2011年12月7日水曜日

死を考える 2

市の誕生月検診というものをK病院で受けた。市が住民の誕生日が来たら毎年健康診断を受けてもらおう、というのが狙いらしい。健康診断の受診率向上を狙うにはいい方法である。昨年も受けてその結果は割りと早く来た。が、今回は待てど暮らせど結果が来ない。

私の住んでいる市は有難い事に医療や福祉の体制が比較的充実している。大病院が中核となって地域の医院と連絡を密にし、成人病予防対策などを行なっている。この誕生月検診は市が大きな補助を出してくれるらしく、私が実際に支払った金額は検診項目の数と内容の割には安い。今回は一般の検診項目に肺がん、大腸がん、それと前立腺がんの検査も加えた。各々500円だったからである。

私は若い頃から十二指腸潰瘍が持病で、これはアイルランドの病院で治した。ヘリコバクター・ピロリという菌が胃や十二指腸にいて悪さをするという。これを退治したらあっけなく治った。当時日本ではまだヘリコバクター・ピロリを殺す治療が保険適用ではなく、意を決して当時住んでいたダブリンの国立病院にいったのである。色々あったが、結果として治った。胃潰瘍や十二指腸潰瘍をやると生涯そこの癌にかかる確率が高くなると言われたので、本来ならば一年に一回は胃カメラを飲んだほうがいいらしい。今回はこれを受けなかった。慢心したのである。

さて、検診から一か月が経ち、ようやく結果が郵送されてきた。昨日(2011年12月6日)のことである。要精密検査というのが2つあった。ひとつは脂質に異常があるとのこと。もう一つを見て私は全身の力が抜けてあたりの景色がすべて灰色になったような気がした。肺がんの可能性があるので、早急に精密検査を受けるように、とのことである。

いろいろ統計はあるようだが、日本人はたしか三人に一人は癌で死ぬ。しかも、かつては胃がんが死因の一番だったものが、いつの間にか肺がんが胃がんを抜いて一位になっているのである。自覚症状などがなく、たまたま検診などで発見されて早期治療を受けたとする。それでも5年後の生存率は7割だそうな。素人でもインターネットですぐこれらの情報が手に入る時代である。私の回りのありとあらゆる全てのことが意味を失いつつあった。

仮に手術を受けるにしても、私は一人住まいなので病院への行き来は車になる。予後の生活をどうするか・・・・。世の中、大概の事は金でどうにでもなる。地獄の沙汰も金次第。病院への行き来もタクシーを使えばよい。手術も入院も心配ない。しかし、私にはこの金がない。家を売ると住む所がなくなる。第一、この不況下こんな別荘を買う人はいないだろう。

ウツ期を脱しようとしていた私は再びひどく落ち込んだ。K病院で撮った私の肺のレントゲン写真には影が映っており、これを肺がんの疑いありとみて精密検査を勧められたのだ。しかと根拠のある話である。末期はかなり苦しむらしい。様々な考えが頭に浮かぶ。あと数年でがん治療は格段の進歩を遂げそうである。しかし・・・・私には間に合わない。

自裁(じさい)、と言う言葉がある。少しかび臭い言葉だが、平たく言うと自殺のことである。元気なうちに多少なりともやり残したことをして、あとは自ら命を絶つ。これがいいだろうと思った。自殺は私の宗教に背く行いである。しかし、自殺には許される自殺とそうでない自殺があると思う。生きられる命を逃避の手段として絶つのは許されまい。もっとも自殺者の9割以上はウツ病などの精神疾患を患っているという。頭が正常な状態での自殺で許されるのは、人のために自らの命を絶つ場合、それとごく近い将来に自分が確実に死ぬことがわかっている場合だと思う。

散る桜残る桜も散る桜・・・良寛禅師の辞世の句と言われる。さっぱりと諦めるか・・・。自分の死に際のことを考えた。今こうして限りなく心細い思いでひとり机に向かっている。パニックにこそならないが、暗澹たる思いが心を支配して「いやぁ、これは何かの間違いだ」とも「早く治療を受ければ助かるさ」とも思えないのである。結局、苦しみや恐怖から逃れるための方法論を考え始めた。精神的に弱いのだ。

つい3ヶ月ほど前、スコットランド滞在中、日本語の本に飢えて、たまたま読んだ本がある。「美しいままで」。日本からオランダに嫁ぎ、病を得て安楽死を選んだ女性の話しである。文字通り美しい愛情物語と凄まじいばかりの闘病生活、そして生き延びる可能性を絶たれた挙句の安楽死選択の話しであった。この場合の安楽死は人間としての尊厳を考えたとき、当然の結論として許されるべきものだったと確信する。安楽死は自裁の一種である。

※安楽死と尊厳死は違うらしいが、ここでは同義語として扱う。

自裁はいいが、ジッサイ(^^;)にできるのか?人に迷惑をかけてはいけない。痛いのはイヤ。血が出るのはイヤ。

そうだ、カナダに行こう。私はまじめに考え始めた。カナダは私の若いころからのあこがれの地であった。カナダの大自然を少しだけ旅して雪山に入ろう。そんなことを(も)考えた。

日頃私は今までやりたい放題をやってきたので、いつ死んでもいいな、などと思っていた。親もすでに逝ってしまったし、妹には自分が先に逝くだろうけども絶対に葬式などしてはいけない、海外で死んでも遺体など引き取ってはいけない、などと言ってあった。しかし、実際に死を目の当たりにするとこの狼狽ぶりはどうだろう。

今朝(つまり12月7日の朝)眠れぬまま早起きして朝湯に入り、身だしなみを整えた。食欲はなく無理やり湯漬にして朝食を済ました。車を運転して近くのS病院に向かう。

様々な想像や思考が入り交じって頭の中でウズを巻く。悪い方へと傾いてゆく。良い方を考えないではない。しかし、こんな時は悪いほうが当たるのだろうと思ってしまう。私の「順番」はまだ先だと思っていたのに・・・。

病院は混んでいた。改めてX線写真を撮り、担当医から話があった。K病院で撮ったX線写真の影は、軟骨が老化して硬くなったものが映っただけ。今回の撮影では何の異常も認められません、とのことであった。私は自分の顔がほころんだのがわかった。ウツを持っているので昨日から辛かった、と話すと担当医は理解を示してくれた。

あとで知ったが、担当医は内科の医長で、芥川賞作家の南木佳士(なぎけいし、筆名)氏であった。氏もまた芥川賞受賞後にウツを患ったらしい。医家、作家の兼業(?)がもたらすものなのだろう、初対面の私にもかかわらず、言葉は少ないが深く温かみのある態度で接して下さった。ただ、がんの疑いが晴れて嬉しいだけでなく、このような「人物」にお会いできたことに無上の喜びを感じた。

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