2011年11月19日土曜日

暖炉のにおい 5

その頃、私はストックホルムにいた。そこには日本人の友人Aがおり、私はお金もないのに日本からしじゅうAのもとに遊びに来ていた。欧州型の生活に魅了され、次第に欧州移住計画を頭の隅に描き始めていた。

スゥエーデンに住むならスゥエーデン語が必要であるが、既に中年のまっただ中にいた私は、今更初歩からスゥエーデン語を始めるつもりはなかった。世界の共通言語は好むと好まざるとに拘わらず英語であった。生活に必要な程度の英語であれば日本の中学や高校で習う英語で十分である。もっとも、日本の学校で習う英語は勉強のための英語であり、試験のための英語だから実用にはやや難がある。しかし、これをしっかり勉強して基礎にすれば、あとは実践訓練だけで英語はモノになる。私の実感として日本人の話す英語は、非英語国民としては世界でも一級の正確さである。

ともあれ、欧州生活には英語である。私は英語を習得すべく、英国行きを決断した。

当時Aにはマレーシア系スゥエーデン人のKと言う友人がいた。Kは真面目な性格であり、勉強が好きで、長く大学に留まっていた(しまいには博士号までとった)。欧州で同じアジア人ということで親しみもあったのだろう、口さがないAも陰ではKの悪口を言いながらも彼と親交を保っていた。

Kは離婚したばかりであったが、すぐに次の彼女ができた。私とAは彼らと時々食事を共にしたりした。AとKはスェーデン語は流暢である。が、英国人の彼女はそうではなかった。私たちの共通言語は自然と英語になった。Kも子供時代はマレーシアにおいて英語で教育を受けており、英語は母国語といって良かった。Aはいいかげんではあったが、そこそこの英語を話した。スェーデン語が英語に近いため、彼らにとって英語は「ひとかけらの洋菓子」なのであった。

概して非英語圏の人々の話す英語はわかりやすい。差別的発言だが、英語圏でも教育程度の低い人の英語はわかりにくい。Kとその彼女は英語圏で高等教育を受けており、そのぶん彼らの英語は私にはわかりやすかった。

口の軽いAは私の計画を聞くやいなや、それをKに話した。Kは自然自分の彼女にそれを話した。彼女の名前はアン、「暖炉のにおい 3」に登場する。

アンの父親Sは英国人で、ダブリンにある名門大学(と言われている。真偽は知らない)トリニティカレッジで教鞭をとっていたという。当時既に退職しており、ダブリンの南西にある小さな村のはずれの農家を買い取り、子供たちと一緒にひっそりと暮らしていた。(2011年現在彼がいまだ存命か否か、私は知らない)

ある時、私はたまたまKとアンにあった。アンは、もし私が英語を勉強するならアイルランドがいい、英国に比べると物価が安く、自分の父と弟妹がダブリン近郊に住んでいるので(彼女の母親、つまりS教授の奥さんは既に他界していた)、いろいろ便宜を図ってくれるだろう、と提案してくれたのである。

私はアンから彼女のお父上であるS教授の電話番号と住所のメモをもらってアイルランドへの出発の途についた。

ダブリンで語学学校に入り、私のアイルランド生活が始まった。我が師Snigelがその日記(http://www.ikikou.com/new/)でアイルランドを「いい加減王国」と表現しているが、これは極めて控えめな表現である。この頃彼と知り合っていれば、私のアイルランド生活はもっと(良い意味で)安易になっていたであろう。彼は世情によく通じていたからである。おもしろいことに、後年彼と話しを合わせてみると、偶然にも彼も私と同様、この頃ダブリンに語学留学をしており、さらには若干時期はずれるものの、通った学校も同じなのであった。

※私は最初、トリニティカレッジに近い語学学校に入ったが、生徒をたんに金のなる木としか扱わない態度に嫌気がさして別の学校に移った。それが彼と同じ学校だった。ちなみに、ななつのあだ名を持つ男、ひできす(http://irishpot.net/blog/)はその頃は多分英国で怪しげな生活を送っていたはずである。彼のななつのあだ名とは、ひでかす(唯一Snigelのみが使うことを許された呼称)、ひで菌(唯一みっちーのみが・・・)、ひできんぐ(ひできすの自称、彼以外だれひとり使わない)、以下省略。

ともあれ、この短期留学が半ば近くなった頃、私は儀礼的にS教授に挨拶状を書いた。すると教授からすぐ返事が来た。曰く「ようこそアイルランドへ。私の代わりに次女をダブリンに使いに出すので会われたし」。

教授の長女アンは長身で端正な顔立ちの、ちょっと若い頃のいしだあゆみ似の落ち着いた美人である。その妹である。名門大学の教授の娘である。語学学校で南欧系のスットコドッコイ達に辟易していた私の心臓は早鐘のように鳴り出した(て、てーへんだぁ・・・)。

私たちはテンプルバーというダブリンの繁華街で待ち合わせをした。あれ?長く書きすぎた。では続きは次回ということで。

4 件のコメント:

  1. おお、みっちー師匠の過去があらわになってきたw。

    ところでひできんぐの名付け親はわしの元生徒たちだぞww。

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  2. ひで菌、じゃあんた、その頃英国でなんばしちょった?

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  3. 仕事しながら夜学行っとりましたがな。涙ぐましい努力をww

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  4. 毒者のみなさん、ひで菌もちゃんと苦労していたのです。それがあったればこそ今の偉大なる・・・え~っと・・・そう云うわけです。

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