2015年8月11日火曜日

ダブリン再訪

ダブリンにいる。オコンネル通りを中心にリフィー川を挟んで、街の南北をそぞろ歩きに歩いてみる。アイルランドは、史上空前の経済興隆から転落して久しいが、ここへ来てまたそれがいくらか上向いてきているようだ。

私は、まったくの経済音痴だが、街を歩いてこれを肌で感じている。もっとも、それは八月と言う観光期で、欧州各国はもとより、世界中から人が押し寄せているからかも知れないのだが。

店に入れば、国籍の推測ができない店員さんたちが、流暢ではあるが訛のある英語で客の応対をしている。この国の名門大学トリニティーカレッジ周辺は、新しい路面電車の敷設工事でごったがいしている。空を見上げれば、建築用のクレーンが、かつてほどではないにしろ、再度そびえるようになっている。

ちょうど一週間前にここの空港に降立ったが、その時は曇りで八月と言うのに肌寒かった。異常に暑い日本から来たので、ここの気候だけは私を裏切らないと思った。先日街を歩いていて気がつくと、半袖で歩いているのは私くらいなもので、ほとんどの人たちは長袖を着て歩いているのだった。相変わらず雨もよく降るが、不思議と湿度は上がらず、きわめて快適である。これではこの国の人に、二酸化炭素の地球温暖化に対する影響をいくら説いても、説得力に欠けるだろうと思う。

街は、中心から郊外に至るまで満遍なくゴミだらけで、これは私がここで暮らしていた時と変わらない。道路も空き地も、川も運河もゴミだらけである。もったいないと思う。絵葉書などで見れば、ダブリンと言う街は、それは愛らしく美しい街なのだが・・・。

人類は、石炭や石油と言うものを燃料として空気を汚したように、これを原料にして造った合成樹脂なるもので、自然を傷めつている。これらが自然に帰るためには、地球の持つ浄化作用に依存せざるを得ないが、他のものと違って地に帰るには何万年も掛かるであろう。地に帰る速度より、生産、そし廃棄蓄積される速度のほうが何百倍も早いので、環境は急速に悪化する。この現象が近代、特に戦後の世界の目覚しい経済成長と人口爆発に比例して絶え間なく続いている。

海にも陸地にも空にも、自然界には無かった物、そして自然に帰るのには時間の掛かるものが溢れかえっている。あるものは目に見え、そしてあるものは目には見えない。しかし、それらは確実にこの地球上に住む生命の住環境を危機におとしめている。

人類は、神様から授かった知恵の使い方を知らない。それには使ってよい方向と、悪い方向があることを知らない。


      オコンネル通りを望む。郵便局前の喫茶店にて。ジェームス・ジョイスの銅像が見える。
                 (写真中の時刻は日本時間)





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