2011年3月18日金曜日

マスコミ禍

ヘルメットを被り、マイクを片手に悲痛を装って被災地の隅々まで行くテレビのレポーター達。その数は無数である。彼ら曰く「ここでは水も食料も足りません。救援物資が届かないのです。ちょっとお話しを聞いてみましょう」と。

マスコミは視聴率、聴取率、または発行部数でなんぼの世界である。その前に正義も常識もない。交通が遮断されて物資が届かない筈のところにもマスコミはおしかけて「知る権利」をかさに被害者をメシの種にするのだ。現場が悲惨であればあるほど彼らは儲かる。

マスコミが行けるなら支援物資も届くだろう。支援物資も届けられないような所ならマスコミも行けるわけがない。マスコミが行くならせめて物資を満載した小型トラックを同道するがいい。

2011年3月8日火曜日

ああ、6万円

知人宅を訪ねた帰り道、地元のいろは坂の登りが緩くなったあたりで、左手谷側のガードレールからいきなり鹿が跳び出して来て私の車にあたった。あまりにも突然のことで、大きな音と衝撃で初めて鹿に気がついた。

鹿は数頭おり、一頭はそのまま道路を横断し右手の崖を登って逃げ、他のものはまた谷底に下って行ったようだ。

鹿はこの辺りでは「ならず者」である。集団で畑を荒らしまくる。私の住む別荘地でも度々見かけ、人々が丹精した野菜をタヌキとタッグを組んで食い荒らす。もちろん彼らにプロが作ったものであろうが素人が作ったものであろうが区別も容赦もしない。私が彼らを「ならず者」と呼ぶ所以である。

日本狼が絶滅した後、ここの食物連鎖の頂点に立つのは人間様であるが、その人間様である猟師の平均年令が上がり、或いは後継者不足で害獣駆除が思うにまかせない。もっとも、狼を絶滅に追いやったのは人間様であろうから、昔の日本人がしたことのしっぺ返しを現代の日本人である私が受けていると言えなくもない。人間が自然界に介入してそのバランスを崩してしまう、このような例は世界中にあるのだ。

と、そんなことより私の車である。私はビンボーなので、車はダイハツハイゼット。そのバンパーを大破、フェンダーは小破した。壊れた部品のそこここ鹿の毛が付いている。(もし、鹿がその場で血を流して死んだら私はその後処理で大変だったろうと思う)自走できるのでこれを知り合いの板金屋さんに持っていった。新品部品を使っての修理は10万円、中古部品を使っても6万円だと言う。一瞬で消えた6万円の憤懣のやり場がない。

そう言えばつい2週間ほど前に市の主催する「罠猟講習会」で無料の鹿肉のカレーを食べたっけ。シカも美味しくておかわりまでしたっけ

考えようによっては自然豊かな人里を離れた所に住んでいるのだ。有名人は有名税を払っている。田舎者は田舎税を多少は払わねばなるまい。

それにつけても馬鹿鹿の憎さよ・・・ああ、6万円。

追記
実は鹿をはねた後、車の損害を調べていたら左手の斜面にハンターがいて、鹿はこのハンターに追われて私の車にあたったらしいのだ。彼らには責任は無いのかなぁ ←未練がましい

追記2
ヨーロッパの僻地に隠れ住むSnigel氏は自慢の四駆車にアニマルバンパーを装着している。ほとんど街中シカ走らないのに、である。斯く言う私の車には左様なモノはない。私の御用邸は鹿や猪が跋扈する山の中である。無用なところにあって必要なところに無い。おかしいではないか!
訂正  御用邸 → 山小屋