2012年12月24日月曜日

iPS細胞に寄せて

今年(2012年)の流行語大賞は「ワイルドだろ」だそうな。一年の三分の一以上日本を留守にしていたので、これの意味が皆目わからない。そもそも流行というものにはとんと興味はない。電気受像機は好きでよく見るが、俳優さんたちは最近競って襟巻きをしている。これが流行らしい。私も外に出る時はバンダナやスカーフをアスコットタイ代わりに首に巻く。これは実用からである。頭のバンダナや回教徒が被る帽子を着けるのも実用からが主で、決してハゲ隠しではない。(私は毛髪が薄くなって以来毎日頭を剃っている。おまけに言うことが理屈っぽくて抹香臭いので、前世は坊主だったに違いないと思う)とにかく毛が無いと冬は寒いし夏は暑い。容易に怪我をする。帽子やバンダナは私にとっては全くの実用である。

私とて枯れたわけではないので、おしゃれはする。するが、それは実用の延長線上にあらねばならぬ、と言うのが私の考えである。だから女性のおしゃれは大嫌いである。ある旅番組で、ご当地の名物料理を食べる景色があった。器やフォークを操るその指の爪が空色に塗られていた。私はその料理に同情した。爪は実生活に差し支えないように長さを整えるべきで、色を塗って料理をまずくするとは言語道断である。

女性はまつげをおもちゃにする。一所懸命にまつげを黒く塗り、あまつさえ他から持ってきて自分のそれに付け足したりする。

面白うてやがて悲しき付けまつげ。

滑稽を通り越して悲しくさえある。某国営放送の朝の番組の女性司会者がいい年をして付けまつげをしている。これだもの女子高校生が勉強を放ってところ構わず鏡とにらめっこするわけである。

私はどうせ女性に持てないのでもう一つ。ハイヒールというやつである。馬鹿も極まれり、というのがこれである。いっそのこと竹馬にでも乗ればいいではないかと思うのである。見かけ一番実用は二番。文明堂もびっくりである。危ないし、健康に悪いことは医者に聞かなくてもわかりそうなものだが・・・。女子高校生は丈の短いスカートをはく。彼女ら知ってか知らずか、目的はひとつ。男の視線をひきつけたいのである。で、見れば怒るし、見なければもっと短くするだろうし。自然なこととは言え、サカリがつく年頃というものは大変だなと思う。

私は装飾品というものが嫌いである。指輪は例外はあるが純粋に装飾品としてのものは嫌いである。耳飾りも嫌いである。その類を身に着けてチャラチャラ歩いている人を見ても敬遠することはあっても惹きつけられることはない。そもそも装飾品をつけたからといってその人が綺麗になるということはあり得ない。人が綺麗になるのはやはりその人の「生き方」や「想い」によるものであろう。

人が流行を追いたがったり、装飾品を付けたがる訳を私は知っているつもりである。前者は「群れ」に従属して安心安定を得たいからであり、後者は群れの中でより多くの異性を惹きつけたいからに違いあるまい。種の繁栄と言う観点から見れば大変重要なことではあるが、人間という特殊な動物としてはどうか・・・。

人は精子と卵子が合体して動物としての新たな生命が活動を始める。母のお腹の中で、ひとつだった細胞が倍々と数を増やし、無脊椎動物から魚類になり、魚類から両生類や爬虫類となり、やがて哺乳類から霊長類の進化の過程をたどって、最後に人間の赤ちゃんとしてこの世に生まれ出る。栄養や酸素が体中に行き渡り、循環がうまく作用して大過なく動物としての身体は成長する。しかし、果たして心はどうであろうか。人としての心を養うのは容易ではない。心とは目に見えないものであるが、これもいつどのようにかは私には知る由もないが、ある時物理的身体に宿り、原初のこころから始まって徐々に進歩を重ね、次第に人の心になってゆくに違いない。

良くも悪くも人にも生物多様性の原理は働き、様々な人ができてくる。ひとつの見方としての話しではあるが、人はその心や魂の発達段階で自らの成長を止めてしまう場合があるようだ。裏で何が起きているのかは知らない。十分人になりきる前に成長が止まると、その人は体は人間、でも心は動物として生きるよりほかなく、これは不幸なことこの上ない。体は人間とは言っても、人間に一番近いチンパンジーとでもDNA的にはほんのわずかな違いしか無い。これで心が人の領域に達していなければ、動物としての二大本能である種の保存と、自己保存の本能にしたがって行きてゆくしか無い。「サカリ」を理性で操縦できない女性たちはしきりにスカート丈を短くしたり、目にニセまつげをつけたりするのである。男性はしきりに力こぶを見せたがるわけである。

少し大げさな表現を使って書いたが、基本はほぼ正しいと思う。そこでどうするか・・・。

私の持論は人の心もまた山中教授のiPS細胞と同じことが言えるのではないかと、と言うことである。いま鼻毛を司る細胞だったとしても心筋や脳幹細胞に生まれ変われる可能性を秘めており、それを成すか成さぬかは状況次第である。老齢に達してさえも人は赤ん坊だった頃の心の可能性を持っている。今は少しだけその柔軟性を失っているだけなのだ。でも、それは間違いなく取り戻せる。

今晩はクリスマス・イブ。ディケンズのクリスマス・キャロルのエベネーザ・スクルージだって元から暖かい心を持っていたのである。近道をしても、遠回りをしても最終的には人としての心を発現させることが大切だと思う。

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