2012年4月1日日曜日

何をか言わんや

原発を止めるとか止めないとか、夏場の電力はどうなるとか、東電の値上げは許せんとか・・・。知識人も非知識人も百家争鳴、結構なことである。

地球の大きさは決まっている。食糧、燃料、そして鉱物資源も限られている。人口は爆発的に増えている。でも、自分だけはいい生活をしたい。我々人類が弱肉強食の世界に戻るのは時間の問題である。先見の明は中国にあった。彼の国は、武力や経済力にものいわせて近隣の領土拡張に走り、南米やアフリカでは穀物畑の確保にやっきである。

中国は近い将来の資源不足を見越し、生き残りをかけて行動を開始している。日本は67年前に食べた羹(あつもの・・・熱い吸い物)に懲りていまだに膾(なます)を吹いている。

戦争というものは正しいから勝つわけではなく、間違っているから負けるわけでもない。単に武力と知力があれば勝ち、それらが無ければ負けるのである。

第二次大戦末期、アメリカが行った日本の大都市に対する無差別爆撃や原爆投下は完全に当時の国際法に違反している。戦時中日本軍は占領地で現地人の虐殺をしたという。ウソかまことか、人口20万人の都市で30万人虐殺という器用なこともしたと言われている。では、まったく抵抗のできない空から爆弾を落として無辜の人々を一瞬にして何十万人と殺すのは虐殺ではないのだろうか。

あの大戦については未だ正しい裁きはついていない。戦勝国が一方的に行った私的制裁が東京裁判である。

※東京裁判で被告人のひとりが、日本は連合国側に賠償を払う。が、連合国もその倍の賠償を日本に払うべきだと主張した日本の退役陸軍中将がいた。あの当時にである。彼は罪には問われなかった。連合国側が彼を無罪にすべく奔走した結果だと言われている。

話しがかなり逸れた。地球の物理的規模が決まっているのに、もっといい暮らしをしたいと望むことが無理なのだ。人の物心両面における幸福の追求には何が必要かを考えれば、我々の生活の標準が見えてくるのではないだろうか。それが見えれば「地球の適正な人口」が簡単に割り出せると思うのだが。

昨年の秋、ブータンの国王夫妻が来日された。あの時のことを私たちは既に忘れかけている。「国民総幸福量(GNH)」。日本はこれだけモノが豊富で、医療制度もおそらく世界一、そして犯罪も少ない、なのにブータン人ほどみな幸せを感じているだろうか?

日本は小さな国だと思っている人が多い。面積的にはたとえばヨーロッパの国々と比べるとフランス、スペイン、スウェーデンが日本より大きいだけで、ドイツや英国などは日本より小さい。もっとも、人口でいけば日本はヨーロッパのどの国より多い。全EU人口は約5億、それでもGDPは日本の約3倍しかない。なのに大半のヨーロッパの国々の「豊さ」は日本よりも上である。もちろん簡単に比較できる問題ではない。しかし、単なる旅行ではなくて、実際に現地で働き、暮らしてみるとヨーロッパの最貧国の人々でさえ、平均的日本人よりゆったりおおらかに暮らしているように感じる。

日本経済が中国に抜かれて世界第三位になったそうだが、二位じゃなといけないんでしょうか?(^^;)
ブータン国王夫妻が来日された時に、日本の多くの人が幸福について考えたではないか。彼の国の国土面積や経済はおそらく世界のビリから何番目というほどのはずである。

幸福生活の雛形を作ればいい。少しばかりこれからはみ出るくらいはいいだろう。でも、金を追いかけすぎたり、他人のものを欲しがったりするのは悪魔に魅入られているのである。

断っておくが私は共産主義を奉ずるものではない。

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