2013年9月23日月曜日

帰国

風が吹くたびに、白樺の木々が無数の葉を宙に舞わせ、地を黄色に染めた。

朝夕の冷えが始まり、民家の煙突からは煙が立ち上る。ここ一両日は思い出したように暖かく、人々は夏の名残を楽しんだ。村のそこここに植えられたリンゴが赤味を増してきた。私は先日庭先にある堆肥箱に生ごみを置きに行くついでに、残っていた最後のプルーンのいくつかを木から採り、これを頬張った。種を飛ばしながら空を見上げた。

思い出せば、私が今回ここに来た時は、この空にはまだ冬の色が残っており、桜などもまだ咲いていなかった。だらだらと冬と春が行ったり来たりした。ゴースの花の圧倒的な黄色が終わり、ヘザーの控えめな紫が浜辺を彩った。いつの間にか夏が来ており、人々の家の花壇は賑やかになった。

今窓辺の机に向かって、ガラス越しに見える景色は松林。その上に、緑の間から見事な青空が見える。風で木々がざわめき、空の高いところにある白い雲が速く流れている。

佐久は自然災害の少ないところだと聞いているが、先日の台風はどうだったのだろう。私の家は母屋は大丈夫だろうが、それに続くガレージは「大工もどき」に建てさせたもので、構造上の問題があり、素人の私が、これに自分で補強を加えた。おそらくは大丈夫であろう。一番危ないのは薪小屋だろう。家を建てるために伐採した雑木が多くあり、これを燃料にするために玉切って割った。途中でその量の多さに気がついたが、ままよとばかりに、その場にありあわせの材料で、いい加減に屋根をかけた。あくまでも「仮」のつもりであったが、既に二冬を過ごしている。補強もしたが、大風に強いとは思われない。大風といえば、庭に赤松の大木が一本あるが、これは風のたびにひどく揺れる。万が一倒れたら電線電柱をなぎ倒し、家を半壊ぐらいはしそうである。風の方向と強さ次第で、如何ともし難い。考えても無駄なことは考えないに限る。

帰国の日が近づくと、急に(帰国後に)「あれもせねば、これもしたい」、が脳裏に浮かんでくる。こちらでの休暇が溜まっており、これを消化しがてら帰国日を一週間早めた。

御用邸到着は夜の八時頃の予定。水道は元栓で止めてある。元栓は地下一尺五寸くらいの所にあり、フタを開けて捻ればいいのだが、そこにはカマドウマが沢山いたりする。庭は雑草で埋まっているはずで、暗い中でこれをかき分けて行くのはちと嫌である。懐中電灯も必要だろう。

離日前夜に車の蓄電池の陽極に繋がる線をを外しておいた。これを戻さねばならない。蓄電池はお迎えが近いので(車を買ってから一度も交換していない)、果たして電気が残っているか・・・。燃料はわずかだがある筈。夏の暑さで蒸発して残っていなければ事である。が、保険屋さんに電話すれば6升(約10リッター)は無料で持ってきてくれる。

風呂釜の水抜きを戻し、合併浄化槽の点検契約休眠を戻し、住民票を復活させ、草むしりをし、西洋濡れ縁を作るための穴掘り、土台作りをし、薪を探し・・・。そう、原付回転鎖鋸(チェーンソー)の事である。新しいのを買うか。これはまだ決断ができない。来年からは1年を通じてここスコットランドで暮らす可能性があるからだ。帰国はせいぜい1年に一回、3週間ほどであろう。独り者には厄介なことであるが、ここを手放せば私には日本に帰る場所がなくなる。

私は日本が好きである。自分が生まれ育った国だから、というだけではない。多少海外生活を経験し、各国の人々にも接してきている。日本人が世界で一番かどうかは知らない。しかし、少なくとも私が見た国の中では一番安定して平衡のとれた国であることは間違いない。

最近職場の同僚である日本人のAが目の不調を訴えた。涙が少なく、角膜が乾燥し、無数の傷を負って見えなくなり始めたらしい。Aのとった行動は、まず担当のGP(General Practitioner・・・家庭医)に予約をとる。数日待たねばならないことがわかり、周囲からハッパをかけられ、緊急だからといって再度連絡をとる。診察の結果、家庭医は、自分ではわからないと言って10洋里(km)ほど離れたOptician(眼鏡士・・・メガネ屋さん)を紹介した。これに会うのにまた数日を要した。Opticianは目薬をくれたらしいが、効かない。この間Aは見えない目で必至にネットで療法を探し、実行した。以前、ロンドンで似たような症状が出て、日本人が経営する病院に行ったらしい。法外な料金を請求された。それは多分法外ではないのだろうが、一回の診察と治療で日本円で10万円近くを請求されたというのである。保険でまかなって事なきを得たらしい。結局Opticianではだめで、近くの眼科専門医にゆく事になった。しかし、これにかかるまで相当待たされるらしい。それでもこの国では順番を踏まなければならないのである。

英国は国民皆保険制度があり、これに登録すれば外国人でも医療費はただである。しかし、ただでも機能しなければまったく意味が無い。この国の医療制度は崩壊しているのである。

この国は人口は日本の約半分6200万人ほど、経済力(GDP)は日本の約半分である。しかるにその軍事費は日本を凌ぐ(GDP比2.6%、ちなみに日本はたったの1%)。核兵器を保有し、原子力潜水艦を保持し、MI6(ジェームス・ボンドの所属する情報機関。ボンドは実在の人物ではないが、MI6は実在する)を維持している。どちらの国がまともかはわからない。日本は国防をおろそかにする傾向が顕著であり、この国は異常なほど軍事に金をかける。これが国民の福祉に衰退をもたらす。

この国に住む以上は身近な医療のことを考えざるを得ない。大いに不安である。世界に国は200前後あるが、平衡のとれた先進国は稀である。日本はその中の一つに辛うじて入るだろう。

総合的に考えれば、今のところ六四の割合で日本に住みたい。しかし、日本に戻って半年も経てば退屈でやはり英国がいいかな、などと思うであろう。