2011年12月28日水曜日

暖炉のにおい(大人の火遊び2)

アイルランド生活の開始はウイックローの山の中だった。バスエーランと言う国営のバス会社のバスが村のはずれをかすめて通る。ダブリンから来ると、その停留所でバスを降りて村の中心部、と言ってもカトリック教会ひとつとそれに対抗するプロテスタント教会ひとつ、それに2軒の居酒屋と一軒の雑貨屋があるっきりの、ただそれだけの村だった。

そう言えばこの村の中心に近い家の白壁には小銃をかたどった小さな絵が描かれており、その下に「IRAのメンバーでかつ密造酒をつくっているぞよ」と書いて宣言していたものだ。密造酒はポチーンと呼ばれ、ジャガイモの焼酎であった。アルコール度数は極めて高い。自慢するようだが日本人でこのポチーンを飲んだ者は私を入れてもそんなに多くはないだろうし、ポチーンそのものをほとんどの人は知らないであろう。

バス停から村の中心部まで徒歩で30分、そこから教授の家まではさらに30分の道程(みちのり)である。私はそんな山の中に住んでいたのである。

教授は変わり者で、人と接するのが好きであったが、人は教授をあまり好ましく思わなかったので、知人は少なかった。その少ない知人の中に一組の夫婦がいた。夫のジョンはアイルランド人で、非常に小柄で年の割にはしなびた顔つきをしていた。妻のカレンは英国人ではあるが、明らかに白人以外の血が混ざった細面の浅黒い顔をしていた。二人は貧しくはあったが人柄も温厚で礼儀正しかった。彼らの生業はどうも鋳掛屋(いかけや・・・鍋釜の修理をしたり、包丁を研いだりする便利屋さんのようなもの)らしい。教授に聞くと、元はトラベラーではないか、とのことであった。トラベラーとはアイルランド流ジプシーで、多くは乗用車でキャラバンをひっぱって旅から旅の生活で生涯を終える。本当かどうかは知らないが、周囲を汚したり、人様のものをくすねたりするので、嫌われているという。アイルランド政府は彼らの定住化政策を進め、最近はめったに見かけなくなったが。

もちろん、ジョンとカレンは荒地の中ではあったが自分たちの家を持っていた。ある日、私と教授は彼らにお茶に呼ばれた。何一つ贅沢品のないつましやかな住まいであったが、ひとつだけ私の目を惹いたものがあった。やけに平べったい形をした薪ストーブであった。ジョンに聞くと、彼は自慢そうにこれは船舶用のストーブで非常に珍しい物だといった。幅が65cm、高さが30cm,奥行き40cm位だったと思う。そのかたちでは確かに揺れる船内では倒れにくいであろう。しかし、もっとも特徴的だったのはそれが四角い枠の中に入っており、枠自体が傾いてもストーブはある程度までは傾かない構造になっていたことだった。龕灯(がんどう・・・昔の探照灯)の中のろうそくのようになっていたのだ。

しばらくして彼らが教授に挨拶に来た。引っ越すのだという。なかなか保守的な土地柄で、彼らのような異端の徒に世間は冷たかったかも知れない。ジョンは私があのストーブを舐めるようにして見ていたのを覚えていて、 あげるから持ち出すなら早めにしたほうがいい、と言ってくれた。私は喉から手が出るほどあの船舶用ストーブが欲しかった。しかしその時は、こちらも教授の家に間借りしている身分で、運搬ひとつにしても思うにまかせなかった。本当に惜しかった・・・・。せめて写真でも撮っておけばよかったものを・・・。

おまけ 
暖炉のにおい 3 で書いた、私が子守に行った家、そこにもすごいストーブがあった。台所にあった大きな薪ストーブで、常にお湯が沸いており、オーブンがあり、煮物もできるようになっていた。これだけならそれほど珍しくはない。そのストーブは本体から銅パイプが引かれており、この中をお湯が循環して、なんと各部屋の暖房までこなしていたのである。これに比べると日本の竃(へっつい、かまど)や火鉢、囲炉裏など調理暖房器具の貧弱さはどうであろう。もっとも、昨今はIHやら電気空調が安全で低価格で手に入るが。

写真は今年2011年6月スコットランドの知人宅で見た小さな薪ストーブ。大きさがわかるようにストーブの横に私の手を広げてみた。私の親指の先から小指の先までは20cmである。開いた扉からもわかるように、遠近の錯覚を利用してストーブを小さく見せているわけではない。これでも実用なのだった。これならくれるといわれれば、ポケットに入れて持ち帰れたのに・・・(無理です)。

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