2012年1月14日土曜日

冬の日常

我が家は浅間山の噴火口と蓼科山の頂上を結んだ線上の真ん中よりやや蓼科山側にある。どちらかと言うと蓼科山のある八ヶ岳山系である。標高は約1000m。里と言えば佐久の街であるが、そこでも標高は700mは下るまい。天気は軽井沢の浅間山系と佐久の里と八ヶ岳系に分けていいかも知れない。我が家は八ヶ岳系であり、この近辺で雨雪が降っていても、里ではまったく降っていないことがある。その逆は少ないようだ。

ここに我が居城のひとつをかまえる時、長野市の知人が言った。佐久は雪は少ないが冷えが厳しいと。雪についてはどうも真田さんのいた上田あたりが境で、それより南側、つまり小諸や佐久などはあまり降らない。台所の窓の外の格子に寒暖計をつけた。流しに立つたびにこの寒暖計で外の気温を見るのが癖になった。昨冬の私が見た限りの最低気温はマイナス19℃であった。ところが雪の量ときたらたかだか15cmくらいである。寒いから消えずにこれが根雪となる。風向きや日当たりで、ところによっては地面や路面がむき出しになっている。その程度である。

先日、スイスから友人Pが来日した。彼の相方が日本人女性Hで、俗に言う遠距離何とかである。私は双方を知っているので、吉祥寺のHの家に招かれた。車で行っても駐める場所がない。新幹線は上野や東京まで連れて行かれる。そこで初めて高速バスを使った。我が家から佐久総合病院までは十数分の距離で、ここからも池袋や新宿、立川行のバスがあるが、運行本数が多いのは佐久インターを出たところのバス停である。車もタダで駐められる。新幹線に比べると格安で時間も大きくは変わらない。JRバスも選択肢に入れれば一時間に2~3本の運行本数であろう。

その日の早朝、6時35分佐久インター南のバス停から乗り、池袋には定刻の9時20分に着いた。三人でスカイツリーに驚き、浅草寺でおみくじを引き(私は凶だった^^♪)、お台場などを見て回り、旧交を温めた。翌朝Pに納豆を食べさせた。意外ににすんなりと食べられてしまってがっかりした。P曰く、フランスにはもっと臭いチーズがあり、それと比べれば納豆などは何ほどのことは無しと。次は塩辛を食わそうと作戦を練る。
※ Pはスイス在住のフランス人

翌朝、みんなで深大寺に向かった。お正月の喧騒も終わりに近く、寺にとっての※かきいれ時は終わりに近く、それほどの混みようは無かった。佐久から来た私は東京の寒さを甘く見ており、薄着でふるえながらのお参りであったが、遅まきながら日本の正月をチョーヒサシブリに味わった気分であった。
※境内の其処此処に賽銭箱があり、おみくじ売場を合わせれば十ヶ所以上になるであろう。

私には東京に出た折には訪ねたい人がもう一人、と言うよりもう一家族おり、Hに車で送ってもらって彼らとは桜上水で別れた。

桜上水の知人Tさんもそこに3年前に家を建て、それは私とほぼ同時期である。度々家族連れで拙宅を訪れて下さっていたが、私の方は根っからの出不精で、長く失礼をしていた。相変わらずの歓待を受け、夕方に辞去したのだが、京王線が人身事故で不通になっていた。佐久に帰る新宿からの最終のバスには間に合わないこととなり、Tさんのご好意に甘えてこちらにも一泊ということになった。

東京二日目はよく晴れており、池袋から待つこともなくバスに乗り、私は再び車上の人となった。関東平野のはるか北に群馬や長野の雪を被った山並みが見える。たった2日であるが、懐かしい気がした。おかしなものである。

私の家は良く冷えていた。ここまで冷えると家全体が温まるまでに半日以上はゆうにかかる。外套を着たままで薪ストーブに火を入れる。庭は日中の暖かさが幸いしてかなり雪がなくなっている。昨年の春に植えた芝がところどころ見えはじめている。

久しぶりの外出のせいもあって疲れを感じ、その晩はかなり早く寝た。寝室も冷え切っていたので、久しぶりに湯たんぽを入れた。夜半トイレに起きたついでにストーブにくべる薪をとるために居間のガラス戸を開けて驚いた。外の薪に5cmほどの雪が積もっていた。暗闇の中で庭がまた新雪に覆われていた。朝早く散歩に出ようと思った。ウサギやタヌキ、テンなどの足跡を見ながら誰もいない早朝の散歩を思いながら私は再び暖かい布団に戻った。

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