2012年2月20日月曜日

暖炉のにおい 6

季節は秋であった。

もともとアイルランドの気候は温暖と言われている。その分、季節の境目がはっきりしない。夏といっても日本のそれのように、ジリジリと日差しが照りつけてうだるように暑くなる、などということはない。簡単に言えば0℃から20℃くらいの間で気温は移り変わる。その変わる速度が極めて緩慢である。だらだらと変わる。考えてみれば東京などは仮に0℃から35℃の間を約半年で変わるのだから、アイルランドの気候が温暖と言われるのは納得が行く。そんなわけで、秋といっても、夏なのか秋なのか冬なのかははっきりしない。ただ、暦の上では秋であったのだ。

いま地図でダブリンの緯度を見た。日本近辺で言えばおおよそ樺太の北端辺りである。(ちなみに東京はアフリカ大陸の北端と同じ緯度である)秋は冬至に向かって急速に昼の時間が短くなる。午後も三時ころになると日差しは既に心細くなる。そんな時に私が教授の令嬢ケイトと待ち合わせをしたのはテンプルバーの菜食主義食堂であった。猥雑に居酒屋や宿屋、そして土産物屋が並ぶ一角にその安食堂はあった。

時間ギリギリに入ってテーブルにつくと、待っていたかのように小柄な女性が小さな子供を連れて私の席によってきた。人品は・・・卑しい。着古した外套を着て、手には指先が出る手袋をしている。鼻と耳にピアスをしている。そばかす顔である。毛糸の帽子から出ている髪は金髪であったが、ここ数週間はブラシが入った様子がないように思われた。

「あ、あんた、み、みちお?」

早口で吃音である。微笑んだのだろうが、その外観を見て相当がっかりしていた私には彼女が「ニヤッ」と笑ったように見えた。瞬時にあらゆる想像が私の頭を駆け巡る。この風体、顔の表情、話し方・・・そして手をつないで隣にいる7~8歳の少女。心持ち鷲鼻で、金髪の巻き毛を短くしている。この子の着ているものも全体的にかなりくたびれている。物怖じをする様子は見えない。

「そう、ぼくはみちお、じゃ、キミはケイトだね?」
「アタイがケイト、こっちはエミリー」

型通りの挨拶をし、ここはぼくが馳走するから好きなモノを注文して下さい、と言うと目の前の淑女たちは遠慮する風もなくニンマリとして献立表を見始めた。エミリーは早速アップルパイと言い、ケイトと私はニラの雑炊を注文した。私は食堂で献立を選ぶのが嫌いである。面倒である。この癖は欧米では甚だ宜しくない。が、私は不都合のない限り私のやり方を通す。ひできすやSnigelなどと外食をする際、私のやり方を知っている彼らは「真似すんなよ」と先に釘をさして意地悪を言う。私が九割くらいは前に注文した人と同じ料理を頼むからだ。なに、彼らだって子どもじみたことを言っているのである。食い物のことをああだこうだ言うのは女子供だけでたくさんである(問題発言か・・・^^;)。

エミリーの注文が先に来た。彼女はカウンターからガラスのコップを持って来、いきなり茶さじでアップルパイの上に載っているホイップクリームをそれに移し始めた。ホイップクリームは嫌いなのだそうだ。私は呆気に取られてこのさまを眺めていた。日本ではこんなことはしない。少なくとも同じ状況であれば多少それが嫌いでも我慢して食べるところである。当時私は海外の暮らしはまだ短く、日本の尺度で全てを測っていたのである。

※ 尺度論をいつか展開するつもりである。これは人にとってかなり重要な柱ともなるべきものである。尺度はどこから来たか、それは一本か二本か、地域性の高いものであるか、或いは万国共通なものか、一時的なものか、或いは普遍的なものか。また、その使用については自覚的に使っているか、無自覚に使っているか、その他諸々である。

エミリーは私の視線など気にせず作業を続ける。極端に言えばテーブルの上に頭と二本の手を出して作業に没頭している。私の頭には先ほどから下世話な想像が往来している。ケイトの容姿、立ち居振る舞いからすると、エミリーはケイトの父無し子に違いないと断定するに至った。放蕩が過ぎて教授に見放され、ダブリンで暮らしているのだろう。さもなくば名門大学の教授の令嬢たるものがそんな格好をして幼い子を連れているわけがない。

自分で言うのもおかしいが、当時の私は貧弱な古い一本の尺度を日本から持ってきて使用していた。ケイトはどう見ても昔流行ったヒッピーそのものであり、そのヒッピーが連れているのは自動的に「父無し子」なのであった。傲慢を承知で言えば、私の目からは彼女らは距離を置くべき人たちのように思えたのである。

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