2012年5月10日木曜日

桜と語る

少し寝坊をしたが外套を着て珈琲を片手に裏庭に出る。今朝5時45分頃の外気温は5度ほどであった。霧が出ている。夜中に雨が降ったようである。

地面は濡れており、芝の所々小さな蜘蛛の巣が無数の水滴に纏われてある。昨日抜いてそのまま放置した雑草の根がまだ新鮮で、隙あらば蘇らんとしているかのようだ(想話左遷^^)。

珈琲マグを薪割り台に置いてそのまま南側の道路に出る。時間こそ不正確だが、道順は哲学者カントの正確さと変わりない。東に向かうので、自然昇り始めた太陽との対面となる。まるでムンクの「叫び」のような光景である。もっともあちらは夕日だろうが・・・。

このような場所でも桜は結構ある。我が家の斜向かいのS宅には植えられた見事な枝垂れ桜がある。葉桜となり始めてはいるが、まだ十分に美しい。西隣のS宅では八重が植えられており、これは昨日今日咲き始めたところである。偶然にも東隣もSで始まるお宅であるが、我が領地との境にはサクランボの幼木があり、植えて5年目にようやく花が咲いたとご夫妻が喜んでおられた。(なぜか私もうれしくなったが・・・)

実は私の興味の対象は植えられた桜ではなく、実生(みしょう・・・自然に生えたもの)のそれである。木々の葉が生い茂っている間はわからないが、今の季節は桜であれば花が咲く。咲いて初めて、ああ、これは桜だったのか、とわかるものが多い。桜の樹皮のすべてがあの茶筒のような艶のある暗い茶色に白の斑点があればいいのだが、そうはいかない。樹形もまったく様々である。すっと伸びて途中から四方に枝分かれするものあり、地面からすぐに枝分かれしてお互い他人のようにしてはえているもの、細いもの、太いもの様々である。であれば咲く時期も多くは春には違いないが、今はとっくに葉を広げて花の影など既にないものも、いま丁度盛りを迎えたものもある。ここは高地で、海抜で言えば1000mほど。里の(と言っても海抜700mほどはある)桜がとうに散っているのに、ここではまだ盛りのものがある。

その桜はいつもの散歩の道順の折り返し地点に近いところにある。ある別荘の敷地の中にあるが、その大きさから見てあきらかに実生である。花の色は薄いが数と花びらの形がいい。霧に濡れて少し萎み加減だ。が、そんなことはどうでもいい。ふと思い浮かんだのがこの桜の生涯であった。当てずっぽうながら樹齢は五十年から七十年の間とみた。地上1メートルほどのところで二本に分かれ、それぞれは上でさらにたくさん枝分かれしている。しばし立ち止まって見ていた。人間の歴史で言えば大東亜戦争の前後に芽を出した。その頃、ここいらは訪れる人とてない、まったくの山の中であったと推測される。20年ほど前、つまり日本経済がバブルの絶頂期にあった頃ここの別荘地としての開発が始まり、道路が造られた筈だ。区画整理があったが、道路からはわずかに外れ、人間の魔手から逃れてこの桜は生き残った。

心のなかで、お前はエライと褒める。返答はない。見事であるぞと言うが返答はない。またな、と言って歩き出す。この桜の道路を挟んだ向かいに藪になっている土地がある。売りに出ていて荒れ放題である。その中に一本桜の中学生がいた。丈といえば3メートルくらいだろうか。実際はもう少し高いのだろうが、地上2メールあたりから幹が折れて道路側に倒れている。雑草に覆われ、蔓(つる)に絡まれてそれが桜だとわかるのは今の季節しかない。ポツポツと花が咲いている。幹を見ると、焦げ茶に小さな白の斑点があり、私にとっては典型的な桜の樹皮なのであった。

その桜の根元にはボケが派手な朱色の花を咲かせており、他にも様々な幼木や草が活気をみなぎらせつつあった。気がつけば折れていると思った先の幹にも蕾がいくつもついている。辛うじて導管は継っているのだろうか。いづれにしてもこのまま放置すれば時を待たずして迫りくる雑草に覆い尽くされてしまうに違いない。気の毒と思って、近々早朝散歩の際は鎌を持参し、せめてこの蔓を退治してくれようと思った。近くによってみるとその蔓はアケビであり、薄紫色の小さく可憐な花を咲かせていた。

さて、傷ついた桜の中学生を守るためにアケビを切るのはどんなものだろうと思った。こんなことに思案を巡らせるのは愚の骨頂と言われれば一言もないが、私は迷うのである。それは秋になればアケビが食えるかも知れない、と言ったものではない。桜もアケビも生きている。桜の花はきれいだからというわけにもいかない。よく見ればアケビの花も可憐できれいだ。どっちがきれいなどとは言えない。好き嫌いを言えば桜のほうが好きだ。しかし、それだけでは片付かない。

紅顔の美少年も時の流れとともに、わびさびを愛(め)で、世の無常を語る、そんなお年頃になってしまったらしい。

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