2011年12月2日金曜日

辛いでござんす

いま、ウツである。金銭問題、人間関係、先々のこと云々。これらを考えてウツになっているのか、或いはウツだからこれらが問題になるのかはわからない。そもそもこの自分の辛い精神状態が精神医学上のウツに当たるのかどうかさえわからない。医者によっても見立ては違う。医学上の病気の名前が決まったとしても、私の辛さが和らぐわけではない。幸いなことに医者から処方された薬(抗鬱剤でなく、精神安定剤)は効く。気分がどうしようもなく落ちこんで辛く、眠れない時などは、これを服用する。30分で効き始める。私はこれをきつく信じる。これを飲めば症状が和らぐというのは私の辛い時の拠り所になるので、自己催眠のようにこれを念じる。

思えば人の生とは苦の連続である。子供には子供の悩みがあり、大人には大人の悩みがある。ウツでなくともつらいことはたくさんあるのに、ウツはこの辛さを増幅する。そして悪いことにウツには理解者が少ない。悪意はなくとも頓珍漢な励まされ方をするとさらに落ち込むような気がする。

私の幼い時からの性癖で、ひとたびその人が嫌いになると、四六時中心のなかでその人の欠点や犯した間違いなどを並べ立てて罵る。表面では「良い人」を演じていても、人が許せない嫌な性格である。小さな人間である。

そもそも人の犯した過ちなど、いくら言い立てても暴きたてても、自分の精神や魂が進歩するわけではなく、その行為はむしろ退歩荒廃につながるのではないだろうか。自分の魂は高潔で人のそれは汚いなどどと考えて何になるのか。私の魂は小さい。苦しいのである。こんな事は頭では百も承知のはずなのにこれが心底から理解出来ずに人を憎む。

人の魂の成長度合いは様々であろう。実年齢に関係なく、幼い人も長(た)けた人もいるであろう。しかしながら、これらはみな同じ進歩向上の道を歩む仲間ではないのか・・・・。自分が先に行く人から手を差し伸べられたように、後から歩んで来る人に手を貸して共に進もう、と声をかけるのが人の道ではないのか・・・・。(わかっていながらそれができないこの情けなさ、苦しさよ)

肉体を纏(まと)って暮らすこの間には物心両面の欲得が幅をきかせ、心の目が文字通り「暗んで」いる。これをいやな時期だと感じるのはウツもその一因であろう。

人であるということは動物的本能への挑戦なのかも知れない。食べられるからと言って好きなだけ食べて良い訳はない。自分の体に悪いだろうし、どこかで飢えている人にも悪い。他の動物的本能にしても整えられた制御なしに奔放に生きるわけには行かない。自分だけ良ければそれで良い、というのは人の形をした悪魔である。

人は生まれながらにして自由という呪いを受けている。食べるも自由、寝るも自由である。しかし、この自由は自らの、そして共に同じ道を歩む仲間達の魂の進歩向上のために生かさねばならない。しかし、これが言葉の上では如何様にも言えるが、現実の生活の中で実践してゆくのは至難である。だからこそ呪いなのだ。

※1 今、ウツの自覚があります。でも、ウツの人の自覚ってあてになるんだろうかと思ってます。ただ落ち込んでいるだけで、たまたま持病としてウツがあるからこれもウツと思っているのかも知れません。(ウツは病気、落ち込みは単なる精神状態だと思います)

※2 これを公開すべきか、迷っています。・・・・ドチラニシヨウカナ、カミサマノイフトオリ・・・・。え~い、公開だ(後悔かもしれんが^^; )

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