2011年5月25日水曜日

生物多様性の観点から見る行政怠慢の一考察なんちゃって

私はある別荘地に住んでいる。やむなく自宅を持つに至り、一定の地理的条件を満たす中で、ここが一番良かったからである。(もうじき芥川賞を受賞するので編集者のために東京から新幹線で1時間前後であらねばなかった^^)

別荘地である必要はなかったのだが、結果的には正解であった。管理費は収めなければならないが、一応午前と午後のパトロールがある。路傍の草刈もやってくれる。(宅地内から山菜は盗まれるが・・・)しかし、田舎にありがちな隣近所の付き合いの必要がない。避暑地であれば、ここに定住している人は少数であり、季節を外れれば随分と静かなのがいい。

ここに上がってくるにはいくつかの道がある。主な道は国道にもその標識が出ている。それに従って山道に入ると、いきなりいろは坂になる(私は曲がりくねった坂道はいろは坂と呼ぶ)。

このいろは坂が汚い。春夏は草木が生い茂っていて見えないが、それ以外は至る所ゴミだらけである。坂の途中の車の待避所は粗大ごみをはじめ、なにやら残土まで捨てている。実は東京から軽井沢に至る碓氷峠の旧道もかなり汚い。車に乗っていると判らないが、降りて谷側を見るがいい。軽井沢と言っても日本の避暑地はその程度である。

車窓から捨てられたゴミはたいがいビニール袋に入れられたままである。想像するに、それは車内ではゴミ袋であったと思われる。大方の人は自分の車はきれいにしておきたい。妙な話しだが、きれい好きの不心得者が多いのだ。そこで車窓から袋に入ったゴミを捨てる。

ところで、行政に携わる人間は生物多様性ということを知らないのだろうか。生物の世界はうまく出来ていて、いかなる環境においても、生き残るように種に多様性をもたせている。

人の世界も同じで、いつの世も一定の割合で様々な特色を持った人が生まれる。どんなに豊かになっても、どんなに教育がよくなっても一定の割合で不心得者は生まれてくるのである。

近年になって日本の田舎は薄汚れてきているような気がする。観光地にゴミ箱がない。公共施設にゴミ箱がない。何とかのひとつ覚えのようにゴミはお持ち帰りください、と書いてある。

はっきり言おう。行政はバカである。ゴミを持っていたい人はいないのである。ゴミは持っていたくないからゴミなのだ。この単純な人の心理を行政は理解していない。だから私なんぞにバカと言われる。

観光地で発生するゴミは観光地が処分すべきであり、お金だけ落としていってくださいと言う態度は恥知らずである。公園で出たゴミでも、家庭で出たゴミでも処分場は同じである。

破れ窓理論というのがある。あるビルの窓がひとつ破れていて、これを放置すると次々と石を投げられて他の窓も割られる、と言うのである。

先にゴミが捨てられていると、次の人はそこにゴミを捨てることを躊躇しなくなるのだ。路上にゴミを捨てさせないためにはゴミ箱の設置と綺麗な環境である。

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