2011年7月13日水曜日

暖炉のにおい

昔、アイルランドの田舎に暮らしたことがあった。大学を退官した老教授の元に呼ばれて行ったのである。教授は英国人で、一応ケンブリッジを出ているが、自国が嫌いで第二次大戦後ダブリンのトリニティカレッジに職を求めた。早期に退職して田舎の古い農家を買い求め、奥さんと住み始めた。英国時代にひとり、娘をもうけ、アイルランドに来てからさらに一男四女を追加している。奥さんは下の子供達がまだ小さいうちに亡くなり庭の片隅に土葬された。

私が彼、S教授に呼ばれて行ったときは彼は既に七十の半ば近くになっていたはずである。私は彼のケアラー(ケアーをする人、の意)という名目で地元の警察に届けを出して滞在許可をとったのである。実際には教授は介護などを必要とする状態ではなく、至って健康なのであったが。

さて、その家である。2~3000坪はありそうな敷地に母屋、納屋、ガレージなどが並んでいる。いずれも半端な年代物である。古いは古いが、何百年というほどではない。一階には客間がひとつとバスルームがあり、それに居間である。台所は居間の片隅にある。二階には寝室が3つ。

英国植民地時代の水呑のそれであったのであろう。調度品なども高価そうな物はなにひとつない。居間のソファもスプリングが飛び出しかかっている有様で、肘掛けなどは長年にわたるお茶やコーヒー、鼻水やよだれでガビガビである。床は石敷きでなかなかいい。特にへっこんでいるところなどなく、それでいて適度にすり減っている。天井は二階の床下がむき出しで、真っ黒に煤けている。ところどころを黒く汚れた電線が碍子とともに走っている。中央から電球がぶら下がっており、辛うじて陶製の傘らしきものがついている。照明といえば他にもフロアースタンドなどがあるが、ほとんど使われてはいない様子である。

他に茶箪笥らしきものがあった。どれも手垢で汚れ、傷だらけである。引き出しなどもまともには出てこない。こつがいるのである。とにかく真っ直ぐ引っ張ってはダメである。窓は何年も開けた様子はなく、緑のペンキの剥げかかった窓枠に歪みのあるガラスがはまっていた。石造りの家なので、壁の厚さはある。その分室内側は飾り棚のようになっており、つまらない真鍮製の器や足のとれた小さな人形、古銭など様々な物が埃とともに雑然と置かれていた。

その家には大きな暖炉があった。田舎の村の中心からさらに外れたところにあった家なので、当時ガスや電気があったとは思われず、暖を取るにも調理をするにもこの暖炉が欠かせなかったであろう。私は170cmには欠けてしまうほどの背丈であるが、その私が軽く腰を屈めればすっぽりとその暖炉に入れた。いわんや教授の幼かった4女、5女などは寒いとよく暖炉の左右に入っていたものである。(教授はかなりの晩婚で、それを取り戻すべく頑張って遅くまで子づくりに励んだものらしい)

暖炉の中央からは自在鉤代わりの太い鎖が下がっており、これにSの字型の鈎をつけ、ヤカンなどをぶら下げていた。ティーポットなどはぶら下げるのに不都合で、火床に直接置いて薪や熾火などを少し手前に寄せて沸かすのだ。

長女は外国に行っており、母親が早くに亡くなっているので、実質的な家事は二女(当時二十歳くらいか?)と三女(同じく16歳くらい)が担当していた。二女は躁鬱の気質で、それでも気が向けば自在鉤に直径60cmほどの円形の鉄板をかけてスコーンなどを焼いてくれた。

クリスマスが近づくと近所の農家の人が七面鳥を持って来てくれる。昔、教授がひょんな事でその農夫の父親の難を救ったことがあり、それ以来毎年季節になると七面鳥を持ってくるという。身長は私と変わらない。ずんぐりとした体型で、首が文字通り胴体にめり込んでいる。教授が暖炉の前の椅子をすすめるとこっくりと頷いて座る。冬というのに粗末なシャツの胸をはだけ、汗でもかきそうに赤い顔をしている。お茶を勧めても、スコーンを勧めてもこっくりと頷くだけで、何も言わない。ティーカップを持つその指は太い。小指でも私の親指くらいは優にある。とにかく何も言わない。子供たちは気詰まりであるが、教授は頓着しない。たまに何かを話しかけるが、農夫は頷くか頭を横にふるばかりである。

当時、敷地の中に昔の納屋があり、これに手を入れて住んでいた流れ者の居候がいた。私は、その男とクリスマスの日用に特別大きな薪を用意しようということになり、古いノコギリをもって近所の農家の敷地に忍び込んだ。獲物は予め調査済みである。直径90cm程もありそうな木が切り倒してあるのだ。それはまるごと頂戴するには荷が勝ち過ぎるので、運べる大きさに切って持ってこようという作戦である。

結局、1m程の長さに切ったが重かった。居候が(私も居候同然だったが)助けを呼びに行った。妙に靴をピカピカに磨き上げるのが好きなユダヤ人の J が来た。教授に何故彼はそんなに靴を磨くのか聞いたところ、明快な答えは得られなかった。田舎の泥道しか歩かないのに、彼はピカピカの革靴を履いて居候と共に走ってきた。細身を黒っぽい服で包んであごひげを風になびかせて、その助っ人は来た。が、頼りにはなりそうもない。

私たちは倒けつ転びつ(こけつまろびつ)、しかし、密やかに獲物を運び出し始めた。が、地主に見つかると大変なので、最初は話もせずに作業に熱中したが、ふとお互いの顔を見ておかしくなり、途中で笑をこらえることができなくなった。力が入らず、持つのを諦め、薪を転がし始めた。道に出た頃には辺りを憚ることなく大きな声で、お互いを間抜けだ、ドジだと言っては笑い転げた。

教授は貧乏なので、ちゃんとした薪は買えない。近所の農家に頼んで切り倒した雑木や根っこなどを買う。お金がある時はターフを買う。ターフはピートの若いやつである。アイルランドではイギリスの植民地時代に多くの木々が切り倒され、植林も積極的にはされなかったようで、今や薪は貴重品である。一方、ターフはそこここに無尽蔵と言っていいくらいある。ただ同然だが、掘り起こす手間と、乾かす時間、そして運ぶ手間がかかる。木々の細かい枝などはいくらでも手に入るが、火にくべると瞬く間に燃えてしまう。

※ターフ(Turf)・・・辞書をみると泥炭とある。ピートはスコットランドでは麦芽をこの煙で燻してウイスキーに薫りをつける。ターフはピートより若い泥炭とのことである。

話しは佳境に入りつつあるが、今日はこれまで。「続 暖炉のにおい」は後日ということで。

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