2012年9月12日水曜日

君はだれですか?

君はだれですか?そして私は・・・・誰でしょう?

新聞を読む。近頃領土問題が紙面を賑わしている。どこそこは歴史的にも国際法上もまったく疑う余地なく我が国の領土である、ともっともな説が掲載されている。相手国の新聞にも自国の領土であることを、これこれが根拠だと主張していることだろう。そしてほとんどの場合、国民はおらが新聞記事を鵜呑みにするであろう。

滑稽なのはお隣のK国やC国である。言論の自由がないのはわかりきっているのに、人々は新聞記事を鵜呑みのしてそれをそのまま自説にしてデモに出かける。政府にとってこれほど御しやすい国民はないであろう。政府はデモを見て民意を汲んだように見せかけ、相手国に強気に出る。

我が日本は・・・これも怪しい。言論報道の自由があると国民が思っているから、逆に危ない。すべてのマスコミは「ひも付き」である。誰でも、どこの国のものでも金さえ出せばこの「ひも」になれる。前述2カ国は言論報道統制がアカラサマだからこれに乗せらる者はあんぽんたんだけであるが、日本のような国のマスコミは危ない。あんぽんたんより賢い人々をも騙す。深く、永く、確実に騙す。

朝刊を読んだK国のあんぽんたんが街に出てたまたま日本人と出会う。けしからんと日本人に文句を言うであろう。その日本人がたまたまあんぽんたん以上の人であってもこの文句を聞いて苦々しく思うだろう。彼(彼女)もまた朝日本の新聞を読んで、それを素直に自説として大切に脳みそに保存してあるからである。

K国の人間も、C国の人間も、そして日本人もみな自説が正しいからこれを主張するのではない。いまだ人は動物的本能をもち、それを制御出来ない。その行いや説の善悪でことを判断するのではなく、自分を守る、自分の家族を守る、この本能に従うのである。その延長で自国のマスコミを支持しこれを自説とする。マスコミ(つまり政府やマスコミに付いているヒモ)は人が未だ持つ動物本能をを巧みに利用して国民を操る。

領土問題も宗教も同じである。原発問題も同じである。多くは同じ構造なのだ。先に好き嫌いや善悪があり、これに後から理屈をつける。あるいは人には先に脳みそに入ってきたものを尺度にして次に来たものを測るという習性がある。例えば原発問題。たまたま新聞で原発問題の記事を読み、それが反対論だったとすれば、読者は白紙の脳みそに反原発のごもっともな説を刷り込まれる。翌日原発賛成派の人にあって話しをすると意見が別れる。自分の意見を強固にするためにその人は反原発関連の記事や本を集めて読み始めるだろう。あとは自己保存の本能が働く。つまりコトの善悪、真贋関係なく自説を守ろうとする。

収集した情報を自分の尺度で吟味し、取捨選択をするのならまだいいが、そのまま身に付けてしまうのは問題であろう。これはあんぽんたんのすることである。あんぽんたんは新聞を鵜読みにし、人の話しを鵜聞きにし、電気紙芝居を鵜見にする(しまいには鵜が怒るわ)。これで自分はどこにある、何者だ、と言う疑問が沸かないのはもう危ない。

君と言うひとは新聞記事の切り貼りですか?学校の教科書の寄せ集めですか?親の複写ですか?
2チャンネルですか?


無理してでも暇をつくって自身の今持っている尺度がどこから来ているかを調べるのは必要なことである。個人用電子頭脳(PC)はいつの間にかウイルスに汚染されている。同じことが人の頭にも心にも起きている。この記事の題名「君は誰ですか?」の疑問に答えられる人はそう多くはいない。

私?・・・あんぽんたんデス。デモ上等ナあんぽんたんデアリマス。自覚アリマスカラ ^^;

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