2013年1月12日土曜日

お風呂の話し

寒い日が続いている。台所に立てば、小さな窓が目前にあり、外の雪景色が見える。防犯用の格子がはまっており、それに寒暖計が取り付けてある。朝などはここから外の気温を見るのが癖になっている。この冬は毎朝氷点下10℃近くまで下がっている。室内と言えば、私が家にいて薪をくべられる限りは、24時間暖房なので、寒くはない。朝方になって、寝る前にくべた薪が尽きんとするときなどは、10℃を下回ることもある。が、早起きがいたって得意な私は、暗いうちに起きてちゃんと次の薪をくべるのである。

年が明けてはや12日、なんと時の経つのが早いことか・・・。4月に渡欧の予定があり、そろそろその準備を始めねばならない。しかし、腰が重いのだ。面倒な事を先延ばしにするこの癖は、子供の時からのもので、もはや治りそうにない。

年末からダラダラとテレビを見ている。民主党政権末期から自民党政権返り咲きの番組が好きである。元来政治には知識も興味もないが、自分と言うものを考え、その自分が生まれ育った日本を考える時、天然自然に政治のことを考える。自身浅学非才の輩とは言え、盗人にも三分の理、ではなく・・・一寸の虫にも五分の魂があるのだ。

安倍首相を右翼タカ派として警戒する向きが多いが、それはあたかも自身の健康や安全を守るために一所懸命に運動をしている人に、「あんたは右翼だ、タカ派だ」と言っているようなものである。私たちは大衆情報(マスコミ)を通じて世の動きを知る。近年に至っては知識を得る手段として、電子頭脳網(ネット)があるが、どれが「事実、真実」を伝えているかは甚だ心もとない。シナや朝鮮半島の国々の情報統制を日本人は笑うが、私たちだって何を掴まされているかわからないのである。近隣の国々よりも日本のほうがより自由や本当の情報を持っていると考えるのは危ない。マスコミはみなひも付きなのだから。

私たちは群盲である。シナ人、朝鮮人、ロシア人、みな国民は群盲なのだ。危険を回避し、安全に自分自身と国家、さらに地域社会と世界を幸福と繁栄に導くには自分が盲であることの自覚から始まる。それがあってこそ慎重に杖を使うようになり、落とし穴を回避し、毒蛇を素手で掴む危険を回避することが出来る。

今回の選挙で、私が安心したのは護憲派がまったく票を伸ばせなかったことだ。現実を見据えている人たちが多数いる、と言うことである。国防は国の礎のひとつである。が、憲法9条が日本の軍隊である自衛隊をまったくの役立たずにしている。役に立たないものを膨大な予算を費やして保持しているのは税金の無駄遣いである。これが嫌なら憲法改正をして使える軍隊にするのがマトモと言うものだ。そうかと言って武力を放棄すれば近隣のハイエナが大喜びで日本を蹂躙するは必定である。

さて、あるところにお金持ちがいました。平和を愛する心優しい人で、ご近所に困っている人がいると助けてやったり相談にのってあげたりしていました。その家はお金持ちだったので、厳重な鍵や警報装置が付いていました。ある時、別の国から引っ越してきたお隣さんに、「あなたは良いことをしているのだから、泥棒などは入りっこない」と言われました。このお金持ちはそのお隣さんにも金銭的援助をしていたのでした。お金持ちは「そうだ、私は悪いことはしないから泥棒は私の家には入らない」と言って鍵もかけず、警報装置の電源も入れないようになりました。ある日、お金持ちの家に強盗が入りました。金品をことごとく奪われ、あるじは家族もろとも強盗に殺されてしまいました。後でわかったことはお金持ちに鍵をかけないように言ったのは強盗の手先だったということでした。

この話は私が今作ったものであるが、実際の世界はこの話しよりもっと現実である。憲法9条で国を護れると主張するなら、その人は留守中も就寝中も家にも車にも鍵をかけるべきではない。

(ちなみに私は外出時、戸締りをしてゆく。これ故に私を「右がかった人」と呼ぶならそれはそれで結構だが、そう私を呼ぶ人は外出時に戸締りをしてはいけない)

そう、今回はお風呂の話しである。一見話しの脈絡が途絶えたように見えるかもしれない。

私はこれでも世過(よす)ぎのために、家を空けることがある。外から帰ってきた時にはとうに薪は燃え尽きており、部屋はひどいときは摂氏6~7℃ということがある。外套をきたままストーブに火を熾す。しかし、家全体が元通り暖まるまでに半日はかかる。こんな時は何よりも手っ取り早くお風呂に入るのが一番である。

体が冷え切っている時に、いきなり湯に浸かるのは急激な血圧の高下をもたらし、時には命を危険に曝すことがあるらしい。それはさておき、我が家の湯温はいつも同じ41℃に設定してある。それなのに体が冷えている時はこれが異常に熱く感じ、思い切ってザブーンとはいかない。これは体の持つ警告機能であろう。有り難いことだ。しかし、この湯温も徐々に体を慣らしていけば確かにいつもの心地良い41℃であることを納得する。

41℃の湯船に手を浸ければ当初異常に熱く感じる。これはある種の防衛本能から来る錯覚で、徐々に体を慣らしてゆけば、適温である41℃に慣れて、すぐにこれを楽しむ事ができるようになる。愚か者は手を湯船に浸けて、これは熱いと言って水を足して入り、風邪をひいて肺炎で死ぬのである。

末筆になりましたが、皆様旧年中はこの毒弾(いい誤字ですねぇ)と偏見の多い随筆をお読み下さり、感謝の念に耐えません。厚く御礼申し上げます。不肖みっちー和尚、今年もみなさんにとって良き年でありますようお祈り申し上げます。

※写真は拙宅台所からの眺め。寒暖計は窓の外にあります。

2013年1月8日火曜日

冬の日常 6

3週間ほど前、私の留守中に知人がやって来た。帰宅して車から降りると、勝手口の把手に何やら合成樹脂の白い袋がぶら下がっているのが見えた。ああ、とうとう見かねてどなたかがお金でも置いていったか、などと思いながら中を覗くと、ラップに包まれた肉と紙片に書かれた伝言があった。

携帯電話を紛失し、訪問に際しての事前連絡ができなかった由であった。我が家は主人多忙につき、事前一ヶ月前には秘書を通じてその意図と時間を打ち合わせなければ面会は叶わない、と言うのが規則である・・・などということはない(断るまでもなく秘書などは存在せず、この離宮の主は私であるが、財政逼迫のおり、執事も家政婦も、庭師も運転手も本人が兼務している)。

普段肉はほとんど食べない。高いし料理が面倒だから、である。しかしながらせっかくいただいたイノシシの肉であるので、食べた。骨が残った。これで汁(スープ)をとって、などとは考えない。しかし、骨にまだ若干肉が残っている。久しぶりにテンにくれてやろうと思った。

その晩に私はイノシシの骨を裏庭の雪の上に放った。次の朝は異常なし。その晩ストーブに薪を追加しようと南のガラス戸を開けると、果たして骨が消えており、庭の明かりをつけてみるとそこいらじゅうに獣の足あとがあった。いつの間に来たものか、まだ宵のくちだったが。翌朝、雪上の足あとをよく見てみたが、何の足跡かさっぱりわからなかった。テンにしては大きすぎる。タヌキよりも大きいようだ。キツネだろうか、2つずつ並んで付いている。最近近くでキツネをよく見かける。しかし、素人にはわからない。

そして今朝のことである。庭のリョウブの樹間に置いた「野鳥食堂」が傾いて落ちそうになっていた。それは木に釘で固定したとかではなく、木と木の間に挟んだだけなので、風で木が揺れれば落ちたり傾いたりすることもありそうであった。が、昨晩は風など吹いていなかった。木の根元を見るとイノシシの骨を持っていった動物と同じ足跡がたくさん残っていた。これで足跡がキツネではないことがわかった。「野鳥食堂」は地上から1・9洋尺(1・9m)ほどの高さにあり、キツネに登れる枝ぶりでもない。

おそらくハクビシンであろう。「野鳥食堂」のお客の匂いをかいで木に登ったと思われる。足跡の大きさから見てテンではない。近々、以前にテンを誘った時のように(※)、イノシシの肉にテグスをつけて室内に引き込み、鈴をつけて犯人を待とうと思う。
※ 昨年1月16日に書いた 「冬の日常 2」 を御覧ください。

私は、傾いた「野鳥食堂」を立て直し(?)、中の小皿にはひまわりの種を置かず、手のひらに盛ってお客を待った。常連であるヤマガラ3羽ほどはすぐ来る。シジュウカラたちは非常に警戒心が強く、近くまでは来るが、けっして寄っては来ない。なんとコガラが初めて私の手に乗ってひまわりの種を啄んだ。彼らはみなスズメの親戚で、ほぼ同じ時間に群れて餌を食べに来る。ヤマガラが私の手から餌をとるのを見て、大丈夫とふんだものらしい。今のこの季節だからであろう、野に餌のあふれている夏には無理かもしれない。

この季節は関東で冬を越す東隣りのSさんが珍しく雪道をおして見えた。この近所で野鳥への餌やりは、Sさんが始めたものだが、私がヤマガラを手なずけたのに驚いてご自分も試したらしい。今では外にいると携帯で電話をしていても肩にとまってくると目をほそめられていた。