2011年7月24日日曜日

暖炉のにおい 3

教授の次女ケイトには躁鬱の気質があって、躁の時には気が向けばティン・ウィッスル(ブリキでできた単純な縦笛。アイルランドが発祥の地と言われる)を吹く。なぜか同じ所を繰り返し吹くので、いやが上でも私の頭にそのメロディーとリズムがグルグル回り始める。敷地は広いものの、家自体は大した広さではないので、どこにも逃げられない。彼女が吹くのを止めても私の頭の中にはグルグルと同じメロディが回っていて不愉快である。トゥッティリ~ラ、トゥッティリ~ラ、トゥッティリ~ラピィ~ラ~ラ~、トゥッティリ~ラ、トゥッティリ~ラ、トゥッティリ~ラピィ~ラ~ラ~、先へ進まないのである。

ある時、皿を洗いながら自分がこれを口笛で吹いているのに気がついて顔を顰(しか)めた。しばらくこれが私の頭の中から去らずに閉口した。今でもその半端な曲は覚えているが、またぶり返しそうなので思い出したくない。

前述の話しは1999年の秋の話であるが、それから10年ほど経った頃、日本にいて私は心身の不調を感じて医者に行った。問診と簡単なテストで欝が出ていると言われた。鬱病と言うほど重くはないが、欝症状であるとのことだった。ショックではあったが同時に安心もした。症状に気がついて以来、私はずっとわけのわからない不安にかられ続けていたからである。

この話しを書いている今は以前よりもかなり自分の精神状態に感心を持つようになった。そして最近に至って私は、自分が欝だけではなく躁も持っているのではないかと疑うようになった。私は精神医学や心理学の知識があるわけではない。気分の浮沈は誰にでもあるものだろうが、正常の範囲をわずかに越える躁が自分の中にあるような気がする。

自分が躁鬱の症状を持つ人間だとすれば十数年前に教授の次女ケイトがとった行動には同情すべき点があった。当時は他人の迷惑ということをまるで考えないひどい女だと思い遠ざけていたから。

教授もケイトの躁欝に早くから気がついていたようであるが、なんら手を打つこともなく過ごしてきた。教授には6人の子どもがいるが、誰も学校にやらなかった※。それがために誰も客観的にケイトを見ることをしなかったものと思われる。

※唯一例外は長女のアンであった(アンは英国で生まれているので、兄弟中唯一英国籍である)。子供たちはみな親から基礎教育を受けた。アンも例外ではなく、義務教育さえ終了していない。が、アンだけはロンドンの大学に入った。教授が直接学長宛に手紙を書き、面接の結果、入学が許されたとのことである。

教授には子供の教育にそれなりの考えがあったらしい。大学を早期退職しており、経済的に苦しかったことも子供を学校にやらなかったことの一因として挙げられるだろう。英国のボーディングスクール(寄宿学校)からケンブリッジ大学に進んだ彼には自ら子供たちを教育する自信があったに違いない。それにもかかわらず、ケイトの心の病気にはなんら手を打つこともなく時が過ぎてしまった。分らないでもない。ケイトのそれも最初は明らかに異常というほどのものではなく、ボーダーをほんの少し越えた程度であったのだろうから。

とにかく躁になるとティン・ウィッスルを吹きまくり、すぐに飽きて絵を描きはじめる。熱中して描くがすぐに飽きて別のことを始める。何をしたにしても後片付けはしないので、家中はとんでもない散らかしようになる。教授は何も言わない。気が向けば三女ルーシーと共にケイトのあとを追って片付けている。

私も最初の頃は後片付けをした。ある時、暖炉の中に靴が片方だけ置いてあり、その靴の中に何故かサンドイッチの食べかけが入っていた。一階の客間をのぞくと一面絵の具と描き散らかした画用紙で床が見えないほどになっていた。彼女の移動範囲は家の中に留まらない。庭であろうが物置であろうが関係ない。かと言って突然大掃除が始まるときもある。すぐ下の弟ジャックに大号令をかけて掃除を強要する。時には喧嘩になってハラハラすることもあるが、小一時間もすればまた忘れたようにティン・ウィッスルを吹いている。そんな時のケイトの目にはある種の輝きが見える。

ある時、ケイトが私のところに来て頼みがあるという。目が怪しく輝いている。明日の夕方友人と一緒にパブに行くのだが、その間友人の子どもの面倒を見てくれる人がいない、頼めないだろうかと言う。パブは11時半には店を閉めるから間違ってもそれ以上遅くなることはないと言う。内心疑いながらOKを出した。

その日、私はケイトの友人宅に行って子供の面倒を見始めた。9時になって子供を寝かしつけ、持参した本を読み始めた。11時になり、そろそろ彼女らが帰る頃だと心待ちにしていた。ところがである。彼女は一筋縄ではいかないのである。深夜になっても帰らない。子供は変りなく寝たままである。ところがこちらは心配しつつも腹も立て始めている。ケイトのあの目の輝きを軽視した自分に限りなく腹を立てたのである。

彼らが帰ってきたのは翌朝9時前だったと記憶している。ケイトには自分が躁鬱の気質であることの自覚はなかったようだ。従って周囲がこれによって迷惑をこうむっているなどとは夢想だにしなかったに違いない。私には自覚があるようだ。私は同じ躁鬱でも彼女とは違う。

私の場合は感覚で言うと中くらいの欝が<5>続き、正常が<2>続き、軽い躁が<1>、そして正常が<2>で終わるサイクルらしい(無理やりサイクルで表してみた)。ケイトも欝の時はおとなしく沈んでおり、躁になると俄然元気になって周囲に迷惑をかけまくる。私も欝の時はおとなしい(当たり前か・・・)が躁になると気が大きくなって、もしかしたら自分は「何者か」なのではないかと思ったりする。周囲に迷惑をかけないようにしてるつもりでも、結構無神経だったりするようだ。

みなさん、ごめんなさい。

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