2013年3月2日土曜日

死を考える 3(春の憂鬱)

十年前の昨日、父が他界した。今日は早朝に家を出て両親の眠る埼玉の上尾に向かった。私はほとんど高速道路は使わない。近距離なら大した時間の節約にはならないし、長距離なら退屈だからである。料金もべらぼうに高い。一般道は道の駅もあって、これが結構楽しい。日本はコンビニなどもあり、どこに行っても清潔な手洗いがただで使えて安心便利なことこの上ない。

久しぶりの関東は暖かったが大風が吹いており、遠景が霞んでいた。黄砂とPM2.5などが来ているのだろう。日本もろくな隣国に恵まれず、かと言って引っ越すこともできない。因果なことである。すなわち日本にも問題がある。日本の常識(尺度)が隣国にも通じるという思い込みがあるからだ。私たちは動物界にも生きている。このことは弱肉強食の論理にも晒されていることを意味している。高邁な精神や志だけを糧に生きるわけにはいかない。力なき正義は無力である。これは国際常識であり、人類の宿命であり、課題なのであるが、日本はこの均衡が実に悪い。この大きな弱点を近隣の仁なき国家群は突く。

霊園の事務所では線香だけを買った。墓石の前に着くとやはり花が添えてあった。妹が昨日来ていたはずで、花はお隣のお墓のものとまったく同じものであった。

そこに我が父母がいるとは思っていないが、無言で墓石に対面し、挨拶をする。辺りには誰ひとりいない。枯れた芝生と墓に添えられた鮮やかな原色の花束の対比に違和感があった。父が生きていれば八十八の米寿であった。胃がんを得、病院に行った時は手遅れで、一応手術はしたものの、一年後に身罷(みまか)った。早く診てもらっていればと幾度思ったか知れぬ。

私の父は学業半ばで戦争に駆り出され、散々苦労したらしい。私の妹が生まれてすぐに肺結核を患い、当時の赴任先である北海道の山中を出て東京の日赤で手術を受けた。母はまったくの田舎育ちであり、ただ転勤する父について歩き、ついにはひとり北海道の山の中で子供3人を育てねばならなくなり、さぞ大変だったことだろう。彼女も6年前にこの世での用事を終えてあちらに帰って行った。

帰路は多少混んでいた。急がず程々の速度で巡航を続ける。ここは私のいる場所ではないと思う。早く長野に帰りたいと思う。両親の病気や死で、欧州からの一時帰国を余儀なくされたことが多々あって、随分実家に泊まったが、ダブリン空港に戻ったときは心からほっとしたものだった。おかしなものである。

片道三時間である。早く長野について熱いほうじ茶でも飲みたいと思った。春の始まった関東平野を北上しながら、ふと私は長野の家に着いたからといって本当にほっと出来るのだろうか、そんなことを思った。そこは私が心から満たされ、安心し、幸せを感じられる場所なのかと疑問に思った。

人の寿命は医者にも本人にも決められない。善行を積んだからといって長生きが出来るわけではない。食べ物や運動に気をつけたからといって長生きが出来るわけではない。そもそも長生きそれ自体に価値は無いだろう。やはり人生は「質」である。この「質」を問うのが私の今生の宿題らしい。
早く解いてあの世に帰りたい。(マダマダ無理ダロウナァ・・・)

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