2013年7月19日金曜日

漱石を偲ぶ

連日二十数度の気温が続いており、雨も少なく、当地スコットランドは例年にない好天続きである。朝夕はそれでもかなり気温が下がるので、長袖が必要なほどとなる。とにかく日本の高温多湿な夏とはまったく違って、適度な暑さと低い湿度は爽やかで心地よい。

先日風邪をひいて10日ほど体調を崩した。仕事も幾日か休んだ。実際の所、休まねばならないほど悪かったわけではないが、そこは社会の一員として、他との平衡を取らねばならぬ。つまり欧米人は我慢をしてまで仕事はしない。私は典型的な日本人とは言いがたい部分もあるにはあるが、大部分はそうなわけで、体調不良を押して仕事をすると、他の欧米人たちがやりづらくなるだろうと思って休んでやった^^;

休んでもすることはない。生来の怠け者との自負はあるものの、そう寝てばかりもいられない。かと言って外を歩きまわって職場の人間と鉢合わせもバツが悪い。退屈しのぎに電子頭脳網でいろいろな情報を漁る。無料で開放されている映画もある。とにかくこの電脳網上の情報量と速度にはただ驚くばかりだ。

日本では選挙でこの電脳網を使い始めるらしいが、この利便性と危険性を研究する学者はいないものだろうかと、ふと思う。他者への悪意ある侵入が盛んである。人口の多さだけが取り柄の大国と武力の強大さだけが取り柄の大国が、電脳網上の侵入合戦を繰り広げている。実際には英露も独仏も、どこの国も侵入と防戦に躍起になっている筈で、これは国家間に限らず、個人も同じだ。

日本も最近は固体燃料をつかったロケットを自由に飛ばすことができるようになった。超電子計算機もあるから核実験などをやらなくても小型核弾頭などは短期間に作れそうである。物騒な話しではあるが、両者を合わせれば大陸間弾道弾を飛ばして日本に攻撃を仕掛けてきた国に報復をする能力ができたわけだ。これで日本も当てにならない他国の核の傘から抜け出せる。ちなみにドイツなどは核兵器を持たないが、必要があれば条約でアメリカの核のボタンを押せるそうである。核抑止力に現実的ではない甘い考えを持っているのは先進諸国では日本だけである。

性善説はいいが、自説が世界に通用すると考えているのは過去の鎖国制度がもたらした最大の弊害だろう。

残念ながら虎狼群れするなかで生き残るためには、憲法9条という印籠は通用しない。助さんだって角さんだって、武術の達人だから黄門様を護れるのだ。これを理解しない人々を私は憐れむ。人というものの正体を見極めることが肝心だ。まんざら動物でもなく、かと言って神には程遠いのだ。

人の世とはひとくくりにはできない。善人もいれば悪人もいる。全員で入れ歯(善人でいれば、の誤入力^^;)悪人は寄ってこないと思うのは勝手だが、身ぐるみどころか命まで取られた後で、私は悪いことはしていません、と言っても遅いのだ。

、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」・・・ご存知の通り、漱石の「草枕」の冒頭部分である。が、これは「人の世」の話しであって、動物界のそれではない。世界に伍して生きてゆくということは、残念ながら弱肉強食の動物の世界に晒されるということでもあるのだ。

※何が何でも力がないと生き残れないとは言わない。動物界ではウサギは長い耳と早い足、それに大きな繁殖力がある。生き残っている動物には必ずそれなりの優れた点がある。

そう言えば過日Snigel閣下が当地スコットランドの我が家においでくださった。(Snigelはアイルランド真実紀行の作者。参照ここを押す)この方、年来の友人である。日本人にとってはアイルランドについての生き字引かつ変人である。(世間から見れば紛れもなく人格温厚頭脳明晰優柔不断その他諸々の人である)彼の大好きなRyanairと言う格安航空会社の飛行機に乗ってアイルランドの首都ダブリンからグラスゴーと言う、スコットランド随一の工業都市に飛んで来た。そこから貸し自動車に乗って当地までまっすぐ来れば4~5時間の距離であるが、そこは並の人とは違う。あとから聞いた話しだが、グラスゴーから首都エジンバラまで古い鉄橋を見に行ったというのである。参照ここを押して下さい

この巨大な鉄橋は漱石が英国に留学する10年ほど前に日本人の現場監督によって建設されたものである。見たい気持ちは理解できる。私も何回かそれを見たし、一回くらいは列車で渡ったこともある。素晴らしい鉄橋である。が、大きな遠回りをしてまで見に行くだろうか。

ともあれ、彼はスコットランドのド田舎に現れた。大きな遠回りをしながら、大して疲れた様子もなく、町一番の高級ホテルのバーで旧交を暖めた。その翌々日彼は私の希望を受け入れPITLOCHRY (ピトロッホリ・・・日本語にはない発音なので、カタカナでは正確な発音は表せない。ホが擦過音になる)に出かけた。

PITLOCHRY は漱石が留学の終わり近くに訪れたスコットランドの保養地である。いつか行ってみたいと思っていたが、Snigel閣下のお陰で、あっさり希望が叶った。漱石が帯在した建物は当時は個人の持ち物であった由であるが、今はホテルとなっている。受付でその部屋が見学可能かを聞いた所、塞がっていて不可であると言う。つまり、塞がっていなければ可であるらしいのだ。部屋代は夏季は140ポンドくらいだということだ(もしかしたら日本円で14000円くらいと言ったかもしれない)。小さなホテルで、その中の最上の部屋なのだろう。元々この持ち主が漱石の友人だったそうだから、一番いい部屋に泊めるのは自然なことだったに違いない。受付の親切なおじさんの好意に甘え、庭を散歩させていただいた。以前は日本庭園まであったと言う。

私が先の右翼的発言のあとに草枕の一節を持ちだしたのは、この結論に導きたかったからである。庭はいい意匠(デザイン)とは言いがたいが、手入れが行き届いており、大木が幾本かあり、そのうちの松の根本から松ぼっくりを一個失敬してきた。この松、樹齢は大雑把に見積もっても2~3百年にはなっており、漱石も見たに違いないのだ。想像を逞しくすれば、彼は神経をやられて辛かった孤独な胸の内をこの木に寄り添って吐露したかも知れないのだ。約110年前の事だった。

いま部屋の窓際にこの松ぼっくりをおいて眺めている。これを煎じて飲んだら、私も少しは文章がうまくなるか知らん。

写真はPitlochry Dundarach Hotel 撮影日2013年7月15日

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