2012年5月24日木曜日

みっちーの旅

23日早朝3時半に迎えの車が来た。さすがに辺りはまだ真っ暗で、その発動機音は近所をはばかるほどのものだった。それより少し前、家の戸締りを確認すべく外に出た時は、フクロウの声がしていた。鵺(ヌエ・・・トラツグミのことらしい)などは人から忌み嫌われるが、その声もよく聞かれ私は好きである。シカやキツネも夜に鳴く。耳をすませば楽しい佐久の夜なのである。

朝10時50分発の英国航空の飛行機に乗るのに3時半に家を出るのはいささか早すぎるというものだが、道中何が起こってもこれなら絶対に間に合う。ちなみに昨年は北欧航空で、出発時間は同じような時間帯であったが、家を出る時間はこれより一時間も遅かったと思う。運転手や予想される交通状況で変わるのだろう。地方在住の割には成田や羽田への便はいい。東京や成田に前泊すると余分な経費がかかる。

結局成田には7時40分頃着き、搭乗手続きには早すぎ、関係ない別の搭乗受付口(カウンター)でちょっくら旅行用鞄の重さを計ってもらう。なんとたったの15キロ。約半年の間とは言え、どうしても日本から持ってゆかなければならないモノなど実はそれほどない。一番重い荷物は膝置き型電子計算機だが、これは機内持ち込みにするし。他には本である。だいぶ前に古本屋で集めておいた漱石やらドフトエフスキーなどを手荷物に入れてあったが、預け入れ荷物が思いの外軽かったので、損をしたような気持ちになり、混雑する空港の片隅で、かなり重くなっていた手荷物から本を取り出し、預け入れ荷物に移した。ふと前方に目をやるとご同輩がいる。一所懸命に詰替をやっている。

トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の映画「 The Terminal 」のように空港では毎日人々の泣き笑いが起きている。私にはいつ、どこでだったかは忘れたが、目に焼き付いて離れない空港での画がある。若いいかにも田舎から出てきた感じの白人女性が、人々が行き交い、且つ列を作る空港の帳場のそばで泣きながら旅行かばんを閉じようとしている。その周辺は靴や衣類などの荷物が、そして包み紙からはみ出した食べかけのサンドイッチなどが散乱しており、それが様々に彼女の過ぎ来し方を想像させた。できるものなら大丈夫だよ、心配ないよ、いま我慢すればまたいいことがあるよと言ってあげたかった。

出来ればヒースロー乗り換えは避けたかったが、航空券の安さに負けた。ターミナル5に到着し、空港内を走る無人電車で他のターミナル行きバス乗り場に着く。ここからはバスで移動。迷路のような工事現場を走って12分、ようやくターミナル1に到着。いつか見た風景。それがいつだったかは思い出せない。乗り継ぎの飛行機を待っていると既視感(デジャブー)ではなく、中年の女性に空港に関する聞き取り調査を依頼された。間違いなく前回もここで同じものを受けた記憶がある。あれは本当にただの聞取り調査なのだろうかと疑う。国中に監視カメラがある国なのである。

ダブリン行きのゲートは82。ここまで来ればアイルランドと言う名の田舎の香りがしてくる。空港職員も乗客もそんな感じなのだ。飛行機に乗り込み、席に着くやうたた寝をはじめる。時差ボケで眠い。疲労感はないがただひたすら眠い。気がつけば眼下に陸地が見えている。荷物を受け取って出ると約束どおりSnigel(http://www.ikikou.com/ アイルランド真実紀行作者)閣下が迎えに来てくれている。半年ぶりの再会なので、取り立てて旧交を温める気もしないが、この御仁、極めて面倒見がよく、かつ情に厚い。いままで散々世話になってきたが、これからも世話になろうと固く心に誓う。(お返しは天国で^^;)

夕方7時近く彼らの家に着くと、部屋でひできす(http://irishpot.net/blog/アイルランドの「つぼ」作者)大明神が相変わらず電子計算機の画面を見つめている。近々社内で試験があるらしい。いい匂いがする。ここで私は自分が空腹であることに気がつく。時差ボケはトイレの頃合いや食欲などを著しく狂わせる。ひできす大魔神はラザニアを作ってくれていた。総入れ歯ひできすの相棒まっきーがいない。地方に行っているという。とは言うものの、私は彼女とは面識はないのだが。家の中の様子がある意味激変している。ひできすの部屋は一回きれいになってそれからまたもとに戻りつつある過程のようだ。居間がすっかり片付いている。台所と続いている食堂(とは言え畳3畳ほどの広さ)も片付いている。げに頼もしきは女性の力である。しかし、彼女がいつ発ったのかは聞きそびれたが、ここは天然自然にいつもの姿に戻りつつあるようだ。( 英語ではBack to normal とでもいうのだろうが・・・)

食事の後、私とひできすが世間話をしていると、Snigelが立って台所仕事を始めた。ここにいる間は片付けは私の仕事なのだが(料理が嫌いなので)Snigelオバサンは料理を始めた。なんとカレーである。聞けば彼らが仕事で留守をしている間の私のご飯だという。私は彼らと会って以来、人類皆ひできすやSnigelのようであれば世に災いはなくなるものをと思ってきたのである。

追記
その翌日ひできすはお受験でかなり神経質になっていたが、久しぶりに私が訪れたので気を使ってか、少しだけ話し相手になってくれた。(訪問のタイミング実に悪し)その間、Snigelと言えば何とプリンを焼いてくれた。プッチンプリンはそれはそれで美味しいが、プリンは元来焼き菓子である。Snigelおばさんのはまっきー女史に教わった本格的なpuddingであった。同時にチーズケーキも焼いた。これは彼には不満だったらしいが十分美味しかった。わ~い、5人でドイツに行って念願のお菓子屋さんをやろう。(いつから念願だったかはとんと記憶にないが・・・5人とは菓子職人Snigel、社長はClaudia(Snigelのパートナー)、丁稚(でっち)ひできす、売り子まっきー、レジ係りみっちー。最強絶妙の人事ではある)

0 件のコメント:

コメントを投稿