2012年3月19日月曜日

あいつは民主主義者だ !

今から数十年後の20××年の話しである。

2018年に民主主義日本は滅びた。百数十年前にはるばる西洋から輸入した民主主義という政治形態(資本主義という経済の形態とほぼ表裏一体)が小田原評定の常態化を助長して、隣国の軍事的脅威に対抗出来なかったのだ。政治家は自分の政策のみが正しいと個々の主張して譲らず、かと言って万が一の責任は取りたくない。勇ましいのは選挙の時のみで、会議では優柔不断に徹していた。防衛のためのミサイルの数を345にするか346にするかを決めるのに3年を費やし、その間に世界でも有数の極貧乞食国家から核兵器による恫喝を受けて食糧援助をせざるを得なくなった。さらに、同じ隣国で、10倍もの人口を持つ共産帝国主義国家にも横車を押されて南の領土を武力で取られてしまった。そしてその国は、沖縄県は彼の国の固有の領土だといって「返還」要求を始めた。

盟友国家であったはずのアメリカは「アメリカは自ら助くるもののみを助く」と言って、自助努力をしない日本を見限った。沖縄から軍隊を引き上げた。

かねてより沖縄に送り込まれていた共産帝国主義のスパイは日本人に迫害を受けている、助けて欲しい、と筋書き通りに本国に要請した。本国はこれを受けて「コレハ大変アルヨ、ワガ人民ガ迫害ヲ受ケテイルアルネ。助ケニ行カネバネバ」と軍事作戦を展開し始めた。

平和憲法が、憲法9条があれば日本は平和を守れると夢想していた人たちは恥ずかしさのあまり、顔の整形手術を受けて暮らさねばならなくなった。

いまさら日本国民はその平和ボケの政治形態に疑問をいだき、その欠点の研究を開始した。研究の形態も民主主義なのでその結果を得るのに3年かかった。結果は民主主義は政策決定に時間ががかかり、かと言ってその方向が必ずしも正しくはない、ということだけであった。しかし、沖縄はとうに隣国のものとなっており、そこに暮らす日本人はチベット人のように迫害を受けていた。


やがて押しが強く、明晰な頭脳をもった若い政治家が現れ、独自の理論を展開して周囲を席巻していった。既存の政党は自党の延命を、そして政治家は自らの失業を恐れてこの政治家に迎合した。やがてこの政治家は独裁政治体制を完成させて次から次と起こる国家の危機に対応し、難局を乗り切った。彼の発言には誰も異を唱えなくなった。彼の取った決断は正しく、何より早かった。日本に脅威を与えていた国家群もこの決断速度に追随できず、軍事でも外交でも経済でも次々と敗退していった。沖縄はそこを奪回するために再び戦場となって多くの人が死傷した。

学校では民主主義は決断に時間のかかる悪い政治形態だと教えるようになった。巷では人々が集まって何かを決めようとすると
「あいつらは民主主義者だ!」
と言って白い目で見られるようになった。おわり

独裁主義の何が悪い。かつて独裁主義で繁栄した国はあまたあるではないか。民主主義ならみんなで間違った方向に歩んでもそれで悔いはないのだろうか・・・。

日本は人類史上初めての民主主義のために滅びた国家となろうとしている。かつて小田原は秀吉に攻められて評定(会議)を開き、時間ばかりかかって結論を出せないまま敗れた。この故事に習うことをせず、滅びるぞ、滅びるぞ、ほーら滅びた、と言う具合になりそうである。

実は、必要なのは民主主義を排除することではない。今いかにその弊害をなくす、あるいは少なくするかを考える大切な時期に来ていると思う。政治家が悪いという。官僚が悪いという。では、民衆だけはまともなのか。

私を「右翼」だと思う人がいるかも知れない。思われてもいいが、それは違う。げんに私は今の天皇制(※)には反対する者である。右も左も興味なし。私は歩き続ける人である^^

(※)今の天皇制は反対だが、昭和天皇、今上天皇はじめ一個の人間として尊敬する人々は皇室の中にもいる。これは別問題である。

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