2014年8月10日日曜日

野鳥貸家 緊急速報

先の記事で書いた私の人生初の店子(たなこ)が巣立った。

昨夕、シジュウカラの親鳥がいつもと違う鳴き方をするのに気がついて、西洋濡れ縁に愛用の折りたたみ式監督椅子を持ち出した。珈琲を入れる間もなく、巣箱の丸い玄関から一羽の雛が顔を出した。近くにいる親鳥が、いつもの「ジキジキジキ」とは違った、今までに聞いたことのない声で幼鳥の巣立ちを促していた。3羽続けて巣を発ったが、幼鳥たちは生まれて初めて見る世界に戸惑いを覚えてか、どれも玄関でしばしのためらいを見せていた。みなくちばしが黄色く、初めての飛行はまことに覚束ないものだった。

いまここ佐久でも台風11号の影響で断続的な雨が降っている。その合間を縫って、親鳥と思われるシジュウカラが巣箱のとなりのリョウブの木に来ていた。私が冬につるした落花生を啄ばんでいる。それは既にカビだらけで、どう考えても食べられるものではないと思うのだが。野に食べ物の溢れている季節である。わからない・・・。

先ほど県知事選の投票に行き、ついでに買い物へ。いつものところでは手に入らない落花生を、少し足を伸ばして別のスーパーで買ってきた。この記事を書き終え次第落花生を車庫の軒先につるすつもりだ。

なにも台風が来ているときに巣立たなくても、と思う。幼鳥たちが濡れて風邪などひかねば良いがとも思う。南のガラス戸から巣箱を望んでも、もう彼らはいない。寂しいのう・・・^^;

 あっ、家賃とりはぐれた ! )


2014年8月8日金曜日

グースベリーに救われて

(6月に書き始めた記事です。ご容赦を)
梅雨というものを随分久しぶりで経験している。まさに連日これ雨か曇りである。これが悪くない。早朝の散歩に出れば、夜中に動物が徘徊した跡や、綺麗な鳥の鳴き声、そして見知らぬ植物が語りかけてくる。晴れて朝陽に迎えられるのもいいものだが、冷たい雨の中傘をさして自然と対話しながら歩くのはまた格別である。

佐久は平地でも標高700メートルを越えている。それでも夏は暑いようだ。千曲川の流れに鮎つりの竿をさす人々は下半身が冷え冷えとしていても、水につからない上半身はさぞ暑かろうと思う。

所用で里に降り、その暑さに閉口して帰りを急ぐ。山道を登りはじめて5分もすれば、車の冷房を切って窓を開ける。いつもその意外な温度変化に驚かされる。山の濃い緑と新鮮で冷涼な空気が、大げさに言えば私を生き返らせる。

心を病んで数年、当初は先々のことを憂え、発狂の恐怖に囚われていた。それでも体は生きようとして飯を欲しがる。最近は自己観察というものを、辛くも面白く感じる時がある。まだ境界を越えてはいないようだが、躁鬱の気質である。人に親切にしようとし、つまらない冗談を言う。こんなときは躁になっている。小さな失敗で絶望するときは欝。症状は軽いのだろうと思う。昨今は結構冷静に自分を見つめ、これを研究する余裕さえあるようだ。

先日相次いで出費が重なり、急に将来が見えなくなったような気がした。あれを節約しこれを削って、これで損をして、ということは日常のことである。が、欝にあるときは、これを尋常とは思えないのである。

人は他の動物より自由度が高いと思う。だからそれぞれが好きなように生きればいい。ただ、その生き方が正しければ神様はこれを許してくださり、間違っていれば正してくださる。思慮深く、計画性をもって生きるもよし、無計画に気まぐれに生きるもよし。確実なことは、遅くともあと数十年で私は、この地上から消えてなくなると言うことだけである。

私は耶蘇ではないが、マタイによる福音書6章に

26.空の鳥を見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなた方は鳥よりも価値のあるものではないか。27.あなた方のうち誰が思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

とある。

聖書の成立は詳しくは知らないが、今から1800年から1900年前である。すなわちこの言葉は2000年近くも人々の間に読まれ続けてきたのである。(日本に渡来したのは1549年)それでも人はあくせくする。個人的には私はこの言葉を二十歳くらいの頃に読んだ。そしてそれからン十年を経た最近「そうなんだろうな・・・」と言う程度に理解するようになった。

自分と言う一個人の進歩の遅さにはときに唖然とするが、それでもいくらかずつは前に進んでいるものらしい。落ち込んでいるときには、浮かび上がるためのきっかけが欲しい。それは必ずしも先のような深い含蓄のある言葉でなくてもいいのだ。

昨年の今頃、友人Cが大玉のグースベリーを持って遊びに来てくれた。彼女には、かねてより種が欲しいので良く熟れたグースベリーがあったら持ってきて、と頼んであったのだ。そういう種類なのだろう、一粒が葡萄のデラウエアと同じくらい大きい。食べるのもそこそこに私は種を取り出してちり紙にくるんで乾燥させた。大事にしすぎて一時行方不明になったが、この春無事に発見でき、牛乳パックの即席苗床に蒔いた。

出費が重なったとはいえ、気持ちが随分と暗くなっていたのは、そんな時期だった。元来私はケチである。モノを買うまではあれこれ逡巡し迷うが、(それでも買ってしまった後は綺麗さっぱり忘れる)しかし、精神の落ち込んでいるときはそうは行かない。これが連鎖反応を引き起こし、いよいよ落ち込むのだ。

せっせと水をやり、毎朝心の中で声を掛けた。しかし、待てど暮らせど芽は出ない。人工交配された種なのだろう、あらかじめCからは、タネでは増やせないかもしれない、と言われていた。数十粒蒔いたにもかかわらず、ひとつとして出ない。

ある朝、ざらついた苗床の土の表面をなめるように見ていた。そこに白い何かが見えた。昨日まではなかった何かがあった。私は最初に雑草を疑った。飛んできた雑草のタネがここで発芽してもおかしくはない。欝期とはそういうものなのだ。数日たってタネの黒い殻が土から浮かび上がり、、やがてそれが脱け落ちて双葉になった。さらに数日たってから双葉の真ん中から小さくもグースベリーの特徴ある葉が出てきた。

私は早朝のひんやりとした空気の中で、ひとり欣喜した。


写真は6月22日のもの。定規の50mmの下に白い茎が見える^^;



これは今撮ったもの(8月6日)。ちゃんとグースベリーの特徴である棘(トゲ)も出てきた。
              

追記・・・日本語ではグズベリと呼ぶようだが、例によって間違った英語である。敢えてカタカナ英語で言うならグースベリーである。Goose Berry すなわちアヒルの小果実である。

2014年8月4日月曜日

野鳥貸家 シジュウカラ先生、スズメ先生

春に鳥の巣箱を作った。それを6月の下旬に庭の木にかけた。ヤマガラやコガラ、そしてシジュウカラやヒガラなどが入ることを期待した。彼らはその時既に営巣の真っ最中だった筈で、巣を選ぶのはそれを遡る事数ヶ月前だと言う。つまり今営巣の時期だからと言って巣箱を掛けても、時は既に遅いのであった。

屋根はガルバリュウム鋼板葺き片流れ、壁と床は厚さ12ミリの合板造りで、まあまあの出来栄えであった。これを自慢したく、知人に写真を送ったところ、出入り口が大きすぎて、スズメや他の野鳥に襲われる可能性を指摘された。

改めて電子頭脳網(ネット)の投稿動画を調べてみたら、なんとシジュウカラの巣がスズメに襲われ、雛や卵が壊されたり連れ去られたりしている。これを見た人々の感想が述べられているが、大方は、これは自然の摂理だ、と言うものであった。かく言う私もこれには賛成だが、贔屓にしている野鳥のために作った巣箱が襲われて、中の卵や雛を殺されるのは、心中穏やかならざるものがある。

結果スズメは、前述カラ族(いづれもスズメの仲間であるが)よりわずかに大きいことから、玄関を心もち小さくするだけで、取り合えずは襲われずに済みそうである。一辺10センチほどの四角く切った合板に直径28ミリの穴をあけ、白く塗った後でこれを元の玄関の上から螺子で留めた。私はこの意匠を気に入っているが、果たして野鳥たちはどうだろうか・・・。

どうせ今季は店子(たなこ)は現れないだろうと思いながら、庭木の高さ3メートルほどのところに掛けた。なかなかいい眺めである。先ごろ自作した西洋濡れ縁(ウッドデッキ)から良く見える。借り手が現れるのは来年の春、4~5月頃だろう。

と思っていたら、早くも下見に来ているつがいがいた。シジュウカラの気の早い(遅い?)オスが婚約者を見つけて、

「ねぇ、ぼくとっても素敵なおうちを見つけたんだ。一緒に見に行こうよ」
「あら、このおうち確かにいいわね。それに大家さんがとってもいい男だわ」
「そうだね、ぼく、来年まで待てない。もう結婚しちゃおぅよ」

と言うわけで7月も末というのに、私の人生初の店子がこの貸家に交互に出入りするようになった。シジュウカラは巣作りをするのはメスだけだと言う。交互に出入りするのは卵があるか、もう孵化しているかのどちらかだ。どちらもおおきな芋虫をくわえて出入りするようになった。


慌てたのは私であった。ご近所の複数の人の話によると、スズメよりヘビが危ないとのことである。そのうちのひとり、K氏はわざわざアオダイショウが庭に掛けた巣箱を襲っている真っ最中の写真を見せてくれた。私はタバコは吸わないのであるが、わざわざタバコを買ってきて、水に浸けて巣箱を掛けた木の根元に撒いた。ヘビはニコチンを嫌う由である。もったいないので、水に浸ける前にタバコ一本に付き2~3服吸った。うまかった。が、十数年前に禁煙したので、これを再開するつもりはまったくない。やはりこれは毒だと思った。

巣を掛けた木の根もとの薮を払った。ヘビがこれを伝って侵入するのを防ぐためだ。2~3メートル東にはリョウブの木があり、ここには野鳥食堂(参照)がある。これがあると他の野鳥たちも頻繁にやって来る。撤去決定。私としては、もはや店子の彼らとともに子育てをしているの心境である。

朝スズメの群れがやって来る。気がつくたびにレーザーポインターで追い払う。彼らの縄張りはお隣のS邸である。昨年はS邸の軒先にスズメバチが大きな巣をつくり、彼らがいなくなったと思ったらスズメが巣作りを始めた。スズメバチの巣にスズメが巣を作った。スズメは、わが野鳥食堂でも餌皿の中に居座ってひまわりの種を食い荒らす。シジュウカラやヤマガラなどは一粒くわえては移動して別の枝に留まり、これを食べる。スズメが餌皿にいる間は辛抱強く待っているが、彼らが去った後には皿の中にひまわりの殻しか残らない。

投稿動画で野生の実態を見て以来、スズメが嫌いになった。理不尽であるが、私はこの理不尽を学ぶために生きている。それにつけてもシジュウカラ夫婦の甲斐甲斐しさよ。この暑さの中、雛たちのために一所懸命芋虫を運び続ける。


    ↑ 出入り口の左の小枝に一羽のシジュウカラが見える



おまけ・・・手作りの西洋濡れ縁。広さ11畳ほど。この画像の左手に
               栗の木があるが、野鳥貸家はそのすぐ左にある^^;