2012年5月31日木曜日

警告

警告などというのは穏やかではありません。実は人目を引きたかっただけのことです。これは単なるお知らせです。こうやって私は人々の信用を失ってゆくのです。でも、電気紙芝居の広告はいつもこんなですよ。あなたにはビタミン何々が足りません。これが不足すると大変なことになりますよ。当社の△◎✖がお勧めです。今ならひと家族に限って980円です。こんなもんです。世の中を斜から眺めるとおかしくてヘソでメシを炊き、三回まわってニャンと言いそうになります。


さて、私がこのブログを書いているのには3つ理由があります。ひとつには文章練習、ふたつには自分の意見の不特定多数の人々に対する発信(これにはまったくと言っていいほど反応がないので読者の皆様が何を感じ、何を思っているかはわかりません。そのうち刺客が送られてくるかも知れません)、あとは自己満足のためです。

くだらない冗談を言ったり、わざと難しい表現を使ってみたり、様々に工夫をしているわけです。言いたいことがあってもうまく文章をまとめられない場合は発表していません。記事を部分的に書き直したり、追加もしています。どうか時々は古い記事を読みなおしてみてください。

私はブログの統計を見るのが好きです。読者の皆様が、どこでこれをお読みになっているか、どの記事がどのくらい読まれているかが大まかではありますが分かります。内容がなくても面白い記事が人気だったり、私の言いたいことを一所懸命に書いたものが不人気だったり、一喜一憂しております。

私自身は人様に自分の年を分けて差し上げたいくらいの年齢に達しておりますが、一方では精神的にまだ未熟で、従って文章の内容も表現も稚拙だと思います。さりながら意外に多くの固定読者の方々が出来つつあり、これには自身が驚いております。もうじきAKB48を追い越すことでしょう。(Snigel 師匠にはアクが強いだの、毒が強いとか、いつも褒められてばかりです。自慢の点も多いのですが、反省点も少しはあります)

世界中の様々な場所で活躍されている日本人の読者の皆様、ありがとうございます。この場で私からの「警告」と日頃のご来場(???)の御礼を申し上げます。

スコットランドの片田舎にて     ひま人2号 みっちー

2012年5月24日木曜日

みっちーの旅

23日早朝3時半に迎えの車が来た。さすがに辺りはまだ真っ暗で、その発動機音は近所をはばかるほどのものだった。それより少し前、家の戸締りを確認すべく外に出た時は、フクロウの声がしていた。鵺(ヌエ・・・トラツグミのことらしい)などは人から忌み嫌われるが、その声もよく聞かれ私は好きである。シカやキツネも夜に鳴く。耳をすませば楽しい佐久の夜なのである。

朝10時50分発の英国航空の飛行機に乗るのに3時半に家を出るのはいささか早すぎるというものだが、道中何が起こってもこれなら絶対に間に合う。ちなみに昨年は北欧航空で、出発時間は同じような時間帯であったが、家を出る時間はこれより一時間も遅かったと思う。運転手や予想される交通状況で変わるのだろう。地方在住の割には成田や羽田への便はいい。東京や成田に前泊すると余分な経費がかかる。

結局成田には7時40分頃着き、搭乗手続きには早すぎ、関係ない別の搭乗受付口(カウンター)でちょっくら旅行用鞄の重さを計ってもらう。なんとたったの15キロ。約半年の間とは言え、どうしても日本から持ってゆかなければならないモノなど実はそれほどない。一番重い荷物は膝置き型電子計算機だが、これは機内持ち込みにするし。他には本である。だいぶ前に古本屋で集めておいた漱石やらドフトエフスキーなどを手荷物に入れてあったが、預け入れ荷物が思いの外軽かったので、損をしたような気持ちになり、混雑する空港の片隅で、かなり重くなっていた手荷物から本を取り出し、預け入れ荷物に移した。ふと前方に目をやるとご同輩がいる。一所懸命に詰替をやっている。

トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の映画「 The Terminal 」のように空港では毎日人々の泣き笑いが起きている。私にはいつ、どこでだったかは忘れたが、目に焼き付いて離れない空港での画がある。若いいかにも田舎から出てきた感じの白人女性が、人々が行き交い、且つ列を作る空港の帳場のそばで泣きながら旅行かばんを閉じようとしている。その周辺は靴や衣類などの荷物が、そして包み紙からはみ出した食べかけのサンドイッチなどが散乱しており、それが様々に彼女の過ぎ来し方を想像させた。できるものなら大丈夫だよ、心配ないよ、いま我慢すればまたいいことがあるよと言ってあげたかった。

出来ればヒースロー乗り換えは避けたかったが、航空券の安さに負けた。ターミナル5に到着し、空港内を走る無人電車で他のターミナル行きバス乗り場に着く。ここからはバスで移動。迷路のような工事現場を走って12分、ようやくターミナル1に到着。いつか見た風景。それがいつだったかは思い出せない。乗り継ぎの飛行機を待っていると既視感(デジャブー)ではなく、中年の女性に空港に関する聞き取り調査を依頼された。間違いなく前回もここで同じものを受けた記憶がある。あれは本当にただの聞取り調査なのだろうかと疑う。国中に監視カメラがある国なのである。

ダブリン行きのゲートは82。ここまで来ればアイルランドと言う名の田舎の香りがしてくる。空港職員も乗客もそんな感じなのだ。飛行機に乗り込み、席に着くやうたた寝をはじめる。時差ボケで眠い。疲労感はないがただひたすら眠い。気がつけば眼下に陸地が見えている。荷物を受け取って出ると約束どおりSnigel(http://www.ikikou.com/ アイルランド真実紀行作者)閣下が迎えに来てくれている。半年ぶりの再会なので、取り立てて旧交を温める気もしないが、この御仁、極めて面倒見がよく、かつ情に厚い。いままで散々世話になってきたが、これからも世話になろうと固く心に誓う。(お返しは天国で^^;)

夕方7時近く彼らの家に着くと、部屋でひできす(http://irishpot.net/blog/アイルランドの「つぼ」作者)大明神が相変わらず電子計算機の画面を見つめている。近々社内で試験があるらしい。いい匂いがする。ここで私は自分が空腹であることに気がつく。時差ボケはトイレの頃合いや食欲などを著しく狂わせる。ひできす大魔神はラザニアを作ってくれていた。総入れ歯ひできすの相棒まっきーがいない。地方に行っているという。とは言うものの、私は彼女とは面識はないのだが。家の中の様子がある意味激変している。ひできすの部屋は一回きれいになってそれからまたもとに戻りつつある過程のようだ。居間がすっかり片付いている。台所と続いている食堂(とは言え畳3畳ほどの広さ)も片付いている。げに頼もしきは女性の力である。しかし、彼女がいつ発ったのかは聞きそびれたが、ここは天然自然にいつもの姿に戻りつつあるようだ。( 英語ではBack to normal とでもいうのだろうが・・・)

食事の後、私とひできすが世間話をしていると、Snigelが立って台所仕事を始めた。ここにいる間は片付けは私の仕事なのだが(料理が嫌いなので)Snigelオバサンは料理を始めた。なんとカレーである。聞けば彼らが仕事で留守をしている間の私のご飯だという。私は彼らと会って以来、人類皆ひできすやSnigelのようであれば世に災いはなくなるものをと思ってきたのである。

追記
その翌日ひできすはお受験でかなり神経質になっていたが、久しぶりに私が訪れたので気を使ってか、少しだけ話し相手になってくれた。(訪問のタイミング実に悪し)その間、Snigelと言えば何とプリンを焼いてくれた。プッチンプリンはそれはそれで美味しいが、プリンは元来焼き菓子である。Snigelおばさんのはまっきー女史に教わった本格的なpuddingであった。同時にチーズケーキも焼いた。これは彼には不満だったらしいが十分美味しかった。わ~い、5人でドイツに行って念願のお菓子屋さんをやろう。(いつから念願だったかはとんと記憶にないが・・・5人とは菓子職人Snigel、社長はClaudia(Snigelのパートナー)、丁稚(でっち)ひできす、売り子まっきー、レジ係りみっちー。最強絶妙の人事ではある)

2012年5月21日月曜日

金環日食ダーッ !

昨日よりスイスから友人のPと彼の相方Hさん(日本人)が来ていた。予め日食観測用のメガネを買っておいた。980円であった。が、これははっきり言わせてもらえば製造元か販売店かが暴利貪った結果だろう。

Hは東京では手に入らないし、ネットで買えば200円のものに1500円の送料がかかるので、私に3つ買っておいて欲しいとのことであったが、3つ買えば3000円近い金が消える。しかも天気はどうなるかわからない。もしかしたら曇天か雨で空振りに終わるかもしれない。吝嗇(りんしょく)な私は一つだけ買った。

今朝七時頃、南の硝子戸を開けて東の空を見上げると雲はあるものの太陽が出ており、テレビの中継を観ると高知でも名古屋でも既に欠け始めている。早速専用のメガネで覗くと、ここの太陽も確かに欠け始めている。理屈ではわかるものの、やはり感動するのである。

PとHの寝室の扉を静かに叩くと、眠そうなHの返答があった。裏庭に出て三人で代わる代わるメガネを使って日食を見る。Pは携帯の写真機でこれを捉えんとするが、うまく行かない。Hもメガネを写真機と合わせて試みるがうまく行かない。Hの写真機は結構性能のいいものである。結果から言うと私の普通のデジカメとメガネでとった写真が一番うまく撮れた。

彼らはこの後、戸隠に蕎麦を食べに行った。私といえば一緒に行きたいのはやまやまであったが、なにしろ明後日の渡欧の準備がある。しかし、いい一日であった。

※「 金環日食ダーッ !」と書いたのはPがアントニオ猪木の大ファンで、日本語が話せないもののしょっちゅう「ダーッ?」「ダーッ!」と会話を交わすからである。

2012年5月10日木曜日

桜と語る

少し寝坊をしたが外套を着て珈琲を片手に裏庭に出る。今朝5時45分頃の外気温は5度ほどであった。霧が出ている。夜中に雨が降ったようである。

地面は濡れており、芝の所々小さな蜘蛛の巣が無数の水滴に纏われてある。昨日抜いてそのまま放置した雑草の根がまだ新鮮で、隙あらば蘇らんとしているかのようだ(想話左遷^^)。

珈琲マグを薪割り台に置いてそのまま南側の道路に出る。時間こそ不正確だが、道順は哲学者カントの正確さと変わりない。東に向かうので、自然昇り始めた太陽との対面となる。まるでムンクの「叫び」のような光景である。もっともあちらは夕日だろうが・・・。

このような場所でも桜は結構ある。我が家の斜向かいのS宅には植えられた見事な枝垂れ桜がある。葉桜となり始めてはいるが、まだ十分に美しい。西隣のS宅では八重が植えられており、これは昨日今日咲き始めたところである。偶然にも東隣もSで始まるお宅であるが、我が領地との境にはサクランボの幼木があり、植えて5年目にようやく花が咲いたとご夫妻が喜んでおられた。(なぜか私もうれしくなったが・・・)

実は私の興味の対象は植えられた桜ではなく、実生(みしょう・・・自然に生えたもの)のそれである。木々の葉が生い茂っている間はわからないが、今の季節は桜であれば花が咲く。咲いて初めて、ああ、これは桜だったのか、とわかるものが多い。桜の樹皮のすべてがあの茶筒のような艶のある暗い茶色に白の斑点があればいいのだが、そうはいかない。樹形もまったく様々である。すっと伸びて途中から四方に枝分かれするものあり、地面からすぐに枝分かれしてお互い他人のようにしてはえているもの、細いもの、太いもの様々である。であれば咲く時期も多くは春には違いないが、今はとっくに葉を広げて花の影など既にないものも、いま丁度盛りを迎えたものもある。ここは高地で、海抜で言えば1000mほど。里の(と言っても海抜700mほどはある)桜がとうに散っているのに、ここではまだ盛りのものがある。

その桜はいつもの散歩の道順の折り返し地点に近いところにある。ある別荘の敷地の中にあるが、その大きさから見てあきらかに実生である。花の色は薄いが数と花びらの形がいい。霧に濡れて少し萎み加減だ。が、そんなことはどうでもいい。ふと思い浮かんだのがこの桜の生涯であった。当てずっぽうながら樹齢は五十年から七十年の間とみた。地上1メートルほどのところで二本に分かれ、それぞれは上でさらにたくさん枝分かれしている。しばし立ち止まって見ていた。人間の歴史で言えば大東亜戦争の前後に芽を出した。その頃、ここいらは訪れる人とてない、まったくの山の中であったと推測される。20年ほど前、つまり日本経済がバブルの絶頂期にあった頃ここの別荘地としての開発が始まり、道路が造られた筈だ。区画整理があったが、道路からはわずかに外れ、人間の魔手から逃れてこの桜は生き残った。

心のなかで、お前はエライと褒める。返答はない。見事であるぞと言うが返答はない。またな、と言って歩き出す。この桜の道路を挟んだ向かいに藪になっている土地がある。売りに出ていて荒れ放題である。その中に一本桜の中学生がいた。丈といえば3メートルくらいだろうか。実際はもう少し高いのだろうが、地上2メールあたりから幹が折れて道路側に倒れている。雑草に覆われ、蔓(つる)に絡まれてそれが桜だとわかるのは今の季節しかない。ポツポツと花が咲いている。幹を見ると、焦げ茶に小さな白の斑点があり、私にとっては典型的な桜の樹皮なのであった。

その桜の根元にはボケが派手な朱色の花を咲かせており、他にも様々な幼木や草が活気をみなぎらせつつあった。気がつけば折れていると思った先の幹にも蕾がいくつもついている。辛うじて導管は継っているのだろうか。いづれにしてもこのまま放置すれば時を待たずして迫りくる雑草に覆い尽くされてしまうに違いない。気の毒と思って、近々早朝散歩の際は鎌を持参し、せめてこの蔓を退治してくれようと思った。近くによってみるとその蔓はアケビであり、薄紫色の小さく可憐な花を咲かせていた。

さて、傷ついた桜の中学生を守るためにアケビを切るのはどんなものだろうと思った。こんなことに思案を巡らせるのは愚の骨頂と言われれば一言もないが、私は迷うのである。それは秋になればアケビが食えるかも知れない、と言ったものではない。桜もアケビも生きている。桜の花はきれいだからというわけにもいかない。よく見ればアケビの花も可憐できれいだ。どっちがきれいなどとは言えない。好き嫌いを言えば桜のほうが好きだ。しかし、それだけでは片付かない。

紅顔の美少年も時の流れとともに、わびさびを愛(め)で、世の無常を語る、そんなお年頃になってしまったらしい。

2012年5月4日金曜日

ボケ来(きた)る

夜が明けるのが随分と早くなった。最近は次の次の冬に備えての薪づくりに忙しい。加えて庭の雑草たちとの戦いもこちらが押され気味で、それでも今やっておかなければ今月の下旬にはまた渡欧の予定があり、帰りは10月の中頃である。怠ければ家があっという間に雑草に埋もれてしまう。昨年は帰ったのがやはり10月の中頃で、家についてタクシーを降りた途端に家の様相が一変しているのに愕然としたものである。

昨年だって家を出る前には頑張って芝を貼ったり、じゃがいも畑をつくったり、カボチャの苗をひとつだけ植えたり、雑草を引っこ抜いたりしていったのであるが、約半年に渡る留守中にじゃがいもも芝もカボチャも他の雑草と区別がつかなくなっていた。驚いたことに植えた覚えのないトマトやスイカまで生っていた。食べられる程のものではないにしろ、それらはまごうかたなきトマトとスイカでなのであった。
あれはまるで植物の精霊たちが私の留守をいいことに真夏の饗宴をしたかのような光景であった。

我が家では規則によって除草剤は使わない。草刈機も使わない(お金がない・・・これが本音^^; )。雑草はすべて手で引っこ抜くか、鋤簾(半円状の鍬のようなもの)で表面の土とともに削りとる。土地の面積が314坪少々(1000㎡と少し)あるので、大変な手間である。

タラなどは天ぷらが美味しいだの山菜の王様だのと言うが、私にとっては迷惑この上ない。トゲが幹全体に生えており、葉を広げた後はお世辞にも綺麗とはいえない。おまけに芽が出るとそれを狙ってドロボーが来る始末である(昨年の記事を御覧ください→
「ドロボーさん、ごめんなさい」http://michioscud.blogspot.jp/2011/05/blog-post_08.html)。
で、渡欧の前に彼らを根本から全部切ってしまった。ところがである。帰ったらあ~ら不思議、切る前より本数も、その丈も長く、逞しく復活していた。彼らにしたら切られたことによって「大変だ~、緊急事態だぁ、存亡の危機だぁ」というわけだったろうが。

タケニグサにも驚かされた。この雑草、つい数日前に電子頭脳情報網で調べたらアルカロイドを持つ毒草だそうな。いかにも品の悪い、オドロオドロしい葉と茎を持つ。これがしぶとい。地表に生えている部分なんぞいくらやっつけたところで、地下に伸ばした根っこを掘り起こして百たたき日干しの刑にしなければ根絶できるものではない。ここ数日は領内巡回の折にはシャベルを持参して歩く。ちょっとでも地表にでたらそこを深めに掘る。すると土に埋もれてわたしを謀(たばか)らんとしていた次の芽の数々が陽のもとに曝される。根は橙色で、土中の新芽はミョウガの親戚のような色形である(ちなみに私はミョウガも大嫌いである)。こんなものが人によっては観葉植物にしているという。私にとってはバケモノである。

時は春である。当地では桜も今が満開。斜向かいのS さん宅の枝垂れ桜は樹高は高くなく、それでいていい姿をしており、丹精の結果か見事な濃い桜色である。梅は盛りを過ぎたもののまだ頑張っている。例年に無く鶯が其処此処で爽やかな声を聴かせてくれる。ユキヤナギが白い小さな花をたくさんつけて、これもなかなか豪華だ。レンギョウももう少し色の濃いヤマブキも今が盛り。水仙は今週で終わりだろうが芝桜はまだまだこれから。

早朝散歩で気がついた。ボケが今を盛りにその濃い朱色を誇っている。茎の高さはせいぜい2~30洋尺(cm)。びっくりするほどきれいな花である。そして秋には果実がなる。小さな青りんごのような果実であるが、その薫りがいい。これが我が家では雑草なのである。退治しても後から後から生えてくる。根が丈夫でこれを土中にのばしてそこから新しい芽を出す。逞しいことよ。小心で根性なしの私はいつかこの根っこを煎じて飲んでみようかなと心ひそかに思うのである。

繁茂しても引っこ抜かない雑草がある。野性のスミレが二種類ほどある。領内いたるところにあるが、故意には抜かない。丈が高くなるわけでなし、葉もたんぽぽのように他の雑草を遠ざけんと張り広げる様子もないからだ。しゃがんで顔を近づけて観ると話しかけたくなるほど可憐で愛らしい。

そもそも雑草とは言っても他の植物と混在しているから見苦しいのであって、仮にどれか一種類をまとめて丹精すればそれは綺麗だと思う。たんぽぽだって鉢植えにして肥料をやればきっと見事だと思う。

昨秋庭の厄介者のひとつ、アケビを鉢に植えて共に冬を越そうと試みた。途中で彼は降りた。自ら葉を落としてしまったのだ。やはり野におけアケビ蔓。

そのアケビの鉢に柿を食うたびに種を埋めた。全部の芽が出て現在八本ある。もう霜が降りることもないだろうから地面に下ろしてあげようと思っている。この実食いたさにあと少なくとも八年は生きねばと思った。(本日のお題からしてもしや私に・・・が来た、と小躍りしたキミ、残念でした)

※写真はボケの花

2012年5月3日木曜日

確定された予言

地球の大きさはその誕生以来変わっていない。しかし、産業革命を機に人間の数は爆発的に増えた。この糊口をしのぐために陸上ではとてつもなく広い土地が必要になり、海では発動機を駆使して地の果て、深海の底までを魚をとるために網を打つこととなった。

人間がいなければ無かったはずの、無数の「不自然なもの」が大量に生み出され、廃棄され、やがてその質と量が地球の浄化作用の限度を越えた。

地上のあらゆる生き物の母なる地球が人類が垂れ流す毒に蝕まれてて重篤な病になった。

子供の頃読んだ本で、人類が他の惑星に移住できるようになるにはあと一万年かかるとあった。幸い地球のすぐ外側の軌道を回っている火星は、その大きさや質が地球にかなり近いらしい。距離もわずか(?)80000000キロメートル、光なら片道ほんの数分(時期によって地球との距離が変わるので平均値)、人類のいま持っているロケットなら片道わずか(?)六ヶ月でいける。しかし、火星全体に酸素と水を行き渡らせるには最新の技術を駆使しても一万年かかる。

天才と言われる宇宙物理学者ホーキング博士は計算で宇宙に人類と同等、もしくはそれ以上の知能を持つ生物が存在する星の数を計算した(そんなことができるのか@@)。何万個とあるらしい。では、なぜ人類との遭遇はないのか?ある講演会での質問に答えて彼はこう言ったそうな。

「文明というものはある段階に達すると自滅する」

人類だけがその例外となり得る、との保証はまったくといっていいほど楽観的すぎる。核の問題(技術、それとそれを取り扱う人の質の問題)、資源の問題、汚染の問題、人口の問題。これらの問題の根底にあるものは私達個々の心にある欲である。欲そのものは問題ではない。その制御が問題なのだ。

資本主義の欠点は明確であるにも拘わらず、人類はより良い主義や制度を考えだそうとしない。いや、人間の我欲が資本主義に活力を与え続ける。一人ひとりの我欲は小さくても、それが70億も集まれば地球はもたない。地上には数えきれない程の数の「生物種」が存在するが、その中で唯一人類だけがこの生態系全体を破壊する。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。

一度生まれてきたものは皆いつかは死ぬ。「種」についても毎年かなりの数のものが絶滅し、あるいは絶滅の危機に瀕している。人類だけがその例外となりえるだろうか。平家物語を待つまでもなく、亡(ほろ)ぶぞ、亡ぶぞとの警告を聞きながら、ほーら亡んだ、と言うことになりそうである。誰のせいでもない、私達ひとり一人の心に巣食う利己心が人類を滅ぼすのだ。滅亡に至る原因も、それを避ける方法もわかっていながら私たちは他の種を巻き添えにしながら亡びへの道を歩んでいるのだ。

人類という種の業の深さよ・・・・