我が領地の、道を挟んだ南側には雑木林があって、持ち主はいるのだが、一向かまう気配はない。日本がバブル景気に沸いた頃、投資目的か、あるいは本当に別荘を建てるつもりだったのか、いづれにせよ大枚をはたいて買った土地のはずである。2~30年前の話しである。
当時このあたりは、相当な値段だった筈で、それでも人気があって申込者を抽選で絞っていたと聞く。今は当時の値段の4分の一くらいまで下落し、そのお陰を蒙って私のような貧乏人が、土地を買って家を建てることができた。
新幹線の駅から20分少々。が、山中にあるので車は必須で、日常の買い物、用足しなどは必ずしも便利とは言えない。しかしながら、定住者は意外と多い。多くは年配者たちであるが、それはこの町に、町の規模に似合わない病院がいくつもあるからかも知れない。
大雑把に言って、数ある区画の三分の二くらいは空き地のままで、多くはまったく手入れがされていない。これらは荒れ放題の薮になり、雑木林となる。そう、我が家の南の土地がまさにそれなのである。正確にはわからないが、おそらくは楢、もしくはその類の大木が数本、そして無数の潅木が繁茂して、私の大切な日差しと景色を遮っている。
一昨年のある時、私は正当な苦情と、多少の下心を持って別荘の管理会社を訪ねた。南側の土地の木々が伸びすぎて、我が領土に来るべく日差しが遮られ、見えるはずの絶景が見えないと苦情を申し込んだ。土地の所有者にしっかり管理をするよう促して欲しいと。土地の所有者とは直接は接触はできない。管理会社が先方の連絡先を教えてくれるはずはないからだ。
私は、土地の所有者と管理会社を通じて何度も連絡をとる面倒を避けるために、あらかじめ計画を練っていた。すなわち、
「そちらの管理不行き届きで、こちらが痛く迷惑を蒙っている。しっかり管理すべく、責任を果たしてしていただきたい。ついては高く伸びた雑木を伐って頂きたい。もし、そちらで伐採をしないなら、こちらでその労をとるも吝(やぶさ)かではない。しかし、これによって生じた木材はこちらで適宜処理するが如何?」
と。結果、私に伐採して下さい。それによって生じた木々も私が処理してもかまわない。あの土地にこれ以上お金を掛けるつもりはない。これが管理会社から来た先方の返答であった。
かくして私は庭に有り余る日の光と、近場から約2冬分の薪を調達することとなった。
伐採と言う作業は、傍目で見るよりはるかに危険で困難である。すぐそばに電線が通っている。(万が一、これを切断するようなことがあれば、私はその晩のうちに持てるだけの荷物を車に積んで、忍び足でどこかへ引っ越して行くであろう)
楢(ナラ)や樫、椚(クヌギ)や欅(ケヤキ)など、良い薪材になる樹種は重い。おまけに、枝が好き放題の方向に伸びるので、ただ伐れば、その倒れる方向はまったく予想がつかない。この下敷きになれば、重傷を負うか、死ぬ可能性も高い。私が伐ろうとしている木々は一本何トンの代物だからだ。
ある日、頼んだわけでもないのに、近所の業者が来て、伐採の見積もりをさせろと言う。どうやら管理会社の担当とつるんでいるらしい。具体的金額を示されたが、それは決して高いものではなかった。私は金も惜しかったが、それよりも自分自身で伐採をやって見たかった。当然断った。自分でやってみてだめだったらその時に頼めば良いと思った。
伐採計画を実行に移し始めたのは昨年の秋である。原付鎖回転鋸(娑婆ではチェーンソーと言う)を買った。今まで使っていたものは、原動機の排気量が小さく、おまけに寄る年波で調子が悪かった。
ひとところに生えている木々を伐採するには効率的で安全な順番と言うものがある。ただむやみに伐れば、掛木(かかりぎ)と言って、伐採した木が他の木にもたれて、完全に倒れない場合がある。これの処理は非常に危険らしい。私が今持っている装備、つまりチェーンソーやロープなどだが、これでは足りない。かと言って梯子や安全帯(命綱付きのベルト)などは買っても元が取れない。幸いなことにお隣のSさんがこれらを貸してくれた。
考える日々が続いた。我が領地からその雑木林までは徒歩で3秒である。時々珈琲をもって林の中に立ち、案を練った。素人にできる最善の伐採は、木に登って上から少しずつチョキチョキ伐ってくることである。高いところは怖い。しかし、一番恐れることは、根元からいきなり伐って、電線を切断することである。
木を思った方向に倒すには、二つ方法がある。ひとつはロープで引っぱっておくこと。もうひとつは鋸を入れる際、倒したい方向にパックマンの口のように切れ目(受け口)を入れ、次にその反対側から鋸を入れる(追い口)。倒そうとする木が直立して尚且つ枝振りが均一で風がなければ、理屈上は、この方法でうまく行く。ところが、現実はかなり複雑で危険を伴う。
ひとり作業は効率が悪いだけでなく、危険である。が、やむを得ない。かなりの高さまで登り、ロープを結び、降りてその端を倒したい方向にある別の木に結ぶ。(逆に言えば、倒したくない方向に木が倒れるのを防止する策である)方向を見定めて受け口を切る。次第に心臓の鼓動が早くなる。アドレナリンが出ているな、と思う。追い口を切り始める。万が一を想定して逃げる方向も考えておく。口の中がからからに乾いている。水平に切っているつもりでも、受け口に近づくにつれ、刃先が下がる。このまま行けば受け口より追い口が下になり、木が逆方向に倒れるかもしれない。やり直しは危ないかもしれない。どうする・・・。
ほぼ狙い通り。うまくいった。軽い地響きを感じた。ほっとするあまり、高揚感とでも言うような、体が宙に浮くような感じがした。一本目を倒して自信を持ったのならいいが、私は伐採がこんなに大変なら、後は業者に頼もうかと思った。
後始末も大変である。薪にならない小さな枝はまとめて一箇所に集める。倒した木を玉切る(ストーブに入る長さに切ること)。玉切った木を我が愛車(二輪車)に積んで庭に運ぶ。楢の木は直径5~60cm、長さ40cmくらいで、その重量はおそらく50kg以上にはなる。愛車には一個しか載らない。薪割り機などないので、斧で割る。硬い木は一筋縄ではいかない。
気がつけば全身汗みずくである。薪ストーブの季節は終わったと言うのに、もう来期の心配をしている。
写真 伐採中の筆者
2015年4月3日金曜日
2015年2月6日金曜日
月下の雪キツネ
二日前の晩のことだった。満月だった。庭は、すっかり根雪に覆われて一面の白であった。月の光を反射してのことで、明るさは昼のそれとはまったく別の種類のものであった。居間の電気を消し、ガラス戸を通してみるその空間は、冷え切った大気に暗い透明な青を溶かし込んだような色合いに見えた。
早めに寝室に入り、読みかけの本を開いたが、数行読む間もなくまぶたが重くなった。本を枕元に置き、すぐに寝入ることができそうだった。湯を早めに浴びたので、体が冷え始めてでもいたのだろうか、実際にはなかなか眠りはやってこなかった。気長にまぶたを閉じていた。
ようやくそれが訪れようとしていたときに、外から甲高いけものの声が聞こえてきた。
ここに越してきて以来、寝る前に時々庭に餌をほおっておく。それは、ニンジンであったり、リンゴの芯であったり、古くなった鶏肉だったりした。そしてある時はテンが、ある時は狸が、リスが、ネコがやってきた。
ああ、外に何かが来ているなと、鈍くなった意識の中で思った。眠気を易々と払いのけ、上半身を起こした。そのままカーテンをそっと開けると、ベランダの向こうにキツネが来ていた。先ほどガラス戸から投げた古くなった菓子パンを漁っている。もうあの妙に甲高い声は、あげていない。明るい満月の雪原とは言え、逆光になっているので、キツネの黒い影はただ雪にじゃれついているようにも見える。
南東の浅い方角に大きな、寒々とした黄色い月があり、白い雪の庭には木々の陰が落ちて交差している。その中に一尾のキツネの影が無心に餌を食べている。
キツネと話がしてみたかった。
部屋の中から窓ガラスを小さくたたいた。キツネは気がつかない。少し大きくたたいた。キツネは一瞬間、辺りを見回したが、すぐに食事に戻った。
私は、心の中でキツネにお休みを言ってまた布団をかぶった。
※ 写真は今撮ったものです。
早めに寝室に入り、読みかけの本を開いたが、数行読む間もなくまぶたが重くなった。本を枕元に置き、すぐに寝入ることができそうだった。湯を早めに浴びたので、体が冷え始めてでもいたのだろうか、実際にはなかなか眠りはやってこなかった。気長にまぶたを閉じていた。
ようやくそれが訪れようとしていたときに、外から甲高いけものの声が聞こえてきた。
ここに越してきて以来、寝る前に時々庭に餌をほおっておく。それは、ニンジンであったり、リンゴの芯であったり、古くなった鶏肉だったりした。そしてある時はテンが、ある時は狸が、リスが、ネコがやってきた。
ああ、外に何かが来ているなと、鈍くなった意識の中で思った。眠気を易々と払いのけ、上半身を起こした。そのままカーテンをそっと開けると、ベランダの向こうにキツネが来ていた。先ほどガラス戸から投げた古くなった菓子パンを漁っている。もうあの妙に甲高い声は、あげていない。明るい満月の雪原とは言え、逆光になっているので、キツネの黒い影はただ雪にじゃれついているようにも見える。
南東の浅い方角に大きな、寒々とした黄色い月があり、白い雪の庭には木々の陰が落ちて交差している。その中に一尾のキツネの影が無心に餌を食べている。
キツネと話がしてみたかった。
部屋の中から窓ガラスを小さくたたいた。キツネは気がつかない。少し大きくたたいた。キツネは一瞬間、辺りを見回したが、すぐに食事に戻った。
私は、心の中でキツネにお休みを言ってまた布団をかぶった。
※ 写真は今撮ったものです。
2014年11月15日土曜日
商売、ショーバイ!
腰が痛いので、整形外科に行った。レントゲン写真を見ながら医者が言った。「椎間板ヘルニアですね。切れば治りますよ」
次に薬屋に行った。症状を聞いて薬剤師(?白衣を着た人)は言った。「ああ、シップ薬を貼ってこの薬を1ヶ月飲めば治りますよ」
そして指圧に行った。気持ちが良かった。で、指圧師曰く、「当分通ってください」と。
心理学に通じている人のところに行った。「これは子供のときのトラウマが原因です。うちのワークショップを受講すれば治ります」
ある宗教に行った。「4代前の因縁が祟っているので、お祓いをすれば治ります」
法律事務所に行った。弁護士曰く、「腰椎の3番を告訴しましょう」。
どの「先生」方も悪気はないのだろうが、かといって真剣にこちらの治療をしようとするふうには見えない。患者が治ろうが治るまいが、症状が自分の持分に関係あろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。金儲けのタネになればいい。治らなくても私に金は戻ってこない。儲けるか、儲けられるかの世の中なのである。
それにしても、この話し、どこかあの話しに似ている。そう、私が以前書いた「誰が象を見たか」である。これによると、各先生方は私の腰痛と言う症状を自分の都合でしか見ていないことになる。それぞれ一面の真理はあるかもしれないが、これさえやれば私の腰痛は治る、そんなものなどないのではないか。ただ彼らは自分のやり方を自分の都合に合わせて説明をするだけなのだ。説明とは、それが正しいからといって事の真理を網羅したことにはならない。
象とは壁のようなものだ、とか、いや象とは柱のようなものだ、と自信を持って言う人ほど進歩はなく、道を過つのだ。
次に薬屋に行った。症状を聞いて薬剤師(?白衣を着た人)は言った。「ああ、シップ薬を貼ってこの薬を1ヶ月飲めば治りますよ」
そして指圧に行った。気持ちが良かった。で、指圧師曰く、「当分通ってください」と。
心理学に通じている人のところに行った。「これは子供のときのトラウマが原因です。うちのワークショップを受講すれば治ります」
ある宗教に行った。「4代前の因縁が祟っているので、お祓いをすれば治ります」
法律事務所に行った。弁護士曰く、「腰椎の3番を告訴しましょう」。
どの「先生」方も悪気はないのだろうが、かといって真剣にこちらの治療をしようとするふうには見えない。患者が治ろうが治るまいが、症状が自分の持分に関係あろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。金儲けのタネになればいい。治らなくても私に金は戻ってこない。儲けるか、儲けられるかの世の中なのである。
それにしても、この話し、どこかあの話しに似ている。そう、私が以前書いた「誰が象を見たか」である。これによると、各先生方は私の腰痛と言う症状を自分の都合でしか見ていないことになる。それぞれ一面の真理はあるかもしれないが、これさえやれば私の腰痛は治る、そんなものなどないのではないか。ただ彼らは自分のやり方を自分の都合に合わせて説明をするだけなのだ。説明とは、それが正しいからといって事の真理を網羅したことにはならない。
象とは壁のようなものだ、とか、いや象とは柱のようなものだ、と自信を持って言う人ほど進歩はなく、道を過つのだ。
2014年9月3日水曜日
だんご三兄弟を偲ぶ
昔のこととて、何故の帰国だったか・・・忘れた。あの頃、私の両親はそれほど元気であったわけではないが、病気で呼び返されるほどのこともなかったように思う。とにかくアイルランドから一時帰国した。春先だったと記憶しているが、食料雑貨店(スーパー)に行くとだんご三兄弟と言う曲がかかっており、大流行だった。
いま電子頭脳網で調べれば、これの流行は1999年とある。私が隠れ家を整理して日本を脱出したのがこの年で、幾月も経たないうちに帰国したわけはないので、これは2000年頃だったのではないかと思う。実家と言っても生まれ育った町ではないので、(勤め人だった父が東京転勤を機に埼玉に家を建てた)帰ったところで家族以外誰と会うこともない。そして自分のいない間に日本で意外なものが流行ったり、事件が起きたりしている。
取り残されたような孤独感と、欧州帰りという根拠のない不思議な優越感がない混ぜになって私の心に去来した。電車に乗れば通勤や通学の人々の姿が珍しく、車内の吊広告が不思議だった。もちろん言葉はわかるのだが、誇張すれば異空間に放り込まれたような、掴みどころのない心持であった。母国とはいえ落ち着かない。実家とはいえ、落ち着かなかった。一週間ほどの「滞在」を終えてダブリン空港に降り立ったときは心底ほっとしたものである。
流行(はやり)の期間は短い。人々は常に移り気で、新しいモノを求める。電気受像機(テレビ)は視聴者を脅かしたり、なだめたりして新商品を売り込む。流行とは消耗品で、だんご三兄弟もあっという間に忘れ去られた。
私は、だんご三兄弟の流行に特別な意味があったとは思わない。しかし、いま我が家にある、グースベリーの幼木がこれを思い出させるのだ。
先日「グースベリーに救われて」と言う記事を書いたが、蒔いた種数十のうち、最終的に発芽したのは6つだけであった。各個発芽の時期が随分ずれており、もう出ないだろうと思ってしばらくして最後の芽がでた。いわば末っ子の6男である(名前はまだない^^;)。
牛乳パックを縦に半分に切って挿し木用の土を入れて、いそいそと種を蒔いた。毎日水をやり、声を掛けた。待って待って待った。諦めかけたときにひとつだけ弱弱しく土から頭をもたげた。長男誕生である。これがどれほど嬉しかったかは「グースベリーに救われて」をお読みいただきたい。
次男が来ることは期待していなかった。数十粒の種の一つだけが発芽した。これが私には暗示的だったのである。それでも次男の誕生(?)は嬉しかった。それからもこの兄弟は私に時間差攻撃を仕掛けて来、今日現在まで計6つが発芽し、無事育っているのが5つである。
私は彼らを独立した立派なグースベリーに育てるために、それぞれにひとつずつ牛乳パックの鉢を与え、朝な夕なに水をやりながら声を掛けた。「お前たち、早く大きくなって私のためだけに社会のために立派な実をたくさんつけるのだぞ」
ある朝、勝手口の給湯釜の上に置いてあった彼らに、朝の挨拶と水やりをしようとして気がついた。4男の小さな葉が・・・鉢の土の上に散っている。茎はみあたらない。夜中に虫にでもやられたのだろうか?他は無事なのだが。
謎の4男殺人事件の後しばらくして後に5男がこの世に生を受ける。5男は産後の肥立ちが悪く、時がたってもなかなか大きくならない。他の子たちは発芽後はわりとすくすくと大きくなったが、5男は丈も一向に伸びない。原因はわからない。そのうちに再々々々々度期せずして6男が生まれた。同じ日に蒔いた種なのに、随分の時間差発芽である。思うにこれも彼らの生物としてのある種の生き残り戦略であろう。とにかく生まれた。これが最初から5男よりたくましいのだった。
グースベリーに「蒲柳の質」があるかどうかは知らないが、5男はひ弱で運が悪い。先日いつものように朝の挨拶をしようと一人ひとり見ていったら、5男にナメクジが付いていた。大事に育てている私の息子に・・・!!!私は桃太郎侍超人ハルクになった気がした。台所から割り箸を持ってきてナメクジを逮捕し、職権により、その場でひねりつぶしの刑に処した。(人とは勝手で残酷な生き物ですねぇ)
そういう訳で今日9月3日現在、グースベリー兄弟は5人になってしまったが、みな元気である。秋になったら彼らを地面に植えてやらなければならないが、果たして寒い冬を生き延びられるのやら、今から心配している親ばかである。さても人間とは・・・。
いま電子頭脳網で調べれば、これの流行は1999年とある。私が隠れ家を整理して日本を脱出したのがこの年で、幾月も経たないうちに帰国したわけはないので、これは2000年頃だったのではないかと思う。実家と言っても生まれ育った町ではないので、(勤め人だった父が東京転勤を機に埼玉に家を建てた)帰ったところで家族以外誰と会うこともない。そして自分のいない間に日本で意外なものが流行ったり、事件が起きたりしている。
取り残されたような孤独感と、欧州帰りという根拠のない不思議な優越感がない混ぜになって私の心に去来した。電車に乗れば通勤や通学の人々の姿が珍しく、車内の吊広告が不思議だった。もちろん言葉はわかるのだが、誇張すれば異空間に放り込まれたような、掴みどころのない心持であった。母国とはいえ落ち着かない。実家とはいえ、落ち着かなかった。一週間ほどの「滞在」を終えてダブリン空港に降り立ったときは心底ほっとしたものである。
流行(はやり)の期間は短い。人々は常に移り気で、新しいモノを求める。電気受像機(テレビ)は視聴者を脅かしたり、なだめたりして新商品を売り込む。流行とは消耗品で、だんご三兄弟もあっという間に忘れ去られた。
私は、だんご三兄弟の流行に特別な意味があったとは思わない。しかし、いま我が家にある、グースベリーの幼木がこれを思い出させるのだ。
先日「グースベリーに救われて」と言う記事を書いたが、蒔いた種数十のうち、最終的に発芽したのは6つだけであった。各個発芽の時期が随分ずれており、もう出ないだろうと思ってしばらくして最後の芽がでた。いわば末っ子の6男である(名前はまだない^^;)。
牛乳パックを縦に半分に切って挿し木用の土を入れて、いそいそと種を蒔いた。毎日水をやり、声を掛けた。待って待って待った。諦めかけたときにひとつだけ弱弱しく土から頭をもたげた。長男誕生である。これがどれほど嬉しかったかは「グースベリーに救われて」をお読みいただきたい。
次男が来ることは期待していなかった。数十粒の種の一つだけが発芽した。これが私には暗示的だったのである。それでも次男の誕生(?)は嬉しかった。それからもこの兄弟は私に時間差攻撃を仕掛けて来、今日現在まで計6つが発芽し、無事育っているのが5つである。
私は彼らを独立した立派なグースベリーに育てるために、それぞれにひとつずつ牛乳パックの鉢を与え、朝な夕なに水をやりながら声を掛けた。「お前たち、早く大きくなって
ある朝、勝手口の給湯釜の上に置いてあった彼らに、朝の挨拶と水やりをしようとして気がついた。4男の小さな葉が・・・鉢の土の上に散っている。茎はみあたらない。夜中に虫にでもやられたのだろうか?他は無事なのだが。
謎の4男殺人事件の後しばらくして後に5男がこの世に生を受ける。5男は産後の肥立ちが悪く、時がたってもなかなか大きくならない。他の子たちは発芽後はわりとすくすくと大きくなったが、5男は丈も一向に伸びない。原因はわからない。そのうちに再々々々々度期せずして6男が生まれた。同じ日に蒔いた種なのに、随分の時間差発芽である。思うにこれも彼らの生物としてのある種の生き残り戦略であろう。とにかく生まれた。これが最初から5男よりたくましいのだった。
グースベリーに「蒲柳の質」があるかどうかは知らないが、5男はひ弱で運が悪い。先日いつものように朝の挨拶をしようと一人ひとり見ていったら、5男にナメクジが付いていた。大事に育てている私の息子に・・・!!!私は桃太郎侍超人ハルクになった気がした。台所から割り箸を持ってきてナメクジを逮捕し、職権により、その場でひねりつぶしの刑に処した。(人とは勝手で残酷な生き物ですねぇ)
そういう訳で今日9月3日現在、グースベリー兄弟は5人になってしまったが、みな元気である。秋になったら彼らを地面に植えてやらなければならないが、果たして寒い冬を生き延びられるのやら、今から心配している親ばかである。さても人間とは・・・。
画面左から長男、次男、三男、そして五男と六男はおなじ鉢
2014年8月10日日曜日
野鳥貸家 緊急速報
先の記事で書いた私の人生初の店子(たなこ)が巣立った。
昨夕、シジュウカラの親鳥がいつもと違う鳴き方をするのに気がついて、西洋濡れ縁に愛用の折りたたみ式監督椅子を持ち出した。珈琲を入れる間もなく、巣箱の丸い玄関から一羽の雛が顔を出した。近くにいる親鳥が、いつもの「ジキジキジキ」とは違った、今までに聞いたことのない声で幼鳥の巣立ちを促していた。3羽続けて巣を発ったが、幼鳥たちは生まれて初めて見る世界に戸惑いを覚えてか、どれも玄関でしばしのためらいを見せていた。みなくちばしが黄色く、初めての飛行はまことに覚束ないものだった。
いまここ佐久でも台風11号の影響で断続的な雨が降っている。その合間を縫って、親鳥と思われるシジュウカラが巣箱のとなりのリョウブの木に来ていた。私が冬につるした落花生を啄ばんでいる。それは既にカビだらけで、どう考えても食べられるものではないと思うのだが。野に食べ物の溢れている季節である。わからない・・・。
先ほど県知事選の投票に行き、ついでに買い物へ。いつものところでは手に入らない落花生を、少し足を伸ばして別のスーパーで買ってきた。この記事を書き終え次第落花生を車庫の軒先につるすつもりだ。
なにも台風が来ているときに巣立たなくても、と思う。幼鳥たちが濡れて風邪などひかねば良いがとも思う。南のガラス戸から巣箱を望んでも、もう彼らはいない。寂しいのう・・・^^;
( あっ、家賃とりはぐれた ! )
昨夕、シジュウカラの親鳥がいつもと違う鳴き方をするのに気がついて、西洋濡れ縁に愛用の折りたたみ式監督椅子を持ち出した。珈琲を入れる間もなく、巣箱の丸い玄関から一羽の雛が顔を出した。近くにいる親鳥が、いつもの「ジキジキジキ」とは違った、今までに聞いたことのない声で幼鳥の巣立ちを促していた。3羽続けて巣を発ったが、幼鳥たちは生まれて初めて見る世界に戸惑いを覚えてか、どれも玄関でしばしのためらいを見せていた。みなくちばしが黄色く、初めての飛行はまことに覚束ないものだった。
いまここ佐久でも台風11号の影響で断続的な雨が降っている。その合間を縫って、親鳥と思われるシジュウカラが巣箱のとなりのリョウブの木に来ていた。私が冬につるした落花生を啄ばんでいる。それは既にカビだらけで、どう考えても食べられるものではないと思うのだが。野に食べ物の溢れている季節である。わからない・・・。
先ほど県知事選の投票に行き、ついでに買い物へ。いつものところでは手に入らない落花生を、少し足を伸ばして別のスーパーで買ってきた。この記事を書き終え次第落花生を車庫の軒先につるすつもりだ。
なにも台風が来ているときに巣立たなくても、と思う。幼鳥たちが濡れて風邪などひかねば良いがとも思う。南のガラス戸から巣箱を望んでも、もう彼らはいない。寂しいのう・・・^^;
(
2014年8月8日金曜日
グースベリーに救われて
(6月に書き始めた記事です。ご容赦を)
梅雨というものを随分久しぶりで経験している。まさに連日これ雨か曇りである。これが悪くない。早朝の散歩に出れば、夜中に動物が徘徊した跡や、綺麗な鳥の鳴き声、そして見知らぬ植物が語りかけてくる。晴れて朝陽に迎えられるのもいいものだが、冷たい雨の中傘をさして自然と対話しながら歩くのはまた格別である。
佐久は平地でも標高700メートルを越えている。それでも夏は暑いようだ。千曲川の流れに鮎つりの竿をさす人々は下半身が冷え冷えとしていても、水につからない上半身はさぞ暑かろうと思う。
所用で里に降り、その暑さに閉口して帰りを急ぐ。山道を登りはじめて5分もすれば、車の冷房を切って窓を開ける。いつもその意外な温度変化に驚かされる。山の濃い緑と新鮮で冷涼な空気が、大げさに言えば私を生き返らせる。
心を病んで数年、当初は先々のことを憂え、発狂の恐怖に囚われていた。それでも体は生きようとして飯を欲しがる。最近は自己観察というものを、辛くも面白く感じる時がある。まだ境界を越えてはいないようだが、躁鬱の気質である。人に親切にしようとし、つまらない冗談を言う。こんなときは躁になっている。小さな失敗で絶望するときは欝。症状は軽いのだろうと思う。昨今は結構冷静に自分を見つめ、これを研究する余裕さえあるようだ。
先日相次いで出費が重なり、急に将来が見えなくなったような気がした。あれを節約しこれを削って、これで損をして、ということは日常のことである。が、欝にあるときは、これを尋常とは思えないのである。
人は他の動物より自由度が高いと思う。だからそれぞれが好きなように生きればいい。ただ、その生き方が正しければ神様はこれを許してくださり、間違っていれば正してくださる。思慮深く、計画性をもって生きるもよし、無計画に気まぐれに生きるもよし。確実なことは、遅くともあと数十年で私は、この地上から消えてなくなると言うことだけである。
私は耶蘇ではないが、マタイによる福音書6章に
26.空の鳥を見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなた方は鳥よりも価値のあるものではないか。27.あなた方のうち誰が思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
とある。
聖書の成立は詳しくは知らないが、今から1800年から1900年前である。すなわちこの言葉は2000年近くも人々の間に読まれ続けてきたのである。(日本に渡来したのは1549年)それでも人はあくせくする。個人的には私はこの言葉を二十歳くらいの頃に読んだ。そしてそれからン十年を経た最近「そうなんだろうな・・・」と言う程度に理解するようになった。
自分と言う一個人の進歩の遅さにはときに唖然とするが、それでもいくらかずつは前に進んでいるものらしい。落ち込んでいるときには、浮かび上がるためのきっかけが欲しい。それは必ずしも先のような深い含蓄のある言葉でなくてもいいのだ。
昨年の今頃、友人Cが大玉のグースベリーを持って遊びに来てくれた。彼女には、かねてより種が欲しいので良く熟れたグースベリーがあったら持ってきて、と頼んであったのだ。そういう種類なのだろう、一粒が葡萄のデラウエアと同じくらい大きい。食べるのもそこそこに私は種を取り出してちり紙にくるんで乾燥させた。大事にしすぎて一時行方不明になったが、この春無事に発見でき、牛乳パックの即席苗床に蒔いた。
出費が重なったとはいえ、気持ちが随分と暗くなっていたのは、そんな時期だった。元来私はケチである。モノを買うまではあれこれ逡巡し迷うが、(それでも買ってしまった後は綺麗さっぱり忘れる)しかし、精神の落ち込んでいるときはそうは行かない。これが連鎖反応を引き起こし、いよいよ落ち込むのだ。
せっせと水をやり、毎朝心の中で声を掛けた。しかし、待てど暮らせど芽は出ない。人工交配された種なのだろう、あらかじめCからは、タネでは増やせないかもしれない、と言われていた。数十粒蒔いたにもかかわらず、ひとつとして出ない。
ある朝、ざらついた苗床の土の表面をなめるように見ていた。そこに白い何かが見えた。昨日まではなかった何かがあった。私は最初に雑草を疑った。飛んできた雑草のタネがここで発芽してもおかしくはない。欝期とはそういうものなのだ。数日たってタネの黒い殻が土から浮かび上がり、、やがてそれが脱け落ちて双葉になった。さらに数日たってから双葉の真ん中から小さくもグースベリーの特徴ある葉が出てきた。
私は早朝のひんやりとした空気の中で、ひとり欣喜した。
写真は6月22日のもの。定規の50mmの下に白い茎が見える^^;
これは今撮ったもの(8月6日)。ちゃんとグースベリーの特徴である棘(トゲ)も出てきた。
追記・・・日本語ではグズベリと呼ぶようだが、例によって間違った英語である。敢えてカタカナ英語で言うならグースベリーである。Goose Berry すなわちアヒルの小果実である。
梅雨というものを随分久しぶりで経験している。まさに連日これ雨か曇りである。これが悪くない。早朝の散歩に出れば、夜中に動物が徘徊した跡や、綺麗な鳥の鳴き声、そして見知らぬ植物が語りかけてくる。晴れて朝陽に迎えられるのもいいものだが、冷たい雨の中傘をさして自然と対話しながら歩くのはまた格別である。
佐久は平地でも標高700メートルを越えている。それでも夏は暑いようだ。千曲川の流れに鮎つりの竿をさす人々は下半身が冷え冷えとしていても、水につからない上半身はさぞ暑かろうと思う。
所用で里に降り、その暑さに閉口して帰りを急ぐ。山道を登りはじめて5分もすれば、車の冷房を切って窓を開ける。いつもその意外な温度変化に驚かされる。山の濃い緑と新鮮で冷涼な空気が、大げさに言えば私を生き返らせる。
心を病んで数年、当初は先々のことを憂え、発狂の恐怖に囚われていた。それでも体は生きようとして飯を欲しがる。最近は自己観察というものを、辛くも面白く感じる時がある。まだ境界を越えてはいないようだが、躁鬱の気質である。人に親切にしようとし、つまらない冗談を言う。こんなときは躁になっている。小さな失敗で絶望するときは欝。症状は軽いのだろうと思う。昨今は結構冷静に自分を見つめ、これを研究する余裕さえあるようだ。
先日相次いで出費が重なり、急に将来が見えなくなったような気がした。あれを節約しこれを削って、これで損をして、ということは日常のことである。が、欝にあるときは、これを尋常とは思えないのである。
人は他の動物より自由度が高いと思う。だからそれぞれが好きなように生きればいい。ただ、その生き方が正しければ神様はこれを許してくださり、間違っていれば正してくださる。思慮深く、計画性をもって生きるもよし、無計画に気まぐれに生きるもよし。確実なことは、遅くともあと数十年で私は、この地上から消えてなくなると言うことだけである。
私は耶蘇ではないが、マタイによる福音書6章に
26.空の鳥を見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなた方は鳥よりも価値のあるものではないか。27.あなた方のうち誰が思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
とある。
聖書の成立は詳しくは知らないが、今から1800年から1900年前である。すなわちこの言葉は2000年近くも人々の間に読まれ続けてきたのである。(日本に渡来したのは1549年)それでも人はあくせくする。個人的には私はこの言葉を二十歳くらいの頃に読んだ。そしてそれからン十年を経た最近「そうなんだろうな・・・」と言う程度に理解するようになった。
自分と言う一個人の進歩の遅さにはときに唖然とするが、それでもいくらかずつは前に進んでいるものらしい。落ち込んでいるときには、浮かび上がるためのきっかけが欲しい。それは必ずしも先のような深い含蓄のある言葉でなくてもいいのだ。
昨年の今頃、友人Cが大玉のグースベリーを持って遊びに来てくれた。彼女には、かねてより種が欲しいので良く熟れたグースベリーがあったら持ってきて、と頼んであったのだ。そういう種類なのだろう、一粒が葡萄のデラウエアと同じくらい大きい。食べるのもそこそこに私は種を取り出してちり紙にくるんで乾燥させた。大事にしすぎて一時行方不明になったが、この春無事に発見でき、牛乳パックの即席苗床に蒔いた。
出費が重なったとはいえ、気持ちが随分と暗くなっていたのは、そんな時期だった。元来私はケチである。モノを買うまではあれこれ逡巡し迷うが、(それでも買ってしまった後は綺麗さっぱり忘れる)しかし、精神の落ち込んでいるときはそうは行かない。これが連鎖反応を引き起こし、いよいよ落ち込むのだ。
せっせと水をやり、毎朝心の中で声を掛けた。しかし、待てど暮らせど芽は出ない。人工交配された種なのだろう、あらかじめCからは、タネでは増やせないかもしれない、と言われていた。数十粒蒔いたにもかかわらず、ひとつとして出ない。
ある朝、ざらついた苗床の土の表面をなめるように見ていた。そこに白い何かが見えた。昨日まではなかった何かがあった。私は最初に雑草を疑った。飛んできた雑草のタネがここで発芽してもおかしくはない。欝期とはそういうものなのだ。数日たってタネの黒い殻が土から浮かび上がり、、やがてそれが脱け落ちて双葉になった。さらに数日たってから双葉の真ん中から小さくもグースベリーの特徴ある葉が出てきた。
私は早朝のひんやりとした空気の中で、ひとり欣喜した。
写真は6月22日のもの。定規の50mmの下に白い茎が見える^^;
これは今撮ったもの(8月6日)。ちゃんとグースベリーの特徴である棘(トゲ)も出てきた。
追記・・・日本語ではグズベリと呼ぶようだが、例によって間違った英語である。敢えてカタカナ英語で言うならグースベリーである。Goose Berry すなわちアヒルの小果実である。
2014年8月4日月曜日
野鳥貸家 シジュウカラ先生、スズメ先生
春に鳥の巣箱を作った。それを6月の下旬に庭の木にかけた。ヤマガラやコガラ、そしてシジュウカラやヒガラなどが入ることを期待した。彼らはその時既に営巣の真っ最中だった筈で、巣を選ぶのはそれを遡る事数ヶ月前だと言う。つまり今営巣の時期だからと言って巣箱を掛けても、時は既に遅いのであった。
屋根はガルバリュウム鋼板葺き片流れ、壁と床は厚さ12ミリの合板造りで、まあまあの出来栄えであった。これを自慢したく、知人に写真を送ったところ、出入り口が大きすぎて、スズメや他の野鳥に襲われる可能性を指摘された。
改めて電子頭脳網(ネット)の投稿動画を調べてみたら、なんとシジュウカラの巣がスズメに襲われ、雛や卵が壊されたり連れ去られたりしている。これを見た人々の感想が述べられているが、大方は、これは自然の摂理だ、と言うものであった。かく言う私もこれには賛成だが、贔屓にしている野鳥のために作った巣箱が襲われて、中の卵や雛を殺されるのは、心中穏やかならざるものがある。
結果スズメは、前述カラ族(いづれもスズメの仲間であるが)よりわずかに大きいことから、玄関を心もち小さくするだけで、取り合えずは襲われずに済みそうである。一辺10センチほどの四角く切った合板に直径28ミリの穴をあけ、白く塗った後でこれを元の玄関の上から螺子で留めた。私はこの意匠を気に入っているが、果たして野鳥たちはどうだろうか・・・。
どうせ今季は店子(たなこ)は現れないだろうと思いながら、庭木の高さ3メートルほどのところに掛けた。なかなかいい眺めである。先ごろ自作した西洋濡れ縁(ウッドデッキ)から良く見える。借り手が現れるのは来年の春、4~5月頃だろう。
と思っていたら、早くも下見に来ているつがいがいた。シジュウカラの気の早い(遅い?)オスが婚約者を見つけて、
「ねぇ、ぼくとっても素敵なおうちを見つけたんだ。一緒に見に行こうよ」
「あら、このおうち確かにいいわね。それに大家さんがとってもいい男だわ」
「そうだね、ぼく、来年まで待てない。もう結婚しちゃおぅよ」
と言うわけで7月も末というのに、私の人生初の店子がこの貸家に交互に出入りするようになった。シジュウカラは巣作りをするのはメスだけだと言う。交互に出入りするのは卵があるか、もう孵化しているかのどちらかだ。どちらもおおきな芋虫をくわえて出入りするようになった。
慌てたのは私であった。ご近所の複数の人の話によると、スズメよりヘビが危ないとのことである。そのうちのひとり、K氏はわざわざアオダイショウが庭に掛けた巣箱を襲っている真っ最中の写真を見せてくれた。私はタバコは吸わないのであるが、わざわざタバコを買ってきて、水に浸けて巣箱を掛けた木の根元に撒いた。ヘビはニコチンを嫌う由である。もったいないので、水に浸ける前にタバコ一本に付き2~3服吸った。うまかった。が、十数年前に禁煙したので、これを再開するつもりはまったくない。やはりこれは毒だと思った。
巣を掛けた木の根もとの薮を払った。ヘビがこれを伝って侵入するのを防ぐためだ。2~3メートル東にはリョウブの木があり、ここには野鳥食堂(参照)がある。これがあると他の野鳥たちも頻繁にやって来る。撤去決定。私としては、もはや店子の彼らとともに子育てをしているの心境である。
朝スズメの群れがやって来る。気がつくたびにレーザーポインターで追い払う。彼らの縄張りはお隣のS邸である。昨年はS邸の軒先にスズメバチが大きな巣をつくり、彼らがいなくなったと思ったらスズメが巣作りを始めた。スズメバチの巣にスズメが巣を作った。スズメは、わが野鳥食堂でも餌皿の中に居座ってひまわりの種を食い荒らす。シジュウカラやヤマガラなどは一粒くわえては移動して別の枝に留まり、これを食べる。スズメが餌皿にいる間は辛抱強く待っているが、彼らが去った後には皿の中にひまわりの殻しか残らない。
投稿動画で野生の実態を見て以来、スズメが嫌いになった。理不尽であるが、私はこの理不尽を学ぶために生きている。それにつけてもシジュウカラ夫婦の甲斐甲斐しさよ。この暑さの中、雛たちのために一所懸命芋虫を運び続ける。
おまけ・・・手作りの西洋濡れ縁。広さ11畳ほど。この画像の左手に
栗の木があるが、野鳥貸家はそのすぐ左にある^^;
屋根はガルバリュウム鋼板葺き片流れ、壁と床は厚さ12ミリの合板造りで、まあまあの出来栄えであった。これを自慢したく、知人に写真を送ったところ、出入り口が大きすぎて、スズメや他の野鳥に襲われる可能性を指摘された。
改めて電子頭脳網(ネット)の投稿動画を調べてみたら、なんとシジュウカラの巣がスズメに襲われ、雛や卵が壊されたり連れ去られたりしている。これを見た人々の感想が述べられているが、大方は、これは自然の摂理だ、と言うものであった。かく言う私もこれには賛成だが、贔屓にしている野鳥のために作った巣箱が襲われて、中の卵や雛を殺されるのは、心中穏やかならざるものがある。
結果スズメは、前述カラ族(いづれもスズメの仲間であるが)よりわずかに大きいことから、玄関を心もち小さくするだけで、取り合えずは襲われずに済みそうである。一辺10センチほどの四角く切った合板に直径28ミリの穴をあけ、白く塗った後でこれを元の玄関の上から螺子で留めた。私はこの意匠を気に入っているが、果たして野鳥たちはどうだろうか・・・。
どうせ今季は店子(たなこ)は現れないだろうと思いながら、庭木の高さ3メートルほどのところに掛けた。なかなかいい眺めである。先ごろ自作した西洋濡れ縁(ウッドデッキ)から良く見える。借り手が現れるのは来年の春、4~5月頃だろう。
と思っていたら、早くも下見に来ているつがいがいた。シジュウカラの気の早い(遅い?)オスが婚約者を見つけて、
「ねぇ、ぼくとっても素敵なおうちを見つけたんだ。一緒に見に行こうよ」
「あら、このおうち確かにいいわね。それに大家さんがとってもいい男だわ」
「そうだね、ぼく、来年まで待てない。もう結婚しちゃおぅよ」
と言うわけで7月も末というのに、私の人生初の店子がこの貸家に交互に出入りするようになった。シジュウカラは巣作りをするのはメスだけだと言う。交互に出入りするのは卵があるか、もう孵化しているかのどちらかだ。どちらもおおきな芋虫をくわえて出入りするようになった。
慌てたのは私であった。ご近所の複数の人の話によると、スズメよりヘビが危ないとのことである。そのうちのひとり、K氏はわざわざアオダイショウが庭に掛けた巣箱を襲っている真っ最中の写真を見せてくれた。私はタバコは吸わないのであるが、わざわざタバコを買ってきて、水に浸けて巣箱を掛けた木の根元に撒いた。ヘビはニコチンを嫌う由である。もったいないので、水に浸ける前にタバコ一本に付き2~3服吸った。うまかった。が、十数年前に禁煙したので、これを再開するつもりはまったくない。やはりこれは毒だと思った。
巣を掛けた木の根もとの薮を払った。ヘビがこれを伝って侵入するのを防ぐためだ。2~3メートル東にはリョウブの木があり、ここには野鳥食堂(参照)がある。これがあると他の野鳥たちも頻繁にやって来る。撤去決定。私としては、もはや店子の彼らとともに子育てをしているの心境である。
朝スズメの群れがやって来る。気がつくたびにレーザーポインターで追い払う。彼らの縄張りはお隣のS邸である。昨年はS邸の軒先にスズメバチが大きな巣をつくり、彼らがいなくなったと思ったらスズメが巣作りを始めた。スズメバチの巣にスズメが巣を作った。スズメは、わが野鳥食堂でも餌皿の中に居座ってひまわりの種を食い荒らす。シジュウカラやヤマガラなどは一粒くわえては移動して別の枝に留まり、これを食べる。スズメが餌皿にいる間は辛抱強く待っているが、彼らが去った後には皿の中にひまわりの殻しか残らない。
投稿動画で野生の実態を見て以来、スズメが嫌いになった。理不尽であるが、私はこの理不尽を学ぶために生きている。それにつけてもシジュウカラ夫婦の甲斐甲斐しさよ。この暑さの中、雛たちのために一所懸命芋虫を運び続ける。
↑ 出入り口の左の小枝に一羽のシジュウカラが見える
栗の木があるが、野鳥貸家はそのすぐ左にある^^;
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