2013年8月3日土曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び4)

トヨタのカローラからスプリンターが生まれ、後になって各々にレビンとトレノと言う名の車が派生し独立した。元々この随筆は「さても人間とは」が題名であり、その副題が「暖炉のにおい」、これの後に副々題として括弧で(大人の火遊び1~4)が出た。なんだかトヨタを真似てそれぞれを独立させたほうがいいような気もするが・・・。

統計を見ているが、母屋の「暖炉のにおい」より、軒先の「大人の火遊び」の方がダントツでよく読まれている。当初からこの傾向があり、これは「大人の火遊び」の方が検索語として妖しげで、惹かれるせいではないかと考えた。普通に捉えれば「大人の火遊び」とは、「成人の不純異性交遊」を意味するはずで、検索語に騙されて(?)やってきた読者諸氏には申し訳ないが、ここでは普通の意味での火遊びではなく、文字通りの火遊びなのである。(身共は、やんごとなき生まれにて、俗世の下ねたなどは書きつらう能わざればなり^^;)

再来される読者についてはこの統計ではつかめない。が、私は再来読者は意外と多いのではないかと踏んでいる。もしそうなら、その訳は・・・人は火遊びが大好き、これに尽きるような気がする。

ホシーホシー病でも書いたが、ケリーケトルというものの購入を本気で考えた。アイルランドが発祥地らしいが、金属製の小さなかまどに短い煙突を立てる。これが2重になっており、その隙に水を入れておく。すなわち煙突がやかんなのである。下のかまどで小枝や松ぼっくりを燃料にしてお湯が沸かせる。さらに煙突兼やかんの上にフライパンでも載せれば簡単な料理もできるというものである。普通のやかんに比べれば、水の量に対して熱が伝わる面積が広く、また煙突効果で火力が強いのだろう。このせいで、お湯がごく早く沸く。アルコールストーブやガスストーブなどよりはるかに早くお湯が沸かせ、燃料は現地調達でただ。難を言えば少々かさばることであろう。

なかなか行かないが、野営は大好きである。森の中で日が暮れて、焚火のそばに座ってウイスキーをちびちびやるのは無常の喜びである。このケリーケトルは真っ暗な中、やかんの上部、すなわち煙突の先からチラチラ火が見える。この故に、この種のストーブを「火山かまど」(ボルケーノ・ストーブ・・・volcano stove)とも呼ぶらしい。どうもいいではないか・・・。

世に物欲ほど怖いものはなし。いつも偉そうなことを宣(のたま)わく不肖であるが、物欲の制御にはいまだ苦しむ。このところの財政事情が許さないのであればこれはしかたない、と優先順位を下げていた。が、新手が現れた。と言うより最近私がこれの存在に気がついただけなのであるが。ウッドガスストーブと呼ばれるもので、やはり木の枝や松ぼっくり、また木質ペレット、アルコールストーブを中に置いても使える。一番の特徴は、一次燃焼と二次燃焼があることであろう。やはり野営用なので、巻便所紙くらいの大きさしかない。一次燃焼で発生した可燃ガスが上に昇った所で、空気を吹きつけて再度燃やす。このため、燃焼が安定すると煙は殆ど出ない。

高過ぎる。たかがステンレス製の円筒に穴を開けて重ねただけのものなのに、49.95ポンドもする。日本円で言えば7500円くらいであろうか(1ポンド150円換算)。日本でも売られているが、これより700円近く高い。これは私が佐久の御用邸で、買い替えを考えている銅製の見事なやかんとほぼ同じ値段である。薪ストーブに似合う良い意匠で、電磁式かまど(IHのこと)にも使えるものがあるのだ。しかし、私はこのウッドガスストーブに惹かれた。機能的で美しい。私ならあ~する、こ~もする、と言った点もあるにはあるが、現状でも充分だ。問題はこれが自分でも簡単に製作可能だということだ。外見さえ気にしなければ、缶詰や塗料の空き缶、それと缶切り、釘、金槌があればできる。

片道10洋里(km)の道のりをおんぼろ自転車で出かけた。金はかけなくとも火遊びはできる。一帯に広がる黄金色になった麦や緑のじゃがいもの畑、いくつかの橋を渡り、町を過ぎて外れにある西洋食料雑貨店(TESCO)に入った。陳列棚にある雑多な缶詰を背伸びしたり、しゃがんだりして手に取り、一つひとつの直径を測った。安いものばかりを狙った。驚いたことにこの物価の高い英国で、日本円で50円ほどの西洋麺のトマト味が売られていた。結局犬用餌、パインアップル、茹でじゃがいも、米プディング、トマト汁そして野菜汁など大小様々な缶を買い込んだ。自転車でいける範囲に日曜大工用品店があれば塗料缶で済ませたかった。値段は安いし、綺麗だし無駄がない。

結局パインアップルと野菜汁以外はみな堆肥桶(コンポスト)に行った。(捨てたと言いたくない^^;)犬用餌は開缶した瞬間から異臭がして、これを素手で処理したためにしばらく匂いが残ってしまった。犬とはすごいものを食べるものだと思った。最も彼らの先祖は腐肉でも腹をこわす事なく、平気で食っていたであろうから不思議はない。

1号機は小さいながらよく燃えた。二次燃焼のバーナーのような火もちゃんと確認できた。外見は無骨ながらも易々と成功した。しかしながらこれは大きさが実用向きではないので、ひと回り大きなものを作った。円周を測り、規則正しく空気穴を配置したが、道具の不備にはいかんともしがたく、若干いびつなものが出来てしまった。燃焼実験はこれも成功である。ウッドガスストーブの特徴のひとつ、燃焼残滓として炭が残る。木が燃えてそれからガスが出て、これが終わると炭が残る。放置すれば徐々にこの炭も燃えて白い灰だけが残るに違いない。不思議だ。

写真を撮ろうと思ったが、写真機の充電器を持ってくるのを忘れてこれは叶わない。ちと無念である。それにつけても火遊びの楽しさよ。しかも、これでしばらくはホシーホシー病の発作から開放される。