2013年12月16日月曜日

ヘレン・ミアーズを知っていますか

既に、どこかに書いた気がするが、人というのは動物性を併せ持って生きるようにつくられている。ただの動物として生きることの最優先は自分の体を守り、養い、そして子孫を残すことである。次に来るのは自分の家族を守り、養うこと。そして次は自分の所属する種を守り、養うこと。こんなところであろう。単純と言えば単純である。

はたして人類の場合はどうであろう。人類は生物界でも最もややこしい存在である。それは神性と動物性の間に揺れて生きる宿命にあるからだと筆者は考える。人といえども動物性を消して生きることは叶わない。まず普通の状態では自分を守り養うことが優先順位の一番に来る。この最初のところで既にただの動物との違いが出てくる場合がある。すなわち、人は自分が飢えて死すとも、子供や他人に食わそうとすることがある。動物には自分を犠牲にしても子供やほかを生かそうとする、こんな行動は見られないようだ。(一部に、自分が捕食者の注意を引いて、その隙に子を逃がす、そんな行動をとる動物がいるが、最終的には自分を犠牲にはしない)

聖書にヨハネが言ったとされる言葉のひとつで、
    一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし
とある。解釈は自由だが私は、「人を思いやる心があれば、例え本人が死んだとしても、その精神は生き続けて広がるであろう」と理解している。

もし人が、「あの世」から来て、「あの世」に帰るのであれば、「この世」にある間にせねばならない宿題というものがありそうである。それは人を愛するということではないか、と思う。自分を愛するのはサルでもやっている。しかし、人はただのサルではいけない。

人も、特別な場合を除き、優先順位の一番に自分がきて、次に家族がきて、地域社会、町、県、地方、国となるようだ。自分が所属する何か、(家族だったり、町だったり、国だったりする)が他から非難されたり、攻撃を受けたりすれば、自分と自分の側を弁護、守護する行動を自動的にとる。自動的に、ということは動物本能的に、と言うことだ。まったく当たり前と言えそうだが、ここに大きな問題がある。人といえども相手の行動に正当性があろうがなかろうが、これを受けた側は「理性」の介在なしに自分と自分の側を守ろうとするのだ。

大東亜戦争の前後に、日本を含む亜細亜というものを宇宙から眺めていた学者がいた。米国人のヘレン・ミアーズ(Helen Mears)である。戦前2度ほど日本と中国を訪れ、戦後にはマッカーサーのもとで、日本の労働基本法の策定に従事したらしい。

日本は降伏後に極東軍事裁判(東京裁判)と言う茶番劇で多くの政治家、軍人が有罪になった。なぜ私がこれを茶番劇と呼ぶか、連合国側の洗脳教育を受け継いで自虐史観を持つ人々には理解できないだろうが、間違いなくあれは茶番であり、劇だったのだ。ここで詳しいことは述べない。

日本は理由はともあれ他国に迷惑をかけた。これは事実である。しかし、戦争をやってのち、裁判でことの善悪をつけるなどはかつて聞いたことがない。しかも、戦争の勝者が敗者を裁くのだ。これが公平ならお日様は西から昇ってもおかしくはあるまい。勝ち負けは時の経済力、軍事力、政治力などで決まる。正義などはまったく関係のない話である。

正義か不正義かを裁くなら、アメリカに勝ち目はない。アメリカは西洋人が来る遥か以前より土着していたインディアン達を大量に虐殺している。英国からの独立後に戦争で南部7州(6州だったか?)をメキシコから奪っている。グアム、サイパン、ハワイ、その他を侵略している。1853年には戦艦を動員して日本を恫喝したではないか。(私がお隣のK国なら遡って倍賞を求めるところだが^^;)

連合国側のすべての国々は、日本がシナを始めとする亜細亜での利権を面白く思わなかった。(欧米の多くの国がシナに武力による利権を確保していた)これが大東亜戦争の始まりである。要するに強盗の仲間割れだったのである。この裁判で、連合国は後出しジャンケンをやった。それまでなかった「人道に対する罪」という罪状をつくって日本を罰した。そんな罪があるなら2発の原爆による世界初の人体実験はどうなる。大都市に対する無差別爆撃はどうだ。これらで殺されたのは軍人ではなくほとんどが一般市民である。(日本は真珠湾で一般市民を攻撃しただろうか)アメリカはまったく抵抗のできなくなった日本にこれを敢行したのだ。これは未だ裁かれていない。

欧米は政治宣伝がうまい。当時欧米政府は日本を世界征服を企てる恐ろしい怪物として自国民を洗脳した。アメリカなどは軽薄な牧童(cowboy)文化しか持たない国である。ところが、いたのである。自身の出自を超越してこの戦争を冷徹に研究した学者が、アメリカにである。

ミアーズは、この戦争(大東亜戦争)を宇宙から眺めて、これを本にした。どちらに偏るわけでなく、理非を明らかにした。物事とはそれを眺める場所によって見え方が違う。ミアーズは必ず手前味噌になる動物の目ではなく、公平な人間の目でこの愚かな争い事を観察し、詳細な記録Mirror for Americans:JAPANに残した。これによれば、今大戦は明らかにアメリカをはじめとする連合国側に分が悪い。それでもミアーズは見たまま、調べたままをこの本に書いた。当然日本での出版はマッカーサーによって禁じられた。

正しい歴史認識を、とオウムのように繰り返す人々がいる。しかり。しかし、正しい歴史認識があったとして、これを認めるのに一番不都合な国々はむしろアメリカをはじめとする連合国側である。日本も執拗に長期に渡る連合国側からの「刷り込み」「暗示」、「洗脳」を受けてしまい、正しい歴史認識など出来そうにない。ノーベル文学賞などという怪しげな賞を射止めて得意になっているOなどは、その典型である。

私は、人の人たる所以は「理と愛」にあると思うが、残念ながら人の世に「理」は無い。アメリカの原爆投下、ソ連による敗戦国の人々のシベリア抑留(実際は奴隷として苦役を強いた)、シナ政府による日本人大量殺戮(通州事件)、シナ共産党独裁下の悲惨な粛清や餓死(一説に二千万人が毛沢東に粛清され殺されたという。スターリンも同等であるが・・・)、貧富の格差など、言行の矛盾を演じ続けている。人類が「理」を放棄すれば地上で唯一最悪の残忍な動物となる。人類が人類でいるためには「理」がどうしても必要なのだ。この「理」を貫いた人がミアーズだった。

それにしてもアメリカにもすごい人はいるものだ・・・。

※Mirror for Americans:JAPAN アメリカ人達の鏡たる日本。現在日本語で読めるのは抄訳ではあるが、「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川書店)である。