2015年5月21日木曜日

野鳥貸家 お葬式

あれ?親鳥が巣箱に入ってゆかない。貸家の玄関から部屋を覗いて、そのまま去ってゆく。このようなことが繰り返され、大家である私は不審に思った。そのくちばしに芋虫はない。また、芋虫をくわえた父鳥か母鳥が来ても、近くの枝にとまって、いつまでも巣箱に入る様子は無い。

何があの中で起きたのか、また起きつつあるのか・・・。私は蛇を疑った。もしかして蛇が入ったのではないだろうか。蛇が雛をすべて丸呑みにした結果、狭い玄関から出られなくなったのではないだろうか。

それでも私は彼らの無事に一縷の望みをかけて二日間待った。その間に様々な推測が頭に去来する。例のオオスズメバチ?でもあの後、親鳥たちは普段どおりに芋虫(実際には芋虫だけではないだろうが)を運び続けた。スズメの特殊部隊がとうとうダイエットに成功して、あの狭い玄関から中に突入したか?

実は私の野鳥貸家はここだけではない。もうひとつ、庭の東にある木に、すばらしい外観と住み心地の貸家別館がある。これは佐久御用邸野鳥貸家意匠大賞を受賞した優れものである。(出品数2点、審査員・・・わ・た・し ^^;)この貸家にもシジュウカラの夫婦が入っていて、時々私は観察しているが、どうもいけない。親鳥が芋虫を運んでくるたびにスズメが彼らを脅しつけている。結果、それほど頻繁には親鳥がこなくなってしまった。心配である。それにつけてもスズメの凶暴なことよ。

今回、シジュウカラの営巣が失敗に終わったとしても、昨年の例から考えれば、再度誰かが私の貸家を訪れる可能性はある。私は、貸家清掃のため、これを木から下ろし、解体することにした。

蛇が中にいることが予想されるので、床板の螺子をはずした後、恐々隙間から中を覗いた。蛇はいなかった。そっと全開にすると、親鳥の雛たちへの愛が見えるような巣が現れた。床から5洋寸(cm)ほどびっしりと苔をしき、中央にまるく凹みを作って、そこに獣毛と思われる白いものが、これもびっしりと敷き詰められていた。

雛が二羽死んでいた。私の親指の先くらいの大きさになっていたが、目は開いていない。頭頂部に僅かだが、産毛が生えているだけ。肌色の小さな塊である。各々の頭部に大きな灰色の丸がふたつある。あと幾日もしないうちに、ここが開いて目となり、彼らはこの世の景色を見るはずであった。くちばしは、二羽ともうす黄色で、閉じていた。胃には何も入っていないようだ。

腐敗もせず、アリにもやられておらず、巣ごとゆすると意外にも彼らの頭は揺れた。揺れても、彼らの目が開くことは無く、くちばしも閉じたままだった。

ため息をひとつつき、私はショベルを持って、貸家のあった木の根元に小さな穴を掘り、そこに巣ごと彼らを埋葬した。

佐久御用邸でのお葬式はこれで二度目である。最初は、オオルリであった。二年ほども前だったろうか。見るも鮮やかな青い色をした、スズメより少し大きな鳥が、来客用の部屋の窓の外に横たわっていた。おそらく窓の硝子にぶつかり、首の骨でも折ったのだろう。死んでなおその青色は鮮やかだった。
台所から調理用の紙(kitchen paper)を持ってきて包み、庭の片隅に穴を掘って埋葬した。
(墓標も建てたように思うが、既にそれは無く、場所もどこかは忘れた。これでいいのだ。)

貸家の中を刷毛で掃除をしながら、はたと思い至ったことがあった。今、お隣のS邸ではご主人が、薪小屋の改修中で、屋根に上って電動螺旋回し(impact driver)を使っている。大きな音である。そう言えば、昨年の初夏、シジュウカラの営巣中にS氏が、刈り払い機で雑草を刈りながら巣の近くまで来た。私は事情を話してその作業を中断して頂いたのであった。

これだ。我が野鳥貸家からお隣の薪小屋までは、ほんの5~6洋尺(m)である。ここ数日この作業が続いていた。雛たちの胃が空だったのはこれで説明がつく。残念だが、しようがない。

お隣の薪小屋改修工事は二期目の最終段階にある。これから私は野鳥貸家に若干の改装を加えて、また木に戻すつもりである。野鳥たちよ、たくましくあれ、と願いつつ。

佐久御用邸野鳥貸家意匠大賞受賞 野鳥貸家別館

2015年5月15日金曜日

野鳥貸家 大変だー

昨日「野鳥貸家 2」を上梓(?)し終わってすぐのことであった。寝室の窓から貸家を眺めていたら、大きな蜂が飛んできてその玄関にとまった。

私は、ここ数日の間、近所でオオスズメバチを複数回目撃している。少し大袈裟に言えば、その大きさは私の親指に羽を付けたほど大きい。周囲を威嚇するかのように羽音を響かせて飛び回っている。獲物を探しているのか、また巣となる場所を物色しているのかは知らない。

昨年はキイロスズメバチが近くの舗装路にある四角いマンホールの穴に巣を作り、お隣のS氏が別荘の管理会社に連絡、ほどなく殺虫スプレーですべて退治された。一昨年はそのS邸の軒下に直径50洋寸(センチメーター)ほどの見事な巣を作り、近所を怖がらせた。(蜂たちが出て行った後に、昨年スズメが巣を作ったことは前回の「野鳥貸家 シジュウカラ先生、スズメ先生」に書いた)

件(くだん)のスズメバチは、貸家の玄関から中を覗いている。緊急事態ハッセイ。私は大急ぎで居間にあった双眼鏡を手に戻って、それを目にあてた。まだ中を覗いている。私は、早くシジュウカラの親が戻って来、この事態の回避されることを願った。心の中で、早く、早くと、もどかしく思っていたら、ついにスズメバチは貸家の中に入ってしまった。

生き物に獰猛なものなど無い。人食いザメだって、キングコブラだって獰猛なわけは無い。言葉と言うものは人間の発明なので、人間の都合で勝手に使う。ロットワイラーだって、コモドドラゴンだって凶暴なわけは無いのだ。動物界に例外はただ二種、人類とオオスズメバチである。我が野鳥貸家に押し入った暴漢は、オオスズメバチに違いない。

獰猛、残忍かつ凶暴凶悪なオオスズメバチの武器は、強力な毒針とあごらしい。孵化直後のシジュウカラの雛など、彼らから見れば、おいしそうなご馳走に違いない。雛はまだ羽毛もそろわず、動きもままならないはず。目も開かず、大きな黄色い口ばしで親鳥にエサをねだるだけの存在である。今なら大きさもスズメバチと大差ないだろう。私の脳裏には貸家の中の惨劇が浮かぶ。オオスズメバチは、無抵抗な雛に毒針を使う必要はない。いきなりあの強力な大あごで、雛を自分が巣に運べる大きさに噛み切るに違いない。

やきもきしている時の時間の長さと言うものは、それは長く感じる。実際それでも数分は経ったであろうか。一羽の親鳥がエサをくわえて帰ってきた。それがオスなのかメスなのかはわからない。胸前のネクタイの太いのがオス、細いのがメスだと言う。ただ、大家としては、ツガイがそろった時でなければ比較判別は難しい。ともかく一羽帰ってきた。玄関の前の枝にとまり、周囲を窺っている。これはいつもの行動である。私は、一秒も早く中に入って雛たちを救ってくれるよう願ったのだが。

数秒の後、親鳥がエサをくわえたまま玄関から中を覗いた。中の異常に気が付いたのだろう、すぐには入らない。やがて親鳥は玄関を離れ、近くの枝にとまった。エサはまだくちばしにある。それなりに考えている様子が窺える。

野鳥貸家の大家は考えた。あの狭い空間で、シジュウカラがオオスズメバチと戦って勝てるものだろうか・・・。大あごはともかく、オオスズメバチの毒針を受けたらシジュウカラは助からないだろうと思う。

長考の後、意を決して親鳥は巣の中に入っていった。中で何が起きているのかはまったくわからない。勝負は一瞬でつくのではないだろうか。もし、シジュウカラがハチとの戦いに慣れていて、毒針をうまくかわすことができれば、勝算は大きい。

ヤマガラが直接私の手からヒマワリのタネをもってゆくことは以前書いた。以来私は、時としてヒマワリのタネを掌中に隠してヤマガラを誘う。彼らはやってきて、私の手のひらを調べ、わずかに見えているヒマワリのタネを引っ張り出そうとする。これに失敗すると、タネを隠している私の指を突っつき始めるのだ。飛び上がるほど痛いわけではないが、それでもよく見てみると、ついばまれたところに小さく血が滲んでいるのだ。(下の動画をドウガ見てください^^;)

彼らの「つっつき」はそれほど強力である。シジュウカラもこの点は同じはずである。オオスズメバチといえども、毒針さえかわせれば、何ほどのことがあろうか。

数分の後、親鳥が玄関から出てきた。無事な親鳥を見て、私はほっとしたが、そのくちばしにオオスズメバチはない。確か、ハチは死んでも、しばらくは針の機能は生きていると聞いた。大丈夫なのだろうか。

今日も我が野鳥貸家の店子たちは元気に巣箱にエサを運んでいる。よかった・・・。


             数年前に撮ったオオスズメバチの死骸写真。私の人差し指と比較されたい。



                    おまけ・・・ヒマワリのタネを手のひらの中に隠し、ヤマガラに・・・。



2015年5月14日木曜日

野鳥貸家 2

ここ佐久の御用邸も一昨日の台風を無事やリ過ごして、今日は文字通り初夏の好日となった。

2週間ほど前に、南にあった薪小屋を解体した。幾星霜と言えば大げさだが、数年の間薪小屋として使ってきたが、ついにその役目を終えた。屋根材を安く上げるために、色々工夫を重ねたが、限界を超えた。雨漏りが激しく、用をなさない。

金属や樹脂製の波トタンを張ればよかったのだが、農業用のマルチと呼ばれる真っ黒な薄いシートを張った。使い古しの合板の屋根に、雨さえ防げればよいのだとこれを張った。数ヶ月の洋行から帰って私が見たものは、切れ切れになって風にたなびくマルチの無残な姿だった。元より骨組みもまったくの有り合わせで作った。薪が一杯に入っているときは、薪と天井の間に車用のジャッキをかませて屋根を支えた。小屋が傾き始めるとそこいらにあった太目の木の枝などでつっかえ棒をしており、見苦しさでは天下の一級品であった。

一昨年の1mに近い積雪や、あまたの台風にも耐えて来たのだが、取り壊しを決行した。とは言え、近いうちに薪小屋を兼ねたあずま屋を建てようと思っている。優美にして堅牢、安価にして便利なものにするつもりである。中に手作りの木製の椅子と食卓を置いて、お茶を飲んだり、野鳥を観察したりするのである。

そう言えば、今年も野鳥貸家に店子(たなこ)が戻ってきた。昨年と同じくシジュウカラである。貸家は昨年のうちに分解清掃しておいたものだが、今年はやけにスズメが我が野鳥貸家に固執していた。スズメは入れない玄関にしておいたはずだが、ついには出入りを始めた。(彼らダイエットでもしたのだろうか@@)玄関の寸法は昨年と同じはずであるのに・・・。

あまりのスズメの図々しさに私は重い腰を上げた。四角い合板の真ん中をくり貫き、玄関の寸法を28mmから27mmほどに狭めて塗料を塗り螺子でとめた。これからがおかしかった。スズメが昨日と同じように我が貸家に入ろうと頭を入れる。が、それ以上胴体は入らない。どうしても入らない。何回も試みるのだが、入らない。同じスズメかはわからない。でも、これを彼らは日中何回も繰り返したのである。私は見ていた。おかしさと、ザマーミロと、少しの同情をもって観ていたのである。

実際この1mm前後の間の寸法が彼らには大きいのである。やって来たシジュウカラにもこの寸法は狭いらしく、しきりに間口を広げようと、キツツキのようにコンコンやっていた。気の毒におもうが、仕方なし。

つい数日前よりシジュウカラのつがいが交互に出入りをするようになった。シジュウカラはメスだけが巣作りをするそうで、オスメスが交互に出入りをするということは、既に中に卵があり、孵化しているということである。先ほど双眼鏡で覗いてみたら、どちらも口ばしに虫をくわえている。

一方、庭の東にかけた巣箱には誰も借り手が現れない。冬の間、シジュウカラとスズメが交互に訪れていたが・・・。(こちらはスズメは入れなかった)この玄関の寸法だと利用できるのは、シジュウカラ、コガラ、それにヒガラのみだと思われる。これ以上小さな野鳥は日本にはいないらしい。

なにか他にも書くことがあったような気がするが、思い出せない。

いつも私のブログを読んで下さっている海外と日本の方々、頑張ってください。そして頑張らないで下さい。

                (あら、怪しいオヤジが見てるわ。気をつけなきゃ)


2015年4月3日金曜日

木を伐る

我が領地の、道を挟んだ南側には雑木林があって、持ち主はいるのだが、一向かまう気配はない。日本がバブル景気に沸いた頃、投資目的か、あるいは本当に別荘を建てるつもりだったのか、いづれにせよ大枚をはたいて買った土地のはずである。2~30年前の話しである。

当時このあたりは、相当な値段だった筈で、それでも人気があって申込者を抽選で絞っていたと聞く。今は当時の値段の4分の一くらいまで下落し、そのお陰を蒙って私のような貧乏人が、土地を買って家を建てることができた。

新幹線の駅から20分少々。が、山中にあるので車は必須で、日常の買い物、用足しなどは必ずしも便利とは言えない。しかしながら、定住者は意外と多い。多くは年配者たちであるが、それはこの町に、町の規模に似合わない病院がいくつもあるからかも知れない。

大雑把に言って、数ある区画の三分の二くらいは空き地のままで、多くはまったく手入れがされていない。これらは荒れ放題の薮になり、雑木林となる。そう、我が家の南の土地がまさにそれなのである。正確にはわからないが、おそらくは楢、もしくはその類の大木が数本、そして無数の潅木が繁茂して、私の大切な日差しと景色を遮っている。

一昨年のある時、私は正当な苦情と、多少の下心を持って別荘の管理会社を訪ねた。南側の土地の木々が伸びすぎて、我が領土に来るべく日差しが遮られ、見えるはずの絶景が見えないと苦情を申し込んだ。土地の所有者にしっかり管理をするよう促して欲しいと。土地の所有者とは直接は接触はできない。管理会社が先方の連絡先を教えてくれるはずはないからだ。

私は、土地の所有者と管理会社を通じて何度も連絡をとる面倒を避けるために、あらかじめ計画を練っていた。すなわち、

「そちらの管理不行き届きで、こちらが痛く迷惑を蒙っている。しっかり管理すべく、責任を果たしてしていただきたい。ついては高く伸びた雑木を伐って頂きたい。もし、そちらで伐採をしないなら、こちらでその労をとるも吝(やぶさ)かではない。しかし、これによって生じた木材はこちらで適宜処理するが如何?」

と。結果、私に伐採して下さい。それによって生じた木々も私が処理してもかまわない。あの土地にこれ以上お金を掛けるつもりはない。これが管理会社から来た先方の返答であった。

かくして私は庭に有り余る日の光と、近場から約2冬分の薪を調達することとなった。

伐採と言う作業は、傍目で見るよりはるかに危険で困難である。すぐそばに電線が通っている。(万が一、これを切断するようなことがあれば、私はその晩のうちに持てるだけの荷物を車に積んで、忍び足でどこかへ引っ越して行くであろう)

楢(ナラ)や樫、椚(クヌギ)や欅(ケヤキ)など、良い薪材になる樹種は重い。おまけに、枝が好き放題の方向に伸びるので、ただ伐れば、その倒れる方向はまったく予想がつかない。この下敷きになれば、重傷を負うか、死ぬ可能性も高い。私が伐ろうとしている木々は一本何トンの代物だからだ。

ある日、頼んだわけでもないのに、近所の業者が来て、伐採の見積もりをさせろと言う。どうやら管理会社の担当とつるんでいるらしい。具体的金額を示されたが、それは決して高いものではなかった。私は金も惜しかったが、それよりも自分自身で伐採をやって見たかった。当然断った。自分でやってみてだめだったらその時に頼めば良いと思った。

伐採計画を実行に移し始めたのは昨年の秋である。原付鎖回転鋸(娑婆ではチェーンソーと言う)を買った。今まで使っていたものは、原動機の排気量が小さく、おまけに寄る年波で調子が悪かった。

ひとところに生えている木々を伐採するには効率的で安全な順番と言うものがある。ただむやみに伐れば、掛木(かかりぎ)と言って、伐採した木が他の木にもたれて、完全に倒れない場合がある。これの処理は非常に危険らしい。私が今持っている装備、つまりチェーンソーやロープなどだが、これでは足りない。かと言って梯子や安全帯(命綱付きのベルト)などは買っても元が取れない。幸いなことにお隣のSさんがこれらを貸してくれた。

考える日々が続いた。我が領地からその雑木林までは徒歩で3秒である。時々珈琲をもって林の中に立ち、案を練った。素人にできる最善の伐採は、木に登って上から少しずつチョキチョキ伐ってくることである。高いところは怖い。しかし、一番恐れることは、根元からいきなり伐って、電線を切断することである。

木を思った方向に倒すには、二つ方法がある。ひとつはロープで引っぱっておくこと。もうひとつは鋸を入れる際、倒したい方向にパックマンの口のように切れ目(受け口)を入れ、次にその反対側から鋸を入れる(追い口)。倒そうとする木が直立して尚且つ枝振りが均一で風がなければ、理屈上は、この方法でうまく行く。ところが、現実はかなり複雑で危険を伴う。

ひとり作業は効率が悪いだけでなく、危険である。が、やむを得ない。かなりの高さまで登り、ロープを結び、降りてその端を倒したい方向にある別の木に結ぶ。(逆に言えば、倒したくない方向に木が倒れるのを防止する策である)方向を見定めて受け口を切る。次第に心臓の鼓動が早くなる。アドレナリンが出ているな、と思う。追い口を切り始める。万が一を想定して逃げる方向も考えておく。口の中がからからに乾いている。水平に切っているつもりでも、受け口に近づくにつれ、刃先が下がる。このまま行けば受け口より追い口が下になり、木が逆方向に倒れるかもしれない。やり直しは危ないかもしれない。どうする・・・。

ほぼ狙い通り。うまくいった。軽い地響きを感じた。ほっとするあまり、高揚感とでも言うような、体が宙に浮くような感じがした。一本目を倒して自信を持ったのならいいが、私は伐採がこんなに大変なら、後は業者に頼もうかと思った。

後始末も大変である。薪にならない小さな枝はまとめて一箇所に集める。倒した木を玉切る(ストーブに入る長さに切ること)。玉切った木を我が愛車(二輪車)に積んで庭に運ぶ。楢の木は直径5~60cm、長さ40cmくらいで、その重量はおそらく50kg以上にはなる。愛車には一個しか載らない。薪割り機などないので、斧で割る。硬い木は一筋縄ではいかない。

気がつけば全身汗みずくである。薪ストーブの季節は終わったと言うのに、もう来期の心配をしている。

                     写真 伐採中の筆者




2015年2月6日金曜日

月下の雪キツネ

二日前の晩のことだった。満月だった。庭は、すっかり根雪に覆われて一面の白であった。月の光を反射してのことで、明るさは昼のそれとはまったく別の種類のものであった。居間の電気を消し、ガラス戸を通してみるその空間は、冷え切った大気に暗い透明な青を溶かし込んだような色合いに見えた。

早めに寝室に入り、読みかけの本を開いたが、数行読む間もなくまぶたが重くなった。本を枕元に置き、すぐに寝入ることができそうだった。湯を早めに浴びたので、体が冷え始めてでもいたのだろうか、実際にはなかなか眠りはやってこなかった。気長にまぶたを閉じていた。

ようやくそれが訪れようとしていたときに、外から甲高いけものの声が聞こえてきた。

ここに越してきて以来、寝る前に時々庭に餌をほおっておく。それは、ニンジンであったり、リンゴの芯であったり、古くなった鶏肉だったりした。そしてある時はテンが、ある時は狸が、リスが、ネコがやってきた。

ああ、外に何かが来ているなと、鈍くなった意識の中で思った。眠気を易々と払いのけ、上半身を起こした。そのままカーテンをそっと開けると、ベランダの向こうにキツネが来ていた。先ほどガラス戸から投げた古くなった菓子パンを漁っている。もうあの妙に甲高い声は、あげていない。明るい満月の雪原とは言え、逆光になっているので、キツネの黒い影はただ雪にじゃれついているようにも見える。

南東の浅い方角に大きな、寒々とした黄色い月があり、白い雪の庭には木々の陰が落ちて交差している。その中に一尾のキツネの影が無心に餌を食べている。

キツネと話がしてみたかった。

部屋の中から窓ガラスを小さくたたいた。キツネは気がつかない。少し大きくたたいた。キツネは一瞬間、辺りを見回したが、すぐに食事に戻った。

私は、心の中でキツネにお休みを言ってまた布団をかぶった。

                ※ 写真は今撮ったものです。






2014年11月15日土曜日

商売、ショーバイ!

腰が痛いので、整形外科に行った。レントゲン写真を見ながら医者が言った。「椎間板ヘルニアですね。切れば治りますよ」

次に薬屋に行った。症状を聞いて薬剤師(?白衣を着た人)は言った。「ああ、シップ薬を貼ってこの薬を1ヶ月飲めば治りますよ」

そして指圧に行った。気持ちが良かった。で、指圧師曰く、「当分通ってください」と。

心理学に通じている人のところに行った。「これは子供のときのトラウマが原因です。うちのワークショップを受講すれば治ります」

ある宗教に行った。「4代前の因縁が祟っているので、お祓いをすれば治ります」

法律事務所に行った。弁護士曰く、「腰椎の3番を告訴しましょう」。


どの「先生」方も悪気はないのだろうが、かといって真剣にこちらの治療をしようとするふうには見えない。患者が治ろうが治るまいが、症状が自分の持分に関係あろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。金儲けのタネになればいい。治らなくても私に金は戻ってこない。儲けるか、儲けられるかの世の中なのである。

それにしても、この話し、どこかあの話しに似ている。そう、私が以前書いた「誰が象を見たか」である。これによると、各先生方は私の腰痛と言う症状を自分の都合でしか見ていないことになる。それぞれ一面の真理はあるかもしれないが、これさえやれば私の腰痛は治る、そんなものなどないのではないか。ただ彼らは自分のやり方を自分の都合に合わせて説明をするだけなのだ。説明とは、それが正しいからといって事の真理を網羅したことにはならない。

象とは壁のようなものだ、とか、いや象とは柱のようなものだ、と自信を持って言う人ほど進歩はなく、道を過つのだ。


2014年9月3日水曜日

だんご三兄弟を偲ぶ

昔のこととて、何故の帰国だったか・・・忘れた。あの頃、私の両親はそれほど元気であったわけではないが、病気で呼び返されるほどのこともなかったように思う。とにかくアイルランドから一時帰国した。春先だったと記憶しているが、食料雑貨店(スーパー)に行くとだんご三兄弟と言う曲がかかっており、大流行だった。

いま電子頭脳網で調べれば、これの流行は1999年とある。私が隠れ家を整理して日本を脱出したのがこの年で、幾月も経たないうちに帰国したわけはないので、これは2000年頃だったのではないかと思う。実家と言っても生まれ育った町ではないので、(勤め人だった父が東京転勤を機に埼玉に家を建てた)帰ったところで家族以外誰と会うこともない。そして自分のいない間に日本で意外なものが流行ったり、事件が起きたりしている。

取り残されたような孤独感と、欧州帰りという根拠のない不思議な優越感がない混ぜになって私の心に去来した。電車に乗れば通勤や通学の人々の姿が珍しく、車内の吊広告が不思議だった。もちろん言葉はわかるのだが、誇張すれば異空間に放り込まれたような、掴みどころのない心持であった。母国とはいえ落ち着かない。実家とはいえ、落ち着かなかった。一週間ほどの「滞在」を終えてダブリン空港に降り立ったときは心底ほっとしたものである。

流行(はやり)の期間は短い。人々は常に移り気で、新しいモノを求める。電気受像機(テレビ)は視聴者を脅かしたり、なだめたりして新商品を売り込む。流行とは消耗品で、だんご三兄弟もあっという間に忘れ去られた。

私は、だんご三兄弟の流行に特別な意味があったとは思わない。しかし、いま我が家にある、グースベリーの幼木がこれを思い出させるのだ。

先日「グースベリーに救われて」と言う記事を書いたが、蒔いた種数十のうち、最終的に発芽したのは6つだけであった。各個発芽の時期が随分ずれており、もう出ないだろうと思ってしばらくして最後の芽がでた。いわば末っ子の6男である(名前はまだない^^;)。

牛乳パックを縦に半分に切って挿し木用の土を入れて、いそいそと種を蒔いた。毎日水をやり、声を掛けた。待って待って待った。諦めかけたときにひとつだけ弱弱しく土から頭をもたげた。長男誕生である。これがどれほど嬉しかったかは「グースベリーに救われて」をお読みいただきたい。

次男が来ることは期待していなかった。数十粒の種の一つだけが発芽した。これが私には暗示的だったのである。それでも次男の誕生(?)は嬉しかった。それからもこの兄弟は私に時間差攻撃を仕掛けて来、今日現在まで計6つが発芽し、無事育っているのが5つである。

私は彼らを独立した立派なグースベリーに育てるために、それぞれにひとつずつ牛乳パックの鉢を与え、朝な夕なに水をやりながら声を掛けた。「お前たち、早く大きくなって私のためだけに社会のために立派な実をたくさんつけるのだぞ」

ある朝、勝手口の給湯釜の上に置いてあった彼らに、朝の挨拶と水やりをしようとして気がついた。4男の小さな葉が・・・鉢の土の上に散っている。茎はみあたらない。夜中に虫にでもやられたのだろうか?他は無事なのだが。

謎の4男殺人事件の後しばらくして後に5男がこの世に生を受ける。5男は産後の肥立ちが悪く、時がたってもなかなか大きくならない。他の子たちは発芽後はわりとすくすくと大きくなったが、5男は丈も一向に伸びない。原因はわからない。そのうちに再々々々々度期せずして6男が生まれた。同じ日に蒔いた種なのに、随分の時間差発芽である。思うにこれも彼らの生物としてのある種の生き残り戦略であろう。とにかく生まれた。これが最初から5男よりたくましいのだった。

グースベリーに「蒲柳の質」があるかどうかは知らないが、5男はひ弱で運が悪い。先日いつものように朝の挨拶をしようと一人ひとり見ていったら、5男にナメクジが付いていた。大事に育てている私の息子に・・・!!!私は桃太郎侍超人ハルクになった気がした。台所から割り箸を持ってきてナメクジを逮捕し、職権により、その場でひねりつぶしの刑に処した。(人とは勝手で残酷な生き物ですねぇ)

そういう訳で今日9月3日現在、グースベリー兄弟は5人になってしまったが、みな元気である。秋になったら彼らを地面に植えてやらなければならないが、果たして寒い冬を生き延びられるのやら、今から心配している親ばかである。さても人間とは・・・。

 画面左から長男、次男、三男、そして五男と六男はおなじ鉢