2011年7月14日木曜日

続 暖炉のにおい

12月24日の夕方に私は、天からの贈り物である特大サイズの薪を暖炉の奥に据えた。こんな巨大な薪を燃やせる暖炉などそうざらにはないだろう。朝から火がついているので、暖炉も煙突も十分温まっている。それは徐々に燃え始めた。

暖炉の天井から吊るされた自在鉤からは、大きな鋳物の鍋がぶら下がっており、その中には例の七面鳥が他の野菜たちと一緒に蒸されつつある。家中に香ばしい匂いが広がり、子供たちだけでなく、そこに居合わせた人々の心はみなそぞろである。

巨大薪は、一週間は燃え続けるだろうと思われたが、わずか二日で燃え尽きて天に帰っていった。(元々植物を構成する分子の大半は空中の二酸化炭素を取り入れたもので、燃えて天に帰るという私の表現はロマンチックでもなんでもない^^)意外とあっけないものであった。

この暖炉であるが、煮炊きにはいいが、肝心の暖を取るモノとしてはいささか欠点がある。すなわち、物が燃えるということは酸素が消費されるということで、消費された酸素はどこからか供給されねばならない。いま暖炉を作るとすれば外気の取入口を暖炉の入り口辺りにつくるであろうが、この建物にはそんなことを考えられた形跡はない。では、どこから空気は来るか???
(こんな理屈っぽいことを書くと女性の読者は離れていくだろうな・・・)
すきま風である。煙突の上下の気圧差で煙は吸い上げられる。その分暖炉内はわずかに陰圧になり周りの空気を吸い寄せる。家中のあらゆるすき間から文字通りのすきま風が暖炉を目がけて吹いて来るのである。

暖炉はその火に直接当たる人のみが暖かい。さらに言うと、あたっている人の暖炉側のみが暖かい。つまり背中は寒いのである。そして、焚けばたくほどすきま風が入ってくる仕掛けである。暖房としては、野原の焚き火よりはマシといった程度かも知れない。まして教授の家は床が石である。ラグ(絨毯より小さい部分的な敷物)のないところはかなり寒いのである。

人が入れるほどの大きさだといった。実際私も子供の真似をして何回も入ってみた。そして好奇心から暖炉の中から上を見上げてみた。真っ暗な中に小さな四角い明るいところがある。それが空。
空が見えるということは・・・・雨が降ったら、雨が暖炉に降り込むだろうに。しかし、現実に雨は降り込みはしない。火を焚いている時ならまだわかる。強い上昇気流があるから雨はそれに負けて入っては来れないかも知れない。でも、火を焚いていない時でも雨は入ってこない。

よく観察すると煙突は上に行くにつれて狭くなっているようである。これなら暖炉の辺りが煙突の先端より少しでも暖かければ上昇気流が起き、上に行くにしたがって空気の流れる速度は早くなる。これだろうか?

もう一つ。高い煙突は下からそれを望遠鏡のように覗けば昼間でも星が見えると聞いたことがある。試してみれば良かった。教授の家の暖炉は至る所煤だらけで、特に煙突は激しく煤だらけである。それどころか煤で煙道が狭まっている。煤は燃えるので、一度教授に気をつけるよう注意を促したことがある。がしかし、それは既に何回か燃え上がったことがあるそうである。一度火がつくと相当な勢いで燃え、煙突の先端からは火の粉が激しく吹き出したそうである。

教授は歳はとってはいるが長身で、いつも背筋が伸びている。古い言い方をすれば「ツルのような」痩せた老人である。髪は真っ白で額はそれらしく禿げ上がっていて広い。髭を剃ることは稀で、伸びた分だけハサミで切っている。歯は無い。いかにも大学教授を務めたようにきれいなブリテッシュ・イングリッシュを話す。

教授は今晩も暖炉の横の木製の椅子に座り、枯れた長い樹の枝のような足を器用に組んでその膝の上で手紙を書く。世界中に向かって平和を訴える手紙を書く。アメリカの大統領にも書いたことがあるそうな。ノーム・チョムスキーとはケンブリッジ時代の同窓生だそうで(※)、始終手紙を書く。そして、その返信を見たものは誰もいない。

※先ほどチョムスキーについて彼の学歴を調べたら、どうもケンブリッジは出ていないらしい。これは我がほら吹き教授のホラか、私の聞き違いだったかも知れない。

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