米軍横田基地が近いので、外人が多い。

支払いを終え、昇降機に乗ったら米国人らしい太った子連れ奥様二人に遭遇した。彼女ら、階上から降りてきて、また上に行くらしい。展示場と倉庫を間違えたのだ。迷ったのですか?と聞くと、私のTシャツを指して、そこが私の来たところよ、と陽気に誤魔化された。私のTシャツは、欧州の慈善店で99セントだかで買った中古品で、SANFRANCISCOと書かれていた(自分で知らなかった^^;)。

彼女らをからかった直後に、私は自分の間抜けさに気がついた。あれ、私の駐車階はどこだっけ?その階の中の住所は覚えているが、階数そのものを覚えていなかった。動揺を悟られないように、当てずっぽうで、P2の釦を押した。

誰にでも「ついている日」というものがある。その日が、私のついている日だった。階数は当たり。私が押しているのが大きくて重い長椅子の台車で、階数が違っていたらちと面倒だったに違いない。昇降機を降りてA-4に向かう。

金にいとめをつけず、場所を選ばず、時間を気にせず探せば、それはいくらでもいいものは見つかるだろう。しかし、私の手の届く範囲でこんな座り心地のいい椅子はそうはないと、ひとりごちるのである。


        イケアのPELLO、3,999円 (橙色は、汚れよけの西洋手ぬぐいです)



2015年6月18日木曜日

イケアにいけや

アイルランドのエンヤを日本人の歌手グループだと、ずっと思っていた。もとより芸能界には暗い。むかし、日本の歌手グループで、ショウヤと言うのがあったのだ。詳しくは知らない。知っているのは名前だけ。で、エンヤも同類だろうと思っていた。語感が日本語っぽいのである。大勢に影響はない。

アイルランドに住むようになってから、それらが別モノであることに何となく気がついていった。ショウヤについては未だ何も知らないが、エンヤについてはほんの少しだけ知っている。

彼女の歌の雰囲気は、例えてみれば、暗闇がせまる夕暮れの湖に靄がかかり、それを背景にボーっと光る妖精たちが湖面を遊弋(ゆうよく)している、そんな感じである。私が思っているよりはるかに有名らしい。

スウェーデンに出入りしていた頃、IKEAを知って、少し驚いた。「池谷」と言う日本の家具屋がこんな地の果てまで来て商売をやっているのか、と思ったのである。当時スウェーデンで知られた日本のモノと言えば、寿司と空手くらいなものだったから。

イケアは本家ストックホルム圏では郊外に2店舗あるだけである。確か両方に行ったことがある。両方に行っても意味はない。売っているものも配置もほとんど同じだから。たまたま、厳冬期に最北のイケアに行ったことがあるが、中身は同じであった。ただ、緯度的にはほとんど北極圏、隣接する川を渡ればそこはフィンランドであった。国境を越えても、旅券検査も何もない。ただ寒いだけだった。

ダブリンの北、空港近くにイケアができると聞いて喜んだが、私が在愛中には完成しなかった。そこは、きわめて治安の悪い地域で、店ができても万引きで潰れるぞ、などと陰口を言うものもいた。

さて、日本である。皮切りは千葉で、今は随分増えた。と言っても、私は長野の山の中、普段はニトリのお世話になる。ついでながら広告で、お値段以上ニトリ、と歌っているが、私に言わせればお値段相応。私個人の感想だが、イケアについては意匠(デザイン)や品質においてお買い得感がある。イケアは言うなれば欧州のニトリで、金持ちは行かない。日本でも金持ちは大塚家具に行くのだろうと思う。

イケアが立川にできた。立川は昔の縄張りの中なので、心安い。佐久からは距離的にも時間的にも一番近いイケアになった。近いといっても、我が御用邸からは片道180洋里(km)はある。

私は、ご幼少のみぎりより、床に座るのが苦手で、うちにも長椅子(ソファ)が欲しかった。でも、ニトリのものは気に入らなかった。イケアには値段と意匠で妥協できるものがあった。

電子頭脳網で梱包の大きさを調べ、我が愛車(軽貨物)の荷室を計って見た。入りきらなければ貸し自動車屋で貨物車を借りるつもりだったが、計算上は助手席の背もたれを後ろに倒せば、辛うじて積めることが判明した。

超早朝に佐久を出発し、国道をトコトコトと走った。途中一回だけ車中で仮眠をとり、多摩湖を経由して立川に入る。私がいた頃に工事が始まったモノレールは、あたかもそれが昔からあったかのように走っていた。玉川上水駅も様変わりして、立体交差になっていた。

店内は世界中どこも同じである。イケアの家具の大方は買った後、自身で組み立てなければならない。二階の展示場で、居間、寝室、そして台所などの雰囲気を再現した中に、組み立て済みの実物が展示されている。小さなモノは、階下の倉庫に行って自分で台車に乗せ、同じ階の支払い場所で清算する。大きなものは、展示階の担当にその旨を伝え、書類に記入する。その後階下の支払い場所に行って清算すれば、モノが台車に載せられて運ばれてくる。(展示場からの連絡で、既に台車に乗っている)

私の場合、長椅子を据えるのが狭い居間である。搬入経路は、どう考えても玄関も勝手口も狭すぎて無理である。居間のガラス戸からも無理。すなわち、どこからも搬入は無理なのである。これがミソ。イケアの家具は、基本的に自分で組み立てるようになっている。買うときは分解された状態で買ってきて、自分で組み立てるのである。難しくはない。はなから丈夫で、いい意匠(デザイン)で、使いやすく、安価な家具を(貧乏人にも)、と言うイケアの企業理念が窺える。

寸法上は乗るハズ、であった。が、一抹の不安があり、展示階の担当(すらりと背の高い美人であった。まったく絵に描いたようなIKEAの社員であった。ああ、あと20歳も若ければ・・・^^;)にあらかじめ話しておいた。もし、私のロールスロイスに納まりきれなかったら配送を、と。また、ここでは支払いが終わった時点で、店員さんは一切手を貸してくれない。たとえモノが重くて車に乗せられないとしても、彼らは何もしてくれない。支払い場所に戻って泣く泣く大枚をはたいて配送を頼まねばばらない。
※実際、配送料は大きさや重量の割には高くない

私の長椅子は、幅220洋寸、奥行き88洋寸、高さ92洋寸である。組み立て前は、二つに分けて梱包されている。大きいほうが骨組みと洋座布団が入っており、長さが199洋寸。この長さが昇降機(エレベーター)に乗るかは、支払いのときにあらかじめ確かめておいた。大丈夫の由であった。重量は66洋貫(kg)ある。もうひとつの梱包は、長椅子の被い(カバー^^;)であり、これは重量、寸法とも問題なし。

駐車場までたどり着き、車の後部扉を開けて積み込みを開始したが、66洋貫は、ひとりで積み込むにはなんとも重い。私は、欲に駆られて頑張った。これが配送依頼となったら、1万少々余計に払わねばならなくなる。

イケアでは、もうひとつやらねばならぬことがある。ホットドッグを食うか、ミートボールを食うか・・・。
ホットドッグと珈琲で150円。ホットドッグは欧州のIKEAで食べた味とまったく同じで、妙にうれしく、かつ懐かしかった。好物の鰊の酢漬けも欲しかったが、高かった。

帰路は、懐かしい場所などに寄り道をしたかったが、車が曲がるたびに、積荷が左右に揺れてゴットンと穏やかではない。よってほぼまっすぐ来た道を帰った。暗くなる前に佐久に着いて、長椅子の組み立てをしたかったが、それは叶わなかった。

翌朝、荷物を車から出すのがまた大変だったが、結果はすべて良となった。

もとより欧州人の体格に合わせて設計されており、座面が平均的日本人には少し高い。深く掛けると踵が心もとない。寝そべって電気受像機(テレビ)を見たり、本を読むときは、肘掛がちょうど良い枕となる。三人掛けなので、横になれば頭からつま先まで真っ直ぐにして寝られる。自分で選んだ色もこの部屋に合っている。難も無くはないが、気に入っている。






2015年5月21日木曜日

野鳥貸家 お葬式

あれ?親鳥が巣箱に入ってゆかない。貸家の玄関から部屋を覗いて、そのまま去ってゆく。このようなことが繰り返され、大家である私は不審に思った。そのくちばしに芋虫はない。また、芋虫をくわえた父鳥か母鳥が来ても、近くの枝にとまって、いつまでも巣箱に入る様子は無い。

何があの中で起きたのか、また起きつつあるのか・・・。私は蛇を疑った。もしかして蛇が入ったのではないだろうか。蛇が雛をすべて丸呑みにした結果、狭い玄関から出られなくなったのではないだろうか。

それでも私は彼らの無事に一縷の望みをかけて二日間待った。その間に様々な推測が頭に去来する。例のオオスズメバチ?でもあの後、親鳥たちは普段どおりに芋虫(実際には芋虫だけではないだろうが)を運び続けた。スズメの特殊部隊がとうとうダイエットに成功して、あの狭い玄関から中に突入したか?

実は私の野鳥貸家はここだけではない。もうひとつ、庭の東にある木に、すばらしい外観と住み心地の貸家別館がある。これは佐久御用邸野鳥貸家意匠大賞を受賞した優れものである。(出品数2点、審査員・・・わ・た・し ^^;)この貸家にもシジュウカラの夫婦が入っていて、時々私は観察しているが、どうもいけない。親鳥が芋虫を運んでくるたびにスズメが彼らを脅しつけている。結果、それほど頻繁には親鳥がこなくなってしまった。心配である。それにつけてもスズメの凶暴なことよ。

今回、シジュウカラの営巣が失敗に終わったとしても、昨年の例から考えれば、再度誰かが私の貸家を訪れる可能性はある。私は、貸家清掃のため、これを木から下ろし、解体することにした。

蛇が中にいることが予想されるので、床板の螺子をはずした後、恐々隙間から中を覗いた。蛇はいなかった。そっと全開にすると、親鳥の雛たちへの愛が見えるような巣が現れた。床から5洋寸(cm)ほどびっしりと苔をしき、中央にまるく凹みを作って、そこに獣毛と思われる白いものが、これもびっしりと敷き詰められていた。

雛が二羽死んでいた。私の親指の先くらいの大きさになっていたが、目は開いていない。頭頂部に僅かだが、産毛が生えているだけ。肌色の小さな塊である。各々の頭部に大きな灰色の丸がふたつある。あと幾日もしないうちに、ここが開いて目となり、彼らはこの世の景色を見るはずであった。くちばしは、二羽ともうす黄色で、閉じていた。胃には何も入っていないようだ。

腐敗もせず、アリにもやられておらず、巣ごとゆすると意外にも彼らの頭は揺れた。揺れても、彼らの目が開くことは無く、くちばしも閉じたままだった。

ため息をひとつつき、私はショベルを持って、貸家のあった木の根元に小さな穴を掘り、そこに巣ごと彼らを埋葬した。

佐久御用邸でのお葬式はこれで二度目である。最初は、オオルリであった。二年ほども前だったろうか。見るも鮮やかな青い色をした、スズメより少し大きな鳥が、来客用の部屋の窓の外に横たわっていた。おそらく窓の硝子にぶつかり、首の骨でも折ったのだろう。死んでなおその青色は鮮やかだった。
台所から調理用の紙(kitchen paper)を持ってきて包み、庭の片隅に穴を掘って埋葬した。
(墓標も建てたように思うが、既にそれは無く、場所もどこかは忘れた。これでいいのだ。)

貸家の中を刷毛で掃除をしながら、はたと思い至ったことがあった。今、お隣のS邸ではご主人が、薪小屋の改修中で、屋根に上って電動螺旋回し(impact driver)を使っている。大きな音である。そう言えば、昨年の初夏、シジュウカラの営巣中にS氏が、刈り払い機で雑草を刈りながら巣の近くまで来た。私は事情を話してその作業を中断して頂いたのであった。

これだ。我が野鳥貸家からお隣の薪小屋までは、ほんの5~6洋尺(m)である。ここ数日この作業が続いていた。雛たちの胃が空だったのはこれで説明がつく。残念だが、しようがない。

お隣の薪小屋改修工事は二期目の最終段階にある。これから私は野鳥貸家に若干の改装を加えて、また木に戻すつもりである。野鳥たちよ、たくましくあれ、と願いつつ。

佐久御用邸野鳥貸家意匠大賞受賞 野鳥貸家別館

2015年5月15日金曜日

野鳥貸家 大変だー

昨日「野鳥貸家 2」を上梓(?)し終わってすぐのことであった。寝室の窓から貸家を眺めていたら、大きな蜂が飛んできてその玄関にとまった。

私は、ここ数日の間、近所でオオスズメバチを複数回目撃している。少し大袈裟に言えば、その大きさは私の親指に羽を付けたほど大きい。周囲を威嚇するかのように羽音を響かせて飛び回っている。獲物を探しているのか、また巣となる場所を物色しているのかは知らない。

昨年はキイロスズメバチが近くの舗装路にある四角いマンホールの穴に巣を作り、お隣のS氏が別荘の管理会社に連絡、ほどなく殺虫スプレーですべて退治された。一昨年はそのS邸の軒下に直径50洋寸(センチメーター)ほどの見事な巣を作り、近所を怖がらせた。(蜂たちが出て行った後に、昨年スズメが巣を作ったことは前回の「野鳥貸家 シジュウカラ先生、スズメ先生」に書いた)

件(くだん)のスズメバチは、貸家の玄関から中を覗いている。緊急事態ハッセイ。私は大急ぎで居間にあった双眼鏡を手に戻って、それを目にあてた。まだ中を覗いている。私は、早くシジュウカラの親が戻って来、この事態の回避されることを願った。心の中で、早く、早くと、もどかしく思っていたら、ついにスズメバチは貸家の中に入ってしまった。

生き物に獰猛なものなど無い。人食いザメだって、キングコブラだって獰猛なわけは無い。言葉と言うものは人間の発明なので、人間の都合で勝手に使う。ロットワイラーだって、コモドドラゴンだって凶暴なわけは無いのだ。動物界に例外はただ二種、人類とオオスズメバチである。我が野鳥貸家に押し入った暴漢は、オオスズメバチに違いない。

獰猛、残忍かつ凶暴凶悪なオオスズメバチの武器は、強力な毒針とあごらしい。孵化直後のシジュウカラの雛など、彼らから見れば、おいしそうなご馳走に違いない。雛はまだ羽毛もそろわず、動きもままならないはず。目も開かず、大きな黄色い口ばしで親鳥にエサをねだるだけの存在である。今なら大きさもスズメバチと大差ないだろう。私の脳裏には貸家の中の惨劇が浮かぶ。オオスズメバチは、無抵抗な雛に毒針を使う必要はない。いきなりあの強力な大あごで、雛を自分が巣に運べる大きさに噛み切るに違いない。

やきもきしている時の時間の長さと言うものは、それは長く感じる。実際それでも数分は経ったであろうか。一羽の親鳥がエサをくわえて帰ってきた。それがオスなのかメスなのかはわからない。胸前のネクタイの太いのがオス、細いのがメスだと言う。ただ、大家としては、ツガイがそろった時でなければ比較判別は難しい。ともかく一羽帰ってきた。玄関の前の枝にとまり、周囲を窺っている。これはいつもの行動である。私は、一秒も早く中に入って雛たちを救ってくれるよう願ったのだが。

数秒の後、親鳥がエサをくわえたまま玄関から中を覗いた。中の異常に気が付いたのだろう、すぐには入らない。やがて親鳥は玄関を離れ、近くの枝にとまった。エサはまだくちばしにある。それなりに考えている様子が窺える。

野鳥貸家の大家は考えた。あの狭い空間で、シジュウカラがオオスズメバチと戦って勝てるものだろうか・・・。大あごはともかく、オオスズメバチの毒針を受けたらシジュウカラは助からないだろうと思う。

長考の後、意を決して親鳥は巣の中に入っていった。中で何が起きているのかはまったくわからない。勝負は一瞬でつくのではないだろうか。もし、シジュウカラがハチとの戦いに慣れていて、毒針をうまくかわすことができれば、勝算は大きい。

ヤマガラが直接私の手からヒマワリのタネをもってゆくことは以前書いた。以来私は、時としてヒマワリのタネを掌中に隠してヤマガラを誘う。彼らはやってきて、私の手のひらを調べ、わずかに見えているヒマワリのタネを引っ張り出そうとする。これに失敗すると、タネを隠している私の指を突っつき始めるのだ。飛び上がるほど痛いわけではないが、それでもよく見てみると、ついばまれたところに小さく血が滲んでいるのだ。(下の動画をドウガ見てください^^;)

彼らの「つっつき」はそれほど強力である。シジュウカラもこの点は同じはずである。オオスズメバチといえども、毒針さえかわせれば、何ほどのことがあろうか。

数分の後、親鳥が玄関から出てきた。無事な親鳥を見て、私はほっとしたが、そのくちばしにオオスズメバチはない。確か、ハチは死んでも、しばらくは針の機能は生きていると聞いた。大丈夫なのだろうか。

今日も我が野鳥貸家の店子たちは元気に巣箱にエサを運んでいる。よかった・・・。


             数年前に撮ったオオスズメバチの死骸写真。私の人差し指と比較されたい。



                    おまけ・・・ヒマワリのタネを手のひらの中に隠し、ヤマガラに・・・。