2011年9月10日土曜日

死を考える

知人の、そのまた知人の絵描きさんの展示会に招かれていった。オープニングだということで、少々のお酒と(キリンの一番搾りがあった!)日本のお菓子、そして食事がでた。

居合わせたのは少数の既知の人達だけであった。テーブルで、私の隣には友人のAがいる。Aはデンマーク人で、私が転がり込んでいる団体の大ボスのひとりでもある。こう書くと青い目の金髪で毛むくじゃらの大男を連想するかも知れないが、それは小柄な金髪であるがどんぐり眼の、そして私と同い年の女性である。口さがない人が此処にもいるので気を付けなければいけないが、我々は友人となって日は浅いが、あ・うんの信頼関係が成り立っている。

最初に書いた知人とは当地の名物日本人のKさんである。Kさんは度量の広い肝っ玉かあさんである。Aとは十数年来の仲良しだそうな。

要は少数といえども様々な人生途上の人がそこには集まったということである。

そこにはハナちゃんという何とも可愛い5つくらいの女の子も両親に連れられて来ていた。ハナちゃんのお父さんはイギリス人で、お母さんが日本人である。

ハナちゃんは学校に通い始めてから日本語を忘れるようになり、今改めて特訓中なのだそうな。確かに可憐な彼女の日本語には英語訛りがある。子供のこととてこのような集まりでは興奮する。はしゃぎまわってはお父さんやお母さんに注意を受け、お菓子を食べ過ぎては叱られている。しかし、・・・活発である。

ハナちゃんの将来に想いを馳せると、それに対比して自分の死が見えてくる。ハナちゃんは伸び盛り、私はせいぜいあと20年の人生である( 私はまだ30歳であるが←うそ^^; )。過ぎ去った20年とこれから迎える20年を比べることは意味が無いが、それでも比べる。あっという間であった。

20年後のハナちゃんはそれでもまだ20代の半ばである。人生の基礎を終え、独立して応用問題に取り組んでいる頃であろうか。

私が20代の頃は迷いの連続であった。否、迷っていることにさえ気がつかず、ただ悶々としていたような気がする。ただそれは私とって必要な過程であったのだろうと思うのだが。それ以上のことも出来なければ、それ以下の事にもならなかったと思う。

論語の中に「40にして迷わず、50にして天命を知る」という一節があるが、私は孔子に遅れることわずか20年、今にして天命らしきモノを感じている。と、言うより自らの「ぶん」を知ったらしい。「ぶん」とは周囲の環境の中で、自分の性格に合わせて進むべき道、などといった漠然としたものであろうか。

神経質で気が小さい割にはやりたい放題やって来た。これといった特技はないようである。それでいていまだのほほんと生きている。このまま行くのだろうか?それともどこかでドンデンガイシがあって泣くか笑うかになるだろうか・・・。

私の「ぶん」とは「沈香も焚かず屁もひらず」である。つまり、平凡に生きることである。人間、ぶん以上のことはできない。「人は自身を知るを人生の第一義とする。また、世を知るをその第一義とする。これを知らずばすなわち踏み外す」とはみっちーの言葉である(@@)。

踏み外したって踏み外さなくたって人は時期が来れば自動的に死ぬ。病気や怪我で奇跡的に助かったとしても時期が来れば死ぬ。助かったのは奇跡でも何でもない。時期早尚だったにすぎない。
どうせ死ぬなら踊らにゃソンソン。

どう踊るか。人のために踊る。人のために踊っているうちに自分の踊りがうまくなる。そうするともっと人のために踊りたくなる。人間は人の喜びを見るのが最高の幸せになるようにできている。

※この文章はスコットランドで8月23日に書いた(ものらしい)。本日は同年9月10日(土)まだスコットランドにいる。加筆訂正などなしにそのまま発表します。後刻書き直しの可能性がありますのでお知らせをしておきます。また、私の病気柄、このタイトルからもしかしたらみっちーは自殺予告をしているのではないかと勘ぐられる方も居られましょうが、その予定は今のところありませんのでご了解願います。                          筆者みっちーでした。

2 件のコメント:

  1. 9月が終わろうとしていますが、見た感じみっちーは元気です。元気でいてくれないと、僕の悩みを聞いてくれる人がいなくなるので困りますw。

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  2. 私は元気です。両氏は私の待遇を良くすると居づらくなって出ていくだろうとばかりに、毎日酒池肉林です^^;
    ひできす氏の悩みと言えば、モテテ困るのでどうしたら私のようにモテなくて済むかを聞きたい、と言った程度でしょ?(し、知るかそんなこと。ほっといてくれ!!!)

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