2011年7月15日金曜日

オッチョコチョイは治るか?

アイルランドを出て久しい。たまにダブリンにもどるときは我が敬愛すべきひできすとSnigelの両氏の隠れ家に投宿する。

ダブリンの郊外にある両氏のお宅は、アイルランド史上最初で最後の経済バブルを迎えた頃に建てられた高層アパートである。半円形をしており、見下ろす中庭もモダンなデザインである。寝室は2つ。つまり私が転がり込んでも、私の寝る所はない。居間が広いのでそこで寝ることにした。

気心が知れていると言ってもそこはやはりお互いの気遣いは欠かせない。居間を通らないことには彼らは台所に行けない。私が遅くまで寝ていては彼らが気を使うであろうから一計を案じた。私が都心のアパートを引き払うとき(私はオコンネルストリートから徒歩数十秒の文部科学省に隣接したビルに住んでいた)、キャンプ用のテントを彼らの家に持ち込んだのだ。使う当てはなかったが、捨てるのも惜しかったのである。そう、居間にテントを張った。これで私も独立した部屋の主になった。表札でも掛けたいくらいだ。しかし、そんなことをしなくても十分異様である。

当初両氏は私を指さして笑った。(特にSnigelは指差しのプロである。詳しくは彼のブログを御覧頂きたい。ちゃっかり広告が載っている。http://www.ikikou.com/new/)彼らは私をバカにしたいのだが、なに彼らも居間に張られたテントに入りたいのである。特別許可を与えると、嬉々として入っている。私よりもむしろ彼らのほうが喜んでいる。

何しろ物の多い家で、自室に収納しきれないものを居間に置いている。居間の入り口には本棚があり、あらゆるジャンルの本が並んでいる。懐かしいものでは昔郊外にあった日本人学校の図書室の、その蔵書のハンコが押された本まである。Snigelはほぼ10日から2週間に一回の割合でドイツに行くが、時々妙に大きな縫いぐるみを買ってくる。巨大ニシキヘビはいい。まっすぐに伸ばしておけば場所はさほど取らない。しかし、セントバーナードはソファの1.5人分を占領している。文句を言う勇気は私には無い。

文句を言えばたちどころに出て行け、と言われるのは間違いないからである。世界中の人々に対して親切で温厚を絵に書いたような人柄のSnigelも、こと私に対しては厳しい。私はかつて彼のガールフレンドを横取りしたこともなければ、食糧棚の奥に隠してあるウイスキーを盗み飲みしたこともない。少しは飲んだかも知れない。(Snigelは高級ウイスキーでも平気でコーラで割って飲む男である。勿体無いではないか?)

テントの出入口は壁に面しているが、その壁ぎわにひできすのシンセサイザーが置いてあり、出入りには非常に邪魔である。これはひできすが前の家にいたときに通販で買ったもので、当時は気に入って弾いていたが最近はとんとその音を聞かない。

テントから出るときは床から這い上がるようにする。真正面にシンセサイザーがあり、自然とこれにつかまらざるを得ない。ドッコイショ。(ひできすは怒るだろうな・・・)

ある朝のことである。私は日本から着いたばかりでろくに寝られない。時差ぼけでふらつく体を台所に運んで紅茶を入れるためのお湯を沸かす。ケトルに水を満たし、コンロに置く。居間に戻ってパソコンのスイッチを入れる。これはSnigelのもので、みんなで居間でDVDなどを見るときに使う。

私が朦朧とした頭でメールやニュースなどをチェックしていたその時である。なにやらイヤなにおいがする。顔を上げると台所方面から気のせいかうっすらと煙のようなものが漂い出ている。

台所ではにおいが一層きつく、なんとコンロから煙が出ている。驚いてケトルを持ち上げる。コンロは熱線ヒーターに丸い鉄板をかぶせた、こちらではありふれたものであるが、その表面に黒ぐろと丸い跡がついており、そこから煙が出ている。

おバカなケトルだなと訝(いぶかし)しく思う。底のほうを囲むようにしてプラスチックが張ってある。これでは焦げるのは当たり前で、こんなバカなケトルは見たことがない。時差ぼけの頭で考える。これではお湯が沸かせないではないかと思う。

持ち上げたケトルを置こうと周囲を見回すとすぐ横にちょうどいい大きさの黒いプラスチック製の皿がある。あれ、コードが付いている・・・。なるほど、そういうことであったか・・・。

私の長野の家では台所のコンロはIHである。コーヒー一杯分ぐらいの水ならヤカンをかければすぐに沸く。

私はそのまま逃走しようかとも思ったが、テントがある。置いて行けない。結果、私は元のものよりも数倍高価な電気ケトルを彼らにプレゼントした。

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