2011年11月16日水曜日

犬猫論争(さても人間の愛とは)

犬と猫は人の日常の生活の中で最も人気のある動物の双璧であろう。犬は猫よりも家畜としての歴史は古いであろうことは想像に難くない。なぜならば、犬は一緒に暮らす動物としては人にとって実用的だからである。

原始の昔、狼から別れ、人に寄り添って生きる道を選んだ動物が犬である。生物の進化を測る尺度を多様性に求めるならば、犬は人と暮らす道を選択して以来、人と肩を並べそうなほどに多様性を増した。人の手によって都合の良いように改良されたため、愛玩用から狩猟、介助、輸送(犬ぞり)、麻薬探知、ギャンブル(ドッグレース)、芸能(携帯電話の広告に出たり、映画に出たり・・・)、用心棒、果ては宇宙飛行士までやる(1950年台から60年台にソ連は数十回も犬をロケットに乗せた)。

猫も人によって改良されたに違いないが、犬ほどの実用性はない。せいぜいネズミを捕るくらいなものであった。この点で、猫が人に飼われるようになったのは人が農耕を始めて、収穫物を蔵に収めるようになってからに違いない。人の居住区のネズミ番がその役目であったろう。。(犬については人の狩猟の心強い相棒であったはずで、猫よりも古くから人と生活していたであろう)が、近年に至ってはその用もない。それでも猫の人気が衰えないのは猫も人の持つ本能の何かを刺激するからであり、また共に生活するペットとしては扱いやすいからだろう。手頃な大きさ、給餌の容易さ、穏やかな性質、トイレ処理の容易さなどがあげられるだろう。

いわゆるペットとしての人気は果たしてどちらが上なのかはわからない。ペットフード協会の統計によれば犬のほうに軍配が上がる。しかし、その差は大きなものではない。ペットとは愛玩用の動物であり、最近ではコンパニオンアニマルなどと呼ばれるようになってきたらしい。中には犬猫を生活のパートナー(相棒)として捉える人もいるだろう。

動物を実用目的以外で飼う理由はなんであろうか・・・。

ペットを飼うのは人類の持つ特性のひとつである。人間以外にペットを飼う動物はいない。私は人類の特徴をわかりやすく説明するときに、「愛の大きさ」を挙げる。唯一人類のみが同種はおろか他の生物まで愛する(私などは無生物にもかかわらず、ピカピカに光る金の塊をこよなく愛するのだが・・・)。人類がサルだった頃、ペットを飼っただろうか?答えは明白である。地球上のいかなる類人猿もペットは飼わない。人類は進化の後にペットを飼うようになったのだ。

何故人類は単なるサルから進化を遂げたか、ペットを飼ったから進化を遂げたのかはここでは問わない。人類は他者をも愛する。否、愛さずにはいられないのだと思う。社会構造が変革を遂げ、それにともなって人間関係も複雑化した。うっかり人を愛すればむしられる世の中になってしまった。しかし、人の心の中には大きな愛のエネルギーがある。これは放出せねばならぬものであるがゆえにペットに向けるのであろう。

ペットを人のように愛するのであれば、これをコンパニオンとかパートナーと呼ぶのもわかる気がする。しかし、犬猫はあくまで動物である。それなりの飼い方をしないと気の毒な気がする。飼う側がその動物の特性をよく理解してペットが人との生活に馴染めるような妥協点を正確に把握するべきである。

追記
私の畏友たるSnigelが犬猫の話題を彼の日記である「アイルランド真実紀行」に載せたので、私もこの記事を書いた。書いたが時期を逸した。何故か。彼が最近異常に早い速度で日記更新を続けているからである。http://www.ikikou.com/archives/1042 
(やいやい、人のことも考えて更新しろ。ひできすを見習いたまえ。年に3回しか更新しない。あれ、彼も更新してるわ・・・。http://irishpot.net/blog/2011/11/09/701ともあれひできすは何かいいことが重なった様子で最近「ヤニ下がっている」が・・・)

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