2013年12月16日月曜日

ヘレン・ミアーズを知っていますか

既に、どこかに書いた気がするが、人というのは動物性を併せ持って生きるようにつくられている。ただの動物として生きることの最優先は自分の体を守り、養い、そして子孫を残すことである。次に来るのは自分の家族を守り、養うこと。そして次は自分の所属する種を守り、養うこと。こんなところであろう。単純と言えば単純である。

はたして人類の場合はどうであろう。人類は生物界でも最もややこしい存在である。それは神性と動物性の間に揺れて生きる宿命にあるからだと筆者は考える。人といえども動物性を消して生きることは叶わない。まず普通の状態では自分を守り養うことが優先順位の一番に来る。この最初のところで既にただの動物との違いが出てくる場合がある。すなわち、人は自分が飢えて死すとも、子供や他人に食わそうとすることがある。動物には自分を犠牲にしても子供やほかを生かそうとする、こんな行動は見られないようだ。(一部に、自分が捕食者の注意を引いて、その隙に子を逃がす、そんな行動をとる動物がいるが、最終的には自分を犠牲にはしない)

聖書にヨハネが言ったとされる言葉のひとつで、
    一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし
とある。解釈は自由だが私は、「人を思いやる心があれば、例え本人が死んだとしても、その精神は生き続けて広がるであろう」と理解している。

もし人が、「あの世」から来て、「あの世」に帰るのであれば、「この世」にある間にせねばならない宿題というものがありそうである。それは人を愛するということではないか、と思う。自分を愛するのはサルでもやっている。しかし、人はただのサルではいけない。

人も、特別な場合を除き、優先順位の一番に自分がきて、次に家族がきて、地域社会、町、県、地方、国となるようだ。自分が所属する何か、(家族だったり、町だったり、国だったりする)が他から非難されたり、攻撃を受けたりすれば、自分と自分の側を弁護、守護する行動を自動的にとる。自動的に、ということは動物本能的に、と言うことだ。まったく当たり前と言えそうだが、ここに大きな問題がある。人といえども相手の行動に正当性があろうがなかろうが、これを受けた側は「理性」の介在なしに自分と自分の側を守ろうとするのだ。

大東亜戦争の前後に、日本を含む亜細亜というものを宇宙から眺めていた学者がいた。米国人のヘレン・ミアーズ(Helen Mears)である。戦前2度ほど日本と中国を訪れ、戦後にはマッカーサーのもとで、日本の労働基本法の策定に従事したらしい。

日本は降伏後に極東軍事裁判(東京裁判)と言う茶番劇で多くの政治家、軍人が有罪になった。なぜ私がこれを茶番劇と呼ぶか、連合国側の洗脳教育を受け継いで自虐史観を持つ人々には理解できないだろうが、間違いなくあれは茶番であり、劇だったのだ。ここで詳しいことは述べない。

日本は理由はともあれ他国に迷惑をかけた。これは事実である。しかし、戦争をやってのち、裁判でことの善悪をつけるなどはかつて聞いたことがない。しかも、戦争の勝者が敗者を裁くのだ。これが公平ならお日様は西から昇ってもおかしくはあるまい。勝ち負けは時の経済力、軍事力、政治力などで決まる。正義などはまったく関係のない話である。

正義か不正義かを裁くなら、アメリカに勝ち目はない。アメリカは西洋人が来る遥か以前より土着していたインディアン達を大量に虐殺している。英国からの独立後に戦争で南部7州(6州だったか?)をメキシコから奪っている。グアム、サイパン、ハワイ、その他を侵略している。1853年には戦艦を動員して日本を恫喝したではないか。(私がお隣のK国なら遡って倍賞を求めるところだが^^;)

連合国側のすべての国々は、日本がシナを始めとする亜細亜での利権を面白く思わなかった。(欧米の多くの国がシナに武力による利権を確保していた)これが大東亜戦争の始まりである。要するに強盗の仲間割れだったのである。この裁判で、連合国は後出しジャンケンをやった。それまでなかった「人道に対する罪」という罪状をつくって日本を罰した。そんな罪があるなら2発の原爆による世界初の人体実験はどうなる。大都市に対する無差別爆撃はどうだ。これらで殺されたのは軍人ではなくほとんどが一般市民である。(日本は真珠湾で一般市民を攻撃しただろうか)アメリカはまったく抵抗のできなくなった日本にこれを敢行したのだ。これは未だ裁かれていない。

欧米は政治宣伝がうまい。当時欧米政府は日本を世界征服を企てる恐ろしい怪物として自国民を洗脳した。アメリカなどは軽薄な牧童(cowboy)文化しか持たない国である。ところが、いたのである。自身の出自を超越してこの戦争を冷徹に研究した学者が、アメリカにである。

ミアーズは、この戦争(大東亜戦争)を宇宙から眺めて、これを本にした。どちらに偏るわけでなく、理非を明らかにした。物事とはそれを眺める場所によって見え方が違う。ミアーズは必ず手前味噌になる動物の目ではなく、公平な人間の目でこの愚かな争い事を観察し、詳細な記録Mirror for Americans:JAPANに残した。これによれば、今大戦は明らかにアメリカをはじめとする連合国側に分が悪い。それでもミアーズは見たまま、調べたままをこの本に書いた。当然日本での出版はマッカーサーによって禁じられた。

正しい歴史認識を、とオウムのように繰り返す人々がいる。しかり。しかし、正しい歴史認識があったとして、これを認めるのに一番不都合な国々はむしろアメリカをはじめとする連合国側である。日本も執拗に長期に渡る連合国側からの「刷り込み」「暗示」、「洗脳」を受けてしまい、正しい歴史認識など出来そうにない。ノーベル文学賞などという怪しげな賞を射止めて得意になっているOなどは、その典型である。

私は、人の人たる所以は「理と愛」にあると思うが、残念ながら人の世に「理」は無い。アメリカの原爆投下、ソ連による敗戦国の人々のシベリア抑留(実際は奴隷として苦役を強いた)、シナ政府による日本人大量殺戮(通州事件)、シナ共産党独裁下の悲惨な粛清や餓死(一説に二千万人が毛沢東に粛清され殺されたという。スターリンも同等であるが・・・)、貧富の格差など、言行の矛盾を演じ続けている。人類が「理」を放棄すれば地上で唯一最悪の残忍な動物となる。人類が人類でいるためには「理」がどうしても必要なのだ。この「理」を貫いた人がミアーズだった。

それにしてもアメリカにもすごい人はいるものだ・・・。

※Mirror for Americans:JAPAN アメリカ人達の鏡たる日本。現在日本語で読めるのは抄訳ではあるが、「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川書店)である。





2013年11月22日金曜日

冗談ですよ


日本国小笠原諸島西之島のすぐ隣に海底火山によって造られた小島が現れた。つい数日前の話しである。日本の隣国である某国は早速日本政府に申し入れた。
「あの小島は歴史的にも国際法上も、まったく疑いなく我が国の領土である」と。
 
 
久しぶりに更新したと思ったらくだらん冗談でした。すいません。帰国以来元気です。
書きかけの記事は幾つもあるのですが、つまり・・・乗らないのです。悪しからず。

2013年9月23日月曜日

帰国

風が吹くたびに、白樺の木々が無数の葉を宙に舞わせ、地を黄色に染めた。

朝夕の冷えが始まり、民家の煙突からは煙が立ち上る。ここ一両日は思い出したように暖かく、人々は夏の名残を楽しんだ。村のそこここに植えられたリンゴが赤味を増してきた。私は先日庭先にある堆肥箱に生ごみを置きに行くついでに、残っていた最後のプルーンのいくつかを木から採り、これを頬張った。種を飛ばしながら空を見上げた。

思い出せば、私が今回ここに来た時は、この空にはまだ冬の色が残っており、桜などもまだ咲いていなかった。だらだらと冬と春が行ったり来たりした。ゴースの花の圧倒的な黄色が終わり、ヘザーの控えめな紫が浜辺を彩った。いつの間にか夏が来ており、人々の家の花壇は賑やかになった。

今窓辺の机に向かって、ガラス越しに見える景色は松林。その上に、緑の間から見事な青空が見える。風で木々がざわめき、空の高いところにある白い雲が速く流れている。

佐久は自然災害の少ないところだと聞いているが、先日の台風はどうだったのだろう。私の家は母屋は大丈夫だろうが、それに続くガレージは「大工もどき」に建てさせたもので、構造上の問題があり、素人の私が、これに自分で補強を加えた。おそらくは大丈夫であろう。一番危ないのは薪小屋だろう。家を建てるために伐採した雑木が多くあり、これを燃料にするために玉切って割った。途中でその量の多さに気がついたが、ままよとばかりに、その場にありあわせの材料で、いい加減に屋根をかけた。あくまでも「仮」のつもりであったが、既に二冬を過ごしている。補強もしたが、大風に強いとは思われない。大風といえば、庭に赤松の大木が一本あるが、これは風のたびにひどく揺れる。万が一倒れたら電線電柱をなぎ倒し、家を半壊ぐらいはしそうである。風の方向と強さ次第で、如何ともし難い。考えても無駄なことは考えないに限る。

帰国の日が近づくと、急に(帰国後に)「あれもせねば、これもしたい」、が脳裏に浮かんでくる。こちらでの休暇が溜まっており、これを消化しがてら帰国日を一週間早めた。

御用邸到着は夜の八時頃の予定。水道は元栓で止めてある。元栓は地下一尺五寸くらいの所にあり、フタを開けて捻ればいいのだが、そこにはカマドウマが沢山いたりする。庭は雑草で埋まっているはずで、暗い中でこれをかき分けて行くのはちと嫌である。懐中電灯も必要だろう。

離日前夜に車の蓄電池の陽極に繋がる線をを外しておいた。これを戻さねばならない。蓄電池はお迎えが近いので(車を買ってから一度も交換していない)、果たして電気が残っているか・・・。燃料はわずかだがある筈。夏の暑さで蒸発して残っていなければ事である。が、保険屋さんに電話すれば6升(約10リッター)は無料で持ってきてくれる。

風呂釜の水抜きを戻し、合併浄化槽の点検契約休眠を戻し、住民票を復活させ、草むしりをし、西洋濡れ縁を作るための穴掘り、土台作りをし、薪を探し・・・。そう、原付回転鎖鋸(チェーンソー)の事である。新しいのを買うか。これはまだ決断ができない。来年からは1年を通じてここスコットランドで暮らす可能性があるからだ。帰国はせいぜい1年に一回、3週間ほどであろう。独り者には厄介なことであるが、ここを手放せば私には日本に帰る場所がなくなる。

私は日本が好きである。自分が生まれ育った国だから、というだけではない。多少海外生活を経験し、各国の人々にも接してきている。日本人が世界で一番かどうかは知らない。しかし、少なくとも私が見た国の中では一番安定して平衡のとれた国であることは間違いない。

最近職場の同僚である日本人のAが目の不調を訴えた。涙が少なく、角膜が乾燥し、無数の傷を負って見えなくなり始めたらしい。Aのとった行動は、まず担当のGP(General Practitioner・・・家庭医)に予約をとる。数日待たねばならないことがわかり、周囲からハッパをかけられ、緊急だからといって再度連絡をとる。診察の結果、家庭医は、自分ではわからないと言って10洋里(km)ほど離れたOptician(眼鏡士・・・メガネ屋さん)を紹介した。これに会うのにまた数日を要した。Opticianは目薬をくれたらしいが、効かない。この間Aは見えない目で必至にネットで療法を探し、実行した。以前、ロンドンで似たような症状が出て、日本人が経営する病院に行ったらしい。法外な料金を請求された。それは多分法外ではないのだろうが、一回の診察と治療で日本円で10万円近くを請求されたというのである。保険でまかなって事なきを得たらしい。結局Opticianではだめで、近くの眼科専門医にゆく事になった。しかし、これにかかるまで相当待たされるらしい。それでもこの国では順番を踏まなければならないのである。

英国は国民皆保険制度があり、これに登録すれば外国人でも医療費はただである。しかし、ただでも機能しなければまったく意味が無い。この国の医療制度は崩壊しているのである。

この国は人口は日本の約半分6200万人ほど、経済力(GDP)は日本の約半分である。しかるにその軍事費は日本を凌ぐ(GDP比2.6%、ちなみに日本はたったの1%)。核兵器を保有し、原子力潜水艦を保持し、MI6(ジェームス・ボンドの所属する情報機関。ボンドは実在の人物ではないが、MI6は実在する)を維持している。どちらの国がまともかはわからない。日本は国防をおろそかにする傾向が顕著であり、この国は異常なほど軍事に金をかける。これが国民の福祉に衰退をもたらす。

この国に住む以上は身近な医療のことを考えざるを得ない。大いに不安である。世界に国は200前後あるが、平衡のとれた先進国は稀である。日本はその中の一つに辛うじて入るだろう。

総合的に考えれば、今のところ六四の割合で日本に住みたい。しかし、日本に戻って半年も経てば退屈でやはり英国がいいかな、などと思うであろう。

2013年8月3日土曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び4)

トヨタのカローラからスプリンターが生まれ、後になって各々にレビンとトレノと言う名の車が派生し独立した。元々この随筆は「さても人間とは」が題名であり、その副題が「暖炉のにおい」、これの後に副々題として括弧で(大人の火遊び1~4)が出た。なんだかトヨタを真似てそれぞれを独立させたほうがいいような気もするが・・・。

統計を見ているが、母屋の「暖炉のにおい」より、軒先の「大人の火遊び」の方がダントツでよく読まれている。当初からこの傾向があり、これは「大人の火遊び」の方が検索語として妖しげで、惹かれるせいではないかと考えた。普通に捉えれば「大人の火遊び」とは、「成人の不純異性交遊」を意味するはずで、検索語に騙されて(?)やってきた読者諸氏には申し訳ないが、ここでは普通の意味での火遊びではなく、文字通りの火遊びなのである。(身共は、やんごとなき生まれにて、俗世の下ねたなどは書きつらう能わざればなり^^;)

再来される読者についてはこの統計ではつかめない。が、私は再来読者は意外と多いのではないかと踏んでいる。もしそうなら、その訳は・・・人は火遊びが大好き、これに尽きるような気がする。

ホシーホシー病でも書いたが、ケリーケトルというものの購入を本気で考えた。アイルランドが発祥地らしいが、金属製の小さなかまどに短い煙突を立てる。これが2重になっており、その隙に水を入れておく。すなわち煙突がやかんなのである。下のかまどで小枝や松ぼっくりを燃料にしてお湯が沸かせる。さらに煙突兼やかんの上にフライパンでも載せれば簡単な料理もできるというものである。普通のやかんに比べれば、水の量に対して熱が伝わる面積が広く、また煙突効果で火力が強いのだろう。このせいで、お湯がごく早く沸く。アルコールストーブやガスストーブなどよりはるかに早くお湯が沸かせ、燃料は現地調達でただ。難を言えば少々かさばることであろう。

なかなか行かないが、野営は大好きである。森の中で日が暮れて、焚火のそばに座ってウイスキーをちびちびやるのは無常の喜びである。このケリーケトルは真っ暗な中、やかんの上部、すなわち煙突の先からチラチラ火が見える。この故に、この種のストーブを「火山かまど」(ボルケーノ・ストーブ・・・volcano stove)とも呼ぶらしい。どうもいいではないか・・・。

世に物欲ほど怖いものはなし。いつも偉そうなことを宣(のたま)わく不肖であるが、物欲の制御にはいまだ苦しむ。このところの財政事情が許さないのであればこれはしかたない、と優先順位を下げていた。が、新手が現れた。と言うより最近私がこれの存在に気がついただけなのであるが。ウッドガスストーブと呼ばれるもので、やはり木の枝や松ぼっくり、また木質ペレット、アルコールストーブを中に置いても使える。一番の特徴は、一次燃焼と二次燃焼があることであろう。やはり野営用なので、巻便所紙くらいの大きさしかない。一次燃焼で発生した可燃ガスが上に昇った所で、空気を吹きつけて再度燃やす。このため、燃焼が安定すると煙は殆ど出ない。

高過ぎる。たかがステンレス製の円筒に穴を開けて重ねただけのものなのに、49.95ポンドもする。日本円で言えば7500円くらいであろうか(1ポンド150円換算)。日本でも売られているが、これより700円近く高い。これは私が佐久の御用邸で、買い替えを考えている銅製の見事なやかんとほぼ同じ値段である。薪ストーブに似合う良い意匠で、電磁式かまど(IHのこと)にも使えるものがあるのだ。しかし、私はこのウッドガスストーブに惹かれた。機能的で美しい。私ならあ~する、こ~もする、と言った点もあるにはあるが、現状でも充分だ。問題はこれが自分でも簡単に製作可能だということだ。外見さえ気にしなければ、缶詰や塗料の空き缶、それと缶切り、釘、金槌があればできる。

片道10洋里(km)の道のりをおんぼろ自転車で出かけた。金はかけなくとも火遊びはできる。一帯に広がる黄金色になった麦や緑のじゃがいもの畑、いくつかの橋を渡り、町を過ぎて外れにある西洋食料雑貨店(TESCO)に入った。陳列棚にある雑多な缶詰を背伸びしたり、しゃがんだりして手に取り、一つひとつの直径を測った。安いものばかりを狙った。驚いたことにこの物価の高い英国で、日本円で50円ほどの西洋麺のトマト味が売られていた。結局犬用餌、パインアップル、茹でじゃがいも、米プディング、トマト汁そして野菜汁など大小様々な缶を買い込んだ。自転車でいける範囲に日曜大工用品店があれば塗料缶で済ませたかった。値段は安いし、綺麗だし無駄がない。

結局パインアップルと野菜汁以外はみな堆肥桶(コンポスト)に行った。(捨てたと言いたくない^^;)犬用餌は開缶した瞬間から異臭がして、これを素手で処理したためにしばらく匂いが残ってしまった。犬とはすごいものを食べるものだと思った。最も彼らの先祖は腐肉でも腹をこわす事なく、平気で食っていたであろうから不思議はない。

1号機は小さいながらよく燃えた。二次燃焼のバーナーのような火もちゃんと確認できた。外見は無骨ながらも易々と成功した。しかしながらこれは大きさが実用向きではないので、ひと回り大きなものを作った。円周を測り、規則正しく空気穴を配置したが、道具の不備にはいかんともしがたく、若干いびつなものが出来てしまった。燃焼実験はこれも成功である。ウッドガスストーブの特徴のひとつ、燃焼残滓として炭が残る。木が燃えてそれからガスが出て、これが終わると炭が残る。放置すれば徐々にこの炭も燃えて白い灰だけが残るに違いない。不思議だ。

写真を撮ろうと思ったが、写真機の充電器を持ってくるのを忘れてこれは叶わない。ちと無念である。それにつけても火遊びの楽しさよ。しかも、これでしばらくはホシーホシー病の発作から開放される。

2013年7月27日土曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び3)

「お祭り人間」と言う人種がいる。ふと思い立って、「お祭り人間」を電脳網で調べたら、「お祭り男」と言うのが見つかった。ひと処に大勢集まってワイワイやるのが大好きな男、くらいの意味であろう。普段おとなしい人が、この時は人が変わって躁状態になる。輪の中心になりたがり、人の世話を焼きたがる。こういう人が私の言う、「お祭り人間」である。

私の友人に、「お祭り人間」が一人いる。ポルトガル人女性Cで、かつてバンガロー(※)と呼ばれるおんぼろ家で一緒に住んでいた。(同棲でも同衾でもない。ただの同居である)後に私は寝台虫(Bedbag)に体のあちらこちらを刺され、やむなくちゃんとした家に引っ越した。(あと釜に豪州人のJ翁が来て元私の寝室に入ったが、未だなんとも無いようだ)

※バンガロー(Bungalow)・・・・・広い西洋濡れ縁(ウッドデッキ)のある平屋
   以下蛇足^^;
  キャビン(Cabin)・・・・・・・・・・丸太造りの小屋
     コテージ(Cottage)・・・・・・・・ 小さな別荘 
     ハット(Hut)・・・・・・・・・・・・・・ 粗末な小屋
     ログハウス(Log house ?)・・・和製英語らしい
  バラック(Barracks)・・・・・・・・兵舎、仮設小屋

このバンガローに私が入居してきた時は、先に英国人男性Aと日本人女性Bがいた。家自体の日当たりが悪く、10年近く前に自殺者が出たりして、すこぶる評判の悪い所であった。中は共用部分の掃除をするものが誰もおらず、不衛生で散らかし放題であった。私は居たたまれず、掃除と片づけをした。同居人たちは有言不実行の人たちであって、私とはまったく住む世界が違う。自慢するようだが、私は無言実行が好きな人間である。

さてCのことである。日本流に言うと、二回目の成人式を少し前に迎えた年頃で、細身で長い髪には白髪が目立つ。早口だが流暢な英語を話す。Cはかつて私の職場にいたことがあり、お互いよく知った仲である。ポルトガル出身の割には、いわゆる南欧系の気質はあまり見受けられない(と、思った)。時間は正確だし、片付けや清掃をよくやる。年齢相応に落ち着いている。

Cは英国人男性Aと日本人女性Bが相次いでほかの住居に移っていった、その直後に我が家に来た。それから嵐のような日々が始まった。掃除と模様替えが始まったのである。積年の汚れ、傷み、無責任がこの家をある意味の化け物屋敷にした。英国人男性Aと日本人女性Bは代々の居住者の悪い方の典型であり、当然負うべき公の義務(と書くと硬いが、要は掃除を含む日常の仕事)を一切せず、この種の人々にありがちな「権利の要求」は人並み以上なのであった。

家のあちらこちらにモノがうっちゃられており、乱雑になっている。台所は開封された調味料や食品で埋め尽くされている。ほとんどは賞味期限が切れて久しい。私は新参のCに現状を話し、そして自分の想いを話した。彼女と意見が一致し、その場で作業が始まった。モノの取捨選択の連続である。修理したり綺麗にすれば使えるモノ、使えないので捨てるモノ、使えるがこの家では不要なモノ、これらが思った以上にあった。Cのやり方は徹底しており、これで彼女が転入する前に私がした片付けが半端なものであることが露呈した。

連日仕事を終えて帰ってくるとすぐこの作業が始まった。多くは相談ずくで、お互い独断でものを決めることは少なかった。が、自分の部屋のことは別である。Cは洋服箪笥に拘泥した。4つある寝室のうち、2つが空いている。先任者の権利として空いている部屋にある家具その他を自由にできた。Cは空いている部屋に入って、この箪笥が欲しいと言う。箪笥とそれを置くべき空間の寸法を正確に測る。これだけでは不十分。家の中を移動するには箪笥が移動する道順(?)の採寸も必要である。一人で動かせるものではないので、私が仰せに従って二人でこれを彼女の部屋に移動する。運び入れたのだから、運び出せると思うのは誤りで、後から来た他の家具が邪魔だったりして思うにまかせない。

Cは苦労の末、ある洋服箪笥を自分の部屋に運び入れ、やはり気に入らないといって、戻して別のものを運び入れたりした。金のある法人ではないので、社宅にある家具類の大方は安モンである。彼女が一旦気に入って運び入れた箪笥は空の状態で扉を開けると箪笥自体が前に倒れてきた。扉に後付と思われる鏡がついており、これを開くと重心が前に移動するのである。「重し」が必要とわかった。私は生まれて25年経つが(うそ)、こんな箪笥は見たことがない。ただ苦笑するのみである。

とにかく家の中のもので彼女の目から逃れられるものはなかった。居間の卓や椅子は尽く移動を命ぜられ、汚れという汚れは綺麗に駆逐、清掃された。手抜きというものがなかった。冷蔵庫を移動してその裏まで綺麗にした。そこは永年誰ひとり掃除をしたものはいなかったようだ。

次の冬に備えて薪の配給があった。ほとんどが針葉樹で、既に割ってある。西洋耕うん機でダンプカーの荷台みたいなものを牽引している。満載してきた薪を一気に降ろす。玄関への進入路に山積みされた。その時は私と英国人男性A、そして日本人女性Bの3人がいた。本来なら雨を避けるためと、玄関への進入路を確保するためになるべく早く、3人で平等に薪を薪小屋に積むべきであった。私は一人で半分以上をやり、あとを残した。後者2人はこれを放置してバンガローを離れた。あとから来たにも拘わらずCは嫌な顔ひとつせずにこれを片付けた。魂に格というものがあるとすれば、A、BとCの違いは明白である。(3人は共に中年の分別盛りである)そう、魂というものは見えるものなのである。

Cは家の隅々までピカピカに磨き上げ、家具を移動し、内外に花を飾ったり植えたりした。かつて人々が、あそこは悪いエネルギーが溜まっている、などと陰で言っていたおんぼろのバンガローが今は光り輝いている。

そこの薪ストーブはただの鉄の箱である。扉に硝子が付いていて炎が見えるわけでもない。それでも火を焚くのは楽しい。私がその家に入ったのは4月の中旬で、スコットランドでは肌寒い天気が続いていた。時折ストーブをつけた。悪天候の日などはあたたかい居間から窓外の雨を眺めて暮らした。さすがに5月ともなるとストーブは不要となった。

およそ10日ほど前、すなわち(2013年)7月の中旬のことであった。晩にその家で様々な国籍の10人近くの人々が集る機会があった。その時である。Cは人々が自分の家に群れ集って浮かれたためか、ストーブに火を入れようと言い出し、私たちの返事を聞く間もなくさっさと焚付を燃やし始めた。反対の声が上がるかとも思われたが、大半の人々は彼女の勢いに呑まれてしまった。盛大に焚いたわけではないが、居間は瞬く間に暑くなり、ある者は上着を脱ぎ、ある者は窓を開けた。そしてCは火が消えないように時々ストーブの扉を開けては加減を見ていた。彼女はいつも気配りを忘れなかった。そこに私は南欧のお祭り人間気質(かたぎ)を見た。

実は今回はもっと副題(大人の火遊び3)に沿った話しを書くつもりであったが、何となく話しがそれてしまった。次回4は以外に早く画面上梓(?)出来そうである。

写真は私がバンガローに転入直後に撮ったもの。私の左手の親指の先から小指の先までは20cmある。

2013年7月19日金曜日

漱石を偲ぶ

連日二十数度の気温が続いており、雨も少なく、当地スコットランドは例年にない好天続きである。朝夕はそれでもかなり気温が下がるので、長袖が必要なほどとなる。とにかく日本の高温多湿な夏とはまったく違って、適度な暑さと低い湿度は爽やかで心地よい。

先日風邪をひいて10日ほど体調を崩した。仕事も幾日か休んだ。実際の所、休まねばならないほど悪かったわけではないが、そこは社会の一員として、他との平衡を取らねばならぬ。つまり欧米人は我慢をしてまで仕事はしない。私は典型的な日本人とは言いがたい部分もあるにはあるが、大部分はそうなわけで、体調不良を押して仕事をすると、他の欧米人たちがやりづらくなるだろうと思って休んでやった^^;

休んでもすることはない。生来の怠け者との自負はあるものの、そう寝てばかりもいられない。かと言って外を歩きまわって職場の人間と鉢合わせもバツが悪い。退屈しのぎに電子頭脳網でいろいろな情報を漁る。無料で開放されている映画もある。とにかくこの電脳網上の情報量と速度にはただ驚くばかりだ。

日本では選挙でこの電脳網を使い始めるらしいが、この利便性と危険性を研究する学者はいないものだろうかと、ふと思う。他者への悪意ある侵入が盛んである。人口の多さだけが取り柄の大国と武力の強大さだけが取り柄の大国が、電脳網上の侵入合戦を繰り広げている。実際には英露も独仏も、どこの国も侵入と防戦に躍起になっている筈で、これは国家間に限らず、個人も同じだ。

日本も最近は固体燃料をつかったロケットを自由に飛ばすことができるようになった。超電子計算機もあるから核実験などをやらなくても小型核弾頭などは短期間に作れそうである。物騒な話しではあるが、両者を合わせれば大陸間弾道弾を飛ばして日本に攻撃を仕掛けてきた国に報復をする能力ができたわけだ。これで日本も当てにならない他国の核の傘から抜け出せる。ちなみにドイツなどは核兵器を持たないが、必要があれば条約でアメリカの核のボタンを押せるそうである。核抑止力に現実的ではない甘い考えを持っているのは先進諸国では日本だけである。

性善説はいいが、自説が世界に通用すると考えているのは過去の鎖国制度がもたらした最大の弊害だろう。

残念ながら虎狼群れするなかで生き残るためには、憲法9条という印籠は通用しない。助さんだって角さんだって、武術の達人だから黄門様を護れるのだ。これを理解しない人々を私は憐れむ。人というものの正体を見極めることが肝心だ。まんざら動物でもなく、かと言って神には程遠いのだ。

人の世とはひとくくりにはできない。善人もいれば悪人もいる。全員で入れ歯(善人でいれば、の誤入力^^;)悪人は寄ってこないと思うのは勝手だが、身ぐるみどころか命まで取られた後で、私は悪いことはしていません、と言っても遅いのだ。

、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」・・・ご存知の通り、漱石の「草枕」の冒頭部分である。が、これは「人の世」の話しであって、動物界のそれではない。世界に伍して生きてゆくということは、残念ながら弱肉強食の動物の世界に晒されるということでもあるのだ。

※何が何でも力がないと生き残れないとは言わない。動物界ではウサギは長い耳と早い足、それに大きな繁殖力がある。生き残っている動物には必ずそれなりの優れた点がある。

そう言えば過日Snigel閣下が当地スコットランドの我が家においでくださった。(Snigelはアイルランド真実紀行の作者。参照ここを押す)この方、年来の友人である。日本人にとってはアイルランドについての生き字引かつ変人である。(世間から見れば紛れもなく人格温厚頭脳明晰優柔不断その他諸々の人である)彼の大好きなRyanairと言う格安航空会社の飛行機に乗ってアイルランドの首都ダブリンからグラスゴーと言う、スコットランド随一の工業都市に飛んで来た。そこから貸し自動車に乗って当地までまっすぐ来れば4~5時間の距離であるが、そこは並の人とは違う。あとから聞いた話しだが、グラスゴーから首都エジンバラまで古い鉄橋を見に行ったというのである。参照ここを押して下さい

この巨大な鉄橋は漱石が英国に留学する10年ほど前に日本人の現場監督によって建設されたものである。見たい気持ちは理解できる。私も何回かそれを見たし、一回くらいは列車で渡ったこともある。素晴らしい鉄橋である。が、大きな遠回りをしてまで見に行くだろうか。

ともあれ、彼はスコットランドのド田舎に現れた。大きな遠回りをしながら、大して疲れた様子もなく、町一番の高級ホテルのバーで旧交を暖めた。その翌々日彼は私の希望を受け入れPITLOCHRY (ピトロッホリ・・・日本語にはない発音なので、カタカナでは正確な発音は表せない。ホが擦過音になる)に出かけた。

PITLOCHRY は漱石が留学の終わり近くに訪れたスコットランドの保養地である。いつか行ってみたいと思っていたが、Snigel閣下のお陰で、あっさり希望が叶った。漱石が帯在した建物は当時は個人の持ち物であった由であるが、今はホテルとなっている。受付でその部屋が見学可能かを聞いた所、塞がっていて不可であると言う。つまり、塞がっていなければ可であるらしいのだ。部屋代は夏季は140ポンドくらいだということだ(もしかしたら日本円で14000円くらいと言ったかもしれない)。小さなホテルで、その中の最上の部屋なのだろう。元々この持ち主が漱石の友人だったそうだから、一番いい部屋に泊めるのは自然なことだったに違いない。受付の親切なおじさんの好意に甘え、庭を散歩させていただいた。以前は日本庭園まであったと言う。

私が先の右翼的発言のあとに草枕の一節を持ちだしたのは、この結論に導きたかったからである。庭はいい意匠(デザイン)とは言いがたいが、手入れが行き届いており、大木が幾本かあり、そのうちの松の根本から松ぼっくりを一個失敬してきた。この松、樹齢は大雑把に見積もっても2~3百年にはなっており、漱石も見たに違いないのだ。想像を逞しくすれば、彼は神経をやられて辛かった孤独な胸の内をこの木に寄り添って吐露したかも知れないのだ。約110年前の事だった。

いま部屋の窓際にこの松ぼっくりをおいて眺めている。これを煎じて飲んだら、私も少しは文章がうまくなるか知らん。

写真はPitlochry Dundarach Hotel 撮影日2013年7月15日

2013年6月24日月曜日

西の果てから

日曜の午後である。午前中に洗濯を片づけ、早めの午餐を済ませてしばらくボーッとしていた。日本から持ってきていたヘミングウエー再読もかなり進んだが、今日は読む気も起きなかった。スコットランドにしては珍しく晴天が続き、今日も朝は曇っていたものの、昼辺りから急に日差しが出てきた。

私は、ここでは滅多に自発的には散歩などしないのであるが、なに、ものの10分も歩けば海が見えるのだと思い、家の裏庭から松林に出た。英国人は無類の散歩好き国民である。その成果が地面に出ている。松林を抜けて左方向に行けばまもなく海が見えるだろうとタカをくくっていたら、たくさんの枝分かれした自然にできた小道があるのだった。生憎方向感覚はまるでない。

私を理屈っぽい人間だと思っている方が多いだろうと推察するがそれは違う。人一倍感性に頼って暮らしている。なればこそ理性をもって平衡を保とうとする。これが時々行き過ぎるのである。方向に関しては理性も感性も役に立たない。天を見上げてぐるっと回ればそれで全てがわからなくなる。進化して野性を失った、と言えば聞こえばいいが、では太陽の高さや星の位置で方向がわかるかと言えば、勉強不足で皆目わからない。

小道は多くの人が歩いたその結果出来たので、まことに不思議だ。周囲を見回しても人影は見えない。でも、幸い見覚えのある発電用風車が見えたので、これを頼りに海を目指した。それでもかなりの遠回りをした。私がウミガメの子供だったら卵の殻を破ってのち、ひたすら内陸を目指したところである。

牛乳8にコーヒー2を混ぜたくらいの色の、細かい砂が玉石と混ざって果てしなく続いている。この玉石、実に面白い。形はほとんどが楕円で、平たいものが多い。大きくても直径20洋寸(cm)くらいで、つぶは比較的揃っているといえる。色は淡いものがほとんど。柄は石英の白だけのものから、濃い色のものがサンドイッチ状になったものなど、千差万別である。面白い姿をしたものを人々は持ち帰り、家の窓辺などに飾る。一番人気は白い心臓形(と書くと雰囲気ないですなぁ・・・)である。

ところどころ強い北風の侵食で、高さ数十洋尺の土手ができており、この断面がいい。玉石の層と砂の層が順番に重なっており、何千年、何万年の間に海水面の上がり下がりがあって、その結果できたのだろう。いま玉石が一面に広がっているところも、やがてそこに砂が被さり、その上にまた玉石が乗り、これを繰り返すのだろう。次に風化でできた玉石と砂の層の、この断面を見て駄文の題材にするのは、服を着たサルかもしれない。(猿の惑星をふと思い出した)

大きな起伏がないだけで、大げさに言えば砂丘のようだ。ゴースという小さな刺が無数にある灌木がところどころに大きな群れを作っており、今はその花が盛りで、遠くからでもその独特な甘い香りが鼻腔にからむ。少しそばに寄ると、圧倒的な黄色である。日本のニセアカシアのような黄色である。この荒地に繁茂して他を寄せ付けない逞しさよ。しかし、よく考えたら、ここにはこの植物くらいしか適応出来なかったのかもしれない。

この海岸線は東西に伸びており、西の端は南西に下りながら、ネス湖につながる川の河口にあり、大きな湾になっている。東の端は80洋里(km)ほどで海に落ちる。その先をまっすぐ北海を行けば数百洋里でノルウェーの南端である。真北を行けばグリーンランドとノルウェーの間を抜けて北極に至る。

二十歳前後の頃、FENと言うアメリカ軍放送を聞いていたことがある。Far East Network の略で、フェンと発音していた。何を話しているかさっぱり解らなかったが、当時は若者の流行りだったのだ。Far East Network とは、極東放送網くらいの意味である。アメリカから見れば日本は西にあるのだから、Far West Networkと言ったほうが合理的な気もするが、アメリカは「政治的に西側なのだよ」、くらいの意味であろう。地図というのは自国を真ん中に配置してそこから他国が東であるか、西であるか、はたまた北であるか南であるかを表すものなのだろうが・・・。

日本から見ればここはFar west、すなわち極西である。いま気がついた馬鹿な話し。極東は簡単に漢字変換できるが、極西はできない。単語がないのだ。極とは「端っこ」とか、「まるっきり」を意味している。日本人が日本は極東の国である、と言うのは自分の視点が解っていないのだ。

2013年5月23日木曜日

言い訳・・・

言い訳・・・五輪真弓の歌の題名のようですが、スコットランドの端っこに来てはや1ヶ月以上が経ちました。この間新規の記事はまったく書いておりません。が一応筆者としてはどの国からどの記事をどれほど読みに来られているかが興味の対象で、一日に一回は覗いています。

国といえばこの記事が日本語で書かれていることから、ほぼ10割りが日本人と思われますが、確信はありません。アメリカあたりの大学の日本語学科で文章のお手本として私の記事が引用されている可能性も一京分の1くらいは・・・あるわけないか^^; ただ当初の思いとは裏腹に、意外と多くの国々で読まれているのです。以下、読者数が多い国の順番です。

日本
ロシア
アメリカ
アイルランド
イギリス
ドイツ
ウクライナ
マレーシア
台湾
韓国
カナダ
フランス
ブラジル
ガテマラ
トルコ
アルゼンチン
ガーナ
その他

記事で読者が多い順番は

暖炉のにおい(大人の火遊び)
同       (大人の火遊び2)
続暖炉のにおい
さても人間とは
オッチョコチョイは治るか
語りえぬものと、は。(読まないほうがいいです^^;)
死を考える(2)
野鳥食堂 追伸の追伸
犬猫論争(さても人間の愛とは)
その他

意外と自分が訴えたかったものが読まれておらず、どうでもいい記事が読まれている気がします。ブログといえば写真抜きには語れないものですが、私の記事はブログとして書いているわけではないのでご勘弁を。読者の方々からの反応がないのですが、統計を見れば上記の通り、しっかりとご常連の方々がおられるので、もう少しまじめに書こうと思うのですが、乗らないと書けないたちです。(お金になるならたぶん欲に目が眩んで書くと思います)

(そうだ、新規の記事が滞っている言い訳を書くはずだったのだ)
要は書きたいことは山ほどあるのですが落ち着いてかけない雰囲気なのです。先週の土曜日から英国の湖水地方を歩いて来ました。そこで考えたことなど、また、ダブリン時代に経験した意外な私の過去など、とても書ききれないほどのネタはあるのです。読者の皆様には拙文をお読み下さり、まことにありがたく思っています。いましばらく私の気力が回復するまでお待ち願いたいと思います。間違っても「アイルランド真実紀行」などに浮気をなさいませんように。(ま、あっちのほうが面白いですが・・・)

おまけ  湖水地方の写真を掲載します。これで今回はご容赦を^^;

2013年5月2日木曜日

工事中です

すいません、ただいま工事中です。一部記事の読めないものがあるようですが、
今しばらくお待ちください。

いつもお読みいただいてありがとうございます。

2013年4月4日木曜日

木の芽時の哲学

思いがけず早い春がきた。昨年末冬に突入した直後は例年にないほど雪が少なく、高速道路の除雪を生業としている私には先が思いやられるのだった。12月と1月がさっぱりで2月は一回あたりの降雪量が多かったものの如何せん降雪回数が少なかった。この3月も結局一回も出動は無いままである。佐久はそういう土地らしい。すなわち、ほんの数十里北に向かえば新潟との県境で、日本有数の豪雪地帯であるが、ここは「降る、降らない」の境界で、寒さだけは北海道並なのだ。

あてにしていた収入がないと次年度の予算編成が厳しいものになる。予算執行延期も頻発する。先日の記事「ホシ~ホシ~病」にほしいものの候補を上げたが、実はあれだけでは済まない。早めに済ませてしまいたいものに庭の整地(重機とダンプカーを借りなければならない)がある。これが済まないと草木の類を何時まで経っても植えられない。植物は大きくなるのに時間がかかるから、これを見越して早めに植えたいのだが、その基礎となる土地の整形ができていない。それと西洋濡れ縁(和製英語ではウッドデッキと言うらしい。正確な英語ではwooden deckと言う)。車庫をつくった業者がいい加減な造りをしたために使えなくなった木材をとってある。これを転用して構造材にするのだが、今は車庫に置きっぱなしで、薪の置き場所を占領している。床板を買ってきて西洋濡れ縁を完成させれば、必然として薪置き場が確保され、敷地の南にあるみすぼらしい仮の薪小屋を撤去できる。いつ倒壊するか、ご近所の予想を裏切っていまだ健在であるが、建て主の性格や人生を象徴しているようでいただけない。

そうこう思案に暮れていても時は経つ。庭の暖香梅(ダンコウバイ)の黄色が目立ってきた。もうじき満開になる。日当たりのいい場所にある水仙は早くも蕾を大きく膨らましている。一昨年オランダで買った待雪草(マツユキソウ、スノードロップ)は今年ようやく一輪だけ咲いた。あと2週間もすれば私は欧州にいかねばならない。その前にすべきことはたくさんあるが、精神的には不調である。若い時には無かった感情の揺れをひどく感じるようになった。多くは陰に傾き、時にわずかに陽に振れる。陰は悪く、陽は良いなどと言ったものではない。陰とは欝のことであり、酷いわけではないが、将来に絶望し、疑い深くなり、疑心暗鬼に陥る。これは苦しい。陽とは躁のことで、いいもののように聞こえるが、実はそうではない。自分は能力に溢れた、なんでもできる天才に思えてくる。物事を深く考えようとしなくなり、起業して大金持ちになろう、などと本気で考え始める。「ホシ~ホシ~病」は形を変え、思いつきで高価なものを買ったりする。

昔からこの季節を「木の芽時」と言う。生きとし生けるものの命が、長い冬を経たこの時を待って躍動を始める。2月の終わり、軒下に蟻地獄を見つけた時は異様に思ったものだ。こんなに早く店開きしてもお客はまだ眠っているだろうに・・・。ウグイスが鳴き始め、ユキヤナギが黄緑の芽を出し始めた。
世は春というのに私はこの症状がいつひどくなるかを気に病んでいる。幸いにしてまだ正気がかなり残っている。どちらに転ぼうと自分の心の傾きを感じる余裕がある。そんな時はその時のものの見方、感じ方を面白く思う。ひとりの人間の中に視点がふたつあるというのはある意味興味深い。

よく使われる例えだが、一升瓶に半分残った酒、これをどう見るかがこの時顕著に現れる。当然鬱の時は、ああ、もう半分しか酒が無いと思い、躁の時はまだ半分も残っている、さあ楽しもうと思うのである。「まともな時」の私はこれに特別な感想は無いのである。半分の酒、ただそれだけである。ただの感情の振れでそう感じるならそれはまともであるが、病的な振れはやはり怖い。今はこれを冷静に観察している自分がいるつもりであるが、「冷静のつもりの自分」と「冷静な自分」とは別物である。これは解るような解らないような木の芽時の哲学である。

写真は初めて我が家の庭に咲いた待雪草(Snowdrop)

2013年3月11日月曜日

Ruler とは

Rule は英語です。日本語だと規則とか規範、または物差しなどがこれにあたります。私は英語を少し話しますが、Ruler をうまく日本語に訳すことができません。Rule を作るひと、と言う意味で、意訳すると統治者・・・でしょうか。

過去に私の記事を読まれた方はご承知でしょうが、私は自分の文章の中に外来語を入れるのを嫌い、極力これを排除するよう努めています。既に日本語化してしまった外来語にも皮肉と冗談のつもりで陳腐な日本語訳をつけます。例えばテレビ→電気紙芝居、または電気受像機などです。

話しは飛びますが、ほとんどの日本人は外国に憧れがあります。これが文章や会話の中に外国語、特に英語を入れる理由です。憧れを通り越して崇拝にさえなっている観があります。徳川幕府成立の折り、将軍は国策として国を鎖(とざ)し、欧米による亜細亜植民地化まで眠り続けて、思想や文化のガラパゴス化が進みました。これらの多くはまったく素晴らしいものでしたが、たったひとつだけ、他国に遅れを取ったものがありました。外交力がそれです。国を閉ざしていたのですから、近隣との交渉はなく、従って外交力などはまったく必要がなかったと思われます。わずかに長崎の出島で中国とオランダだけを相手に貿易をしており、この二カ国を通してしか世界を見ることができなかったわけです。日本にとってこれが後世にまで残る災いの元になりました。

アメリカのペリー提督による砲艦外交(武力恫喝による外交)によって日本は初めて自国が武力において他の欧米諸国に大きく遅れを取ったことを知ります。徳川の世が始まって以来外交ほど他国に遅れを取ったものは他になかったのです。これはある種の驚きです。(武力行使とは外交の一置形態です)医術はわずかに遅れていたと言えるかもしれません。しかし、独自に発達したにもかかわらず芸術は世界でも一級(欧州で印象派が日本の浮世絵に大きく影響を受けたことは有名です。かの天才ゴッホは浮世絵の模写をしていたくらいです)、衣も食も住も、数学も音楽もほとんどのものが一級だったのです。

英国に始まった産業革命が欧州内部にとどまらず、短期の間に日本まで来ていたら、日本は欧米を凌いでいた可能性さえあったでしょう。実際日本は産業革命でできてしまった欧米との大きな格差を驚くべき短期間に埋めてしまい、結果として当時世界最強と言われた露西亜のバルチック艦隊を日本海において撃破するに至ります。

いったい日本人の性格と思われる柔軟性や向上心はうまく制御出来ればこの民族は世界の指導者にさえなれるものがあると私は信じますが、この裏返しが軽薄さと自信のなさです。

私は平和を求める日本人の思想は世界一だと思っていますが、多くの人はいまだ欧米が上だと思っているフシがあります。車もスバルやトヨタよりBMWが優れていると思っている人が多いと思います。これはどの条件で比較するかによるのですが・・・。

日本人はそろそろ白人崇拝をやめる時だと私は考えます。すべて欧米のものを良しとする気持ちがあるために、多くの日本人は日本言語のなかに英語を混ぜるのだと思います。もうひとつは英語を使えば上等高尚に思われるだろうという思惑があるからでしょう。日本国民の召使である国会議員たちが日本人相手に話しをするのになぜ英語を混ぜるのか。バジェットだの、マニフェストと頻発するのは自分の馬鹿さ加減を知らない証拠です。なぜなら日本語にある言葉をわざわざ英語で話すのは英語文化を日本文化より優れていると思っているからです。(本来異なる文化間に優劣があるかは疑問ですが)

言葉を盗られるとは文化を盗られることです。文化を盗られるとは国を盗られることです。母国語の中に不用意に外国語を入れるのは国を盗られることです。なぜなら日本語の文法は私たち日本人が変えられますが、英語の文法は私たちは変えられないからです。

つい先日、オリンピックではレスリングという種目がなくなる、と言って日本では大騒ぎをしました。あれは日本がレスリングで強く、その結果欧米の妬みをかった結果です。過去同じようなことが多く起こっています。それは日本人がRuleを決める側に立てず、いつもRuleに従う側にいるからです。Ruleに従う側にいるということは、そのRuleに不承不承従うしかないということです。これがいやならRuler(Ruleを作る人)になるべきなのです。

スバルやトヨタのすべてがBMWに負けているわけがないのです。比較のRuleを作る側に立てばスバルやトヨタが優れていることになるのです。日本人の平和思想が欧米のそれに劣っているわけはないのです。これを世界標準にするためには日本人がRulerにならないといけないのです。

核拡散防止条約という聞くだに滑稽な条約があります。自分たちは核兵器を持っていて、それに対抗されるのが嫌だから他の国は核兵器を持つな、というのは最初から論理が破綻しています。こんな国が今の世界のRulerなのです。理屈では北朝鮮は正しいのです。アメリカは間違っています。でも、アメリカがRulerなのです。

まず大切なのは自分が自分のRuler になることです。

2013年3月7日木曜日

ホシ~ホシ~病

現在数万円から十万円で買えるものの間に欲しいものがたくさんある。

居間の寝椅子(ソファ)・・・・・・・ 電気紙芝居を見たり、本を読むには座り心地の良い寝椅子が必要
絨  毯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 床が板張りなので、保温と傷防止に必要
西洋濡れ縁(ベランダ)・・・・・・・居間の外にはやはりこれが欲しい。朝夕のお茶の時間に必要
原付回転式鎖鋸(チェーンソー)・・・薪を作るのに必要
 
                   
                                          
来季用薪 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回は渡欧の時期が早いので、自分で来季用の薪を準備する
                    暇がない
クリストファの絵  ・・・・・・・・・・・・知人の画家の作品がなかなかいい
芝刈り機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・芝などあまりない。実は雑草刈りに使う
銅製ヤカン ・・・・・・・・・・・・・・・・今使っているヤカンはお湯を注ぐ時に口を伝って大量にお湯が漏
                   れる。どうせ買い換えるなら機能のいいものを買いたい
ケリーケトル ・・・・・・・・・・・・・・・松ぼっくりでもお湯が沸かせるヤカン。不要不急は明らか

その他、簡易デジタル無線機、多機能携帯電話、写真機、静かな冷蔵庫、大損掃除機、家庭用映画館、和風骨董家具などだ。

この中の実用品で、優先順位が高いものは原動機付き回転鎖鋸と来季用薪であろう。しかしながら、次の冬もここに住んでいるか定かではないのでまだ買わない。大きな可能性として欧州再移住があるからだ。これがために今これらを買うわけにはいかない。実は先に上げたホシ~ホシ~一覧表には佐久御用邸にいようが、欧州にいようが役立つものが一点だけある。写真機である。今使っているものは数年前に一時帰国した折に買ったもので、性能的に陳腐化し始めており、新しいのがホシ~のだ。問題は「絶対ないと困るもの」ではないことだ。今のものでも画素数的には十分だし、荒いが動画も撮れる。

子供の頃、出不精の父が珍しく旭川だかの百貨店に連れて行ってくれた。私はおもちゃ売り場でゴムの蛇をねだってこれを拒否され、床に仰向けになって手足をバタつかせた。これが私の記憶に残るホシ~ホシ~病の最初の発作であり、父からもらった最初の拳骨であった。今私が当時の父の立場だったら同じ事をしたかもしれない。ちなみに私は生涯二回だけ父に殴られたが、二回目は小学校3年生くらいの時だった。もしかしたらこちらのほうが最初の発作だったかもしれない。母に何かをねだって叶えられず、手を上げた。たまたま父に見つかり柄杓(ひしゃく)でひどく殴られた。母は私に覆いかぶさるようにしてかばってくれたが、父の狙いは正確に私の頭を捉えた。アルマイトでできた柄杓は盃いっぱいの水も汲めないくらいにひしゃげた。私といえばコブが出来たくらいで、この時ほど自分の石頭をありがたく思ったことはない。

とにかくホシ~ホシ~と思ったらもういけない。寝ても覚めても、明けても暮れても欲しいのだ。悪いことに私は口がたつ。つまり、欲しい気持ちに理屈をつけてこれを正当化する。まるで尖閣を欲しがっている中国政府のようだ。

子供の頃は将来学者になろうと思っていた。中学校で成績は良かったので、特に勉強などしなくても有名進学校には入れたが、通学に便利な公立の高校に入った。ここで病気が再発した。単車(オートバイ)が欲しくて両親にねだった。友達の一部は既に免許をとって乗り回しており、私はこれが心底羨ましかった。私は次男で、子供の頃からスキーとか着るものは兄からのお下がりが多く、非常に不満におもっており、これを両親にぶつけた。彼らは一顧だにせず私の願いを拒否した。私は勉強拒否の労働争議(ストライキ)に突入した。その効果はみるみる上がり、私の成績はみるみる下がった(^^;)。やがて授業にさえついて行けなくなった。その結果大学は中央の一流は望むべくもなく、入れる所に入るほか無くなった。

いま思えば、あの時あの病気さえ出なかったら、と思うのである。どれだけ自らを貶め、どれだけ親を悲しませたことか。爾来病気が治ったとも思えず、時折起こる醜い物欲の発作に苦しみながら今日に至っている。未熟者め・・・。


2013年3月5日火曜日

野鳥食堂 沈黙の春

ここ数日野鳥食堂にお客の姿が見えなかった。かつて無いことであった。前夜薪をとるために居間のガラス戸を開けると雪が降っていた。この地域は浅間山系、八ヶ岳山系、平野部に分かれており、天気予報の「佐久地域」ではハズレも多い。雪の予報など全くなかった筈で、ふと軽井沢方面の状況が気になる。上信越道は浅間山の南麓をなぞるように走っており、冬期間だけ私はそこの除雪に関わっているからである。

今朝は見事に晴れわたり風もない。この状態が何を私たちにもたらすか・・・。木々の小さな枝先にまで雪が綺麗に積もり、早朝の灰色で構成される単一色彩(モノトーン)から朝焼けの橙色が混ざり始め、このあたりから世界は色を取り戻す。風があると木々の雪は飛ばされてこの風情はない。新雪の降った朝の散歩の楽しみは輝かしいばかりの景色だけではない。ここは里からそれほど遠く離れた場所ではないが、野生動物が随分いる。私が実際に目撃した動物は鳥類を除くと、ニホンジカ、ニホンカモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギ、リス、テン、ネズミなどで、足跡となると、これがわからない。クマはすぐにわかった。大きいのである。ウサギもシカもわかる。リスも大丈夫(と思う)。キツネやタヌキはわからない。

夜中に雪が降ると次の朝が待ち遠しい。人や車が通る前に散歩をして新雪に残った動物たちの足跡を見て歩くのだ。今朝は思いもかけないほどの「大猟」であった。合わせて5~6種類もの動物の足跡があったのだ。このうち私に見分けがついたものはリスとノウサギだけである。あとは皆目わからない。ひとつだけ妙なモノがあったが、これはネズミの種類、おそらくはヒメネズミと思うがあてずっぽうである。

このような時の散歩はまったく運動にならない。とにかくたくさんの足跡があるので、これらに見とれて、これはなんだろうとか、どっちの方角に行ったのだろう、あれ、ここで足跡が途絶えてる、子供の頃読んだシートン動物記には小動物は捕食者の追跡から逃れるために様々な術を使うとあったっけ・・・どうなったんだろう、どれ下手くそな写真でも撮るか、などとやるからである。

散歩から帰ると北側の斜面からキジの鳴き声が聞こえた。今季初である。鳥のことについてはまったく知識がないが、繁殖期が始まったのだろうか。

庭にはまだ雪がかなり残っているが、何日か好天に恵まれたせいで、ところどころに土が見え始めていたが・・・。昨秋庭木の手入れから出た小枝の山が雪の中からその姿を現した。ああ、そうだった。庭で焚火を楽しむつもりでわざととっておいたのだったが、雪が来てしまい、そのままになったのだった。

お客の来ない野鳥食堂は寂しい。ヤマガラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、コガラはその名の示す通り、みなスズメの親戚で、仲良く群れをつくって縄張りを順に巡って餌を漁っているらしい。その順番や時間が決まっているとも思えないが、以前は朝夕は必ず来ていた。来なくなった理由を頭で探ってみても皆目わからない。何故か、ふと思いついたのが「沈黙の春」である。英題は「Silent Spring」で著者は米国人Rachel Carson である。この本は今から約50年ほど前に農薬などの化学物質の自然界に与える影響を世に知らしめて有名になった。

春といえば日足が長くなり、日光そのものも冬の弱々しさを脱して力強くなり、植物の芽の薄い緑が霞のように野山を覆い、鳥達はその囀(さえず)りをいよいよ喧(かまびす)しくする季節である。植物の緑が茂っても、鳥達の囀りが聞こえない春とはどんなだろうと思う。わが野鳥食堂のお客たちも、とうとうこの地上もっとも狡猾で野蛮な動物の犠牲者と成り果てたかと、不安に思う。

が、杞憂であった。しばらくしてお客は来た。押し寄せたと言っても過言ではない。鳴き声も明瞭で力強い。ヤマガラは時々壊れたハモニカのような声を出すが、ほかのシジュウカラやコガラの声の美しさよ。私がそばにいるのもかまわずに食堂に次から次に入ってはひまわりの種を咥えて出てゆく。どうやら仲間内でも餌をとる序列があるらしく、時々追っかけたり追っかけられたりしている。

かくして沈黙の春は満員御礼の春となった。

※下手くそな写真はヒメネズミと思われる足跡。中央の黒いものは私のお腹、ではなく比較のための手袋である。

2013年3月2日土曜日

死を考える 3(春の憂鬱)

十年前の昨日、父が他界した。今日は早朝に家を出て両親の眠る埼玉の上尾に向かった。私はほとんど高速道路は使わない。近距離なら大した時間の節約にはならないし、長距離なら退屈だからである。料金もべらぼうに高い。一般道は道の駅もあって、これが結構楽しい。日本はコンビニなどもあり、どこに行っても清潔な手洗いがただで使えて安心便利なことこの上ない。

久しぶりの関東は暖かったが大風が吹いており、遠景が霞んでいた。黄砂とPM2.5などが来ているのだろう。日本もろくな隣国に恵まれず、かと言って引っ越すこともできない。因果なことである。すなわち日本にも問題がある。日本の常識(尺度)が隣国にも通じるという思い込みがあるからだ。私たちは動物界にも生きている。このことは弱肉強食の論理にも晒されていることを意味している。高邁な精神や志だけを糧に生きるわけにはいかない。力なき正義は無力である。これは国際常識であり、人類の宿命であり、課題なのであるが、日本はこの均衡が実に悪い。この大きな弱点を近隣の仁なき国家群は突く。

霊園の事務所では線香だけを買った。墓石の前に着くとやはり花が添えてあった。妹が昨日来ていたはずで、花はお隣のお墓のものとまったく同じものであった。

そこに我が父母がいるとは思っていないが、無言で墓石に対面し、挨拶をする。辺りには誰ひとりいない。枯れた芝生と墓に添えられた鮮やかな原色の花束の対比に違和感があった。父が生きていれば八十八の米寿であった。胃がんを得、病院に行った時は手遅れで、一応手術はしたものの、一年後に身罷(みまか)った。早く診てもらっていればと幾度思ったか知れぬ。

私の父は学業半ばで戦争に駆り出され、散々苦労したらしい。私の妹が生まれてすぐに肺結核を患い、当時の赴任先である北海道の山中を出て東京の日赤で手術を受けた。母はまったくの田舎育ちであり、ただ転勤する父について歩き、ついにはひとり北海道の山の中で子供3人を育てねばならなくなり、さぞ大変だったことだろう。彼女も6年前にこの世での用事を終えてあちらに帰って行った。

帰路は多少混んでいた。急がず程々の速度で巡航を続ける。ここは私のいる場所ではないと思う。早く長野に帰りたいと思う。両親の病気や死で、欧州からの一時帰国を余儀なくされたことが多々あって、随分実家に泊まったが、ダブリン空港に戻ったときは心からほっとしたものだった。おかしなものである。

片道三時間である。早く長野について熱いほうじ茶でも飲みたいと思った。春の始まった関東平野を北上しながら、ふと私は長野の家に着いたからといって本当にほっと出来るのだろうか、そんなことを思った。そこは私が心から満たされ、安心し、幸せを感じられる場所なのかと疑問に思った。

人の寿命は医者にも本人にも決められない。善行を積んだからといって長生きが出来るわけではない。食べ物や運動に気をつけたからといって長生きが出来るわけではない。そもそも長生きそれ自体に価値は無いだろう。やはり人生は「質」である。この「質」を問うのが私の今生の宿題らしい。
早く解いてあの世に帰りたい。(マダマダ無理ダロウナァ・・・)

2013年3月1日金曜日

野鳥食堂 追伸の追伸

コガラもなつき始めた。シジュウカラは一度だけヤマガラにつられて私の手にとまったことがあるが、以降はまったく警戒を緩めない。コガラはヤマガラよりひと回り小さい、白と灰色の体色に黒い頭で、名前通り小柄である。鳴き声も可愛い。ヤマガラを真似たのか、私の姿を室内に認めるとガラス戸の外で空中停止して餌の催促をする。

野鳥などまったく興味がなかったが、目を凝らして観察すると他にも沢山の種類の野鳥が来ている。寝起きのコガラだと思っていたらそれはヒガラだったりする。(コガラにそっくりだが頭頂部の羽毛が寝起きの子供の髪のように起っている。これがなんとも可愛い。是非野鳥図鑑で見て下さい)エナガやツリガラもいる。ネットで調べたのだ。なぜかみな「カラ一族」である。便利な世の中ではある。

 

2013年2月21日木曜日

男の美学(なんちゃって)・・・

男の美学・・・、三流週刊誌の見出しのような副題である。私が男を代表して美学なんぞを語れるわけはない。私は自分が男であることを信じているが、他の男のことは知らない。だからこれは「私の美学」である。だから(なんちゃって)なのである。

言い訳はこれ位にして、本題である。私の言う美学とはモノの美醜を論じるばかりでなく、測ったり、感じたり、また判断する「尺度」のことである。人の尺度には生まれながらにして備わっているものと、生後学習や刷り込みによって身についたものがある。

女性が口紅を付けたがる理由はなんだろう、と考える時、ひとつには生まれつき女性は本能的に多くの男を惹きつけて、その中から優秀な種を残すに足る相方を選ぶためであろう。(余談であるが、この点女性は狙撃手である。男性は機関銃手であることが多い。あくまでも傾向である)もうひとつは、口紅会社からの刷り込みである。子供の頃から、女性は口紅をつけるものだと刷り込まれる。人の口を介して、雑誌で、電気紙芝居で、その他あらゆる時と場所で、女性は口紅をつけなければいけない、と刷り込まれる。

ひとつの可能性として、男性も本能的に口紅をつけたいのかもしれない。ただ、女性ほどは「見かけ」で異性を惹きつけようとする気はないのだろう。男性の心のなかにも「男性性」と女性性」が混在しており、その比によっては一所懸命オシャレに精を出す男性もいる。こういう男性を電気紙芝居などの広告で焚きつければ、彼らも口紅をつけ始めるは必至である。

アフリカや東南アジア、また南米などにいるいわゆる「未開部族」では、男のほうが派手な化粧や身なりをするようである。これは部族間の戦いに際して、自らを鼓舞し、相手を威嚇するのがその目的であろう。日本の若い人の一部にも前髪を伸ばして「庇(ひさし)」を作り、自動二輪車に派手な飾りをつけ、わざと大きな発動機音で運転する人々がいまだ存在する。原始の血が騒ぐのかも知れない。ただ、このガラパゴスのゾウガメ的若者は少数なので、化粧品会社は「お客」としては勘定できないだろうが、旭山動物園からは誘いが来るかもしれない。

商業主義の刷り込みによって商品を買わされる消費者の多いことよ。そして人は金儲けのためには何でもやる。電気紙芝居を見ていると、最近は栄養補助食品の広告や通信販売が異常に多い。これらの広告手法は、視聴者を脅したり、不安を煽って商品の購入を促すものがほとんどである。

かたや消費者というものは意外とお馬鹿で、広告が本日限り、ひと家族二袋限定とか、通常ひと袋5000円のところ、30分以内に電話の方に限り4999円で提供、送料無料などとやっていてコロリとやられている。売る側の広告手法は面白いほど似たり寄ったりである。あれで恥ずかしくないのだろうか?送料無料って、では誰が送料を払っているのだろうか?

私は食べることにそれほどの執着をもたないので、電気紙芝居でも食堂や料理に関する番組は見ない。残念ながら世の大勢は私とは逆である。どこそこの何がうまいとか、まったく関心がない。料理の本質は栄養である。栄養を活かし、まずくなければ上等である。うまくても栄養がなかったり、壊れていたりすれば下等な料理である。

オシャレにしろ食べ物にしろ、商業主義に踊らされて大切なお金を浪費するのは愚の骨頂である。人によってはオシャレをすることが生きることであり、うまいものを食べることが生きることだと言うであろう。しかし、私はそんなものは人生の楽しみのほんのささやかな部分でしかないと断ずるのである。

オシャレよりも健康が大事であろう。でも、健康で長生きをして何をしようというのだろう。

2013年1月12日土曜日

お風呂の話し

寒い日が続いている。台所に立てば、小さな窓が目前にあり、外の雪景色が見える。防犯用の格子がはまっており、それに寒暖計が取り付けてある。朝などはここから外の気温を見るのが癖になっている。この冬は毎朝氷点下10℃近くまで下がっている。室内と言えば、私が家にいて薪をくべられる限りは、24時間暖房なので、寒くはない。朝方になって、寝る前にくべた薪が尽きんとするときなどは、10℃を下回ることもある。が、早起きがいたって得意な私は、暗いうちに起きてちゃんと次の薪をくべるのである。

年が明けてはや12日、なんと時の経つのが早いことか・・・。4月に渡欧の予定があり、そろそろその準備を始めねばならない。しかし、腰が重いのだ。面倒な事を先延ばしにするこの癖は、子供の時からのもので、もはや治りそうにない。

年末からダラダラとテレビを見ている。民主党政権末期から自民党政権返り咲きの番組が好きである。元来政治には知識も興味もないが、自分と言うものを考え、その自分が生まれ育った日本を考える時、天然自然に政治のことを考える。自身浅学非才の輩とは言え、盗人にも三分の理、ではなく・・・一寸の虫にも五分の魂があるのだ。

安倍首相を右翼タカ派として警戒する向きが多いが、それはあたかも自身の健康や安全を守るために一所懸命に運動をしている人に、「あんたは右翼だ、タカ派だ」と言っているようなものである。私たちは大衆情報(マスコミ)を通じて世の動きを知る。近年に至っては知識を得る手段として、電子頭脳網(ネット)があるが、どれが「事実、真実」を伝えているかは甚だ心もとない。シナや朝鮮半島の国々の情報統制を日本人は笑うが、私たちだって何を掴まされているかわからないのである。近隣の国々よりも日本のほうがより自由や本当の情報を持っていると考えるのは危ない。マスコミはみなひも付きなのだから。

私たちは群盲である。シナ人、朝鮮人、ロシア人、みな国民は群盲なのだ。危険を回避し、安全に自分自身と国家、さらに地域社会と世界を幸福と繁栄に導くには自分が盲であることの自覚から始まる。それがあってこそ慎重に杖を使うようになり、落とし穴を回避し、毒蛇を素手で掴む危険を回避することが出来る。

今回の選挙で、私が安心したのは護憲派がまったく票を伸ばせなかったことだ。現実を見据えている人たちが多数いる、と言うことである。国防は国の礎のひとつである。が、憲法9条が日本の軍隊である自衛隊をまったくの役立たずにしている。役に立たないものを膨大な予算を費やして保持しているのは税金の無駄遣いである。これが嫌なら憲法改正をして使える軍隊にするのがマトモと言うものだ。そうかと言って武力を放棄すれば近隣のハイエナが大喜びで日本を蹂躙するは必定である。

さて、あるところにお金持ちがいました。平和を愛する心優しい人で、ご近所に困っている人がいると助けてやったり相談にのってあげたりしていました。その家はお金持ちだったので、厳重な鍵や警報装置が付いていました。ある時、別の国から引っ越してきたお隣さんに、「あなたは良いことをしているのだから、泥棒などは入りっこない」と言われました。このお金持ちはそのお隣さんにも金銭的援助をしていたのでした。お金持ちは「そうだ、私は悪いことはしないから泥棒は私の家には入らない」と言って鍵もかけず、警報装置の電源も入れないようになりました。ある日、お金持ちの家に強盗が入りました。金品をことごとく奪われ、あるじは家族もろとも強盗に殺されてしまいました。後でわかったことはお金持ちに鍵をかけないように言ったのは強盗の手先だったということでした。

この話は私が今作ったものであるが、実際の世界はこの話しよりもっと現実である。憲法9条で国を護れると主張するなら、その人は留守中も就寝中も家にも車にも鍵をかけるべきではない。

(ちなみに私は外出時、戸締りをしてゆく。これ故に私を「右がかった人」と呼ぶならそれはそれで結構だが、そう私を呼ぶ人は外出時に戸締りをしてはいけない)

そう、今回はお風呂の話しである。一見話しの脈絡が途絶えたように見えるかもしれない。

私はこれでも世過(よす)ぎのために、家を空けることがある。外から帰ってきた時にはとうに薪は燃え尽きており、部屋はひどいときは摂氏6~7℃ということがある。外套をきたままストーブに火を熾す。しかし、家全体が元通り暖まるまでに半日はかかる。こんな時は何よりも手っ取り早くお風呂に入るのが一番である。

体が冷え切っている時に、いきなり湯に浸かるのは急激な血圧の高下をもたらし、時には命を危険に曝すことがあるらしい。それはさておき、我が家の湯温はいつも同じ41℃に設定してある。それなのに体が冷えている時はこれが異常に熱く感じ、思い切ってザブーンとはいかない。これは体の持つ警告機能であろう。有り難いことだ。しかし、この湯温も徐々に体を慣らしていけば確かにいつもの心地良い41℃であることを納得する。

41℃の湯船に手を浸ければ当初異常に熱く感じる。これはある種の防衛本能から来る錯覚で、徐々に体を慣らしてゆけば、適温である41℃に慣れて、すぐにこれを楽しむ事ができるようになる。愚か者は手を湯船に浸けて、これは熱いと言って水を足して入り、風邪をひいて肺炎で死ぬのである。

末筆になりましたが、皆様旧年中はこの毒弾(いい誤字ですねぇ)と偏見の多い随筆をお読み下さり、感謝の念に耐えません。厚く御礼申し上げます。不肖みっちー和尚、今年もみなさんにとって良き年でありますようお祈り申し上げます。

※写真は拙宅台所からの眺め。寒暖計は窓の外にあります。

2013年1月8日火曜日

冬の日常 6

3週間ほど前、私の留守中に知人がやって来た。帰宅して車から降りると、勝手口の把手に何やら合成樹脂の白い袋がぶら下がっているのが見えた。ああ、とうとう見かねてどなたかがお金でも置いていったか、などと思いながら中を覗くと、ラップに包まれた肉と紙片に書かれた伝言があった。

携帯電話を紛失し、訪問に際しての事前連絡ができなかった由であった。我が家は主人多忙につき、事前一ヶ月前には秘書を通じてその意図と時間を打ち合わせなければ面会は叶わない、と言うのが規則である・・・などということはない(断るまでもなく秘書などは存在せず、この離宮の主は私であるが、財政逼迫のおり、執事も家政婦も、庭師も運転手も本人が兼務している)。

普段肉はほとんど食べない。高いし料理が面倒だから、である。しかしながらせっかくいただいたイノシシの肉であるので、食べた。骨が残った。これで汁(スープ)をとって、などとは考えない。しかし、骨にまだ若干肉が残っている。久しぶりにテンにくれてやろうと思った。

その晩に私はイノシシの骨を裏庭の雪の上に放った。次の朝は異常なし。その晩ストーブに薪を追加しようと南のガラス戸を開けると、果たして骨が消えており、庭の明かりをつけてみるとそこいらじゅうに獣の足あとがあった。いつの間に来たものか、まだ宵のくちだったが。翌朝、雪上の足あとをよく見てみたが、何の足跡かさっぱりわからなかった。テンにしては大きすぎる。タヌキよりも大きいようだ。キツネだろうか、2つずつ並んで付いている。最近近くでキツネをよく見かける。しかし、素人にはわからない。

そして今朝のことである。庭のリョウブの樹間に置いた「野鳥食堂」が傾いて落ちそうになっていた。それは木に釘で固定したとかではなく、木と木の間に挟んだだけなので、風で木が揺れれば落ちたり傾いたりすることもありそうであった。が、昨晩は風など吹いていなかった。木の根元を見るとイノシシの骨を持っていった動物と同じ足跡がたくさん残っていた。これで足跡がキツネではないことがわかった。「野鳥食堂」は地上から1・9洋尺(1・9m)ほどの高さにあり、キツネに登れる枝ぶりでもない。

おそらくハクビシンであろう。「野鳥食堂」のお客の匂いをかいで木に登ったと思われる。足跡の大きさから見てテンではない。近々、以前にテンを誘った時のように(※)、イノシシの肉にテグスをつけて室内に引き込み、鈴をつけて犯人を待とうと思う。
※ 昨年1月16日に書いた 「冬の日常 2」 を御覧ください。

私は、傾いた「野鳥食堂」を立て直し(?)、中の小皿にはひまわりの種を置かず、手のひらに盛ってお客を待った。常連であるヤマガラ3羽ほどはすぐ来る。シジュウカラたちは非常に警戒心が強く、近くまでは来るが、けっして寄っては来ない。なんとコガラが初めて私の手に乗ってひまわりの種を啄んだ。彼らはみなスズメの親戚で、ほぼ同じ時間に群れて餌を食べに来る。ヤマガラが私の手から餌をとるのを見て、大丈夫とふんだものらしい。今のこの季節だからであろう、野に餌のあふれている夏には無理かもしれない。

この季節は関東で冬を越す東隣りのSさんが珍しく雪道をおして見えた。この近所で野鳥への餌やりは、Sさんが始めたものだが、私がヤマガラを手なずけたのに驚いてご自分も試したらしい。今では外にいると携帯で電話をしていても肩にとまってくると目をほそめられていた。