2014年6月5日木曜日

小人閑居して・・・

(毎年夏は欧州で過ごしていたので)家を建てて初めて夏を迎える。この地では、夏にどの程度の気温になるのか、わからない。今日も里では30度近くあったようだが、ここに帰ると数度は気温が低く、ほっとする。家の中に入れば空気はひんやりとしていて心地よい。暑いのが嫌いな私は、この夏がどうなるのか、戦々恐々としている。

本格的な暑さを向かえる前に、家の南側に西洋濡れ縁(ウッドデッキ・・・正確にはwooden deck)を作るはずである。基礎となる沓石や、それに渡して床を支える木材は既にある。床材そのものは、電子頭脳網で探ってみたり、直接製材所やホームセンターなどに行ってみたが安いものはない。いや、外材で防腐処理をしていないものには安いものもあるが、塗料をまめに塗っても風雨にあたれば長くは持つまい。何の処理をしなくても長く腐らない木材もあるが、これはきわめて高価でとても下等遊民の手の届くところではない。なに、十数年間ももってくれればいいのだが。

早朝日が昇るころ外で珈琲を飲みたい。新鮮かつ冷涼な朝の空気の中で飲む珈琲は飛び切りの味に違いない。これが西洋濡れ縁が欲しい最大の理由である。今頃はカッコウやホトトギス、そしてウグイスがよく鳴いている。クロツグミの声は欧州のクロウタドリ(Black bird)によく似ている。人工的な音がなく、野鳥の声に包まれて飲む珈琲は格別だ。

冬も外で朝珈琲を飲みたい。キンキンに冷えた大気の中で、厚い外套を着て片手をポケットに入れ、片手で珈琲茶碗を口に運ぶ。口からは真っ白な息が煙草の煙のようにでる。冬枯れの中をシジュウカラやヤマガラなどが野鳥食堂に来てくれるだろう。

他にもこの夏にやってしまいたい仕事がいくつかある。庭の土木工事。過去にも重機を使って整地をしたが、満足できない。これが終わらないと庭の意匠ができない。自然な雰囲気の、なるべく手のかからないTasha・Tudor調のものにするつもりだ。(あれはかえって手がかかるものかも知れない)
ターシャ・チューダー


車庫の改造も重要案件のひとつである。冬に北風が吹くと、雪が車庫の中に入る。これを防ぐにはやはり壁をつけねばなるまい。が、建物の3方向を塞ぐと固定資産税の対象になる。税法のぎりぎりを行こうと思っている。

やらねばならないことが結構ある。が、やる気がない。軽い鬱期に入っている。ひとつ物事につまづくと憂鬱になり、絶望的になる。過去の失敗を繰り返し悔い、自分を責めて将来を悲観する。

九死に一生を得た、と世間では言う。心臓発作や脳卒中で倒れ、緊急手術で助かったなどという話を聞く。そのたびに私の脳裏を横切るのは、「そのままにしておけば今頃は楽になっていただろうに・・・。何でまた戻ってきて苦労の繰り返しをするのだ。いま生きながらえてもいづれ死ぬものを」である。

人が生にしがみつくのは、多くの場合動物的本能からであろう。寿命などはわからないものだ。医者から死の近いことを宣告されても、それを越えて生きる人も多いようだし、死ぬはずのない人が突然死んだりする。


死の向こうには何があるのだろう。死は一切の終わりと言う人も、いやあの世が有ると言う人もいる。どちらが正しいのかはわからない。人生に意味があるのかないのかもわからない。考えても答えの見つからない問いについても人は考える。普通に人生が楽しく、忙しい人はかようなことは考えないだろう。