2015年7月22日水曜日

暖炉のにおい みっちー船乗りになる

教授は自分を救世主と考えていたフシがある。彼の名前を電子頭脳網で検索すれば、彼に関する記事が沢山見つかる。その中に、彼の残したブログがあるが、彼の筆名はChrist ○×△とあるから間違いない。しかし、現実はただのコズルイお騒がせ老人だったのだ。

村の中で、山砂を採る事は環境破壊につながる、と言って集会を開き、村中から総すかんを食らったり、自分の亡くなった妻を庭に土葬してお役所に叱られたり、また大麻栽培をして警察に引っぱられたりしていた。私には、郡の福祉事務所を騙してお金をせしめていると、告白した。

彼は、ヒッピーだったらしい。ヒッピーなどと言う言葉は、いまや死語であるが、1960年代から70年代に世界のそこここで流行った一種の文化である。「縛り」を嫌い、自由に生きたかったのだろう。ケンブリッジ出と言う肩書きは、彼がヒッピーであるにもかかわらず、アイルランドでは大学の教授職を得るには十分立派な肩書きだったに違いない。

彼は、「自分は世界を救う独自の哲学や宗教を持っている」と思っていた。隣人のみならず、ほぼ村人全員から狂人扱いされていた彼であるが、その彼にも僅かではあるが共感者がいた。それは、アメリカから来た若い金鉱掘りだったり、人生に疲れたフランスの舞台女優だったりした。(時を同じくして、日本から流れて来た風来坊もいたのだが・・・しかし、彼は共感者ではなかった)

その中に、いかにも、と言わんばかりのウエールズ人夫婦がいた。彼らは居候ではなく、毎年夏になると教授の家に遊びに来る、とのことだった。夫人はごく普通の下層英国婦人だが、服装がやはりそれとなくヒッピーだった。夫は、いつも半ズボンとサンダル履きであった。背は低かったが、ガッチリした体型で髭を生やしており、赤ら顔で、私たち日本人が知っているウエールズ人代表のC・W・ニコル氏を連想させた。

夫君は朝起きると歯ブラシをくわえ、裸足で庭に出る。腰に手をあてて辺りを睥睨(へいげい)し、芝の上にガラガラペーッ、とうがいした水を吐き出す。ちょっとだけ隅に行ってそこで立ちションをするのである。何の衒いもなく、自然なので誰も文句は言わない。

夫婦は、時として教授となにやら世界の現状と未来について意見交換をしている。暖炉の前に据えたオンボロで汚いソファに陣取り、毛脛をぼりぼり掻きながらも、自分たちが放った大言壮語に臆する風は見えなかった。時としてウエールズ人は、イングランド人と仲が悪いのだが、彼らにはそのような様子は窺えなかった。同じヒッピーではあるが、ケンブリッジ出の元大学教授と言うことで、家主に尊敬の意を表すこともあった。

ある時、このウエールズ人が私に船乗りにならないか、と問うてきた。突然のことで面食らったが、話しの内容はこうである。

彼らには、お金持ちの親戚があり、数年前に亡くなった。遺産の一部を彼らも引き継いだが、それは木製の大きな帆船だった。以来、二人でお客をウエールズから地中海を経由してギリシャまで乗せ、これを生業としてきた。が、歳をとって操船と客の面倒を見るのがきつくなってきた。高い給料は払えないが、手伝ってはくれまいか・・・。

何の因果か、私はユーラシア大陸の東に浮かぶ小さな島国に生まれ、一万洋里(Km)も離れた西の端にある、さらに小さな島国で暮らしていた。数々の流転を重ねてとうとう船乗りになるか・・・。

詳しくは忘れたが、その帆船、すべて木でできており、船室が2~3あり、他に食堂やら居間やらがある結構大きな船である。変わっているのは、帆船と言っても普通は、緊急時や接岸離岸などの細かい操船が必要なときに使う原動機が付いているものだが、これには搭載していない、とのことだった。そうは言っても、調理や無線、そして照明やその他の機器類に電気は必要と思われる。だが、私はこの点については聞くのを忘れた。

帆船には憧れがある。動力船は常に原動機の音や振動がするが、帆船は航行中でも波と帆柱の軋(きし)る音、それ以外はしない(と思う。乗ったことがない)。自然の力を利用し、ただで旅行できるなど、なんとすばらしいではないか。仮に、船体、人、そして水や食料など全部で数トンに達するとして、この重量物をウエールズからギリシャまでただで運べるのである。

私は、船に関しては、まったくの無知である。想像するに帆船といえども現代のものは、自動航行装置やら、自動位置感知装置(GPS)やら、無線装置、もしかしたら電波探知機、(略して電探。レーダー)まであるかもしれない。このような最先端の設備や装置を排除し、昔ながらの六分儀や磁石を使っての船旅は、まったくや面白いものに違いない。

操船やら修理などは追々覚えてゆけば問題ない。大西洋からアフリカ北端と欧州南端の間にあるジブラルタル海峡を抜けて、地中海に入ると、海の色が変わる。そこで見る朝日や夕日はとてつもなく美しいという。彼らはそれを淡々と語って私を誘う。私といえば、静かに彼らの話を聞いていた。地中海で見上げる星空はどんなに美しいことだろうか。幸い私は、船酔いには強い。内心これは面白いことになってきた、と思った。

日本での仕事を辞め、好き放題に生きることを決心し、つてのあった欧州に来た。それが藁しべ長者の藁のように次につながってゆく、我が人生の面白さよ。

ある時、教授の家に若い男が遊びに来た。教授の娘の誰かに会いに来たものだったかもしれない。私に、大型牽引免許を持っているならいい仕事がある、といってくれた。私は、なぜか欧州では大型免許も、大型牽引免許も、大型二種免許も(以下省略)持っている。話しを聞いてみると、アイルランドからフランスを経由して、スペインまで大型牽引車(トレーラー)を運転して荷物を運ぶ仕事がある、と言う。面白そうな話だったが、別の人が、フランスとスペインの国境に跨るピレネー山脈には今でも山賊が出る。時に運転手が殺されて積荷が奪われるのだ、と言った。その人の話しは眉唾(まゆつば)で聞いていたのだが、私はかなりの方向音痴で、英語はともかくフランス語やスペイン語はからっきしだめなので、この話しは断ってしまった。

いい話し、面白い話しには裏がある。私は、船酔いはしないが、泳ぎが得意ではない。長い船旅では、必ずや泳がなければならない状況が出てくるだろう。たとえば錨(いかり)が海底の岩に引っかかってあがって来ないとか、客が溺れたとか、金の斧を落としたとか、である。

子供の頃、膝まであるやなしやの水深で溺れかかったことがる。北海道の山奥の川で、前後の状況は忘れたが、おそらく川を渡ろうとして、石に付いた苔で滑って転んだのだと思う。平気を装っていたが、かなりの恐怖であった。これは私の心理的外傷になっているのは間違いない。もうひとつ。「水の中には得体の知れない何かがいる」と言うまんざら妄想とも言えない思いがある。これは小さいときに読んだベルヌの小説の影響かもしれない。スピルバーグのジョーズも私のこの思いに拍車をかけたろう。

私は、夫君に地中海に鮫はいるかと尋ねた。彼はいない、と即答した。たまたまその後に得た情報によると、地中海にも数は少ないが、鮫はいるらしい。しかも、ホオジロザメやシュモクザメと言った超一流の危険種もいるらしい。最初から言われていればそれほどでもないものを、後になって隠し事が暴露されるといっそう怖くなるものである。

私はこの面白い話しを断ったのであるが、もしあの時断らなければ、今頃は、「最近体力が落ちて、操船や接客が億劫になった。キミ、ウエールズからギリシャまでの帆船に乗る仕事をやる気はないかね?大丈夫、地中海に鮫はいないよ」、などと言って若い人を探していたかもしれない。ふとそんなことを思った。

追伸
久しぶりに「暖炉のにおい」を書きました。発表した記事が、今回で100回になりました。2011年2月に「さても人間とは」で始まり、4年6ヶ月で100回です。おめでとう100回記念、と言うことでお祝いを受付中です。 書きかけの発表していない記事もかなりあります。また、未完の記事を完成させて発表している場合もありますので、よければ読んでみて下さい。

男の美学(なんちゃって)・・・2013年2月に発表しましたが、引っ込めました。書き直して再度発表してます。よかったらどうぞ。

「暖炉のにおい」はまだまだ大きな隠しネタがあります。

コメントは別に禁止しているわけではありませんのでお気軽に。

暇つぶしであれ、偶然であれ私の拙い記事をお読みいただき、御礼申し上げます。また、読者諸氏の限りない進歩向上をお祈りいたします。          筆者 みっちー










2015年7月19日日曜日

夏来たりなば

お陰様をもって、野鳥貸家編(シリーズ)はちょこっと好調である。庭に野鳥用の巣箱をかけて、その観察記録モドキである。こんなものは、多くの若いお母さんが、自分の赤ん坊がかわいくて仕方なく、これを不特定多数の人と共有したくて、一所懸命に電子日誌や顔本(?^^;)に掲載するのと大差ない。楽しいのは自分だけ、と思うのだが。

それにしても、野鳥たちは春に営巣開始して抱卵、子育て、巣離れ、ちょっとだけ餌のとり方などを雛たちに教える。この間おそらく一ヶ月少々であろう。その後の約十一ヶ月は何をしているのだろうと、疑問に思った。

野鳥たちは、成鳥になってその寿命が尽きるまで上記の生活を繰り返す。生物だから、子孫を残す行動は当然だが、それに費やされる時間は、大雑把に鳥は人生(鳥生?)の十分の一ちょっと。人間は、四分の一ほど(平均寿命80歳とし、子育てに二十年とした)。人間の場合、成長期はともかく、子供が手を離れた、それ以降の時間って何なのだろう、とふと考えた。

人が幸、不幸を語って泣き笑いをするのは、宇宙の構造を知らないからだろうと思う。私は、人が生身の体をまとっている間は、この宇宙の構造はわからないようになっているのだと思う。だからこの世から幸も不幸も、泣きも笑いも決してなくならないだろう。

親鸞が語ったと言われる「善人尚往生とぐいわんや悪人をや」の意味するところ、私の解釈は一般とは別である。ただ、そう思うだけで、もちろん確固たる証はない。今よりも科学、哲学、そして宗教の研究が進歩し、それらの補完関係が進めば、凡夫たる私たちにも人生の意味とかがわかるようなるのではないか、と思いたいのである。幸不幸、泣き笑いは無くならなくても、これらを糧としてその質自体は向上するだろう、と思いたいのである。

食って、寝て、子供育てて終わるならサルでもできる。金儲けがうまくても、真摯に生きるのでなくては、人生がもったいない。幸福で楽しくても、進歩がなければ・・・。

空き家になった野鳥貸家を眺めてこんなことを考える。台風一過、午後から暑くなりそうだ。私は、暑さには強いようだ。だが、嫌いだ。金があれば南米チリと北米アラスカに家を買い、一年中冬を満喫していたい。

夏来たりなば冬遠からじ。しばしのがまんじゃ。早く薪ストーブに火を入れたい。