2015年6月27日土曜日

野鳥貸家 殺意 !

今、野鳥貸家別館でシジュウカラのつがいが営巣している。本館では、あの育児放棄事件以来、借り手がいない。折角中を掃除して玄関下が大きく開閉できるように、蝶番をつけたのに、である。(もっとも、この蝶番の目的は私が雛の様子を見るためのものであるが・・・)

五月から六月にかけては、植物の成長が一気に早まり、貸家も木々の葉に隠れて店子たちの行動が見づらくなっていた。私は、別館の営巣開始には気がつかなかった。冬場に頻繁に素泊まりのお客がいたことは知っていた。春先にシジュウカラのつがいが出入りするのも見た。しかし、それは長続きはしなかったので、この「物件」には彼らにとって、何か不都合があるのかもしれないと考えていた。

別館も、その完成後に若干の手直しをした。夏にかけての営巣では、室内が暑くなるだろうと思って、壁や床にドリルで空気穴をあけた。これがいけなかったのだろうか。店子には内緒だが、元々合板やブリキの切れ端で造った貸家であり、大工さんの腕前もおぼつかないやっつけ仕事で完成させた物件である。いたるところに自然の「換気口」は開いており、追加工事で穴をあけて、かえって雨水でも入るようになったのだろうか。

いまシジュウカラのつがいは、かなり頻繁に別館に出入りをしている。芋虫や蜘蛛のような虫をくわえて飛んで来る。近くの木の枝にとまり、近くを見回してそれから玄関に入ってゆく。私は、これを双眼鏡で観察しているのだが、この夫婦、やつれている。羽毛のツヤが悪い。これは昨年のつがいも同じだった。子育ては大変なのだろう。

この時期、シジュウカラは我が家の西洋濡れ縁にあるヒマワリは食べに来ない。目下の所、ヤマガラが唯一の客である。昨年は、この時期にはヤマガラも来なくなっていた。試しに手のひらにヒマワリのタネをおいて待っていたら、ヤマガラがこれをついばんで行く。相変わらず人懐っこい。ヒガラ、コガラは冬までは来ないだろう。スズメも来ない。彼らが来ると私は見つけ次第追っ払うから、近所中のスズメの間では回覧板が回っているらしい。

数年前、欧州から日本に居を戻したとき、日本ではスズメの数が減っている、と聴いた覚えがある。(いま電子頭脳網で検索したら、スズメの数が「激減」とある)しかし、我が家の地域は人里離れた別荘地であるにもかかわらず、スズメの数は多いようだ。日本全国から雀たちがここに引っ越してきているのか、と思うほど多い。

彼らは(スズメのこと)、おきている間中さえずり続けるので、うるさいことこの上ない。我が野鳥食堂では礼儀は守らないし、食い逃げはするし、すこぶる評判が悪い(^^;)。一番良くないのは、貸家で営巣中のシジュウカラに対する激しいイジメである。貸家に不法侵入を企てる。それが適わないと、徒党を組んで玄関前に陣取り、シジュウカラ夫婦を恫喝する。気がつくたびに私は、スズメをレーザーポインターで追い払う。しかし、最近これに動じないスズメがいる。

どなたかシジュウカラを怖がらせずに、スズメだけを追い払う方法をご存じないだろうか。一時、BB弾なるものを発射するおもちゃの銃を買おうと思ったくらいである。BB弾は人間にとってはドッジボール程度の大きさに匹敵するだろうか。しかし、スズメにとってはその威力は破壊的だろう。そのようなものは使えない。米をまいておいて、つっかえ棒とザルで捕獲してどこか遠くに離してしまおうか。

いま複数のスズメが、またしても別館の前に集まってシジュウカラ父さんとシジュウカラ母さんをいじめている。子供たちは、巣の中にいれば安全だろうが、巣立ちの時は危ないだろうな・・・こうなったら・・・(←これ、ゴルゴ13の吹き出しと同じ意味)


         写真は、別館で親鳥が給餌後、ひな鳥のフンをくわえて巣外に運び出すところ




                                春先の本館 スズメがしきりにちょっかいを出す。


2015年6月22日月曜日

イケアにいけや(おまけ)

イケアに行った際、(駐車場内の)車を停めた住所を間違って覚えてしまった。他のイケアは知らないが、イケア立川店の駐車場は三階ある。すなわち、P1、P2、P3である。しかし、すっかり田舎人となった私は、昇降機や自動階段などさえ久しぶりにのるものであり、まして超大型店舗の駐車場などはめったに行かなくなっていたのである。

用心深い(が、おっちょこちょいな)私は、車を停めた住所A-4をしっかり頭に入れて売り場に降りた。目指す獲物は三点。主なものは、居間におく長椅子。心地よく本を読み、電気紙芝居を見、うたた寝をするためには必需品であった。が、長く予算がつかなかった。

予算の優先順位などは、独り者の私には、そのときの気分次第である。実用品が必ずしも順位が高いとは限らない。金がないのは事実ではあるが、かといって実生活で汲々として人生を過ごすのもつまらない。自分の心に言い訳をして、時々優先順位をひっくり返して趣味のモノを買う。矛盾するようだが、長椅子は、自分の中では必需品とは思っていたが、絶対のものではなかった。そして、決して安い買い物ではなかったので、予算的にはかなり以前より先送りの連続だったのだ。

長椅子購入が先送りされていた理由は他にもある。長椅子は、イケアのEKTORP三人がけと決めており、しかしながら店舗が近くになかったからである。最初は、貸し自動車を借り、高速道路を使ってゆくつもりだったので、長椅子の実質的値段は五割近くも上がる筈だった。

※ちなみに、私の知っているEKTORPとはストックホルムの東郊外にある地域の名前である。(昔、ここにあるジムに通っていた)

私の持っている箱型軽貨物自動車の荷室は、奥行きがせいぜい185洋寸(cm)であり、EKTORP三人がけは、入りきらない。とは先入観で、助手席の背もたれを後ろに倒せば200洋寸のものでも載る。運転中、左の後写鏡が見えなければ、道路交通法違反はいいが、実際上危険この上ない。しかし、それは問題なかったのである。これに気がついて私は、すぐ立川行きを決定した。

売り場で実物を目で見て、座って試してなどして、それから売り場の美人の担当者に私の懸案を話したところ、最悪自分で運べない事が判明しても、戻ってくれば配送の手続きをしてくれると言う。

半ば安心して他の二点を探しに行った。一点は一万五千円だかの、長椅子寝台(ソファベッド)。普段は二人がけの長椅子だが、座面を引き出すと二人用寝台になる。これを客間におこうと思っていた。しかし、実物は値段相応のものであったので、早々に諦めた。

残りは、肘掛け椅子である。まったくと言っていいほど、同じ意匠(デザイン)で同じ掛け心地で、値段が3,999円から30,990円の品揃えである。26,991円の差がどこにあるのかはわからない。私は加藤遊民(※金も教養もない遊び人の意。「改名について」参照)なので、PELLOと言う3,999円の方をとった。既にスコットランド滞在中に使ったことがあり、構造や意匠にひどく感銘を受けていたからである。(あるいはあれは、30,990円のPOANGだったか。いづれにせよ、外見、座り心地はまったくと言っていいほど変わらない)

私は、階下の倉庫に降りて、PELLOの梱包を台車に積んで支払い場所に向かった。あたりの景色は、スウェーデンのそれとほぼ同じである。天井がやたらと高い。米軍横田基地が近いので、外人が多い。

支払いを終え、昇降機に乗ったら米国人らしい太った子連れ奥様二人に遭遇した。彼女ら、階上から降りてきて、また上に行くらしい。展示場と倉庫を間違えたのだ。迷ったのですか?と聞くと、私のTシャツを指して、そこが私の来たところよ、と陽気に誤魔化された。私のTシャツは、欧州の慈善店で99セントだかで買った中古品で、SANFRANCISCOと書かれていた(自分で知らなかった^^;)。

彼女らをからかった直後に、私は自分の間抜けさに気がついた。あれ、私の駐車階はどこだっけ?その階の中の住所は覚えているが、階数そのものを覚えていなかった。動揺を悟られないように、当てずっぽうで、P2の釦を押した。

誰にでも「ついている日」というものがある。その日が、私のついている日だった。階数は当たり。私が押しているのが大きくて重い長椅子の台車で、階数が違っていたらちと面倒だったに違いない。昇降機を降りてA-4に向かう。

金にいとめをつけず、場所を選ばず、時間を気にせず探せば、それはいくらでもいいものは見つかるだろう。しかし、私の手の届く範囲でこんな座り心地のいい椅子はそうはないと、ひとりごちるのである。


        イケアのPELLO、3,999円 (橙色は、汚れよけの西洋手ぬぐいです)



2015年6月18日木曜日

イケアにいけや

アイルランドのエンヤを日本人の歌手グループだと、ずっと思っていた。もとより芸能界には暗い。むかし、日本の歌手グループで、ショウヤと言うのがあったのだ。詳しくは知らない。知っているのは名前だけ。で、エンヤも同類だろうと思っていた。語感が日本語っぽいのである。大勢に影響はない。

アイルランドに住むようになってから、それらが別モノであることに何となく気がついていった。ショウヤについては未だ何も知らないが、エンヤについてはほんの少しだけ知っている。

彼女の歌の雰囲気は、例えてみれば、暗闇がせまる夕暮れの湖に靄がかかり、それを背景にボーっと光る妖精たちが湖面を遊弋(ゆうよく)している、そんな感じである。私が思っているよりはるかに有名らしい。

スウェーデンに出入りしていた頃、IKEAを知って、少し驚いた。「池谷」と言う日本の家具屋がこんな地の果てまで来て商売をやっているのか、と思ったのである。当時スウェーデンで知られた日本のモノと言えば、寿司と空手くらいなものだったから。

イケアは本家ストックホルム圏では郊外に2店舗あるだけである。確か両方に行ったことがある。両方に行っても意味はない。売っているものも配置もほとんど同じだから。たまたま、厳冬期に最北のイケアに行ったことがあるが、中身は同じであった。ただ、緯度的にはほとんど北極圏、隣接する川を渡ればそこはフィンランドであった。国境を越えても、旅券検査も何もない。ただ寒いだけだった。

ダブリンの北、空港近くにイケアができると聞いて喜んだが、私が在愛中には完成しなかった。そこは、きわめて治安の悪い地域で、店ができても万引きで潰れるぞ、などと陰口を言うものもいた。

さて、日本である。皮切りは千葉で、今は随分増えた。と言っても、私は長野の山の中、普段はニトリのお世話になる。ついでながら広告で、お値段以上ニトリ、と歌っているが、私に言わせればお値段相応。私個人の感想だが、イケアについては意匠(デザイン)や品質においてお買い得感がある。イケアは言うなれば欧州のニトリで、金持ちは行かない。日本でも金持ちは大塚家具に行くのだろうと思う。

イケアが立川にできた。立川は昔の縄張りの中なので、心安い。佐久からは距離的にも時間的にも一番近いイケアになった。近いといっても、我が御用邸からは片道180洋里(km)はある。

私は、ご幼少のみぎりより、床に座るのが苦手で、うちにも長椅子(ソファ)が欲しかった。でも、ニトリのものは気に入らなかった。イケアには値段と意匠で妥協できるものがあった。

電子頭脳網で梱包の大きさを調べ、我が愛車(軽貨物)の荷室を計って見た。入りきらなければ貸し自動車屋で貨物車を借りるつもりだったが、計算上は助手席の背もたれを後ろに倒せば、辛うじて積めることが判明した。

超早朝に佐久を出発し、国道をトコトコトと走った。途中一回だけ車中で仮眠をとり、多摩湖を経由して立川に入る。私がいた頃に工事が始まったモノレールは、あたかもそれが昔からあったかのように走っていた。玉川上水駅も様変わりして、立体交差になっていた。

店内は世界中どこも同じである。イケアの家具の大方は買った後、自身で組み立てなければならない。二階の展示場で、居間、寝室、そして台所などの雰囲気を再現した中に、組み立て済みの実物が展示されている。小さなモノは、階下の倉庫に行って自分で台車に乗せ、同じ階の支払い場所で清算する。大きなものは、展示階の担当にその旨を伝え、書類に記入する。その後階下の支払い場所に行って清算すれば、モノが台車に載せられて運ばれてくる。(展示場からの連絡で、既に台車に乗っている)

私の場合、長椅子を据えるのが狭い居間である。搬入経路は、どう考えても玄関も勝手口も狭すぎて無理である。居間のガラス戸からも無理。すなわち、どこからも搬入は無理なのである。これがミソ。イケアの家具は、基本的に自分で組み立てるようになっている。買うときは分解された状態で買ってきて、自分で組み立てるのである。難しくはない。はなから丈夫で、いい意匠(デザイン)で、使いやすく、安価な家具を(貧乏人にも)、と言うイケアの企業理念が窺える。

寸法上は乗るハズ、であった。が、一抹の不安があり、展示階の担当(すらりと背の高い美人であった。まったく絵に描いたようなIKEAの社員であった。ああ、あと20歳も若ければ・・・^^;)にあらかじめ話しておいた。もし、私のロールスロイスに納まりきれなかったら配送を、と。また、ここでは支払いが終わった時点で、店員さんは一切手を貸してくれない。たとえモノが重くて車に乗せられないとしても、彼らは何もしてくれない。支払い場所に戻って泣く泣く大枚をはたいて配送を頼まねばばらない。
※実際、配送料は大きさや重量の割には高くない

私の長椅子は、幅220洋寸、奥行き88洋寸、高さ92洋寸である。組み立て前は、二つに分けて梱包されている。大きいほうが骨組みと洋座布団が入っており、長さが199洋寸。この長さが昇降機(エレベーター)に乗るかは、支払いのときにあらかじめ確かめておいた。大丈夫の由であった。重量は66洋貫(kg)ある。もうひとつの梱包は、長椅子の被い(カバー^^;)であり、これは重量、寸法とも問題なし。

駐車場までたどり着き、車の後部扉を開けて積み込みを開始したが、66洋貫は、ひとりで積み込むにはなんとも重い。私は、欲に駆られて頑張った。これが配送依頼となったら、1万少々余計に払わねばならなくなる。

イケアでは、もうひとつやらねばならぬことがある。ホットドッグを食うか、ミートボールを食うか・・・。
ホットドッグと珈琲で150円。ホットドッグは欧州のIKEAで食べた味とまったく同じで、妙にうれしく、かつ懐かしかった。好物の鰊の酢漬けも欲しかったが、高かった。

帰路は、懐かしい場所などに寄り道をしたかったが、車が曲がるたびに、積荷が左右に揺れてゴットンと穏やかではない。よってほぼまっすぐ来た道を帰った。暗くなる前に佐久に着いて、長椅子の組み立てをしたかったが、それは叶わなかった。

翌朝、荷物を車から出すのがまた大変だったが、結果はすべて良となった。

もとより欧州人の体格に合わせて設計されており、座面が平均的日本人には少し高い。深く掛けると踵が心もとない。寝そべって電気受像機(テレビ)を見たり、本を読むときは、肘掛がちょうど良い枕となる。三人掛けなので、横になれば頭からつま先まで真っ直ぐにして寝られる。自分で選んだ色もこの部屋に合っている。難も無くはないが、気に入っている。