2012年3月31日土曜日

冬の日常 5

朝、目が覚めたら頭が痛かった。それでも散歩に出た。体を動かせば治るだろうと思った。雪は大分なくなり、屋根から落ちたものが日陰にわずかに残すのみとなった。路上にも殆ど無い。気温は8℃ほどで、6時頃の気温としては今季最高であろう。

ダブリンで暮らしていた頃、一時ではあるが郊外に住んだことがあり、知人からもらったオンボロのスーパーカブで都心に通勤していた。いくらアイルランドの気候が温暖でも冬のバイク通勤は寒い。そこでオーバーパンツを買った。風雨を通さず、暖かく、なかなかの優れ物で随分重宝した。これを日本に持ち帰って今は冬の散歩用にはいている。一度だけここの冬で-20℃近くまでいったことがあるが、それでもこのパンツがあればまったく寒さは感じなかった。

今日はそのパンツもなし、上はTシャツの上にフリースだけ。そう言えばこのフリースは随分前に親の病気見舞いで帰国した時に買ったもので、メーカー品にもかかわらず、安くてとても着心地が良かった。今は庭仕事で焚き火をすることが多く、火の粉をたくさん浴びて穴だらけになってしまった。代わりの新しいフリースを買った。値段が安いのは前のと同じだが、着心地がまったく悪い。結局古いのをいまだに着ている。(人前では着られないかも知れないが、なに貧乏人がボロを着て何が悪い。文句あるならいいのを買っておくれ^^;)

散歩から帰っても頭痛は治らず。食欲もなし。だらだらとテレビを見た。思いついてお風呂に入った。ぬるめのお湯で長く入った。普段はカラスの行水であるが今日は5分くらい我慢して湯に浸かっていた。浸かっている間は頭痛も治ったように思われたが、体が冷えてくるとまた痛み出す。仕方が無いので軽く朝食を取ってアスピリンを飲みベッドに入った。うつらうつらすると雨のトタンを叩く音がかすかに聞こえてくる。億劫ながら寝室の窓から外を見ると結構な降りである。これで庭の片隅に残った雪も全部溶けるだろうと再び目をつむる。

昨晩十分寝たから寝られるとは思っていなかった。それでも時間を忘れていくらか寝た。意識が戻りつつある中で思った。「アレ、雨ガヤンダ」。ザーザーという音が聞こえない。時計をみると2時間は寝たらしい。起きてカーテンを開けて驚いた。外は一面の銀世界になっていた。頭痛も収まっていた。


                                       

2012年3月19日月曜日

あいつは民主主義者だ !

今から数十年後の20××年の話しである。

2018年に民主主義日本は滅びた。百数十年前にはるばる西洋から輸入した民主主義という政治形態(資本主義という経済の形態とほぼ表裏一体)が小田原評定の常態化を助長して、隣国の軍事的脅威に対抗出来なかったのだ。政治家は自分の政策のみが正しいと個々の主張して譲らず、かと言って万が一の責任は取りたくない。勇ましいのは選挙の時のみで、会議では優柔不断に徹していた。防衛のためのミサイルの数を345にするか346にするかを決めるのに3年を費やし、その間に世界でも有数の極貧乞食国家から核兵器による恫喝を受けて食糧援助をせざるを得なくなった。さらに、同じ隣国で、10倍もの人口を持つ共産帝国主義国家にも横車を押されて南の領土を武力で取られてしまった。そしてその国は、沖縄県は彼の国の固有の領土だといって「返還」要求を始めた。

盟友国家であったはずのアメリカは「アメリカは自ら助くるもののみを助く」と言って、自助努力をしない日本を見限った。沖縄から軍隊を引き上げた。

かねてより沖縄に送り込まれていた共産帝国主義のスパイは日本人に迫害を受けている、助けて欲しい、と筋書き通りに本国に要請した。本国はこれを受けて「コレハ大変アルヨ、ワガ人民ガ迫害ヲ受ケテイルアルネ。助ケニ行カネバネバ」と軍事作戦を展開し始めた。

平和憲法が、憲法9条があれば日本は平和を守れると夢想していた人たちは恥ずかしさのあまり、顔の整形手術を受けて暮らさねばならなくなった。

いまさら日本国民はその平和ボケの政治形態に疑問をいだき、その欠点の研究を開始した。研究の形態も民主主義なのでその結果を得るのに3年かかった。結果は民主主義は政策決定に時間ががかかり、かと言ってその方向が必ずしも正しくはない、ということだけであった。しかし、沖縄はとうに隣国のものとなっており、そこに暮らす日本人はチベット人のように迫害を受けていた。


やがて押しが強く、明晰な頭脳をもった若い政治家が現れ、独自の理論を展開して周囲を席巻していった。既存の政党は自党の延命を、そして政治家は自らの失業を恐れてこの政治家に迎合した。やがてこの政治家は独裁政治体制を完成させて次から次と起こる国家の危機に対応し、難局を乗り切った。彼の発言には誰も異を唱えなくなった。彼の取った決断は正しく、何より早かった。日本に脅威を与えていた国家群もこの決断速度に追随できず、軍事でも外交でも経済でも次々と敗退していった。沖縄はそこを奪回するために再び戦場となって多くの人が死傷した。

学校では民主主義は決断に時間のかかる悪い政治形態だと教えるようになった。巷では人々が集まって何かを決めようとすると
「あいつらは民主主義者だ!」
と言って白い目で見られるようになった。おわり

独裁主義の何が悪い。かつて独裁主義で繁栄した国はあまたあるではないか。民主主義ならみんなで間違った方向に歩んでもそれで悔いはないのだろうか・・・。

日本は人類史上初めての民主主義のために滅びた国家となろうとしている。かつて小田原は秀吉に攻められて評定(会議)を開き、時間ばかりかかって結論を出せないまま敗れた。この故事に習うことをせず、滅びるぞ、滅びるぞ、ほーら滅びた、と言う具合になりそうである。

実は、必要なのは民主主義を排除することではない。今いかにその弊害をなくす、あるいは少なくするかを考える大切な時期に来ていると思う。政治家が悪いという。官僚が悪いという。では、民衆だけはまともなのか。

私を「右翼」だと思う人がいるかも知れない。思われてもいいが、それは違う。げんに私は今の天皇制(※)には反対する者である。右も左も興味なし。私は歩き続ける人である^^

(※)今の天皇制は反対だが、昭和天皇、今上天皇はじめ一個の人間として尊敬する人々は皇室の中にもいる。これは別問題である。

2012年3月13日火曜日

業務連絡 ^^; (暖炉のにおい、第一巻公開忘れお詫び)

大好評(世界中で6人の読者)「暖炉のにおい」シリーズですが、若干加筆訂正をしたあと、<公開>をポチッとするのを忘れてました。一番最初の「暖炉のにおい」です。途中からお読みになったかたは中途半端な感じがしたことでしょう。お詫びします。
http://michioscud.blogspot.com/2011/07/blog-post_13.html ←これをクリックすると加筆訂正後の文章に飛べます。

拙文はヨーロッパやアメリカ、ロシア、東南アジアなどでもお読みいただいております。おそらくは各国で頑張っておられる日本人の方々と推察します。みなさんのご健闘並びにご活躍をお祈りするとともに、この場をお借りして講読の御礼を申し上げます。
(なんか田舎の町長の挨拶になってしまった・・・)