ちょっと前に友人から大陸の方では(欧州大陸のことです)、夏らしい天気になったという便りがあった。それなのにここスコットランドでは冬ほどではないにしろ朝晩の暖房は欠かせない。外出もいつ寒くなるかわからないし、雨も頻繁に降るので長袖や雨具は必需品である。こんな気候でも赤や黄色、そして紫や白の花々が咲き乱れ、りんごの実は確実に大きくなってゆく。
友人から芝刈り機が壊れたので見て欲しいと頼まれ、片道40分ほどをかけてのんびりと歩いていった。広大な牧草地と森があり、その中に農家が点在する。道路脇には新しい家がポツポツと建っている。珍しく晴れて、お互いを引き立てるように青い空とそれを背景に白い雲がところどころに浮かんでいる。
門柱があってすぐその内側にマッチ箱ほどの家がある。きれいに建て替えられてはいるが、これはこの辺りの大地主の門番小屋だったものだろう。奥に続く道は木々がトンネルのように覆いかぶさり、さらにゆるく曲がっていて表から母屋は見渡せないようになっている。機会あってそのひとつに滞在したことがある。大地主の館であったであろう古い建物にはいくつ寝室があるかわからないほどで、屋根裏は物置になっており、日本の骨董屋が見たらそわそわと手もみをしそうな古い家具や道具類が埃をかぶったまま眠りについていた。食堂には堂々としたテーブルや椅子が置いてあり、庭を見渡せる窓には今でさえ高価であろう曲面硝子がはまっていて、よく見ると表面が歪んでいたりわずかな気泡があったりで相当古いものであることが想像されるのだった。外には使用人達が寝起きしていたと思われる粗末なレンガ造りの建物があり、これはそのまま納屋に続いていた。
道は続く。歩道は途中でなくなって、やむを得ず車道を歩くのだが、こちらでは集落をすぎると車はスピード無制限が普通であり、危ないことこの上なし。車同士がすれ違うときなど私がいるせいで右を走っている車は左の車が行き過ぎるのを待たねばならない。気の毒なので道から外れて草むらの中に立ち、車をやり過ごすと行儀がいい、大半はしっかり手を上げてありがとうの合図を送ってくれる。
この様にみんなちょっとだけ譲り合って生きれば世の中は過ごしやすくなりだろうに、と思う。現実は逆で、多くの人が少しでも自分の都合の良いように物事を持って行きたがる。その「少し」が人口分だけ重なって地球を住みづらくする。他の生き物にも迷惑をかける。結局は自分にそれがふりかかってくる。
「いかに生きるか」を学ぶことは学校で算数や国語を勉強することよりもっと大事なことなのに・・・。
「いかに生きるか」の前には省略されている言葉がある。すなわち生き物として、動物として、人間として、日本人として、男(女)として、大人として、みっちーとして「いかに生きるか」などである。これらひとつひとつを論じるのは大事なことなのだが、中でも「人間としていかに生きるべきか」は基本であり大層な問題のはずだ。ただ本能(欲)にしたがって生きるのであればそれは別にサルでも構わないはずだ。しかし、サルはサルらしく、人間は人間らしく生きるのがスジというもので、そのためには「人間とは」を明らかにしなければならない。
世の中には「欲」にしたがって生きる人が多い。私たちは「欲」無くしてはこの体を永らえることは叶わない。しかしながら、制御のない「欲」にしたがって生きるのであれば前述のとおりサルでも構わないはずである。サルは「欲」に従って生きても他の動植物に迷惑をかけることはない。人間は「欲」を制御しながらでなければ生きてはいけないのである。人間が関わって絶滅に追いやられた種は多い。人間はその無制御な「欲」によって自らをも絶滅の危機に追いやりつつある。
この記事は書きかけのまま放置されていたもので、まだ完成していませんが苦し紛れに発表いたしますです、ハイ。写真はスコットランドの田園風景
2012年7月28日土曜日
2012年7月5日木曜日
語りえぬもの、とは。(読まないほうがいいです。自信アリます ^^; )
ある偉い哲学者が、「語りえぬものについては沈黙をしなければならない」と言ったそうな。数千年にも及ぶ人類の哲学の積み重ねを、ある意味すべてぶっ壊してしまいそうな言葉なのである。
かつて私は、その哲学者が唯一残した著作を齧ろうと試みたが、伊賀のせんべいを上回る難物で、数行で放棄せざるを得なかった。その難(かた)さに対抗するには、私の頭はあまりにも軟弱で、まったく歯がたたなかった。なべて哲学たるもの実用的であらねばならぬ、というのが私の持論である。彼の残した思索のどこが実用的なのかは未だわからない。が、読書百遍意自ずから通ず、である。ちと面白い。
若かりし頃、つまり数年前のことだが(・・・・?)、宗教を研究した。わかったことは宗教は跳躍ができ、哲学はそれが出来ないということだ。宗教は「こういう神様がいるんだ」から始まる。何故かは問われない。適当に辻褄を合わせて、また跳躍をするのだ。跳躍とはすなわち言語の不完全さという隙を突き、わからない事柄を曖昧にすることである。哲学に於いては「曖昧」は哄笑の対象となる。だから跳躍がしづらい。思い切った展開はできにくいのである。英語に「ゆっくりでも確実に」と言う言い回しがある。哲学がこれであるとすれば、宗教は「不確実ではあるが早い」と言える。哲学は神様という像を彫刻する最良のノミなのだが、宗教に入っている人は何故かこれを使わない。
本当の神様とか、本当のなになになどと言う話になってくるとかなり怪しくなる。真理を知っている、と言う人が現れたら是非その人の話を聞いてみたい。もし神様が目の前に現れて、それを本物かどうかを判断するのに、予め本物の神様を知っていなければならない筈である。でも、「予め」にせよ、本物の神様をどうやって我々は知り得るのだろうか?
世の中には「本当の神様」でなくとも「本当のなになに」が極めて多い。「本物のカレーってのはなぁ」
、「真実の愛というものは」、「本当の教育とは」などとやるのである。
人類が言葉を使用するようになって久しい。しかし、未だそれを「操れている」のかどうかは甚だ疑わしい。あたかも核融合や核分裂の法則を発見し、操る技術を確立する前にその使用を開始したかのようで、危なっかしいことこの上ない。
人は言葉で物を考える、と思っている人が多いようだが、それは違う。考えた内容を誰かに伝えるために言葉に変換して相手に渡し、相手は受け取った言葉を経験に照らし合わせて考えに変換し、それを理解するのだろう。当然の結果として、発信する側と受信する側との間には齟齬(そご)が生じる。
言葉は他者との通信手段、あるいは情報思考の整理記録手段である。が、人は純粋にひとりで暮らすならば言葉はいらなかったかもしれない。この発明によって人類は他者の持っている情報を簡単に自分のものとすることができるようになった。同じ時間を使ってひとりであることを経験し、それを知識として蓄えた場合と、他人からも言語を介して情報を得て知識を蓄えた場合、前者と後者の違いは桁違いとなる。これによって人類は他の動物との差別化を加速させた。
私は言語哲学はおろか、ただの哲学のいろはさえ勉強したことがない。考え方やその内容はすべてでたらめかも知れない。それでも口と声帯があるので話す、のである。もしかしたら発信側と受信側の齟齬の前に、自分の中で脳みそと口の間に齟齬があるかも知れない。齟齬は小さければ「必要なもの」で、大きければ「問題の元」となる。車の舵輪(ステアリングホイール、ハンドルのこと)と同じなのだ。語りえないこととはもしかしたら言葉の齟齬(舵輪の遊び)が大きいいことを言うのだろうか。
言葉には文法という決まりごとがあり、これに則って話せば内容の如何に拘わらず文法的には正しいことになる。これに人は騙されるのではないだろうか。頭で考えてこれを言葉にして整理する、これが私たちが日常で無意識のうちにしていることである。危ないのは文法上正しく発せられた言葉を自動的に内容をも正しいとしてしまう態度である。
りんごと柿ではどちらが美味しいか?
この言葉に文法上の過ちはない。うっかりすると成り立ちそうに聞こえるこの文章は、実は成り立たない。わざと単純な例をあげたが、私たちの日常の言語生活には常にこの危険が隣にある。これが独り言のうちはまだいいが、相手のいる「対話」になるとコトはさらに面倒になる。使用する単語のひとつひとつの定義が人によって少しづつ異なるからである。
もしかして、従来の哲学者たちが前述の哲学者に否定されたのは、上記の理由によるものなのだろうか。「善」、「美」、「真」など諸々の事柄については、本当は語りえないものなのではないだろうか・・・。いや、違うと思う。私などに彼の哲学がわかるはずはない。そんな単純な話しではないだろう。しかし、一寸の虫にも五分の魂である。私が、かの言葉を私の理解力以上に理解するのは無理であるが、どう理解するかは私の自由であるはずだ。
考える事、語ることを恐れてはならない。しかし、私たちは言葉については極力慎重であらねばならない。それが独り言であろうと、対話であろうと同じ事である。人は自動的に自分に都合のいいようにものを考え、そしてこれを言葉に変える。これが危ない。
「語りえぬもの」と言われる事柄についても果敢にたち向かってゆくことは必要だと思う。語りえぬものであるかどうかを測る尺度も正しいかどうかはわからないのだから。
人生はかけがいのないものだろう。人はその肉体面より精神面において大きく他の動物と違う。
※人類と類人猿の遺伝子は98%同じだと言われる。(ついでながら天才とそうでない人の遺伝子的差は殆ど無いそうな)
人としてより良き生を送るために私たちは理性的であることが求められる。さもなくば私たちは「純粋に語りえないもの」についても語れるものと思って語っているかも知れない。語り得るものか、否かを判断するのは理性の働きである。騙すまいぞ、騙されまいぞ。
うーむ、さっぱりわからん。(これは後ほど書き直します。自分で読み返してみてもよくわからない。頭の中では出来上がっている体系が言葉にするとうまく出てこない。これも人間が言葉でものを考えているのではないことのひとつの証左である。なんだか今までで一番長い文章になってしまった)
かつて私は、その哲学者が唯一残した著作を齧ろうと試みたが、伊賀のせんべいを上回る難物で、数行で放棄せざるを得なかった。その難(かた)さに対抗するには、私の頭はあまりにも軟弱で、まったく歯がたたなかった。なべて哲学たるもの実用的であらねばならぬ、というのが私の持論である。彼の残した思索のどこが実用的なのかは未だわからない。が、読書百遍意自ずから通ず、である。ちと面白い。
若かりし頃、つまり数年前のことだが(・・・・?)、宗教を研究した。わかったことは宗教は跳躍ができ、哲学はそれが出来ないということだ。宗教は「こういう神様がいるんだ」から始まる。何故かは問われない。適当に辻褄を合わせて、また跳躍をするのだ。跳躍とはすなわち言語の不完全さという隙を突き、わからない事柄を曖昧にすることである。哲学に於いては「曖昧」は哄笑の対象となる。だから跳躍がしづらい。思い切った展開はできにくいのである。英語に「ゆっくりでも確実に」と言う言い回しがある。哲学がこれであるとすれば、宗教は「不確実ではあるが早い」と言える。哲学は神様という像を彫刻する最良のノミなのだが、宗教に入っている人は何故かこれを使わない。
本当の神様とか、本当のなになになどと言う話になってくるとかなり怪しくなる。真理を知っている、と言う人が現れたら是非その人の話を聞いてみたい。もし神様が目の前に現れて、それを本物かどうかを判断するのに、予め本物の神様を知っていなければならない筈である。でも、「予め」にせよ、本物の神様をどうやって我々は知り得るのだろうか?
世の中には「本当の神様」でなくとも「本当のなになに」が極めて多い。「本物のカレーってのはなぁ」
、「真実の愛というものは」、「本当の教育とは」などとやるのである。
人類が言葉を使用するようになって久しい。しかし、未だそれを「操れている」のかどうかは甚だ疑わしい。あたかも核融合や核分裂の法則を発見し、操る技術を確立する前にその使用を開始したかのようで、危なっかしいことこの上ない。
人は言葉で物を考える、と思っている人が多いようだが、それは違う。考えた内容を誰かに伝えるために言葉に変換して相手に渡し、相手は受け取った言葉を経験に照らし合わせて考えに変換し、それを理解するのだろう。当然の結果として、発信する側と受信する側との間には齟齬(そご)が生じる。
言葉は他者との通信手段、あるいは情報思考の整理記録手段である。が、人は純粋にひとりで暮らすならば言葉はいらなかったかもしれない。この発明によって人類は他者の持っている情報を簡単に自分のものとすることができるようになった。同じ時間を使ってひとりであることを経験し、それを知識として蓄えた場合と、他人からも言語を介して情報を得て知識を蓄えた場合、前者と後者の違いは桁違いとなる。これによって人類は他の動物との差別化を加速させた。
私は言語哲学はおろか、ただの哲学のいろはさえ勉強したことがない。考え方やその内容はすべてでたらめかも知れない。それでも口と声帯があるので話す、のである。もしかしたら発信側と受信側の齟齬の前に、自分の中で脳みそと口の間に齟齬があるかも知れない。齟齬は小さければ「必要なもの」で、大きければ「問題の元」となる。車の舵輪(ステアリングホイール、ハンドルのこと)と同じなのだ。語りえないこととはもしかしたら言葉の齟齬(舵輪の遊び)が大きいいことを言うのだろうか。
言葉には文法という決まりごとがあり、これに則って話せば内容の如何に拘わらず文法的には正しいことになる。これに人は騙されるのではないだろうか。頭で考えてこれを言葉にして整理する、これが私たちが日常で無意識のうちにしていることである。危ないのは文法上正しく発せられた言葉を自動的に内容をも正しいとしてしまう態度である。
りんごと柿ではどちらが美味しいか?
この言葉に文法上の過ちはない。うっかりすると成り立ちそうに聞こえるこの文章は、実は成り立たない。わざと単純な例をあげたが、私たちの日常の言語生活には常にこの危険が隣にある。これが独り言のうちはまだいいが、相手のいる「対話」になるとコトはさらに面倒になる。使用する単語のひとつひとつの定義が人によって少しづつ異なるからである。
もしかして、従来の哲学者たちが前述の哲学者に否定されたのは、上記の理由によるものなのだろうか。「善」、「美」、「真」など諸々の事柄については、本当は語りえないものなのではないだろうか・・・。いや、違うと思う。私などに彼の哲学がわかるはずはない。そんな単純な話しではないだろう。しかし、一寸の虫にも五分の魂である。私が、かの言葉を私の理解力以上に理解するのは無理であるが、どう理解するかは私の自由であるはずだ。
考える事、語ることを恐れてはならない。しかし、私たちは言葉については極力慎重であらねばならない。それが独り言であろうと、対話であろうと同じ事である。人は自動的に自分に都合のいいようにものを考え、そしてこれを言葉に変える。これが危ない。
「語りえぬもの」と言われる事柄についても果敢にたち向かってゆくことは必要だと思う。語りえぬものであるかどうかを測る尺度も正しいかどうかはわからないのだから。
人生はかけがいのないものだろう。人はその肉体面より精神面において大きく他の動物と違う。
※人類と類人猿の遺伝子は98%同じだと言われる。(ついでながら天才とそうでない人の遺伝子的差は殆ど無いそうな)
人としてより良き生を送るために私たちは理性的であることが求められる。さもなくば私たちは「純粋に語りえないもの」についても語れるものと思って語っているかも知れない。語り得るものか、否かを判断するのは理性の働きである。騙すまいぞ、騙されまいぞ。
うーむ、さっぱりわからん。(これは後ほど書き直します。自分で読み返してみてもよくわからない。頭の中では出来上がっている体系が言葉にするとうまく出てこない。これも人間が言葉でものを考えているのではないことのひとつの証左である。なんだか今までで一番長い文章になってしまった)
2012年7月4日水曜日
多事多論
本来なら「多事争論」が正しいのだろうが、世の中には色々な人がいて色々なことを言う。殆どの場合は自分の都合の良い価値観を身に着けてそれに補強増強してものを言う。最初に間違った土台を据えてしまったらその上に建つものはどんなに立派に見えても危ない。しかし、一回建ててしまったら最後、それに目がいってしまって土台を見なおそうとはしない。まして土台から作り直そうとする人は稀である。
色々な論があってこれを戦わせるのはいいが、同じ土俵で戦っているのかどうかさえ気付かずにお互い口角泡を飛ばして頑張る。これではまるで日本の国会の討論である。
私たちには土俵を見直す勇気が必要だ。国家間の争い、宗教間の争い、文化間の争い、政治家同士の争い等々。先日オランダ人のEと東南アジアにおける日本の位置などについて話した。難しい話しをしたわけではない。世間ばなしだったのだが、太平洋戦争の事が尾を引いて日本は人気がないだろうと言われた。彼女はまだ二十代中頃で、背の高い金髪碧眼の美人である。性格もいい。
オランダはインドネシアを350年ほど「お世話していた」らしい。現地の人がお金に魂を奪われて不幸にならないように、現地の富はすべてオランダ人のものにしていたらしいのである。親切な事である。当時欧米ではこの親切が流行で、英国もスペインもフランスもアメリカも盛んにこの親切をアジア、アフリカ、南米各国に対して行なっていた。アジアでこの親切を受けなかった国はタイと日本だけだったらしい。
Eは東南アジアを旅行してきたことがあり、かつて彼女の国が親切にしてあげていた国を訪れたら、日本の評判が悪かったと言う。現地に記念碑などがあり、日本にひどい目にあったと書かれてあるらしい。現に日本の若い旅行者などもそれを認めているらしい。
日本の戦後教育は間違いなく戦勝国による洗脳教育であったはずで、これは極東軍事裁判を見ればこれから推察することは難しいことではない。これが三世代目に至って「日本は悪いことをした」ことが定着した。洗脳された人に聞いてみるがいい。洗脳教育を受けた人は「私は絶対に洗脳教育を受けていない」と言うであろう。
日本は悪いことをした。これは事実であろう。防衛のためとはいえ他国を侵略した。しかしながら他国を侵略したからといってこれまで謝った国があっただろうか?英国は史上もっとも多くの国を侵略した国である。フランス、スペイン、アメリカ、ドイツ、ポルトガル等々、散々搾取をした挙句、これを手放さざるを得なくなった。そして出てゆく時に、搾取した相手に謝った国が一国でもあっただろうか。日本の場合は搾取どころかほとんどが持ち出しであった。挙句欧米に手ひどく物理的かつ心理的な私刑を受けたのである。それに気が付かず、甘んじてこれを受けている。
アイルランドはジャガイモ飢饉で気骨のある人はほとんど海外に出てしまった。相対的に国内には・・・・。日本は太平洋戦争で気骨のある人間は全部とまでは言わないがほとんどが死んでしまった。結果が今の日本である。
Eもお国では政府の洗脳を受けたらしい。インドネシア統治時代オランダは善政を敷き、日本統治になってからは酷かったと教わったらしいのだ。太平洋戦争終了後もかなりの数の日本兵がインドネシアに残留してオランダとの独立戦争で戦い、彼らをアジアから追い出したのだから恨みは続いているのだろう。今大戦を機としてベトナム、シナ(china)、朝鮮、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ビルマ、その他全部の国が独立を果たした。(チベットは再び遅れてきた覇権国家シナに侵略されたが)
※シナ・・・英語ではChina(チャイナ)、スエーデン語だとKina(キーナ、発音自信なし)など。日本も国際標準にすべし。東中国海とは言わんでしょ?インド中国半島とは言わないでしょ?東シナ海、インドシナ半島でしょうが。かつてあの国の属国であった国々ならいいでしょうが、日本はシナの属国であったことは一度もないです。だったらあの国を中国と呼ぶのはおかしいでしょ?だいたい今時自国を大ナントカ帝国等と言ってるのは英国(大英帝国と言ってる)と韓国(大韓民国と言ってる)と中国(世界の中心だと言っている)くらいなものです。
日本が失ったものはあまりにも大きかった。それでもこれを契機としてアジア各国が独立したのは日本のおかげである。でなければどこの国が自力で独立できたであろうか?
Eとは、結局自分たちはどこで時の為政者たちに洗脳を受けているかわからないね、ということで話しがついた。私も結局は本を読んだり、電子頭脳網での知識でものを言っているにすぎないわけで、これでは竹島は韓国の領土だと言っている人たちと変わりはないかもしれない。恐ろしいことである。
(なんでスットコランドでこんなこと書いてるんだろう・・・Snigel がダブリンで車を盗まれたというのに。禿げ増しの電話でもかけようか・・・いや叱られるからよそう)
色々な論があってこれを戦わせるのはいいが、同じ土俵で戦っているのかどうかさえ気付かずにお互い口角泡を飛ばして頑張る。これではまるで日本の国会の討論である。
私たちには土俵を見直す勇気が必要だ。国家間の争い、宗教間の争い、文化間の争い、政治家同士の争い等々。先日オランダ人のEと東南アジアにおける日本の位置などについて話した。難しい話しをしたわけではない。世間ばなしだったのだが、太平洋戦争の事が尾を引いて日本は人気がないだろうと言われた。彼女はまだ二十代中頃で、背の高い金髪碧眼の美人である。性格もいい。
オランダはインドネシアを350年ほど「お世話していた」らしい。現地の人がお金に魂を奪われて不幸にならないように、現地の富はすべてオランダ人のものにしていたらしいのである。親切な事である。当時欧米ではこの親切が流行で、英国もスペインもフランスもアメリカも盛んにこの親切をアジア、アフリカ、南米各国に対して行なっていた。アジアでこの親切を受けなかった国はタイと日本だけだったらしい。
Eは東南アジアを旅行してきたことがあり、かつて彼女の国が親切にしてあげていた国を訪れたら、日本の評判が悪かったと言う。現地に記念碑などがあり、日本にひどい目にあったと書かれてあるらしい。現に日本の若い旅行者などもそれを認めているらしい。
日本の戦後教育は間違いなく戦勝国による洗脳教育であったはずで、これは極東軍事裁判を見ればこれから推察することは難しいことではない。これが三世代目に至って「日本は悪いことをした」ことが定着した。洗脳された人に聞いてみるがいい。洗脳教育を受けた人は「私は絶対に洗脳教育を受けていない」と言うであろう。
日本は悪いことをした。これは事実であろう。防衛のためとはいえ他国を侵略した。しかしながら他国を侵略したからといってこれまで謝った国があっただろうか?英国は史上もっとも多くの国を侵略した国である。フランス、スペイン、アメリカ、ドイツ、ポルトガル等々、散々搾取をした挙句、これを手放さざるを得なくなった。そして出てゆく時に、搾取した相手に謝った国が一国でもあっただろうか。日本の場合は搾取どころかほとんどが持ち出しであった。挙句欧米に手ひどく物理的かつ心理的な私刑を受けたのである。それに気が付かず、甘んじてこれを受けている。
アイルランドはジャガイモ飢饉で気骨のある人はほとんど海外に出てしまった。相対的に国内には・・・・。日本は太平洋戦争で気骨のある人間は全部とまでは言わないがほとんどが死んでしまった。結果が今の日本である。
Eもお国では政府の洗脳を受けたらしい。インドネシア統治時代オランダは善政を敷き、日本統治になってからは酷かったと教わったらしいのだ。太平洋戦争終了後もかなりの数の日本兵がインドネシアに残留してオランダとの独立戦争で戦い、彼らをアジアから追い出したのだから恨みは続いているのだろう。今大戦を機としてベトナム、シナ(china)、朝鮮、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ビルマ、その他全部の国が独立を果たした。(チベットは再び遅れてきた覇権国家シナに侵略されたが)
※シナ・・・英語ではChina(チャイナ)、スエーデン語だとKina(キーナ、発音自信なし)など。日本も国際標準にすべし。東中国海とは言わんでしょ?インド中国半島とは言わないでしょ?東シナ海、インドシナ半島でしょうが。かつてあの国の属国であった国々ならいいでしょうが、日本はシナの属国であったことは一度もないです。だったらあの国を中国と呼ぶのはおかしいでしょ?だいたい今時自国を大ナントカ帝国等と言ってるのは英国(大英帝国と言ってる)と韓国(大韓民国と言ってる)と中国(世界の中心だと言っている)くらいなものです。
日本が失ったものはあまりにも大きかった。それでもこれを契機としてアジア各国が独立したのは日本のおかげである。でなければどこの国が自力で独立できたであろうか?
Eとは、結局自分たちはどこで時の為政者たちに洗脳を受けているかわからないね、ということで話しがついた。私も結局は本を読んだり、電子頭脳網での知識でものを言っているにすぎないわけで、これでは竹島は韓国の領土だと言っている人たちと変わりはないかもしれない。恐ろしいことである。
(なんでスットコランドでこんなこと書いてるんだろう・・・Snigel がダブリンで車を盗まれたというのに。禿げ増しの電話でもかけようか・・・いや叱られるからよそう)
2012年5月31日木曜日
警告
警告などというのは穏やかではありません。実は人目を引きたかっただけのことです。これは単なるお知らせです。こうやって私は人々の信用を失ってゆくのです。でも、電気紙芝居の広告はいつもこんなですよ。あなたにはビタミン何々が足りません。これが不足すると大変なことになりますよ。当社の△◎✖がお勧めです。今ならひと家族に限って980円です。こんなもんです。世の中を斜から眺めるとおかしくてヘソでメシを炊き、三回まわってニャンと言いそうになります。
さて、私がこのブログを書いているのには3つ理由があります。ひとつには文章練習、ふたつには自分の意見の不特定多数の人々に対する発信(これにはまったくと言っていいほど反応がないので読者の皆様が何を感じ、何を思っているかはわかりません。そのうち刺客が送られてくるかも知れません)、あとは自己満足のためです。
くだらない冗談を言ったり、わざと難しい表現を使ってみたり、様々に工夫をしているわけです。言いたいことがあってもうまく文章をまとめられない場合は発表していません。記事を部分的に書き直したり、追加もしています。どうか時々は古い記事を読みなおしてみてください。
私はブログの統計を見るのが好きです。読者の皆様が、どこでこれをお読みになっているか、どの記事がどのくらい読まれているかが大まかではありますが分かります。内容がなくても面白い記事が人気だったり、私の言いたいことを一所懸命に書いたものが不人気だったり、一喜一憂しております。
私自身は人様に自分の年を分けて差し上げたいくらいの年齢に達しておりますが、一方では精神的にまだ未熟で、従って文章の内容も表現も稚拙だと思います。さりながら意外に多くの固定読者の方々が出来つつあり、これには自身が驚いております。もうじきAKB48を追い越すことでしょう。(Snigel 師匠にはアクが強いだの、毒が強いとか、いつも褒められてばかりです。自慢の点も多いのですが、反省点も少しはあります)
世界中の様々な場所で活躍されている日本人の読者の皆様、ありがとうございます。この場で私からの「警告」と日頃のご来場(???)の御礼を申し上げます。
スコットランドの片田舎にて ひま人2号 みっちー
さて、私がこのブログを書いているのには3つ理由があります。ひとつには文章練習、ふたつには自分の意見の不特定多数の人々に対する発信(これにはまったくと言っていいほど反応がないので読者の皆様が何を感じ、何を思っているかはわかりません。そのうち刺客が送られてくるかも知れません)、あとは自己満足のためです。
くだらない冗談を言ったり、わざと難しい表現を使ってみたり、様々に工夫をしているわけです。言いたいことがあってもうまく文章をまとめられない場合は発表していません。記事を部分的に書き直したり、追加もしています。どうか時々は古い記事を読みなおしてみてください。
私はブログの統計を見るのが好きです。読者の皆様が、どこでこれをお読みになっているか、どの記事がどのくらい読まれているかが大まかではありますが分かります。内容がなくても面白い記事が人気だったり、私の言いたいことを一所懸命に書いたものが不人気だったり、一喜一憂しております。
私自身は人様に自分の年を分けて差し上げたいくらいの年齢に達しておりますが、一方では精神的にまだ未熟で、従って文章の内容も表現も稚拙だと思います。さりながら意外に多くの固定読者の方々が出来つつあり、これには自身が驚いております。もうじきAKB48を追い越すことでしょう。(Snigel 師匠にはアクが強いだの、毒が強いとか、いつも褒められてばかりです。自慢の点も多いのですが、反省点も少しはあります)
世界中の様々な場所で活躍されている日本人の読者の皆様、ありがとうございます。この場で私からの「警告」と日頃のご来場(???)の御礼を申し上げます。
スコットランドの片田舎にて ひま人2号 みっちー
2012年5月24日木曜日
みっちーの旅
23日早朝3時半に迎えの車が来た。さすがに辺りはまだ真っ暗で、その発動機音は近所をはばかるほどのものだった。それより少し前、家の戸締りを確認すべく外に出た時は、フクロウの声がしていた。鵺(ヌエ・・・トラツグミのことらしい)などは人から忌み嫌われるが、その声もよく聞かれ私は好きである。シカやキツネも夜に鳴く。耳をすませば楽しい佐久の夜なのである。
朝10時50分発の英国航空の飛行機に乗るのに3時半に家を出るのはいささか早すぎるというものだが、道中何が起こってもこれなら絶対に間に合う。ちなみに昨年は北欧航空で、出発時間は同じような時間帯であったが、家を出る時間はこれより一時間も遅かったと思う。運転手や予想される交通状況で変わるのだろう。地方在住の割には成田や羽田への便はいい。東京や成田に前泊すると余分な経費がかかる。
結局成田には7時40分頃着き、搭乗手続きには早すぎ、関係ない別の搭乗受付口(カウンター)でちょっくら旅行用鞄の重さを計ってもらう。なんとたったの15キロ。約半年の間とは言え、どうしても日本から持ってゆかなければならないモノなど実はそれほどない。一番重い荷物は膝置き型電子計算機だが、これは機内持ち込みにするし。他には本である。だいぶ前に古本屋で集めておいた漱石やらドフトエフスキーなどを手荷物に入れてあったが、預け入れ荷物が思いの外軽かったので、損をしたような気持ちになり、混雑する空港の片隅で、かなり重くなっていた手荷物から本を取り出し、預け入れ荷物に移した。ふと前方に目をやるとご同輩がいる。一所懸命に詰替をやっている。
トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の映画「 The Terminal 」のように空港では毎日人々の泣き笑いが起きている。私にはいつ、どこでだったかは忘れたが、目に焼き付いて離れない空港での画がある。若いいかにも田舎から出てきた感じの白人女性が、人々が行き交い、且つ列を作る空港の帳場のそばで泣きながら旅行かばんを閉じようとしている。その周辺は靴や衣類などの荷物が、そして包み紙からはみ出した食べかけのサンドイッチなどが散乱しており、それが様々に彼女の過ぎ来し方を想像させた。できるものなら大丈夫だよ、心配ないよ、いま我慢すればまたいいことがあるよと言ってあげたかった。
出来ればヒースロー乗り換えは避けたかったが、航空券の安さに負けた。ターミナル5に到着し、空港内を走る無人電車で他のターミナル行きバス乗り場に着く。ここからはバスで移動。迷路のような工事現場を走って12分、ようやくターミナル1に到着。いつか見た風景。それがいつだったかは思い出せない。乗り継ぎの飛行機を待っていると既視感(デジャブー)ではなく、中年の女性に空港に関する聞き取り調査を依頼された。間違いなく前回もここで同じものを受けた記憶がある。あれは本当にただの聞取り調査なのだろうかと疑う。国中に監視カメラがある国なのである。
ダブリン行きのゲートは82。ここまで来ればアイルランドと言う名の田舎の香りがしてくる。空港職員も乗客もそんな感じなのだ。飛行機に乗り込み、席に着くやうたた寝をはじめる。時差ボケで眠い。疲労感はないがただひたすら眠い。気がつけば眼下に陸地が見えている。荷物を受け取って出ると約束どおりSnigel(http://www.ikikou.com/ アイルランド真実紀行作者)閣下が迎えに来てくれている。半年ぶりの再会なので、取り立てて旧交を温める気もしないが、この御仁、極めて面倒見がよく、かつ情に厚い。いままで散々世話になってきたが、これからも世話になろうと固く心に誓う。(お返しは天国で^^;)
夕方7時近く彼らの家に着くと、部屋でひできす(http://irishpot.net/blog/アイルランドの「つぼ」作者)大明神が相変わらず電子計算機の画面を見つめている。近々社内で試験があるらしい。いい匂いがする。ここで私は自分が空腹であることに気がつく。時差ボケはトイレの頃合いや食欲などを著しく狂わせる。ひできす大魔神はラザニアを作ってくれていた。総入れ歯ひできすの相棒まっきーがいない。地方に行っているという。とは言うものの、私は彼女とは面識はないのだが。家の中の様子がある意味激変している。ひできすの部屋は一回きれいになってそれからまたもとに戻りつつある過程のようだ。居間がすっかり片付いている。台所と続いている食堂(とは言え畳3畳ほどの広さ)も片付いている。げに頼もしきは女性の力である。しかし、彼女がいつ発ったのかは聞きそびれたが、ここは天然自然にいつもの姿に戻りつつあるようだ。( 英語ではBack to normal とでもいうのだろうが・・・)
食事の後、私とひできすが世間話をしていると、Snigelが立って台所仕事を始めた。ここにいる間は片付けは私の仕事なのだが(料理が嫌いなので)Snigelオバサンは料理を始めた。なんとカレーである。聞けば彼らが仕事で留守をしている間の私のご飯だという。私は彼らと会って以来、人類皆ひできすやSnigelのようであれば世に災いはなくなるものをと思ってきたのである。
追記
その翌日ひできすはお受験でかなり神経質になっていたが、久しぶりに私が訪れたので気を使ってか、少しだけ話し相手になってくれた。(訪問のタイミング実に悪し)その間、Snigelと言えば何とプリンを焼いてくれた。プッチンプリンはそれはそれで美味しいが、プリンは元来焼き菓子である。Snigelおばさんのはまっきー女史に教わった本格的なpuddingであった。同時にチーズケーキも焼いた。これは彼には不満だったらしいが十分美味しかった。わ~い、5人でドイツに行って念願のお菓子屋さんをやろう。(いつから念願だったかはとんと記憶にないが・・・5人とは菓子職人Snigel、社長はClaudia(Snigelのパートナー)、丁稚(でっち)ひできす、売り子まっきー、レジ係りみっちー。最強絶妙の人事ではある)
朝10時50分発の英国航空の飛行機に乗るのに3時半に家を出るのはいささか早すぎるというものだが、道中何が起こってもこれなら絶対に間に合う。ちなみに昨年は北欧航空で、出発時間は同じような時間帯であったが、家を出る時間はこれより一時間も遅かったと思う。運転手や予想される交通状況で変わるのだろう。地方在住の割には成田や羽田への便はいい。東京や成田に前泊すると余分な経費がかかる。
結局成田には7時40分頃着き、搭乗手続きには早すぎ、関係ない別の搭乗受付口(カウンター)でちょっくら旅行用鞄の重さを計ってもらう。なんとたったの15キロ。約半年の間とは言え、どうしても日本から持ってゆかなければならないモノなど実はそれほどない。一番重い荷物は膝置き型電子計算機だが、これは機内持ち込みにするし。他には本である。だいぶ前に古本屋で集めておいた漱石やらドフトエフスキーなどを手荷物に入れてあったが、預け入れ荷物が思いの外軽かったので、損をしたような気持ちになり、混雑する空港の片隅で、かなり重くなっていた手荷物から本を取り出し、預け入れ荷物に移した。ふと前方に目をやるとご同輩がいる。一所懸命に詰替をやっている。
トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の映画「 The Terminal 」のように空港では毎日人々の泣き笑いが起きている。私にはいつ、どこでだったかは忘れたが、目に焼き付いて離れない空港での画がある。若いいかにも田舎から出てきた感じの白人女性が、人々が行き交い、且つ列を作る空港の帳場のそばで泣きながら旅行かばんを閉じようとしている。その周辺は靴や衣類などの荷物が、そして包み紙からはみ出した食べかけのサンドイッチなどが散乱しており、それが様々に彼女の過ぎ来し方を想像させた。できるものなら大丈夫だよ、心配ないよ、いま我慢すればまたいいことがあるよと言ってあげたかった。
出来ればヒースロー乗り換えは避けたかったが、航空券の安さに負けた。ターミナル5に到着し、空港内を走る無人電車で他のターミナル行きバス乗り場に着く。ここからはバスで移動。迷路のような工事現場を走って12分、ようやくターミナル1に到着。いつか見た風景。それがいつだったかは思い出せない。乗り継ぎの飛行機を待っていると既視感(デジャブー)ではなく、中年の女性に空港に関する聞き取り調査を依頼された。間違いなく前回もここで同じものを受けた記憶がある。あれは本当にただの聞取り調査なのだろうかと疑う。国中に監視カメラがある国なのである。
ダブリン行きのゲートは82。ここまで来ればアイルランドと言う名の田舎の香りがしてくる。空港職員も乗客もそんな感じなのだ。飛行機に乗り込み、席に着くやうたた寝をはじめる。時差ボケで眠い。疲労感はないがただひたすら眠い。気がつけば眼下に陸地が見えている。荷物を受け取って出ると約束どおりSnigel(http://www.ikikou.com/ アイルランド真実紀行作者)閣下が迎えに来てくれている。半年ぶりの再会なので、取り立てて旧交を温める気もしないが、この御仁、極めて面倒見がよく、かつ情に厚い。いままで散々世話になってきたが、これからも世話になろうと固く心に誓う。(お返しは天国で^^;)
夕方7時近く彼らの家に着くと、部屋でひできす(http://irishpot.net/blog/アイルランドの「つぼ」作者)大明神が相変わらず電子計算機の画面を見つめている。近々社内で試験があるらしい。いい匂いがする。ここで私は自分が空腹であることに気がつく。時差ボケはトイレの頃合いや食欲などを著しく狂わせる。ひできす大魔神はラザニアを作ってくれていた。総入れ歯ひできすの相棒まっきーがいない。地方に行っているという。とは言うものの、私は彼女とは面識はないのだが。家の中の様子がある意味激変している。ひできすの部屋は一回きれいになってそれからまたもとに戻りつつある過程のようだ。居間がすっかり片付いている。台所と続いている食堂(とは言え畳3畳ほどの広さ)も片付いている。げに頼もしきは女性の力である。しかし、彼女がいつ発ったのかは聞きそびれたが、ここは天然自然にいつもの姿に戻りつつあるようだ。( 英語ではBack to normal とでもいうのだろうが・・・)
食事の後、私とひできすが世間話をしていると、Snigelが立って台所仕事を始めた。ここにいる間は片付けは私の仕事なのだが(料理が嫌いなので)Snigelオバサンは料理を始めた。なんとカレーである。聞けば彼らが仕事で留守をしている間の私のご飯だという。私は彼らと会って以来、人類皆ひできすやSnigelのようであれば世に災いはなくなるものをと思ってきたのである。
追記
その翌日ひできすはお受験でかなり神経質になっていたが、久しぶりに私が訪れたので気を使ってか、少しだけ話し相手になってくれた。(訪問のタイミング実に悪し)その間、Snigelと言えば何とプリンを焼いてくれた。プッチンプリンはそれはそれで美味しいが、プリンは元来焼き菓子である。Snigelおばさんのはまっきー女史に教わった本格的なpuddingであった。同時にチーズケーキも焼いた。これは彼には不満だったらしいが十分美味しかった。わ~い、5人でドイツに行って念願のお菓子屋さんをやろう。(いつから念願だったかはとんと記憶にないが・・・5人とは菓子職人Snigel、社長はClaudia(Snigelのパートナー)、丁稚(でっち)ひできす、売り子まっきー、レジ係りみっちー。最強絶妙の人事ではある)
2012年5月21日月曜日
金環日食ダーッ !
昨日よりスイスから友人のPと彼の相方Hさん(日本人)が来ていた。予め日食観測用のメガネを買っておいた。980円であった。が、これははっきり言わせてもらえば製造元か販売店かが暴利貪った結果だろう。
Hは東京では手に入らないし、ネットで買えば200円のものに1500円の送料がかかるので、私に3つ買っておいて欲しいとのことであったが、3つ買えば3000円近い金が消える。しかも天気はどうなるかわからない。もしかしたら曇天か雨で空振りに終わるかもしれない。吝嗇(りんしょく)な私は一つだけ買った。
今朝七時頃、南の硝子戸を開けて東の空を見上げると雲はあるものの太陽が出ており、テレビの中継を観ると高知でも名古屋でも既に欠け始めている。早速専用のメガネで覗くと、ここの太陽も確かに欠け始めている。理屈ではわかるものの、やはり感動するのである。
PとHの寝室の扉を静かに叩くと、眠そうなHの返答があった。裏庭に出て三人で代わる代わるメガネを使って日食を見る。Pは携帯の写真機でこれを捉えんとするが、うまく行かない。Hもメガネを写真機と合わせて試みるがうまく行かない。Hの写真機は結構性能のいいものである。結果から言うと私の普通のデジカメとメガネでとった写真が一番うまく撮れた。
彼らはこの後、戸隠に蕎麦を食べに行った。私といえば一緒に行きたいのはやまやまであったが、なにしろ明後日の渡欧の準備がある。しかし、いい一日であった。
※「 金環日食ダーッ !」と書いたのはPがアントニオ猪木の大ファンで、日本語が話せないもののしょっちゅう「ダーッ?」「ダーッ!」と会話を交わすからである。
Hは東京では手に入らないし、ネットで買えば200円のものに1500円の送料がかかるので、私に3つ買っておいて欲しいとのことであったが、3つ買えば3000円近い金が消える。しかも天気はどうなるかわからない。もしかしたら曇天か雨で空振りに終わるかもしれない。吝嗇(りんしょく)な私は一つだけ買った。
今朝七時頃、南の硝子戸を開けて東の空を見上げると雲はあるものの太陽が出ており、テレビの中継を観ると高知でも名古屋でも既に欠け始めている。早速専用のメガネで覗くと、ここの太陽も確かに欠け始めている。理屈ではわかるものの、やはり感動するのである。
PとHの寝室の扉を静かに叩くと、眠そうなHの返答があった。裏庭に出て三人で代わる代わるメガネを使って日食を見る。Pは携帯の写真機でこれを捉えんとするが、うまく行かない。Hもメガネを写真機と合わせて試みるがうまく行かない。Hの写真機は結構性能のいいものである。結果から言うと私の普通のデジカメとメガネでとった写真が一番うまく撮れた。
彼らはこの後、戸隠に蕎麦を食べに行った。私といえば一緒に行きたいのはやまやまであったが、なにしろ明後日の渡欧の準備がある。しかし、いい一日であった。
※「 金環日食ダーッ !」と書いたのはPがアントニオ猪木の大ファンで、日本語が話せないもののしょっちゅう「ダーッ?」「ダーッ!」と会話を交わすからである。
2012年5月10日木曜日
桜と語る
少し寝坊をしたが外套を着て珈琲を片手に裏庭に出る。今朝5時45分頃の外気温は5度ほどであった。霧が出ている。夜中に雨が降ったようである。
地面は濡れており、芝の所々小さな蜘蛛の巣が無数の水滴に纏われてある。昨日抜いてそのまま放置した雑草の根がまだ新鮮で、隙あらば蘇らんとしているかのようだ(想話左遷^^)。
珈琲マグを薪割り台に置いてそのまま南側の道路に出る。時間こそ不正確だが、道順は哲学者カントの正確さと変わりない。東に向かうので、自然昇り始めた太陽との対面となる。まるでムンクの「叫び」のような光景である。もっともあちらは夕日だろうが・・・。
このような場所でも桜は結構ある。我が家の斜向かいのS宅には植えられた見事な枝垂れ桜がある。葉桜となり始めてはいるが、まだ十分に美しい。西隣のS宅では八重が植えられており、これは昨日今日咲き始めたところである。偶然にも東隣もSで始まるお宅であるが、我が領地との境にはサクランボの幼木があり、植えて5年目にようやく花が咲いたとご夫妻が喜んでおられた。(なぜか私もうれしくなったが・・・)
実は私の興味の対象は植えられた桜ではなく、実生(みしょう・・・自然に生えたもの)のそれである。木々の葉が生い茂っている間はわからないが、今の季節は桜であれば花が咲く。咲いて初めて、ああ、これは桜だったのか、とわかるものが多い。桜の樹皮のすべてがあの茶筒のような艶のある暗い茶色に白の斑点があればいいのだが、そうはいかない。樹形もまったく様々である。すっと伸びて途中から四方に枝分かれするものあり、地面からすぐに枝分かれしてお互い他人のようにしてはえているもの、細いもの、太いもの様々である。であれば咲く時期も多くは春には違いないが、今はとっくに葉を広げて花の影など既にないものも、いま丁度盛りを迎えたものもある。ここは高地で、海抜で言えば1000mほど。里の(と言っても海抜700mほどはある)桜がとうに散っているのに、ここではまだ盛りのものがある。
その桜はいつもの散歩の道順の折り返し地点に近いところにある。ある別荘の敷地の中にあるが、その大きさから見てあきらかに実生である。花の色は薄いが数と花びらの形がいい。霧に濡れて少し萎み加減だ。が、そんなことはどうでもいい。ふと思い浮かんだのがこの桜の生涯であった。当てずっぽうながら樹齢は五十年から七十年の間とみた。地上1メートルほどのところで二本に分かれ、それぞれは上でさらにたくさん枝分かれしている。しばし立ち止まって見ていた。人間の歴史で言えば大東亜戦争の前後に芽を出した。その頃、ここいらは訪れる人とてない、まったくの山の中であったと推測される。20年ほど前、つまり日本経済がバブルの絶頂期にあった頃ここの別荘地としての開発が始まり、道路が造られた筈だ。区画整理があったが、道路からはわずかに外れ、人間の魔手から逃れてこの桜は生き残った。
心のなかで、お前はエライと褒める。返答はない。見事であるぞと言うが返答はない。またな、と言って歩き出す。この桜の道路を挟んだ向かいに藪になっている土地がある。売りに出ていて荒れ放題である。その中に一本桜の中学生がいた。丈といえば3メートルくらいだろうか。実際はもう少し高いのだろうが、地上2メールあたりから幹が折れて道路側に倒れている。雑草に覆われ、蔓(つる)に絡まれてそれが桜だとわかるのは今の季節しかない。ポツポツと花が咲いている。幹を見ると、焦げ茶に小さな白の斑点があり、私にとっては典型的な桜の樹皮なのであった。
その桜の根元にはボケが派手な朱色の花を咲かせており、他にも様々な幼木や草が活気をみなぎらせつつあった。気がつけば折れていると思った先の幹にも蕾がいくつもついている。辛うじて導管は継っているのだろうか。いづれにしてもこのまま放置すれば時を待たずして迫りくる雑草に覆い尽くされてしまうに違いない。気の毒と思って、近々早朝散歩の際は鎌を持参し、せめてこの蔓を退治してくれようと思った。近くによってみるとその蔓はアケビであり、薄紫色の小さく可憐な花を咲かせていた。
さて、傷ついた桜の中学生を守るためにアケビを切るのはどんなものだろうと思った。こんなことに思案を巡らせるのは愚の骨頂と言われれば一言もないが、私は迷うのである。それは秋になればアケビが食えるかも知れない、と言ったものではない。桜もアケビも生きている。桜の花はきれいだからというわけにもいかない。よく見ればアケビの花も可憐できれいだ。どっちがきれいなどとは言えない。好き嫌いを言えば桜のほうが好きだ。しかし、それだけでは片付かない。
紅顔の美少年も時の流れとともに、わびさびを愛(め)で、世の無常を語る、そんなお年頃になってしまったらしい。
地面は濡れており、芝の所々小さな蜘蛛の巣が無数の水滴に纏われてある。昨日抜いてそのまま放置した雑草の根がまだ新鮮で、隙あらば蘇らんとしているかのようだ(想話左遷^^)。
珈琲マグを薪割り台に置いてそのまま南側の道路に出る。時間こそ不正確だが、道順は哲学者カントの正確さと変わりない。東に向かうので、自然昇り始めた太陽との対面となる。まるでムンクの「叫び」のような光景である。もっともあちらは夕日だろうが・・・。
このような場所でも桜は結構ある。我が家の斜向かいのS宅には植えられた見事な枝垂れ桜がある。葉桜となり始めてはいるが、まだ十分に美しい。西隣のS宅では八重が植えられており、これは昨日今日咲き始めたところである。偶然にも東隣もSで始まるお宅であるが、我が領地との境にはサクランボの幼木があり、植えて5年目にようやく花が咲いたとご夫妻が喜んでおられた。(なぜか私もうれしくなったが・・・)
実は私の興味の対象は植えられた桜ではなく、実生(みしょう・・・自然に生えたもの)のそれである。木々の葉が生い茂っている間はわからないが、今の季節は桜であれば花が咲く。咲いて初めて、ああ、これは桜だったのか、とわかるものが多い。桜の樹皮のすべてがあの茶筒のような艶のある暗い茶色に白の斑点があればいいのだが、そうはいかない。樹形もまったく様々である。すっと伸びて途中から四方に枝分かれするものあり、地面からすぐに枝分かれしてお互い他人のようにしてはえているもの、細いもの、太いもの様々である。であれば咲く時期も多くは春には違いないが、今はとっくに葉を広げて花の影など既にないものも、いま丁度盛りを迎えたものもある。ここは高地で、海抜で言えば1000mほど。里の(と言っても海抜700mほどはある)桜がとうに散っているのに、ここではまだ盛りのものがある。
その桜はいつもの散歩の道順の折り返し地点に近いところにある。ある別荘の敷地の中にあるが、その大きさから見てあきらかに実生である。花の色は薄いが数と花びらの形がいい。霧に濡れて少し萎み加減だ。が、そんなことはどうでもいい。ふと思い浮かんだのがこの桜の生涯であった。当てずっぽうながら樹齢は五十年から七十年の間とみた。地上1メートルほどのところで二本に分かれ、それぞれは上でさらにたくさん枝分かれしている。しばし立ち止まって見ていた。人間の歴史で言えば大東亜戦争の前後に芽を出した。その頃、ここいらは訪れる人とてない、まったくの山の中であったと推測される。20年ほど前、つまり日本経済がバブルの絶頂期にあった頃ここの別荘地としての開発が始まり、道路が造られた筈だ。区画整理があったが、道路からはわずかに外れ、人間の魔手から逃れてこの桜は生き残った。
心のなかで、お前はエライと褒める。返答はない。見事であるぞと言うが返答はない。またな、と言って歩き出す。この桜の道路を挟んだ向かいに藪になっている土地がある。売りに出ていて荒れ放題である。その中に一本桜の中学生がいた。丈といえば3メートルくらいだろうか。実際はもう少し高いのだろうが、地上2メールあたりから幹が折れて道路側に倒れている。雑草に覆われ、蔓(つる)に絡まれてそれが桜だとわかるのは今の季節しかない。ポツポツと花が咲いている。幹を見ると、焦げ茶に小さな白の斑点があり、私にとっては典型的な桜の樹皮なのであった。
その桜の根元にはボケが派手な朱色の花を咲かせており、他にも様々な幼木や草が活気をみなぎらせつつあった。気がつけば折れていると思った先の幹にも蕾がいくつもついている。辛うじて導管は継っているのだろうか。いづれにしてもこのまま放置すれば時を待たずして迫りくる雑草に覆い尽くされてしまうに違いない。気の毒と思って、近々早朝散歩の際は鎌を持参し、せめてこの蔓を退治してくれようと思った。近くによってみるとその蔓はアケビであり、薄紫色の小さく可憐な花を咲かせていた。
さて、傷ついた桜の中学生を守るためにアケビを切るのはどんなものだろうと思った。こんなことに思案を巡らせるのは愚の骨頂と言われれば一言もないが、私は迷うのである。それは秋になればアケビが食えるかも知れない、と言ったものではない。桜もアケビも生きている。桜の花はきれいだからというわけにもいかない。よく見ればアケビの花も可憐できれいだ。どっちがきれいなどとは言えない。好き嫌いを言えば桜のほうが好きだ。しかし、それだけでは片付かない。
紅顔の美少年も時の流れとともに、わびさびを愛(め)で、世の無常を語る、そんなお年頃になってしまったらしい。
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