2011年9月30日金曜日

みっちー氏がアイルラントを表敬訪問

去る9月24日、統一地球防衛軍参謀長みっちー氏がアイルラント在住のSnigel 師とひできす氏を表敬訪問しました。氏は同日スットコランドの首都エンジバラよりダフリンに、あろうことかライアンエイヤーで飛来し、この度の電撃訪問となりました。

みっちー氏はアイルラント経済危機救済のために孤軍奮闘している両氏を表敬と激励のため今回の訪問となった模様です。

関係筋では同氏の健康状態が幾分持ち直したために3食昼寝付きの両氏の館(やかた)に長期居候を決め込むのではないかと危惧しています。

なお、これを迎えたSnigel師とひできす氏の側ではろくな食事も出さないようにして懸命の対応に追われているようです。

なお、当のアイルラント政府の関係者は日本からウルトラマンを招聘してみっちー氏との対決姿勢を強めるべく、対応に追われています。

※よもやこれを本気で受け取る人もいないでしょうが、私は両氏に歓待を受けております。「さても人間とは」の読者諸氏に於かれましては、これらを事実として受け止め、両氏におひねりなどを投げられては、私の立つ瀬がありません。みなさん、軽挙妄動はくれぐれもお慎み下さい。
ちなみに私はSnigel師に日にビールを9本飲むように強制され、ひできす氏からは親切にも空港まで送るので早くアイルラントから出ていくよう要請を受けています。(な、なんといい人達なんだ。とうちゃん、おれは今最高に感動している(涙) )

2011年9月10日土曜日

死を考える

知人の、そのまた知人の絵描きさんの展示会に招かれていった。オープニングだということで、少々のお酒と(キリンの一番搾りがあった!)日本のお菓子、そして食事がでた。

居合わせたのは少数の既知の人達だけであった。テーブルで、私の隣には友人のAがいる。Aはデンマーク人で、私が転がり込んでいる団体の大ボスのひとりでもある。こう書くと青い目の金髪で毛むくじゃらの大男を連想するかも知れないが、それは小柄な金髪であるがどんぐり眼の、そして私と同い年の女性である。口さがない人が此処にもいるので気を付けなければいけないが、我々は友人となって日は浅いが、あ・うんの信頼関係が成り立っている。

最初に書いた知人とは当地の名物日本人のKさんである。Kさんは度量の広い肝っ玉かあさんである。Aとは十数年来の仲良しだそうな。

要は少数といえども様々な人生途上の人がそこには集まったということである。

そこにはハナちゃんという何とも可愛い5つくらいの女の子も両親に連れられて来ていた。ハナちゃんのお父さんはイギリス人で、お母さんが日本人である。

ハナちゃんは学校に通い始めてから日本語を忘れるようになり、今改めて特訓中なのだそうな。確かに可憐な彼女の日本語には英語訛りがある。子供のこととてこのような集まりでは興奮する。はしゃぎまわってはお父さんやお母さんに注意を受け、お菓子を食べ過ぎては叱られている。しかし、・・・活発である。

ハナちゃんの将来に想いを馳せると、それに対比して自分の死が見えてくる。ハナちゃんは伸び盛り、私はせいぜいあと20年の人生である( 私はまだ30歳であるが←うそ^^; )。過ぎ去った20年とこれから迎える20年を比べることは意味が無いが、それでも比べる。あっという間であった。

20年後のハナちゃんはそれでもまだ20代の半ばである。人生の基礎を終え、独立して応用問題に取り組んでいる頃であろうか。

私が20代の頃は迷いの連続であった。否、迷っていることにさえ気がつかず、ただ悶々としていたような気がする。ただそれは私とって必要な過程であったのだろうと思うのだが。それ以上のことも出来なければ、それ以下の事にもならなかったと思う。

論語の中に「40にして迷わず、50にして天命を知る」という一節があるが、私は孔子に遅れることわずか20年、今にして天命らしきモノを感じている。と、言うより自らの「ぶん」を知ったらしい。「ぶん」とは周囲の環境の中で、自分の性格に合わせて進むべき道、などといった漠然としたものであろうか。

神経質で気が小さい割にはやりたい放題やって来た。これといった特技はないようである。それでいていまだのほほんと生きている。このまま行くのだろうか?それともどこかでドンデンガイシがあって泣くか笑うかになるだろうか・・・。

私の「ぶん」とは「沈香も焚かず屁もひらず」である。つまり、平凡に生きることである。人間、ぶん以上のことはできない。「人は自身を知るを人生の第一義とする。また、世を知るをその第一義とする。これを知らずばすなわち踏み外す」とはみっちーの言葉である(@@)。

踏み外したって踏み外さなくたって人は時期が来れば自動的に死ぬ。病気や怪我で奇跡的に助かったとしても時期が来れば死ぬ。助かったのは奇跡でも何でもない。時期早尚だったにすぎない。
どうせ死ぬなら踊らにゃソンソン。

どう踊るか。人のために踊る。人のために踊っているうちに自分の踊りがうまくなる。そうするともっと人のために踊りたくなる。人間は人の喜びを見るのが最高の幸せになるようにできている。

※この文章はスコットランドで8月23日に書いた(ものらしい)。本日は同年9月10日(土)まだスコットランドにいる。加筆訂正などなしにそのまま発表します。後刻書き直しの可能性がありますのでお知らせをしておきます。また、私の病気柄、このタイトルからもしかしたらみっちーは自殺予告をしているのではないかと勘ぐられる方も居られましょうが、その予定は今のところありませんのでご了解願います。                          筆者みっちーでした。

2011年9月9日金曜日

復活なるか@@

ウツ期に入ってひと月近くなる。日によっては異常に辛く、すべてを悲観的に見てしまう。私のブログの読者の性格が悪いのも、日本の総理大臣がなかなかやめなかったのもみんな私が悪いと思ってしまう。(自分のブログの読者にいちゃもんを付けるのは私くらいであろうが、これはみんなウツが悪いので、私そのものが悪いのではない)

最近いくらか調子が上向いてきたが、それでも日常に嫌なことがあるとかなり落ち込む。そんな中でアイルランド行のチケットが素直にとれたのは良かった。しかし、後で知人からリバプールからダブリン行の船便が有ることを知らされ、ヒコーキの手配をする前だったら考えたかも知れないと思った。不精で、ヨーロッパに長く暮らしても旅なんぞは滅多にしなかったから。

ヨーロッパ暮らしに見切りをつけて日本に戻ったときに、古くからの友人が軽自動車とフェリーを使った北海道旅行に連れて行ってくれた。昔ならいざしらず、今や船旅は時間とお金のある人々のものである。それでも一番安いチケットで結構楽しめる。一等席だろうが船底だろうが向こうに着く時間は一緒で、デッキに出れば見える海の景色も同じである。

藤沢周平の文庫本などを数冊持っていけば最高である。潮風に吹かれて飽きるほど海を見て、船室でまったく違う世界に浸って時を過ごす。これに飽きても船内を自由に歩き回れるのはいい。

子供の頃、夏休みで母の郷里に行くために函館から青森まで青函連絡船に乗った。それが初めての船旅であった。船室は雑魚寝で、枕と毛布だけが借りられた。エンジンの振動が床から伝わり、それは地獄の亡者の叫びのように聞こえた。想像力たくましい多感な年頃であった。

一番長い船旅はスゥエーデンのヨーテボリからイギリスのハーリッチまでで、随分かかったが、ほとんどおぼえていない。なぜならハーリッチについてから入国審査でひどい目に会って記憶のほとんどがそれに取られているからだ。

話しがそれた。世界の関心はいつみっちーはウツを脱してブログを再開するかに集まっている。正直に言うと書きためたモノはいくつかある。しかしながらこれをそのまま発表するわけにはいかない。もう少々お待ちを頂きたい。