2012年2月12日日曜日

冬の日常 4

佐久の冷え込みはきつい。今のところ、今冬の我が家の最低気温はせいぜい-10℃である。それほど寒いわけではない。が、数日の例外を除いては毎日日中でさえ零下の気温なので、何週間も前に降った雪が融けずにそのまま残っている。手抜きをして造った薪小屋はさすがに心細く、つっかい棒を増やした。なに、潰れたとて損害にはならないが、こんな山の中でも定住者はおり、中には毎日のように散歩か偵察かをしに来る人々がいる。まさか泥棒の下見でもないだろうが、わざわざ車で遠回りをして往来する人々もいる。いくらボロ小屋といえども、潰れればやはりみっともないし厄介である。仕方ないので雪下ろしをした。下からレイキで届く範囲の雪を降ろしたが、真ん中あたりに多少残ってしまい、それがために屋根の中ほどだけが下がってしまっている。一計を案じた。屋根の下に長さ2.5mほどの頑丈な角材を渡して真ん中を車のジャッキで持ち上げた。雪の量でその部分は上下し、動くのでいつこの構造が崩壊するかはわからない。前回ほどの雪が降らなければ大丈夫だろうと思う。

そんなことをしていたら、浦和の友人Kを訪ねてドイツからTが来た。Tは私とも旧知なので、ふたりともわが領地を訪問したいとて、滞在ビザを申請してきた。彼女らは二日間の滞在予定であるが、私は冬季は除雪の仕事があり、常駐日と言って雪が降らなくても4日に一回は除雪詰所に待機していなければならない。降れば降ったで呼び出されて除雪に行かねばならない。うまく常駐日を代わってもらって彼女らを迎える準備をしていたら、ヨーロッパ大寒波の影響でTは(オランダの)スキポール空港で雪に閉じ込められ、結局一日遅れで日本に到着した。ユーラシア大陸を挟んで、ともに雪のために右往左往したわけである。

KとTに会うのはヨーロッパ以来7ヶ月ぶりである。佐久インターを降りたところにお土産屋兼食堂があるので、そこで待ち合わせた。名物の釜飯を食い、お土産見物をした。Tは時差ボケをするような遠国への旅は初めてだそうで、まして東洋の国などは珍しくてしょうがない。土産品の前にある試食品を食べてみせると、まねて片っ端から食べ始めた。オイオイと思っても止めようもなく、また止める口実もない事に気がついた。ままよ・・・。

※ Tは翌日イオンに行った折りも、目ざとくパンの試食品を見つけて、売り場で悪びれることもなく2回の「試食」をした。この試食用のパンはサイズが大きく、いたく彼女のお気に召したようだった。彼女は典型的な白人顔で金髪長身、よく目立つ。私は他人のふりをしていたが・・・。

当初私はTをもてなすことを口実として、めったに食べない(食べられない?!)すき焼きをKに提案したのだが、立ち寄ったスーパーでTが厳格な菜食主義者であることが判明、これを断念した。欧米では私達日本人が思っている以上に菜食主義者が多い。しかし、菜食主義といっても、卵やチーズは食べる、或いはたまに魚は食べると言ったふうで、ベーガン(Vegan)と呼ばれる厳格な菜食主義者は珍しい。よりによってTがこれとは神様も無粋なことをなさる。

結局肉の代わりにガンモドキを入れ、生卵はなし。何とも名前のつけようのない「すき焼き」とは相成った。しかしながら、料理はかなり美味く、Tに「コレハナントイウ料理デアルカ」との問に、Kと私はお互いに目で命名権を譲りあったのである。

翌朝寒気をついて朝食後の散歩に出た。空全体に低い雲が垂れこめており、彼女らに浅間山やら八ヶ岳の雪化粧した姿を見せることは叶わなかった。私たちはとりとめもない話しをしながら歩き続け、冷たく新鮮な空気を讃えてこれを深呼吸した。

思いがけない長い散歩の後、家に帰ってお茶の時間とする。歩幅を広くとって速く歩くならいいが、のんびりと歩いたので体が冷えた。薪ストーブのそばに椅子を寄せてお茶を飲む。

昼飯は信州名物そばの予定である。ガイジンが好もうと好むまいと蕎麦は信州の名物である。佐久平駅のソバに行列のできるそば屋さんがある。11時半開店で、少し遅れたが運良く席はすぐとれた。座敷である。私がザルを頼むと二人も続いた。と言ってもTは何もわからない。薬味の説明をし、早速「ズルズル」と蕎麦をすする。Tにはあらかじめ日本では麺は音を立てて食べるものであることを説明する。

次は日本酒の酒蔵見学である。前日予約を入れておいた。が、まだ少し早い。家電量販店で時間つぶし。Tはドイツから持って来たPCの電池が切れかかっており、変圧器と海外用プラグの必要に迫られていた。日本で売っている多くのものは、日本の家電を海外で使えるようにするためのものであり、海外の家電を日本で使えるようにするものは少ない。私は電気音痴である。仮にプラグの形状が合ったとしても、100vを200vにできるのだろうか。私が厠(かわや)に行っている間にKは店員さんに聞いていたが、現物がないと答えられないと言う。もっともである。退散。

酒蔵はこの辺では大手で、甘酒から日本酒、焼酎まで作っているらしい。製造工程を見学し最後には何種類もの酒、焼酎を試飲させてくれた。いくら下戸でも私も飲みたかった(運転手だった・・・・)。

翌日は時差ボケが出たTの起きるのが遅く、のんびりとした朝となった。それでも近くの温泉に行った。私はカラスの行水なので、さっさと上がって長椅子で居眠りをした。温泉についてKがTにどのように説明したかは知らない。しかしながら、日本の温泉は海外にも知られた文化であり、Tにはいい経験になったことと思う。

あとひと月は寒いだろうな、と思いつつ薪の残りを心配する。来季は大丈夫にしても再来季の分を今年中に準備しないといけない。チェーンソーも修理しないといけない。今夜もオリオン座の左に冬の大三角形がはっきり見えている。外気温-7℃。

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